6.先人の「心豊かな」生き方に学ぶ


締めくくりとして、古代の我々の祖先の生き方で、現代人が学ぶべきだと思うもののうち、三つを選び次にご紹介したい。

 1.「足るを知る」

現代の我々は、もっと欲しい、もっと豊かになりたい、という“エゴ”で突っ走っている。しかし、今持っている物で足りる心がなかったら、さらに欲しいと思っている物を手に入れたところで、決して満足することはできない。現代人がなかなか「心豊かな」心にならない理由の一つがここにある。
祖先たちは、必要以上にはむさぼらない「足るを知る」生き方を身につけていた。自然が持つ「節度」を身につけていた。

自然と共に生きていた我々の祖先は、自然界は命の連鎖で成り立っていることを体験的にあるいは本能的に知っていた。
自然界は、ある植物を草食動物が食べ、その草食動物を肉食動物が食べ、肉食動物の糞や屍は土に返って植物を育てる、このように命の連鎖で成り立っている。例えば草食動物が欲望のおもむくまま植物を食べつくせば、自分たちの生存はおろか、後に続く生物も危機にさらされる。ライオンも満腹のときはやたら獲物を獲らない。
こうして自然界は「足るを知る」生き方のもとに調和と安定を長く保ってきた。人間だけが自分たちの「我欲」で、必要以上にむさぼる生活を続ければ地球そのものも自分たちの手で壊してしまうことになりかねない。自然との「和」、自然や世界の人々への思いやりの心が大切である。
聖路加国際病院理事長 日野原重明先生は 著書「生き方上手」の中で、「ご馳走なら食べ過ぎれば胃もたれを招き、膨らみすぎた財産は不安を生みますが、心は満たされれば、どこまでもすがすがしくさわやかで生きることの喜びを実感できます」と言っておられる。
我々は、我欲を程ほどにし、少し不足くらいのところで満ち足りる、そのような自らの欲望をコントロールする(すべ)を身につけなければならない。そして明治初期の庶民のような「質素であるが満足な生活」を見直すべきであろう。智恵を働かせて自分の考えをすこしずつ変えていく必要がある。
そして残りは他と共有する、あるいは他に与え、他を満たす思いやりの気持ちを持たねばならない。それが「大和心」である。

2.「あるがままに生きる」

我々は生きていくことは苦しいことのほうが多い。何故自分だけがこんな苦労を背負い込むのか、何故自分にはこんなに悪いことが続くのだろうか、周囲は何もしてくれない、などといつまでも不平を言ったり、落ち込んだり、取り越し苦労をしたり、一人で、くよくよ悩む。現代人がなかなか「心豊かな」心にならない理由の一つがここにある。
古代では、目に見えないもので強大な宇宙エネルギーが満ちているものを「カミ」といい、人間にとって畏敬の対象だった。人の心は常に「カミ」とともにあった。「カミ」とともにあるから、それを「カンナガラ(惟神)」といい、カミの命を分け与えられて生きているから、人は「カミの子」、生命(いのち)はカミの「ワケミタマ(分霊)」と考えられた。
人は、彼らの暮らす土地のカミ「ウブスナガミ(産土神)」のお陰を蒙って誕生し、産土神や祖先に護ってもらいながら生き、そして最後には、産土神に導かれて祖霊の世界に帰っていった。
古代の人にとって、カミや祖先とともに生きるということは、このように生活そのものであった。カミが「神道」という宗教の範疇で呼ばれるのは仏教流入以後のことである。
古代の人たちは、心がいつもカミや祖先とともにあったから、自分一人で悩んだり苦しむことは少なく、与えられた運命の下で素直に一生懸命生きる、あとはカミや祖先にお任せする、というように「あるがままに生きた」。
そのかわりカミから離れることを畏れた。だから「我欲」や「気枯れ(けがれ)」などカミの心に反する心にならないよう穢れを祓い去る努力をした。
我々現代人は、自分が現在かかえる不遇や災いなどの不幸ごとを、自分の力だけで何とかしようとするから、力不足のためストレスが増えたりする。これはカミや祖先にお任せすることにより気が楽になるのではないか。
そのかわりカミや祖先の意に沿った正しい道を生きる努力をすることになるが、こちらの方が「心豊かに」生きることができるのではないだろうか。

3.「思いやり」と「感謝」の心

外国人が見た明治初期の日本庶民についての感想の中で特に多かったのが、「日本人は思いやりの民族だ。人々はお互いを思いやり、感謝しあう」というものであった。
大和心の特徴の一つが「思いやり」だ。他人を大事にする日本人の「思いやり」は、英語の「sympathy」よりもはるかに、自分を抑えて他者の心を推しはかる意味を持つ。 日本語には「気配り」「心遣い」「察し」「いたわり」「なさけ深い」「可愛そう」「お気の毒」・・・といった他人を「思いやる」きめ細かい言葉が多い。
現代の我々は、複雑で変化の激しい社会の中で、膨大な情報に振り回されているところがある。だから自分のことで精一杯になり、自己中心すなわち「我」の世界に入ってしまう。そして我欲中心の人間に陥り、自分のことを他人から「してもらう」立場と思ってしまい、足りないことばかりが目につき、不平不満が心を占めるようになる。
己のことは脇に置いておいて、先ず他人のことを「思いやる」、これが大和心だ。
他人を思いやる人は、他人からの思いやりが分かるから感謝の気持ちを持つ。感謝の気持ちからは不平や不満は生まれない。このお互いが思いやり、感謝する心が、明治初期のあの庶民の、質素な生活ではあるが明るく満足な生活を作り上げていたものと思う。
古代の人たちは「我」を抑えることがカミに近づくことだと考えていたから、我を抑えて人を思いやる、人のために何かをすることを当然のこととしていた。この我々の祖先の「思いやり」の心は、稲作農業とムラ生活を通じて、現代の日本人の心に連綿と引き継がれてきている。今の日本人に「思いやり」の心が欠けるのは、「我欲」がこの心を奥底に押し込んでしまっているだけだ。
「我」を抑え、他人を思いやり、また他人からの思いやりに感謝する、そうした心を持つことが「心豊かな」人間になる近道である。
以上「先人の心豊かな生き方に学ぶ」を3つご紹介した。ただ、6000年前のような古代の我々の祖先の心の話だけに、実証性の少ない、主観的なところが多々あることをお許しいただきたい。

今や日本は国際社会の一員であり、異文化を持つ他国との競争・協調や文化交流などは避けて通れない。特にビジネス世界では、競争に勝つことを至上主義とするような外国人たちに対し、日本人の「和」でどのような接し方をすればよいかと言っても難しい。このように島国日本が独自に作り上げてきた文化や心を、国際的にどのように適応していくかは現在も苦労しているし、今後の大きな課題であろう。
この話はまた別の機会に譲るとして、今回は一つの提案をしたい。

 4.第2の人生は「心豊かに」生きよう

定年を迎え、第2の人生を生きている世代の人口比率が増えている。
今や寿命が延びて人生80年、90年の時代になり、定年後も20年、30年の長い時間が横たわっている時代になった。
我々は、第1の人生では、仕事や子育てといったいわば選択の余地のないレールの上を必死に走ってきたが、第2の人生では、レールは最早なく、自分で歩む方向を見つければよいことになる。
そこで第2の人生では、「心の豊かさ」に重点を置いて生きるというのはどうだろう。第1の人生でも「心の豊かさ」を求めてはきた。ここでは、「あの人は人が変わった」と周囲から言われるくらいに「心の豊かさ」に重点を置いて生きるということだ。
魂と言うものは、「生き方」次第で磨かれもすれば曇りもする。この人生をどう生きていくかによって、私たちの心は気高くもなれば卑しくもなるのだ。第2の人生を気高く生きて、すがすがしい気持ちであの世へ旅たちたいものだ。
常に前向きで建設的な人。不平・不満のあまりない人。いつも周囲を思いやる人。いつも感謝する人。皆と一緒に歩もうとする協調性のある人。いつも明るく肯定的な人。足るを知り、利己的でなく、強欲でない人。・・・このような人になることが目標となろう。
こうした人は、若者から見てもすばらしい人だ。老いても多くを求めてばかりいる老人に、若者はうんざりしている。
男性にとっては、ビジネスの世界を離れた「定年」は価値観を転換する大きなチャンスである。ただずっと市場原理のルールにしがみついてきたのだから、切り替えは大変ではあるが。女性は男性に比べて、市場経済競争の毒の染まり方が少ないから条件に恵まれている。
目標を達成するより、目標を達成しようと努力することの方が大切だとよく言われるが、先ずは個人個人が「心豊かな」生き方を目指して努力することであろう。それが子供や孫などの家族や周囲に良い影響を与えていくと占めたものだ。そして「心豊かな」生き方を求める人が増えてお互いに共感し合い、また励まし合って同じ方向に向かって進み出せば、少しずつ大きなエネルギーになっていく。
そうしたことを期待してこの著を終わらせていただきます。能力のなさとはいえ、拙文の数々まことに失礼いたしました。ここに深くお詫び申し上げると共にお読みいただいた方々には厚く御礼を申し上げます。
以上

<参考文献>
(その一) 「日本とは何か」 堺屋太一 講談社。「歴史人口学の鬼頭宏」 インターネット。
(その二) 「逝きし世の面影」 渡辺京二 葦書房。「外国人が見た日本1 南蛮渡来以後」 岩生成一編 筑摩書房。「江戸時代ビジュアル日本」 絵画資料で読み解く江戸時代270年史。「世界の日本人観」 築紫哲也 自由国民社。「日本人の心東洋の心」大塚宗元 経済往来社。
(その三) 「朝日百科日本の歴史1」、「朝日百科日本の歴史2」(人類の誕生と列島の自然)。「縄文時代の日本列島 −自然との共生―」 東北歴史博物館。 「縄文文化の扉を開く 三内丸山遺跡から縄文列島へ」 国立歴史民俗博物館 2001。「日本の考古学弥生(上)」奈良文化財研究所 学生社 2005。「縄文の神秘 人間の美術1(縄文時代)」梅原猛 2003 学習研究社。「縄文の神とユダヤの神」佐治芳彦 徳間書店。「人類の創造へ梅原猛との交点から」古希記念論文集1995。「古代日本精神史への視座」平野仁敬  未来社 1989。
(その四) 「国家神道」村上重良著 岩波新書。「古神道入門」小林美元 兜]言社。「神ながらの大道」村瀬静車 惟神会。「神道と日本人」「神道と日本人のこころ」「神道見えないものの力」以上  葉室頼明 (株)春秋社。「神道の本」 学研 1992。「神道辞典」 神社新報社。「日本国語大辞典」 小学館。
(その五)「生き方」稲盛和夫著 サンマーク出版。「中央公論」2006.12「“スロー”への転換こそ第二の人生の鍵だ」 辻信一。