2.日本の歴史と風土


 

最近よく「大和心」とか「大和魂」という言葉を聞く。日本は現在、戦後経済の見事な立ち上がりによって、物質的な豊かさはある程度目標を達成したものの、さて次はどうすればよいのかがわからないまま、次々と入ってくるアメリカ始め諸外国の文化や思想に振り回されている感がある。憲法問題や教育問題を始めとして、日本はこれでよいのか、どうすればよいのかという問いかけが各所で行われている。このようなとき、「大和心」に還ろうとよく言われる。

 

豊かな自然の中で長年にわたって育まれてきた情緒豊かな日本文化、稲作を中心にした生活で、和を第一に生きることを信条としてきた日本人、個より公を大事にしてきた日本人、いつも勤勉努力・創意工夫する国民性、そして何より、先祖を大事にし、また先祖に守られながら生きる生き方、このような先祖代々から受け継がれてきた「先祖の心や生き方」を知ることがすなわち「大和心」を学ぶことだと考え、以下話を進めていきたい。

 

1.歴史的に見た日本

 

我々人間は、突然降って沸いたものではない。必ず両親がいる。その両親にはまたそれぞれの両親がいる。そしてその両親にはそれぞれの・・・。そして多くの先祖があって今の自分がある。
両親から生まれるということは、肉体も心も両親のものを受け継いでいるということだ。鼻が高い、背が低いといった肉体の遺伝だけではなく、物事を悲観的に捉える、モーツアルトの音楽に感動する、といった心の遺伝も行われる。いわば自分は先祖の分身である。

 

先祖のことを考えるとき、一代を、一般に考えられている30年としてみよう。例えば1940年生まれのAさんの場合、Aさんの一代前の先祖、すなわち両親は、30年前の1910年生まれ、二代前の祖父母は1880年生まれ、三代前の祖祖父母は1850年生まれで明治維新前の江戸時代生まれということになる。十代前の祖先は関が原合戦時代に生まれている。五十代前の先祖は奈良時代生まれだ。1600年前といえばずいぶん昔のように思うが、五十代前の先祖の時代といえば、そんなに昔ではないような親しみを覚える。
ちなみにAさんが十代前の先祖のDNAをどれだけ受け継いでいるかと言うと、あくまで確率的な話であるが、人間の一つの細胞の中にある遺伝子の数は約23000個だから、23000を2の10乗で割ると23個となるから、Aさんは十代前の先祖1000人それぞれから23個ずつDNAをもらっていることになる。

 

時代と先祖の関連を、グラフ「日本人口の推移と先祖代」に描いてみた。人口のデータは歴史人口学の鬼頭宏先生の著述から拝借した。「先祖代」という言葉を勝手に作ったが、私は、先祖を考えるときの一つの目安にしている。

 

日本の長い歴史で特筆すべきことは、日本が外国から侵略されるとか大規模な移民が押し寄せてきたことはなかったことだ。最近の太平洋戦争時を除いては。 日本は、昔の文化が大きく壊されることなく、自分たち独自の文化を一つ一つ築きあげ、蓄積して現代に至っている世界でまれに見る「純な国」である。

 

このグラフを見て改めて驚くことは、明治維新後、人口が急に伸びていることだ。人口爆発と言われているが、これは出生率が高いまま死亡率が低下したことと、江戸時代には自給自足ではせいぜい3000万人が限度と言われていた食糧供給を、国外に求めることができるようになったためと言われている。ゆっくりしたペースで歩んできた日本は、明治維新以降そのペースを急に速めて現代に至っている。しかもそのペースはまだ加速されつつある。

 

戦後、特に最近日本の事情が大いに変わってきている。
現代は物質的には、非常に豊かで便利な世の中になった。しかし、現代のように便利な生活環境ができたのは、やっと50年ほど前からだ。グラフの下部には、「手作業を主とする時代」と「超便利時代」と名づけ色分けしている。「超便利時代」は、我々の先祖が歩んできた「手作業を主とする時代」からみれば、まだほんの数パーセントにしかすぎない。

 

だから我々現代人が当たり前と思っている今の便利な文明社会の期間は、日本人の歴史から見ると、ほんのわずかでしかない。人間自身はさほど変わっていないのに、人間を取り巻く環境が急激に変わってしまったということになる。

 

例えば、人口移動。それまでの日本人のほとんどは、自分の生まれ育った村落で生き、そして死んでいった。村落定着生活である。それが高度経済成長とともに、農村から都市部へ大規模な人口移動があり、2000年以上続いてきた村落中心生活は崩れ、これまであまり経験したことがない核家族生活になっている。あわただしく生活する家族では、家庭団欒の機会が減り、先祖の生きるノウハウを伝える場も少なくしてしまっている。

 

敗戦後のGHQの政策も日本を大きく変えた。アメリカの占領政策の主旨は、これまで日本に根付いてきた文化を根こそぎ壊そういうのだから、変わっても仕方はない。なかでも、個人主義と称する、すべてに先ず個人ありきとする考え方が主流になり、その後アメリカナイズと称してアメリカ文化がどっと入ってきた。競争主義や金銭至上主義などが日本人に刺激を与え続けている。テレビの普及がこれに拍車をかけている。
これまで経験したことのない生活環境の急激な変化に、先祖から受け継いできている現代日本人のDNAは、戸惑っているのであろう。変な事件が次々と起こっている。

 

このように、我々の先祖から淡々と引き継がれてきた「生き方」「価値観」「生きるノウハウ」あるいは「日本文化」は、最近、国外の「価値観」や「文化」にかき回されて、どうして良いか解らない情況であると言えるのではなかろうか。

 

外国との貿易が盛んになり、自由にものが入ってくることにより、現在我々日本人が豊かな生活を送ることができるようになったが、一方諸外国の考え方や文化も入って日本人を混乱させている。
 日本の歴史を振り返ると、これまでも外国から日本へ、いろいろのものだけでなく、いろいろの考えや宗教、文化が入ってはきた。しかし先祖は、それらをうまく受け入れ、最後は自分たちのものにして独特の日本文化を作り上げてきた。我々は今後、これまで先祖がやってきたように、現在抱える課題にはうまく対応していくであろう、がこのとき必要なことが、日本人の先祖から受け継いできた心、すなわち「大和心」をベースに置くことだ。

 

.日本の風土

 

日本人を考える上で、歴史的観点とともにもう一つ必要なことが、日本人が「どのような風土のもとに」生きてきたのかを知ることであろう。

 

「日本の風土」については、堺屋太一氏がその著「日本とは何か」の中でうまくまとめられているのでそれを次に紹介する。
「日本は気候が温暖湿潤で、地形は峻険な山地と狭い平野によって構成されている。日本の風土は、牧畜には不適当だが、水田稲作には向いている。稲作は、水の運ぶ養分によって、毎年連続して耕作が可能であり、面積当たりの収穫高も大きい。小麦やトウモロコシなどは人工的に肥料をやらなければすぐ地力が衰えるので、収穫も少なく休耕期間をおく輪作にならざるを得ないが、稲作にはその必要性がない。

 

その代わり、稲作は一反当たりの労働投入量が非常に高い。水を入れるために田を平らにしなければならない。斜面では段状にしなければならないし、平地でも水が漏れないように畦を作り、水路を細かく設けなければならない。そしてそれを維持するためにも絶えざる労働が必要である。

 

しかもそれは、個人や家族の単位を超えた共同作業を要求する。日本人は早い時期から村落共同体による勤勉な共同作業を行う宿命を背負っていたのである。稲作農業は労働集約的であり、水の維持管理のために共同作業と共通分配を必要とする。したがって、完全な稲作農業においては、個人または家族が、他の集団から独立して生きることは不可能だ。「あいつの田には水をやらない」といわれたら終わりである。
また水路はずっとつながっているため、いっせいに道普請や畦さらいをしなければならない。つねに共同の生活と作業が必要であり、協調の精神が重要なのだ。

 

もう一つ重要な条件は、日本の国土が他の陸地から「狭くない海」を隔てており、日本の国土の主要部分を構成する四つの島は極めてまとまりが良かった、
古くから高度に文明が発達した国の近くに位置し、「狭くない海」で隔てられている国は、日本以外には地球上に存在しない。
大陸の進んだ文化は早くから流入したが、軍事侵略や政治支配は入ってこなかった。」