惟神会で何を得たか  【42年1月号】 P17

 

惟神会委員長 川    俣       

 

は  し  が  き

 わが惟神会は、昭和三年五月旧明道会として発足以来すでに三十八有余年を経過しましたが、その後日支事変に次ぐ大東亜戦争などの影響を受けてわが国の状勢にも大きな変化がもたらされたのです。したがって惟神会とてもその影響の埓外(らちがい)(一定の範囲外)にあり得なかったのです。想えば激動のなかを歩んだ三十八年間でもあったのです。

 しかしながら畏くも八意思兼大神さまを主神と仰いで、敬神崇祖・四魂具足という真の惟神の大道の大旗を掲げて進む本会の氏神信仰は、民族とともにある信仰です。会勢に起伏消長は避けられなかったとしても、信仰の中心と国家の中心とが相一致する点において簇生(そうせい)(むらがりはえること)の邪神信仰に隔絶して毅然たるものがあるのです。

 思うに本会は単なる人間だけの会でなく、平田先生を霊界の会長と仰いで、大神さまの大みいつのもとにある会です。したがって人間的私情の這入(はい)りこむ余地のない、いわば神人合体の集りですから、たとえ人間は素質において神そのものには成り得ないとしても、神に近づかんとする努力の累積が本会三十八年の歴史を多彩に物語っているのです。

 いまや来る昭和四十三年の創立四十周年記念事業として、本部建設の作業の達成をめざして本部支部一丸となり、営々努力に努力を重ねているさなかです。過ぎ()し三十八年の既往を振り返り反省することはいささかも徒事(とじ)(無駄なこと)でないばかりでなく、天地(あめつち)とともにきわまりないこの民族信仰を国内(くぬち)に広めるためには甚だ大切な土作りの役目を果すこととなるのです。

 既往三十八年の間には、盤根錯節(ばんこんさくせつ)(困難な事柄)に堪えきれず、氏族信仰の誇りを捨てて邪宗に走り、不幸を新たに重ねている哀れむべきご利益主義一辺倒の脱落者もありました。しかしながらいまなお(みさお)(まもり)(かた)く、自信と誇りをもって氏神信仰という民族信仰の本塁に拠って、大神さまの大御神業に翼賛している現存の会員諸氏こそは、まさに救国済民(きゅうこくさいみん)(国難を救う)の大いなる火種です。

ですから、われわれはどんなことがあっても、この火種を消してはならないのです。かく思い感ずるとき、われわれは『惟神会で何を得たか』ということを主題として、既往を反省し、或いは、既往に感謝してこの上とも大神さまの大御神業に翼賛しまつるこよなき道しるべとしたいのです。

 

八意思兼大神の御出顕

 八意思兼大神さまは、思慮分別の神・知恵の神・政治の神として天孫降臨以前の神代の昔から高天原にましまされて、数々の偉功をたてられた高貴な神さまです。大神さまは霊界の平田先生や故岸会長先生の並々ならぬお骨折りにより氏神の総代表として本会にお出ましになられたので、この高貴な神さまを本会の真柱(まはしら)と仰ぎまつる幸せは何ものにも換えがたいものがあるのです。

 大神さまがいかに立派な神さまであられるかということは、かっては伊勢皇大神宮の相殿の神として天照大御神の御付託きわめて厚かった一事に徴しても明々白々です。

 しかもわれわれは大神さまのおかげで、敬神崇祖・四魂具足という真の氏神信仰を教えられたのですから、その御鴻恩は筆舌に証し得ないほど広大無辺です。

 平田先生は『たまだすき』の中で『八意思兼大神は、思慮のもとつ大神に坐せば、何の業にても、思い(はか)りを用いる事には、此の神の御霊(みたま)をこひ願白(のみまを)すべきこと』と仰せられ、また本居宣長先生はその『古事記伝』において「八意思兼大神とは(おもい)(はかり)りの神にて、(あまた)の人の思ひ慮る(さとり)を、(ひとつ)の心に兼ね持てるなり」といわれております。

故岸会長先生は、八意思兼大神さまは、政治・学芸・思慮・分別の神として、日本に出でまさねばならぬ神といっておられます。

また故折口信夫博士は、その『古代研究』において八意思兼大神さまはその御性能から判断して文化の役割りを果される神といっております。

十四世紀末から十六世紀にかけイタリアを起点として、文学・美術にかぎらず広く学術・政治等の各方面に新しい空気を注入して、近代文化の端緒をなしたいわゆる文芸復興(ルネッサンス)の運動が全欧州を風靡しました。しかし思うに真の文芸復興とは、折口博士の言うように世の中が行き詰まったときに古代の美しい文化に思いを馳せ、それから新しい反省を得て、そこにうるわしい世の中を築きあげようとする運動でなければならないのです。

この意味において政治・学芸・思慮・分別・智恵・文化の神にまします大神さまの御出頭こそは、宗教・思想・政治・経済など行き詰まったわが国に対して真の文芸復興をもたらす一大炬火でなければならないと思うのです。

 われわれは惟神会によって、大神さまの大みいつを自家の氏神をとおして蒙る事ができるのです。現在、大神さまは氏神の総代表という私的なお立場にあられますから、われわれ会員は国教確立

を一日も早く成就させて、公式に大神さまが伊勢に還御あそばされる日にそなえて御神業のためにいちだんと懸命の努力をはらわなければならないのです。

 

平田篤胤大人命

 八意思兼大神さまの大みいつのもとに氏神・祖霊を祀って四魂具足の行にはげむことができますのは、ひとえに霊界における平田先生のおかげです。

すなわち先生は本会の霊界における会長として、われわれ会員と大神さまとの間の仲執り持ちのお役をつとめられて、会員の信仰向上や本会の運営などに支障なきよう御配慮あそばされているのです。

 明治維新の原動力となった国学の四大人わけても平田先生のいわゆる平田国学の影響には偉大なるものがあったのです。近代日本の文化は実に明治維新を起点として展開しているのですが、われわれ会員はこの維新の大原動力であった平田先生を本会の霊界の会長と仰いで、その御指導と御守護のもとに、氏神信仰にいそしみ得る幸福をもういちど反省し感謝すべきです。真の惟神の道は、民族の大祖神天照大御神の(はじ)めさせ教えたもうた道でありますから、本会には人間界でいういわゆる教祖的な存在はないのです。

しかしながら八意思兼大神さまは天照大御神の御信任きわめて篤く、加えて平田先生は霊界の会長として大神さまの御神霊のまにまにわれわれ会員を御指導して下さっているのです。

ですから、われわれはこの真の惟神の大道恢弘(かいこう)(ひろめる)という大神さまの大御神業に献身努力すべきは当然のことです。 

本会における大神さまは、氏神の総代表として至高至尊高貴な存在ですから、氏子は大神さまの大みいつを氏神をとおして蒙るのです。

また大神さまの大みいつなくして氏神は十分な活動をなし得ないのも事実です。したがって氏子は大神さまに対しては直訴は許されないのです。直訴とは定められた手続きをふまずに、直接上に訴えることです。遠祓のごときも平田先生に御奏上して執行いたしている次第です。

本部としましても御報告申し上ぐべきことはすべて平田先生を煩わして大神さまに御奏上申し上げている次第です。神と人との仲執り持ちのお役をつとめられる平田先生の御苦労に対してはただ感謝あるのみです。

 

氏 神 及 び 祖 霊

 われわれは、惟神会によって真の氏神とはニニギノ命第一世の御子神で、すべて四魂具足の真神霊としてその数は一六八柱に神定され、それぞれ領域を持たれていることを教えられたのです。また祖先祭祀の道は、大神さまの大みいつ・氏神のみいつのもとに祖霊を祭祀して、敬神は崇祖にありという真の氏神信仰をつらぬくことによって、完成することを教えてくれたのも惟神会です。

ですから惟神会こそは、大和民族本来の信仰の在り方を、氏神信仰の形において体得させてくれたわが国ただ一つの団体です。

 祖先祭祀の道をあやまったために、さまざまの不幸や災難に見舞われていることは、昔から今にいたるまで跡を絶たないのみならず、信仰が乱れて、建て直しの気配すらない現状では、恐らく将来に亘ってもこのままでは人間の生活は真に幸福にならないと思います。

真の幸福な生活とは、氏神や祖霊の守護のもとに取り越し苦労のない安心立命の生活です。

 まことに氏神と祖霊との交流は、大神さまの大みいつを蒙ることによってのみ繁く行なわれることは、昭和七年四月三十日の御啓示にも明らかにされているのです。これを電圧に、たとえれば、何万ボルトにも比すべき大神さまの大みいつはそのまま氏子に及ぶにはあまりにも強烈ですので(大神さまに直訴は許されない)、その強い電圧は氏神という変圧器(トランス)によって適当に按配されて氏子に及ぶのです。ですから、氏神はみいつの蓄電器でなく、いわば大神さまの大みいつをトランスする変圧器のようなものです。ここに抱え込み信仰の絶対不可なる所以があるのです。

この比喩は、或いは当を得ていないかもしれませんが、大神さまは氏神の総代表であられ、また氏神は大神さまの大みいつのまにまに活動されることを例をあげて端的に申し上げただけでありますからご諒承願います。

 このようにわれわれ会員は大神さま―氏神―祖霊―氏子という一連のみいつの流れの中に安心立命の生活をしていることを、換言すれば天線の中での生活を理論のうえからまた体験によって教えてくれたのが惟神会です。氏神信仰はどこまでも家庭信仰の形態をとりますが、それは決して抱え込み信仰を意味しているものではないことを忘れてはなりません。

 形の上では、本部の主神と家庭の祭神とは一見別個のようではありますが、両者は密接不離至大の関係にあるということが本会の氏神信仰の特色であり実態でありまして、このことは特に平田先生からもきびしく教えられているところです。

 われわれは惟神会に籍を置くことによって、この偉大な真理を心の面のみならずからだをもって知り得たのです。

人 格 の 意 義

 人格ということは、一口にいえば人がらということでありまして、学問的に申せば道徳行為の主体をなすものです。人格に関する論議はさまざまで尽きませんが、そのほとんどが相対的人格論です。換言すれば、儒教的であり仏教的でありまたキリスト教的であって、そこにはいささかも絶対性を見出し得ないのです。ところがわれわれは、人格の絶対性を四魂具足の教義において、完全に見出すことができるのです。

天照大御神も、ニニギノ命も八意思兼大神さまもまた氏神もすべて四魂円満具足の真神霊であられますので、われわれ氏神信仰にあるものの世界観は、当然四魂具足にもとづいたそれでなければならないのです。

真善美にもられた相対的価値観(利善美の価値観は論外)をふみこえて、四魂具足という絶対の価値の世界を認識し体得することによって、ものの見方や考え方が惟神会的に確立され、そこに真の人格が形成されるのです。

 申すまでもなく真神霊は人間に絶対に憑依しないが、神人感合は許されているのです。

 信仰とは神と人との間柄でありまして、それを形に現わしたのが祭事ですが、心の面においては神人感合ということです。

 現在本会では神人交通はありませんが、神人感合は現存しているのです。この感合は神と人との間における無言の対話ともいえると思います。およそ世の中というものは対話によって意思の疎通―コミュニケーション(Communication)が行なわれるのです。現在は対話のない時代でありますだけに、混乱と障害が相次いで起きているのです。今日の危機を救うものは、対話関係の新しい復活にありとすらいわれているのです。

 神人感合は、四魂具足にもとづく神と人との無言の対話です。この無言の対話を重ねることによって、氏神信仰は大きく成長し躍進していくのです。

 神人感合という神と人との無言の対話は、氏神に絶対の信仰を棒げて四魂具足にいそしむことによって可能です。換言すれば四魂具足を基盤として真の人格が形成されるにつれて神人感合という無言の対話がしげく行なわれるようになるのです。

 

祓・惟神科学・霊界の諸相・たまきはる

@ 

 祓を措いて日本神道を語ることはできないのですが、本会の氏神信仰のもとにおける祓は、八意思兼大神さまの大みいつや氏神のみいつを蒙っての祓です。その威力には絶大なものがあるのです。

換言すれば本会の祓は、すべて真神霊の神威が祓戸の神々に及んで行なわれる祓でありまして、追放祓に終始する単なる邪神祓でなく、真神霊信仰の本質としてあくまでも氏子の自覚反省によって氏子の罪けがれを祓い清めることを主眼としております。その結果祓によって、罪けがれに憑依して禍害を(てい)しうしている邪神邪霊の依って以って憑依する拠点が祓除されるのでありますから、邪神邪霊たちは必然的に退去せざるを得なくなるのです。

このように本会によって、祓の本質をかのイザナギノ命の禊祓の神事から教えられて究めることができたのです。結論すれば邪神邪霊に対して抜本塞源的(そくげんてき)(源をふさぐ)な祓ができるのが惟神会の祓です。これも惟神会に入って氏神信仰という真神霊信仰にいそしんだ賜です。

A 惟     

 人間の意識の構成は神と至大(しだい)の関係があることは、つとに神界から教えられているところであって、これを惟神科学と呼んでます。

両親からもらった第一霊(体霊)、氏神から授けられた第二霊(本霊または意識霊)、顕幽両界にまたがって存在する第三霊(経験霊)という三者の相関関係によって人間の概念というものが成立するのです。すなわち第二霊は第三霊のもたらす事象を第一霊のエネルギーを利用して、限定することによってそこに概念というものが生じるのです。しかもこの第三霊は、人間が生きているかぎり善悪いずれにせよ持たざるを得ないのです。

また病気とは、第一霊と第二霊とが調和を欠くことによって起るのであって不調和ならしめるのは邪悪な第三霊であることも神界から教えられてます。

このように惟神科学の問題は、現今大脳生理学とか精神身体医学の分野においてとり上げられている問題と符を同じくしてますが、われわれはすでにはやく三十八年以前にこれを神界から教えられているのです。(氏神から授けられた第二霊は脳室の中に安住しているが、第三霊その他の霊は人間に憑依するも脳室の中に入り得ず他の箇所にいるものです)

 この惟神科学を研究して身につけることは、自己の本体を知って信仰の向上に役立つと同時に、本会の信仰に科学性を与えることとなるのです。われわれは惟神会においてこれを得たのです。

B 霊 界 の 諸 相

 従来霊界は神仙界・仏霊界・妖魅界という三つの世界にかぎられたように観察されていました。大神さまの御出顕によって、それまでかくろいおおわれていた神霊界の発顕となって、更めて霊界には、神霊界・神仙界・仏霊界・妖魅界の四つの世界があることが判明したのです。世間一般では真神霊(四魂具足)と神仙霊(三魂具足)との区別がつかず、神仙界を霊界の最上位としていたのですが、ついに大神さまの出顕によって、神霊界の扉が開かれるに及んで霊界の諸相が明らかとなったのです。

 氏神信仰を進めるうえにおいても、また日常の人間生活を送るうえにも、人間は霊の支配から完全に自由ではあり得ないのです。霊界の諸相が判明して、霊界に対する正しい認識を新たにすることができたのは、氏神信仰にいそしむうえにおいて非常に参考となりました、また大きな力づけともなったのです。それもこれも惟神会の氏神信仰という真神霊信仰に入ったればこそです。

C た ま き は る

 わが国には古くから「たまきはる」ということばがあります。その意味は、霊魂来触(れいこんらいしょく)とか或いは霊魂(たま)(きわ)まる、すなわち生まれてから死ぬまでの意であって、多くの場合「いのち」にかかる枕詞として用いられていたのです。

 「たまきはる」という枕詞は、万葉の歌にしばしば見えてます。

古くは第十六代仁徳天皇(約一、六七〇年前)建内(たけしうち)宿(のすく)(ねの)(みこと)に与えられたお歌のはじめにも「たまきはる、うちのあそ……」と『古事記』に見えてます(長命にして敬愛する朝臣(あそん)―けらい)

「たまきはる」という詞は恐らく古代人が霊魂信仰に徹していたことから生じたものと思います。 すなわち人間の、霊魂は外からやってきて人間のからだのなかに入り、また霊魂のきわまるとこ

ろ人間が死ねばその霊魂は肉体から離れて、霊界にところを得るものであるという固い霊魂信仰からこの詞が起ったものと思われます。

 古代の人々は人間に幸福がもたらされるのは、その人に幸福を授ける霊魂が付着しているからであり、しかもこの霊魂は浮かれやすく身に添いがたいものであるから、その霊を人体に鎮めるという(たま)(しず)めが行なわれたのです。(中世以後の鎮魂術のおこりである)われわれはこの「たまきはる」の真義を神さまから教えられているのです。

すなわち人間は出生と同時に氏神から第二霊(本霊または意識霊―普通一般にいう霊魂(たま)のことである)を入れられ、また死ねばその魂は氏神によって霊界に引き取られて、浄化再生の(みち)が与えられているのです。

 つまり生死一貫―顕幽をつらぬいて人間の霊魂を支配して下さるのが、真の氏神です。

ここに神任せの安心立命の世界観が確立されるのでして、「たまきはる」という古い詞の真義は、真の氏神信仰のなかにいまもなお脈々と生き続けているのです。

 

生 き る 喜 び

『万葉集』のなかに

 「御民吾(おたみわれ)生ける(しるし)あり天地(あめつち)の栄ゆる時に

()へらく(おほ)へば」

という歌があります。(作者海犬養宿弥岡麿(あまのいぬかいのすくねをかまろ)・約一、二〇〇年前)

 われわれは日本民族として現代に生を享け、この歌の実感がひしひしと身にしみてくるものがあるのです。平田国学が大きな原動力となって明治維新が成就し、天皇御親政のもとに三種の魂器の(みかがみ)(奇魂)(つるぎ)(荒魂)勾玉(まがたま)(和魂)に加えて、幸魂にまします天皇が(あらわ)にお出ましになられたので、ここに奇荒和幸の四魂のはたらきのもとに、近代日本が発足して今日の昭和の時代の弥栄を迎えるに至ったのです。

もちろん今日の産業経済の在り方は、四魂具足的でなく三魂的であり、神仙的であることはかっての御啓示にもあるとおりです。産業経済は四魂にもとづいて発展しなければならないことは、すでにはやく明治維新における天皇の御親政という公式御出座によってその基盤が築かれたのです。

 かの大国主命が自己の和荒の二魂に少那比古那命(すくなひこなのみこと)の奇幸の魂を得て四魂となし、その四魂のはたらきによって、国土経営に成功した故事はわれわれはこれを惟神会において知り得たのです。

ですから、四魂にもとづく明治維新における近代日本の発足は、神代における大国主命の四魂にもとづく国土経常の再現ともいえるのです。

 また民族のあるところ必ず祖神があるはずですが、世界中で氏神の歴然たるはひとり日本民族だけです。したがって惟神会の氏神信仰は、いま世界を風靡(ふうび)(人々をなびき従わせる)しているナショナリズム(民族主義)を民族信仰という形において最も完全に体現しているといえるのです。

 氏神は日本民族生成の当初から民族同化の神として現存しているのですが、この氏神を氏族の祖神として、理論のうえからもまた体験のうえからも確認し得たのは、畏くも八意思兼大神さまの出顕によって真の氏神が知らされ、大神さまの大みいつのもとに、氏神奉斎の神事が執り行なわれるに至ったからです。

 ここにこうして、民族的自覚が祖国愛となってよみがえってくるのです。もともとわれわれの生命は祖神たる氏神にその根源があるのです。われわれ日本人が神のみすえといわれる所以は、実にここのところにあるのです。

そして氏神のそのまた氏神は、天照大御神であられますから、生命を生かすということは、万世一系の皇室に生命の純粋性を保ち、おのもおのも氏神信仰のもとに四魂の精神を発揚して、世界の文化の一単位として民族の特色を発揮することにあるのです。

 一霊四魂という民族精神は、民族創成の当初から祖神氏神によって与えられていたのですが、中途儒仏の渡来によって、あたかも民族精神が途絶(とだ)えたかの観を呈するに至ったのです。しかしながら真実は民族魂は脈々として底流に息づいているのです。この事実を理論的にもまた信仰的にも実証しえたのが本会の氏神信仰です。

 さらにまた、真の日本精神とは四魂具足の精神であることも、如上(じょじょう)(順を追って述べる)の一霊四魂という民族精神の在り方に徹して当然いえるのです。

 生きるということは、無始無終な生命を生きとおすことですが、そこには客観的には第一霊・第二霊・第三霊の霊的相関関係に制約されると同時に、主観的には霊魂の浄化再生という生命の永続性が堅持されなければならないのです。

 この主観と客観をふまえた完全な生きる姿『生きる喜び』を与えてくれたのは、惟神会の氏神信仰でありました。

 皇室は天照大御神の直系であられ、氏神は天照大御神の傍系(ぼうけい)(ニニギノ命)であられますので、信仰の中心と国家の中心とが相一致することはしばしば申し上げたとおりです。わが国は大古から皇室を中心として発展してきたものであり、したがって国民の信仰も皇室の敬神崇祖の信仰(皇室では、賢所に大祖神天照大御神の御魂を祀り、皇霊殿には代々の天皇の霊魂を祀って「敬神崇祖の信仰」をおごそかに行なわれる)にならって、敬神崇祖という氏神信仰となり、また国民の生活振りもその源を皇室に発しているのであって、それは「古事記」「日本書紀」各風土記など古記録を見れば明らかなところです。

 かってのアメリカ大統領アイゼンハウワーは、日本に行く目的の一つは、偉大な明治天皇の(みたま)(ぬか)づきたいことだといったそうです。

 また伝え聞けば、日本に赴任する外国使臣の最大のあこがれは、馬車に乗って信任状捧呈のため皇居に参内することです。或る側近者が何度か宮中で侍立した経験によると、いざ天皇の前に信任状を捧呈する段になると、老練な大使でさえその足がこきざみにふるえているのがズボンの上からでもよくわかるそうです。

かれら外国使臣にとっては、想像もつかない長い歴史を、そのまま体現しておられる天皇という御存在を、現実にわずか二、三歩の距離をへだてて直面することが、かれらに自然の畏れを抱かせるのであろうとのことです。

 このようにわれら日本民族にとっては、天皇は万世一系の縦の糸であられ、また氏神信仰は四魂の教えによって国民をつなぐ横の糸であります。

この縦と横との二つの糸がうまくからみ合うところに、民族としての誇りもまた自覚もさらにまた生きる喜びが油然(ゆうぜん)(盛んに)と湧いてくるのです。

 「御民吾生ける験あり天地の

       栄ゆる時に相へらく念へば」

の民族の弥栄かを称える古歌は、かくして惟神会によっていまもなおわれらの胸奥に生き生きと生きつづけているのです。

     

 以上申し上げましたように、われわれは惟神会によって、八意思兼大神さまのこと、平田先生のこと、氏神祖霊を祀る敬神崇祖の真義、人格の意義、祓・惟神科学・霊界の諸相・「たまきはる」という死生一貫の道これらをもととして生きる喜びを知ることができたのです。

 しかしながら、四十年になんなんとする長い年月の間における先輩諸氏の血のにじむような求信一途(いちず)の貴重な体験の数々は、氏神信仰の神髄を語ってあまりあるものがあり、われら同信の徒を或いは励まし、或いは反省に導き、或いは奮起させるものが多々あるのです。ここにわれわれは、生きる喜びを感じるとともに、喜んで真の惟神の氏神信仰の弘布(こうふ)を生涯の仕事(ライフワーク、Lifework)として持つことができるのです。この世に生を享けているからには、四魂の信条そのままに社会連帯の恩義に感じて、世のため人のためにつくすことに生き甲斐を見出すのです。

 何がいちばん世のため人のためにつくすことかと申せば、真の惟神の信仰によって抜本的に救国済民の実を挙げる以上のものはないのです。

 われわれは惟神会によって、万世一系の皇室という縦の糸と、氏神信仰という民族信仰の横の糸とがガッチリと組合うことによって、かもし出される民族の誇り、民族の自覚、生きる喜びを体得できることを何よりの幸福と思うのです。

 われわれ日本人は神のみすえ(御末)であるということを、氏神信仰という祖神信仰にいそしむことによって体得できるのです。この幸せは、ひとりわたくしすべきでなく、これを感謝して広く国民一般にわかち与えて氏神信仰に導くことが八意思兼大神さまの大みこころに叶って恩頼を蒙ることとなるのです。

人間のいちばん美しい心の姿は、感謝する心です。幸福に感謝をこめてその幸福を他にわかち与えること、すなわち氏神信仰を他に及ぼすために感謝をこめて努力することが、謙譲な慎み深い、いわば感謝と慎みに満ちた日本的な生活態度となるのです。それはまた神々と共にある生活であり、祖先・両親とともに生きる温かさと明るさに満ちた生活をもたらすのです。

 現代は科学や技術が人間を無条件に幸福にするものと信じておりますが、その現代がいまひとつの大きな曲り角にさしかかっていることに思いをいたして頂きたいのです。

換言すれば、人類の真の幸福のためには、科学や技術を管理し、またそれらを方向づけなければならない段階にきているのです。

 ここに科学や技術は知識の累積ですが、これを管理し方向づけるものは知恵のはたらきです。

 われわれは惟神会の氏神信仰によって、この智恵のはたらきを、智恵の神・思慮の分別の神にまします八意思兼大神さまの大みいつのまにまに自分のものとすることができるのです。

 またイギリスの歴史評論家のサンソムはその著「西欧世界と日本」のなかの宗教篇で『明治維新における神道再興の企てが結局失敗に終ったのは、民衆の大部分がこの神道の教義的な面にあまり興味を示さなかったうえに、仏教信仰に依然として帰依していたばかりでなく、その仏教が民衆の日常生活の一部になっていたからである』というような意味のことをいっております。一面うなずけるものがあるのです。逆言すれば当時の神道が民衆の日常生活のなかに入っていなかったということです。それは当時の神道が前述の皇室という縦の線ばかりを強調して、氏神信仰という横の線(維新時の失敗)を欠いていたからだと思うのです。

 わが国は神代の昔から縦と横の線が信仰的に間然するところなく上手に織り成されていたのですが、中世以後儒仏の渡米によって横の糸を全く欠くようになったのです。惟神会によって敬神崇祖・四魂具足という横の糸が家庭信仰の形においてうまく万世一系の皇室という縦の糸とからみあって、そこに民族意識・国家意識を高らかにうたいあげると同時に、安心立命の家庭生活が送れるようになったのです。惟神会の一大特色は実にここのところにあるのです。(この家庭信仰は抱え込み信仰であってはならない。どこまでも大神さまの大御神業に直結した家庭信仰でなければならない)

 まことにわれわれは、この氏神信仰を本会の先輩諸氏から承け継いでいるのです。さらに申せば遠い祖先から受け継がれた氏神信仰です。明治の文豪森鴎外は「人間は生まれたままの顔で死ぬのは恥ずべきだ」といって、人間は年輪を重ねるにつれて自分の顔に気品とか知性とか何ものかがプラスされるものがなければならないといっております。

 ですから、われわれは惟神会によって得たこの氏神信仰を、先輩諸氏からそしてまた祖先から受け継いだそのままの姿でなく、これに努力と献身によって何ものかを付け加えて、より立派な氏神信仰にすることです。またより立派な惟神会としてこれを後に続くものに伝うべき義務と責任があるのです。

 まことに生きる喜びは、安心立命の世界に住むことですが、かくあるためには敬神崇祖・四魂具足の氏神信仰に入り切ることが先決問題です。

 そしてこの氏神信仰に入る切るためには、

@ 氏神や祖霊は絶対にわれわれを守護して下さるという確信を持つこと、すなわち稜威信じて疑わずの信念のもとに氏神や祖霊に絶対の信頼を寄せること。

A 懺悔の祓によって従前の誤まった信仰による邪神邪霊を祓い清める。

B 外界から働きかけてくる邪神邪霊による災禍に対しては、原因結果の法則にもとづき、邪神邪霊の伝って以って憑依する足がかりたる自己のけがれを清祓(或いは遠祓)によって祓い清める。

C 自己の身辺を清めた上に、更に惟神科学を研究して誤まった自己を清算し、自分の本体を知ること。

D つねに反省・感謝・克己を忘れず、四魂具足につとめることが必須の条件として要求されるのです。

惟神会で何を得たか

 それは真に生きる喜びを得ると同時に、救国済民のために、氏神信仰という真の民族信仰を全国に あまなからしめる隅々まで治めることを生涯の仕事とする真実の生き甲斐を見出したことです。

                   (昭和四十一年十一月二十日 八意思兼大神秋季大祭における講演要旨)

以 上

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