八意思兼大神仮殿御遷座 P12
惟神会委員長 川 俣 均
畏くも八意思兼大神さまの大みいつのもとに、かねて会員諸氏の心からなる御協賛を得て、創立四〇周年記念の本部建設計画は、いよいよ具体化して着工の段階に入ったのであります。
そこで当面焦眉の急としていちばん大切なことは、大神さまを本部の新しい建物が竣工落成するまで仮殿をしつらえて、そこに御遷座申し上げることであります。
幸い本部境内地の一部に適当な空地が保存されてありましたので、早速そこに仮殿を設けて一時
大神さま はじめまつり 氏之祖ノ神 氏之祖ノ神委員会の 委員長の神、 副委員長の神
並びに 平田篤胤大人命 及び 岸一太大人命 を御遷座申し上げることとなったのであります。
神さまは必要なときに必要なものを、必要な人間をまた必要な時間をすら賜わるのであります。境内地の一部に適当な空地が保存されてあったということは、まさに必要なときに必要なものを下さるという神界の御神慮、大みはかりのほどまことに辱けなくも また
ありがたいきわみであります。
拝察申し上げますのに、神界では今日あることを御見通し遊ばされて、この空地を残し置いて下さったのであります。空地入手以来その利用方法につきさまざまな論議が交わされましたが、ついに利用計画の実現を見ることなく今日に至ったのであります。
神は見通しであられまして、凡俗の浅慮の遠く及ばないものがあるのであります。
去る五月七日 大神さまの大前に 本部建設着工の儀奉告祭を執り行ない、次いで日を
更めて五月十六日仮殿建設の起工祭を執り行ないました。
その後仮殿建設工事は順調に取り運び、仮の御神殿も新しい木の香の用材ながら仮の名そのもののお粗末にてまことに恐れ多いきわみでありますが、まず仮の御神殿にふさわしく御造営されたのであります。
かたがた 本部旧館の取毀し作業は日増しに進んで、塵埃と騒音のさなかに大神さまを
旧御神殿に御安置申し上げて置くことは、なんとも恐れ多いかぎりでありますので、去る六月二日午後七時、小職は早朝より潔斎して身心を浄め、斎主を御奉仕して、おごそかに御遷座の御祭りを仕えまつったのであります。
ぬばたま(枕詞)の宵闇のなかを 大神さま はじめまつり、氏之祖ノ神の委員長の神、副委員長の神 平田篤胤大人命 並びに 岸一太大人命 のお?はそれぞれ潔斎に身を浄めた担当の祭員によって恭々しく捧持され、斎主その他本部諸役員が扈従(随行)しまつって、警蹕も厳かに静々と渡御(お出まし)が行なわれて、滞りなく仮りの御神殿に御遷座安置申し上げたのであります。
本部建設のためとは申しながら新しい御神殿御造営まで約七ケ月というもの、大神さまをいぶせき(むさ苦しい)仮りの粗末な御神殿に御遷座を願いまつることは、なんとも恐れ多いきわみでありまして、本会としてはまさに空前の厳かにもまた恐懼に堪えない祭事でありました。
かえりみますれば大神さまには、岸先生の切なる願いを容れられ給うて、
昭和三年二月四日 京都藤の尾の地から現在の本部の御神座を厳の磐境としてお遷り鎮まり給われたのであります。
そしてその年の三月一日 大神さまの大みいつのもとにはじめて氏神奉斎の神事が執り行なわれ、越えて五月十九日 大神さまの御神許を得て氏神奉斎 百柱を記念して本会が創立されて今日に至っていることは、みなさますでに御承知のとおりであります。
しばしばさまざまの機会に申し上げておりますように、大神さまがお出ましになられましたのは、敬神崇祖・四魂具足の氏神信仰によって国教を確立し、国家万民を真の惟神の大道によってお救いなさろうとされる救国済民の大御神業を創めさせ給う大みこころからであります。
はじめ岸先生は、平田先生のお骨折りによって大神さまの鎮まります磐境が全く明かに判明しましたので、大神さまの神社を設けて日本人全体に速かに大神さまを信仰させたいと考えて平田先生にお願いしたのでありますが、最初に沢山の費用を要することでありましたため容易にその方法が決まらなかったのであります。ところが岸先生がこのために種々苦心しているうちに、はからずも平田先生から「岸の住宅の玄関の隣りの室は清浄な室であるから、その室に神殿を設けるならば
思兼大神は出蘆(再び世間で活動する)まします」というまことにありがたいお話があったのであります。そのときの岸先生のお喜びはいかばかりかたとえようもなかったのであります。
そこで早速椅子や卓子を片づけ掃除をして、何日をもって大神さまは御来臨下さいますかと伺うと、二月四日節分の日をもってするとの平田先生のおことばがあったのであります。まさに昭和三年二月四日のことであります。
このときの模様を岸先生は次のように述べておられます。
「昭和三年二月四日は誠に暖い晴天であった。此の庭前に新たに神籬を設けて御降神の時を待って居た。私等は其の時分の信仰で、清めの雨とて凡て大神の創めて御降臨の時には、必ず降雨があるものと、聴いて居た。而して午後二時頃までは実に晴天であって、同志のものは稍失望して居たが、午後三時に至って僅かの雨滴であったが唯此の附近丈け突然雨が降った。是れには同志のものと共に驚き入ると同時に実に喜んで居ったが、果して午後五時頃神籬に御降神があったのである。爾来大神は此の神床を磐境として鎮まり給うて居られるのである」(原文のまま)
それから氏神奉斎の神事がはじめられるようになったのでありますが、この間のいきさつにつき、岸先生は次のように述べています。
「私は『現代の我国の思想の悪化、政治の腐敗は実に国家の為め深憂に絶へぬ処であります。大神はそれに対して何等かの対策は講ぜられませんか』と申し上げた処
『勿論それに対する神策を施さねばならぬ故に茲に来たのである。併し神独りでは何事も出来ぬ、其方法は暫く熟考した上にて知らす』と云はるるのであった。
其の後毎日『如何にして宜しきや』と御伺いするも『まだ決定せぬ』と云われた。
三、四日の後私は暖炉の前に立って考へて居ると、ふとわれわれの祖先の神である氏神
即ち鎮守の神を奉斎したならば思想統一は出来るのではないかと云う考へが浮んで来た。故に早速私から『国民挙って先祖の神を奉祀したならばよいのではないですか』と御尋ねした処『左様である』… と御神勅があった。
(中略)茲に於いて私には直に一つの疑問が浮いて来た故に大神様に直に反問しました。
『諸而併し氏神を奉斎して、国民思想が善導せられるならば、反対に考へて見ますと、私は今日の如き思想の悪化など来るべき筈がないと思います。何となれば我々は出生後お宮参りということをし、七五三の御宮詣りを為し大概の仏教信者も皆宮参りはする。
現時敬神思想の鼓吹せられると共に鎮守の神は一般に大に盛に祭祀せられて居る。故に氏神奉斎を盛にしても別に大に特別に御神威の現れる訳はないと思いますが、夫れとも氏神奉斎の方法でも問違って居たのでありましたか』と反問致しますと大神曰く
『今の世人の氏神、産土神と思ふて祭祀して居る神は、多くは神ではない、真の氏神を祭る事によってである』と言はるるのであった。
然らば其の真の氏神とは如何なる神でありますかと御尋ねしますと
『氏神とは大和民族の御祖の神である、而して真の氏神は決して沢山はない筈である。氏神は人の霊魂を支配し、人が死し其霊魂が霊界に入ることを得るのも、其浄化せられるのも氏神の神力に頼るものである。人間は此の世に於ても霊界に於ても氏神の支配を受けて居るものである』と云はれる。
『左様に真の偉い氏神が在ることは私共は知らぬ、成程左様の神が氏神の中にあるのならば之れを祭れば必ず結構と信じて疑ひません。併し私共は何れの氏神が真の氏神か見別けがつきませんから困ります』と申上げた処
『夫れは神の方で知らせてやる』と云はれるのであった。此れが氏神奉斎の動機であります。而して神界では氏神の管轄せらるる地域が定まって居るものであるから、夫れにより地方で氏神は定まるものであるといわれたのである。
『夫れでは其の地域は現住処の地理によりて御定めになりますか』
『否古の住居の地城によりて氏神を制定すべし』と云はれたのであった。
『然らばわれわれのいう産土神と云ふ意味の神でありますか』とお尋ねした処
『真の産土神と真の氏神とは左程異って居ない、其の働きは同一である。人が他国に移住した時其土地の氏神を産土神と云ふ、氏神を奉斎すれば我家の氏神が在る故に産土神を祭る必要はないのである』と」曰われた。
以上は『本会発会式以前の回顧』のなかで岸先生が述べられたお話しの一端でありますが、氏神奉斎のいきさつは右のような神人交通の結果からであります。
かえりみますれば昭和三年二月四日、畏くも八意思兼大神さまを京都藤の尾の地よりお迎え申し上げてから、氏神奉斎の神事がはじまり、救国済民の大御神業が創められたのでありますが、その後昭和五年五月 神界の立替えが完了してニニギノ命第一世の御子神にまします 一六八柱の真の氏神が御神定になり、ここに真の敬神崇祖・四魂具足の惟神の大道が確立されるに至ったのであります。
しかも大神さまの御神業は、まさに空前のものでありますだけに、御神業を阻もうとする巷の邪神祁霊たちはその地位を危殆から防ごうとして手を代え品を換えて反噬(恩義の人にはむかう)至らざるはなかったのであります。
でありますからかれらの反噬を退けてこの真の惟神の信仰を拡大強化するためには、なんとしても大神さまの手足であられる氏神を一柱でも多く世にお出し申し上げるよりほかはないのであります。
すなわちわれわれは、大神さまや氏神のみこともちとして、平田先生の御訓示にあるように、氏子としては四魂具足にいそしみ、会員としては御神業に翼賛申し上げて教勢の拡大強化に努力しなければならないのであります。
いま、三十有九年に亘る起伏消長さまざまの歴史を秘めたこの本部旧館が、新しい本部建設のためとはいえ、跡形もなく取り毀わされるのをまのあたりにして、感懐しきりなるものがあるのであります。
三十有九年の歴史の一齣一齣は、走馬燈のように胸奥を去来して止まないのであります。
氏神の総代表として本会の真柱の大神にまします八意思兼大神さまを、仮りの御遷座とは申しながら旧御神殿から粗末な仮りの御神殿にしばしの御遷座をお願い申し上げますことは、まことに恐懼そのもの恐れ多いきわみであります。
これからは新しい御神殿の竣工落成まで、朝夕の御奉仕はもちろん、月次祭、記念祭、奉斎式、遠祓などすべてこの粗末な仮りの御神殿の大前にてお仕え申し上げざるを得ないのでありまして、なんとも恐れ多いかぎりであります。大神さまは世が世なら、伊勢皇大神宮の相殿の大神として、公式に祭祀をお受けになられるのでありますが、いまは氏神の総代表として私的のお立場にて大御神業を統べ行わせ進められ給うておられるのでありますから、われわれ会員たるものはいっそう感奮振起(感じて奮い立つ)して、いやがうえにも御神業にお尽し申し上げなければならないのであります。
もともと御遷座ということは、御神座を御神殿にお遷し申すことでありますが、これには二通りあるのであります。すなわち仮遷座と正遷座であります。仮遷座というのは、本殿造営が竣工落成するまで、仮に造営した神殿に御神座をお返し申し上げることでありまして、すなわち、仮殿遷座であります。また正遷座ということは、本殿が落成したので、神霊を仮殿から本殿の御神座へお遷し申し上げることであります。
去る六月二日に御奉仕しました遷座祭は、もちろん仮殿御遷座であります。
仮遷座には必らずそれに伴って正遷座があるのであります。でありますからわれわれは来るべきめでたい正遷座の日にそなえて、本会の内容にいちだんの充実味を加えるようにいまから専心努力しなければならないのであります。
すなわち新しい本殿という大きな容れ物を充たすにふさわしい、たくさんの氏子を新たに獲得するとともに各自の信仰をこのうえとも高めてこそ、仮遷座から正遷座へと名実ともにそなわって移行できるのであります。
最近の外電は、中東においてイスラエル共和国とアラブ連合との間が戦争状態になったことを報じておりますが、この両者の争いはいまにはじまったことでなく、純然たる民族の争いとして古くから絶えないのであります。
イスラエル共和国は、戦後ユダヤ人によって建国され、エホバの神を信仰しているに反し、アラブ連合は、エジプト、サウジアラビヤ、トランスヨルダン、イラク、シリヤ、レバノン、イェーメンの七ケ国が一九四五年大統領ナセルを盟主として連合したアラビヤ人の連合体でありまして、回教を信じアラーの神を信仰しているのであります。
この両者は永い間民族的にもまた宗数的にも根本から相容れず反目を続けているのでありまして、たとえばアラブ連合側ではイスラエル共和国の存在そのものがアラブに対する侵略であるとさえいっているのであります。(現在、戦争状態は一応終息し、国際連合における外交交渉に移っている)イスラエルとアラブとは何れが是、何れが非とは申されませんが、両者が民族的にまた宗教的に憎しみ合うことはまさに民族の悲劇以外の何ものでもないのであります。イスラエルとアラブとの争いはまたユダヤ教徒(エホバの神)と回教徒(アラーの神)の聖地とされているエルサレムの争奮戦ともいえるのであります。
端的に申せばエホバの神もアラーの神も、すべて和魂を全然欠除し、ただ奇蹟だけをねらう奇魂の一魂的なものといわざるを得ないのでありまして、四魂具足など片鱗だにないのであります。
それにひきかえわれわれは、民族の大祖神として四魂円満大具足の天照大御神を仰ぎまつり、また民族の祖の神として四魂具足の真神霊氏神を信仰して敬神崇祖の民族信仰を実践することによって、信仰の中心と国家の中心とが一軸の上に合致するというまことに恵まれたる氏神信仰を、氏神の総代表にまします八意思兼大神さまから諭し教えられたのであります。
すなわち氏神信仰に徹することによって、一方では一身一家の安泰繁栄がもたらされると同時に他方では何ものにもまどわされず民族愛、祖国愛、尊皇心が涌然とたぎってくるのであります。
われわれは外電がイスラエルとアラブとが民族的にまた宗数的に憎しみ合うみにくい争闘のあさましさを報じてくるにつけても、氏神という四魂具足の明々白々な祖神を信仰の対象とするこの幸福をかみしめて、いまいちど身辺をかえりみて反省し感謝するところがなければならないのであります。
他国と陸続きに接することなく、一民族、一国家、一祖神という神代の昔から恵まれたこの環境に生を享けた幸せを感謝しなければならないのであります。
このたびの仮りの御遷座は、やがてお迎え申すべき正遷座のための仮遷座でありますから、御神業恢弘(大きくして推し進める)のために、このうえともいちだんの努力をいたして、
大神さまの御鴻恩に応えまつるところがなければならないのであります。
同時にわれわれの信仰をこのうえにも高めて、大神さまを新しい御神殿にお迎え申し上げるにふさわしい氏子であり会員とならなければならないのであります。 以 上
(昭和四十二年六月十八日 八意思兼大神月次祭における講演要旨)