氏神信仰の絶対性 P12
惟神会委員長 川 俣 均
は し が き
昭和三年二月四日、畏くも八意思兼大神さまは、平田篤胤大人命の並々ならぬお骨折りによりまして、氏神の総代表として本会にお出ましになられたのであります。
ここに天平九年以来千三百年の長きに亘って閉ざされていた真神霊界の扉が開かれるに至ったのであります。
そして大神さまは、真の信仰は崇祖にあり、しかもこの崇祖をさかのぼれば、当然魂の祖神たる氏神に到達せざるを得ないから、この氏神を奉斎することによって真の敬神が成り立つが故に、日本民族の信仰は、敬神は崇祖にありという、まことのかむながらの信仰でなければならないということを教えられたのであります。
こうして昭和三年三月一日はじめて真の氏神を奉斎させて頂いたのであります。
まことに大神さまの大みいつの贈物であります。
日本民族は、いつでも四魂具足し得る霊性を具えている民族でありますから、この霊性がつねに発揮されるようになれば、自然と幸福の生活が送れるようになるのであります。
ということは、つねに四魂具足の霊性が発揮されるようになれば、四魂を円満に具足される氏神との感合が成り立ち、その御守護が頂けることとなりますので、すべて神のまにまにという安心立命の境地が開けてくるからであります。安心立命するところに、真の幸福があるのであります。
精神的幸福、物質的幸福と申しましても、それは安心立命の中からもたらされるものでなければなりません。不安やおののきの中からは、真の幸福はもたらされないのであります。
でありますから氏神信仰するからには、四魂具足ただ一筋に打ち込んでいかなければならないのでありまして ここに氏神信仰の絶対性ということがとりあげられなければならないのであります。
絶 対 の 氏 神
絶対ということばは、相対ということばの反対であります。相対ということは、相互に関係を有することであり、互いに対立することであります。これに反し絶対とは、いっさい他との比較や対立を絶していることであります。或る人にとっては善であっても、他の人にとって不善であるならば、これは相対の善であります。絶対の善とは、時と所、またなにびとを問わず、善でなければならないのでありまして、これは、四魂具足以外には存在しないのであります。
しかもこの四魂具足を円満に具足しておられるのが、真の氏神であられますから、この氏神こそ、絶対の神であります。
また見方を換えて、日本民族同化の神は、この氏神以外には絶対に存在しないのでありますから、この意味においても、氏神は日本民族にとっては絶対の神であります。
さらにまた真の氏神は、ニニギノ命第一世の御子神に限定されておりまして、他の氏神と称するいかなる神も、民族同化の真の氏神ではありませんから、この点におきましても、真の氏神は絶対の神であります。
でありますから絶対の氏神としての条件を申し上げるならば、次のようになるのであります。
(一) ニニギノ命第一世の御子神である
(二) 一六八柱に限定され眞神霊界に鎮まられる
(三) それぞれ領域を支配される
(四) 四魂具足を円満に具足しておられる
(五) 人間味を持ち合わされない
(六) 氏子の四魂具足に対してだけ感合される
(七) 天孫降臨以来日本民族の同化に当られている
(八) 人間が生れれば魂を授け、死ねば魂を引取って下さる
(九) 氏子との間に人間味のある祖霊を仲執り持ち役として介在させる
(十) 八意思兼大神さまを総代表として仰ぎ、すべて大神さまの
?大みいつのまにまに働かれる
絶対の氏神は、以上のような特性や条件を具えておられるのであります。
氏 神 信 仰 の 絶 対 性
貞永式目(約七百年前の貞永元年七月、北条泰時によって制定された鎌倉幕府の政治に関する個条書)は、五十一箇条から成り、その第一条に
『神は人の敬ひによりて威を増す』とありますように 氏神の威力は、氏子が絶対の信仰を捧げることによって発揮されるのであります。
邪神は邪神なりに、人間から信仰されたり祈願されると、邪神相応の御利益を与えますが、その代り御利益に数倍もする災害を与えるのであります。これを邪神におつりをとられるというのであります。
後のことは後のこと、いまがいま御利益をもらいたいというのが我慾に固まっている人間の通弊でありますから、目先きの慾にくらんで邪神信仰に陥っているのが、世間一般の在り方であります。
これというのも、長い間真神霊界の扉が閉ざされたため、動物霊が我がもの顔に、横行バッコ(のさばる)しつづけてきましたので『鰯の頭も信心』というような情けない御利益本位の信仰が支配的となってしまったからであります。
動物霊には、およそ善悪のけじめなどないのでありまして、ただ人間を苦しめるのが、かれらの本能であり、また快哉を叫ぶところであります。したがって、人間を苦しめることが大きければ大きいほど、かれらの動物霊界における地位は上がるのであります。
動物霊が人間に御利益を与えるのは、後で人間を苦しめることによってその本能を満足させると同時に、その地位を仲間に誇示するための呼び水でありオトリのようなものであります。
浅果かにも人間が、この目先きの御利益という邪神の呼び水やオトリに釣られて、災害をわが身のみか子孫にまで及ぼすにいたっては、なんと馬鹿げたことではありませんか。なんと身ぶるいするほど恐しいことではありませんか。
ところが絶対の氏神は、そうやすやすと御神徳は下さいませんが、御神徳に対してお釣りをとるというようなことはなさらないのであります。
ここのところに、四魂具足の真神霊にまします絶対の氏神と邪神との大きな相違があるのであります。
もちろん氏子が氏神の御神徳に対して、みいつの大源泉にまします大神さまに御神恩感謝のまことを捧げないかぎり、氏神は氏子の不信にあきれて横を向かれ、みいつの流れである天線は薄くもなれば、或いは途切れもするのでその間隙に乗じて、かって氏神によって退けられた邪神たちは得たりとばかりに反撃してくるために、氏子は思わぬ災害を蒙るようになるのであります。
でありますから、氏子は絶対の氏神に対しては、どこまでも絶対の信仰を捧げると同時に 大神さまの大みいつを忘れてはならないのであります。
そこで絶対の信仰ということは、ただ一筋に他を顧みることなく信仰そのものに徹して、ひたすら打ち込むことではありますが、ただやみくもに熱心に信仰するだけでは不十分でありまして、絶対の氏神の本質をよく理解し且つ確信した上で、絶対の信仰を捧げなければならないのであります。
ここに絶対の氏神の本質とは、前節に申し上げました(一)から(十)に至る各項でありますから、これらの事項をよく理解して頭にいれた上での絶対の信仰でなければなりません。しからば、どうすれば絶対の氏神に絶対の信仰を捧げることができるかということであります。
それにはまず第一に『迷いを去る』ということであります。
人間というものは、多かれ少なかれ、迷いというものをもっているものであります。
まして何か禍事でもありますと、自分の不信仰を棚に上げて、氏神のみいつに対して迷いを抱くようになりがちであります。
これはとんでもない考え違いでありまして、お義理にも絶対の氏神に対して絶対の信仰を捧げるなどとは申されないのであります。
大体人間が迷いを抱くということは、その人に憑依している第三霊・第四霊(人間は誰でも経験霊としてさまざまの霊をもっていて、これを第三霊・第四霊という。この経験霊が第二霊―意識霊または本霊ともいって氏神から授かった魂―と複合して、人間の考えや行動を支配する)が邪悪な場合に起るのであります。
でありますから、どんなに四魂具足の信仰を唱え、また真のかむながらの大道を理解し、これに共鳴したような理屈をいったところで、その人の第三霊・第四霊が邪悪な場合は、決してこの道を実行しておりませんから、少しでも禍事があったり慾望が達せられませんと、たちまち迷いを生じるようになるのであります。
信仰ということは、読んで字の如く、神の神格を仰いでそのみいつを信じ切ることでありますから、そこにはどうしても実行が伴わなければならないのであります。
しかもこの実行を阻み妨害するものが、邪悪な第三霊・第四霊でありますから、これらの経験霊をば善良なものに置き換える必要があるのであります。
邪神にしてみれば、人間が絶対の氏神に絶対の信仰を捧げることによって、いままでの安住の地位から立ち退かざるを得ないのでありますから、かれらが真剣に妨害するのは当然のことでありましょう。
ここに第二の方法として『祓』ということが登場してくるのであります。
祓につきましては、懺悔の祓、清祓(遠祓も含む)等、しばしばさまざまの機会に申し上げましたので、十分御理解のことと存じますが、要は実行の如何にかかっているのであります。
祓は、神さまから教えられた大切な行いでありまして、本会の信仰を全うするためには、祓の実行は不可欠の要件であります。
祓に始まって祓に終っているのが、本会の信仰の一面であるといっても過言ではないと思います。
殊に懺悔の祓におきましては、およそ氏神信仰するものにとっては、どうしても一度は通過せざるを得ない最初の関門であり、また最後の関門でもあります。もちろん清祓―遠祓の必要性については、繊悔の祓に一籌を輸する(ひけをとる)ものではありませんが、まず懺悔の祓によって、邪神との因縁を絶つことが先決問題であります。懺悔の祓執行以降に結んだ因縁につきましては、清祓―遠祓によってこれを清算することが可能であることは、皆さますでに御経験済みのことであります。
ただここで御注意申し上げたいことは、本会の祓というものは、邪神との因縁を絶って絶対の信仰に進むための祓でありますから、祓さえ済ませば、万事これで足れりとして、 祓後の信仰を怠ってはならないのであります。
祓というものを、なにか独参湯(気付けの妙薬という煎じ薬)のように考えて、祓の後の信仰をなおざりにしてはならないのであります。
病気の場合でも、予後といって病後の経過がやかましくいわれているように、祓そのものの大切なことはもちろんでありますが、祓後の信仰の在り方が肝要であります。
祓によって御神徳を頂いた人が、後で再び禍事に見舞われるのは、すべて祓をば独参湯式に考えて、祓後の信仰を怠ったからであります。
でありますから、昭和八年四月二十七日の神人交通には、
『祓の行事を爲し目的を達しても更に目覚めず、却って慾心を出し祓を続行しているものは、再び邪神に感合し害を受くるものである』ということが見えております
また昭和八年六月二日の神人交通には
問 絶対の神に絶対の信仰を捧げ懺悔の祓を行って邪神を去ったならば、
何人もその意識霊相應の満足を得られるものでありますか
答 得られるものであります
問 その満足を得られぬものは信仰が悪いとして宜しくありますか
答 信仰が悪いとしてよろしい
とハッキリ祓後の信仰について戒めておられるのであります。
このように祓というものは、絶対の氏神に絶対の信仰を捧げるためには、不可欠の条件でありますから、迷うことなく勇気を出して、しかも謙虚な素直な心をもって、実行して頂きたいのであります
さらにまた 絶対の神に絶対の信仰を捧げるためには、四魂具足に努めること、大神さまの御神恩に感謝すること、御神業に努力することなどその他多くの条件が数えられますが、すべてこれらの条件の実行を氏子から奪うものは、氏子に憑依している邪悪な第三霊・第四霊でありますから、心からなる反省懺悔をもって祓を執行すると同時に、祓後の信仰の在り方が祓をする前よりも上廻わるようにつとめなければならないのであります。
従来本会におきまして、苦心に苦心を重ねて数多くの懺悔の祓を執行しながら、残念にもその後不幸に見舞われている人が相当見受けられるということは、祓というものを一種の独参湯と考えて、肝心の祓後の信仰を怠ったからでありまして、このことは前掲の二つの神人交通によっても極めて明らかなところであります。
以上を要約すれば、絶対の氏神に絶対の信仰を捧げるためには、まず迷いを去り、迷いを去るためには、祓を執行し、祓執行後は、祓執行以前よりいちだんと信仰が向上するように努力しなければならないということであります。
む す び
絶対の氏神に、絶対の信仰を捧げることによって、みいつはつねに氏神の身辺に及ぶようになるのであります。
氏神信仰の絶対性ということは、実にこのところを申すのであります。
でありますから、氏神信仰の絶対性について、万一迷いを生じた場合には、これは自分に憑依している邪霊な第三霊・第四霊の仕わざであるということに気付いて頂きたいのであります。
なにごとでも気付くということが大切でありまして、いうならば、ひとつの勘(第六感―五官以外の感覚)がはたらくようにすることであります。それには、つねに四魂具足という神のことばを唱えることが肝要でありまして、特に迷いの生じた時にその必要が痛感されるのであります。
絶対の信仰に迷いが生じたときには、結局邪悪な第三霊・第四霊の仕業であると、自分自身が自覚すると同時に、邪神たちにも自覚させる必要があるのであります。氏子が邪神の仕業たることを自覚することは、邪神にとって大きな脅威であります。
昭和五年二月十五日の神人交通に、
邪霊退治の方法は自覚させることが一番よい とありますように、単なる自覚だけで、邪神が退散する場合もありますが、自覚だけで退散しない場合は、それこそ祓によってかれらを祓除しなければならないのであります。
神は人の敬いによって威を増すといわれているように、絶対の氏神は絶対の信仰によって、いちだんとその威力を発揮するという点において測り知るべからざる御神威がうかがわれるのであります。
氏神信仰の絶対性ということは、ともすると、現象界だけの―うわべだけの―幸不幸にとらわれて、忘れがちでありますから、つねに絶対の氏神の真の氏神たる所以をよく心から理解し確信して、絶対の信仰を捧げるように努力すると同時に、これを阻むあらゆる障害を振り払って進まなければなりません。
しかもこの氏神信仰の絶対性を確信してこれに向って邁進するからには、畏くも氏神の総代表として本会の御神殿に鎮まられる八意思兼大神さまの大みいつを蒙ればこそということを、つねに念頭から放してはならないのであります。絶対の氏神に絶対の信仰を捧げるならば、その絶対の信仰は当然大神さまにまで捧げまつることとならなければならないのであります。
まことに大神さまの大みいつを忘れて、氏神信仰の絶対性ということは、到底実現されないものであることを、よく肝に銘じて頂きたいのであります。
(昭和三十四年三月一日氏神奉斎記念祭における委員長の講演要旨)
以 上