天 線 P9
惟神会委員長 川 俣 均
天 線 と は
天線とは、人間が真神霊であられる 氏之祖ノ神を信仰するとき、その家に対して神界から真神霊が交通感合されるために、或る特種の光りが、黄金色または紫色の霊線となって現われるのをいうのであります。
この線は、|家の信仰の程度に従って、その太さも濃さも異なるのであります。
|家のものが一致して信仰するときには、この天線は太く且つ濃くなって、家族たちは邪神や邪霊などから迫害を受けるようなことは全くなくなり、病人のようなものもだんだん発生しなくなるのであります。
また天線が太くなり濃くなれば、一家が完全に天線の中に包容されますから、悪魔のごときものは絶対に侵入できなくなるのであります。
すなわち真に家内安全となりまして、家業は繁昌し、物質にも恵まれ、子孫にいたるまで安泰となるのであります。
このように、天線は、神霊界と人間界との連絡を司っているのであります。
しかもこの連絡は、人間の信仰によってできるものであるということは、つと(つね)に神さまから教えられているところであります。
私はかつて、真神霊は神罰は与えない、ということを申し上げましたが、この意味は、氏子の不信仰に対しては神界と人間界とを連絡する天線というものが細く且つ薄くなってしまうから、そこに邪神邪霊が跳梁(跳ね回る)する間隙ができて、ちょうど結果においては神罰を蒙ったように思われるのであります。
真神霊は、つねに天線内を通行されまして、天線外はお通りにならないのであります。
真の神霊は、この天線の中からは一歩も外にはお出ましにならないのであります。
今日では真神霊に対する信仰が乱れてしまっているために、この真神霊界と人間界とをつなぐ天線も全く失われたも同然の状態であります。
祖先の霊も、この天線の中に入らなければ、本当の淨化再生は不可能なのであります。
祖霊の淨化は、家族たちの信仰の程度に比例するということは、すなわち家族たちの信仰が一致して進歩向上すれば、この天線が濃く且つ太くなり、したがって祖霊たちもこの濃い太い天線内において淨化することができるからであります。
天線の中には、いかなる邪神邪霊も浸入することができませんので、祖霊たちはこの天線という安全地帯のなかで浄化することができるわけであります。
天線は濃く太く
天線は、神霊界と人間界とを連絡するものでありますから、これはつねに濃く太く保つべきは当然であります。
でありますから、つねに自分の家の天線はどんな状態にあるかを、深く反省してみる必要があるのであります。
一家の信仰が統一されなかったり、家業がうまくいかなかったり、また病人が次ぎ次ぎと出たりするような場合には、その家の天線は甚(非常に)だ細いものであるに相違ないのであります。
換言すれば、氏神奉斎によって、いままで途絶えておった天線が一応は復活したものの、その後の信仰状態が不十分のために、濃く太くならない証拠ともいえるのであります。
まことにここのところが信仰の分岐点であります。
氏神奉斎によって、神と人とをつなぐ天線という連絡が開らかれたのでありますから、この場合には、|家のものが一致して信仰に邁進して、折角授かった 天線を大いに濃く
且つ太くしなければなりません。
氏神信仰が確立しておった時代は、天線は歴然と存在して、祖霊と人間も、共にこの天線の中で安心して生活できたのであります。
ところが、氏神信仰が断絶したために、天線も断絶して数百年にも及び、したがって邪神邪霊のごときも天線の何ものたるかも知らないままに、実に勝手気ままな所業を敢えてして人間にいろいろな迫害を与えるようになったのであります。
でありますから、邪神邪霊にとっては、この天線は全く目の上のこぶでありますので、なんとかしてこの天線を細くさせようとし、またあわよくば断絶させようとたくらんでいるのであります。
邪神邪霊が荒ぶったりするのは、すべて天線外でするのでありますから、この天線だけは、つねに太く濃く保つように努力しなければなりません。
真神霊の通路は天線であります。また邪神邪霊の通路は天線外であります。
われわれの祖霊たちも、つねに天線の中におれば、氏神のみいつのもとに安心して淨化を進め、やがては霊の再生を遂げることができるのであります。
天線を濃く太く保つと申しましても、その家の事情や信仰の程度により、かならずしも一様には行かぬかも知れませんが、とにもかくにも、 まず家族たちの信仰が一致することが先決問題であります。
邪神邪霊というものは家族の信仰が一致している場合には、容易に近づき難いのでありますが、家族たちの信仰の足並みが乱れますと、得たりとばかりに、信仰の不一致による天線の薄すれに乗じて迫害を加えようとするのであります。
ラグビーの用語に、スクラムを組むということがあります。腕と肩とをガッチリと組んで味方に球を確保しようとする一つの体形でありますが、家庭におきましても、ガッチリとスクラムを組んで、邪神邪霊に乗じる隙を与えてはならないのであります。
家族たちが、ガッチリと信仰のスクラムを組めば組むほど、天線はますます濃く太くなって、どんな邪神邪霊でも寄りつかなくなってしまうのであります。
私はかって崇祖の意味するものという題のもとで、崇祖の有する意味の一つとして、祖霊がその家の守りの祖霊(みおや)として家族たちを夜の守り日の守りに護って頂くということを申し上げましたが、祖霊がその家の守護霊として働いて下さるためには、祖霊の浄化が先決問題でありまして、それには祖霊たちがつねに天線の中で生活していなければならないのであります。
換言すれば、天線の大小濃淡は、祖霊の淨化を測る尺度とも申されるのであります。
祖霊の浄化と天線とは、切っても切れない関係がある事を御銘記願いたいのであります。
天?線?を?絶?や?す?な
天線が、われわれの信仰生活にとって重大な役割りを占めていることは前述のとおりであります。
でありますから、いま自分の家の天線はどうなっているかということをつねに沈思(深く考えて)反省することを忘れてはならないのであります。
昭和五年八月十日の神人交通に、
間 大和民族には、天線というものは今でもありますか。
答 ありません。
という一節があるのであります。
一体これは何を意味しているのでしょうか。大和民族に天線がないということは、大和民族と真神霊との連絡が途絶えていることに外ならないのであります。
このことは、われわれ大和民族にとっては、極めて重大な現象であります。
この重大な現象に気付かないで、どんなに日本の国を立派に立て直そうとしても、なかなか困難であります。国を立て直すということは、すなわち人間の魂の改良浄化を行うことであります。
われわれの魂は、生きているうちはもちろん、死んでからも氏神の支配を受けるのが本筋でありまして、それでこそはじめて魂の改良浄化が可能なのであります。
大和民族に天線がないということは、真神霊にまします氏神を祖神として信仰しないから、神界からのみいつの光りが切れていることを意味しているのであります。真神霊は天線以外は一歩も出られませんから、氏神信仰をしなければ、当然そこに天線が生じないわけであります。
祖霊たちが家族たちを夜の守り日の守りに守護して下さるのも、祖霊として淨化が進めばこそであります。また祖霊が純粋無垢の霊魂として再生し、人間の霊魂の改良進化をもたらすことができますのも、霊魂の浄化が進めばこそであります。
このように、われわれの信仰生活において祖霊の淨化ということは極めて重大な意義を有するのでありまして、しかもこの淨化こそは、祖霊たちが天線のなかで生活することによってはじめて可能となるのであります。
でありますから、氏子たちの信仰が向上すれば祖霊の淨化が進むということは、氏子の信仰向上によって天線がますます太く濃くなり、したがって祖霊たちは他の邪神邪霊たちに迫害されることなく、強く且つ威力ある天線内で安泰に浄化を進めることができるからであります。
前述のように、大和民族に天線がないということは、民族の不幸これより大なるはないのであります。
天線がないということは、大和民族個人個人の生活の不安不幸せはもちろん、大和民族全体、日本国家全体としても測り知れないほどの不幸であり損失であります。
しかるところ、畏くも八意思兼大神さまの御出現により、ここに諸々の霊界の事情が明らかにされると同時に、真神霊界の扉が開らかれ、魂の祖神たる氏神を信仰することによって、ここに数百年来途絶えておった天線が再びわれわれの家に及ぶようになったのであります。
そして祖霊たちも、この天線の中で邪神邪霊の妨げもなく安泰に浄化を進めることができるようになったのであります。
でありますから、天線は、一応は氏神という真神霊界から及んでいるのでありますが、この天線の大源泉(おおみなもと)は、八意思兼大神さまであります。
私はかつて、みいつの流れ ということについてお話し申し上げたことがありますが、この みいつの流れが、すなわち天線でありまして、すべてその大源泉は八意思兼大神さまであります。
再び申し上げますが祖霊の淨化は、すべて天線のなかで行われるのであります。しかもこの天線の発する源泉は、大神さまであります。
昭和七年四月三十日の神人交通に
問 祖霊が氏神と交通するには、今日は八意思兼大神の稜威が働かなくては、
交通が出来ないものでありますか。
答 そうである。
とありますように、祖霊が氏神と交通するということは、祖霊が天線の中で淨化を進めていることに外ならないのでありまして、それもすべて大神さまの大みいつを蒙ることによってはじめて可能なる所以を御神示によって教えられているのであります。
でありますから、われわれが神界からわが家に連絡をして下さるこの天線を絶やさないように努力することはもちろん、つねにこれを太く濃く保つためには、大神さまに対するわれわれの信仰を、さらに一段と強めてその鴻大な御神恩に応え奉るところがなければならないのであります。
こうして天線によって結ばれるわれわれの信仰生活は、ますます安泰の度を加えて行くのであります。
(昭和三十一年十二月十六日八意思兼大神月次祭における委員長の講演要旨)
以 上