わ れ ら の 使 命   P19

 

    惟神会委員長            均

 

   

 

人間は、信仰をもつかあるいは無信仰であるか、その二つのうちのどれかを、選ばなければなりません。

未開な民族の間に行われている原始宗教、東洋諸民族に支配的である儒教や仏教、また欧米諸国民の信仰であるキリスト教など、世界の民族は、それぞれの立場において、なんらかの宗教を奉じているのが実状でありますから稀に無信仰を唱えているものがありましても、その心の奥底には、なにかしら、信じて求めようとする別個の人格の芽生えを見逃すことはできないのであります。

無神論者が死んでも、その遺族や縁者は、恐らく無宗教の形では葬り去らないでしょう。生前は無神論者であっても、死ねば宗教的に取扱われざるを得ないのであります。

また宗教は阿片なりとして、宗教を極端に排撃する強度の唯物論者の熾烈(しれつ)な革命思想の宣伝振りを見ても、その熾烈な革命思想は、かれらにとっては、すでに一種の信仰の形になっているのであります。

こうした無神論者や唯物論者にとっては、この無神論や唯物論そのものが、ひとつの信仰の形をとっているのであります。

でありますから、人間は、信仰か無信仰か、二者何れかを選ばねばなりませんけれども、人間の本性から宗教的情操というものを、全然奪い去るわけにはいかないのであります。 

石川啄木の歌に

ふるさとの山に向ひて言ふことなし

      ふるさとのやまはありがたきかな

とありますが、これは、ふるさとに対する限りない感情と懐しさを表わしているので有名な歌であります。

ふるさとを愛する心は、洋の東西を問わず共通でありますが、特に日本人には、 強いものがあるのでありまして、ここに、日本人としての民族信仰の芽生えが見られるのであります。

ということは、日本民族は農耕定住民族でありますので、ふるさとは、祖先の地であり、また幾代にも亘って祖先を守って下さった氏神の鎮まります土地であるということから祖先崇拝と氏神信仰の古い伝統が(つちか)われてきたからであります。

このように日本人は、ふるさとに対し、 限りない感情を寄せ、ふるさとを愛する心のなかに、祖先崇拝と氏神信仰を続けてきたのであります。

ところが仏教渡来後、神祇(じんぎ)(天つ神と国つ神との区別)が乱れまして、真の氏神信仰と正しい祖先祭祀の方法が、全く地を払うようになってしまったのであります。

先祖の地であるふるさとの山や川を愛する心は、やがてまた、お互いの心のふるさと、魂のふるさとに対して、自ずからなるあこがれを呼び起すべきにも拘らず、神祇が乱れて本当の敬神崇祖の信仰が姿を消したために、心のふるさとである真の氏之祖ノ神に巡りあうこともできず、どこか満たされないままに、今日に至っているのであります。

このときに当り、われわれを、心のふるさとに教え導いて下されましたのが、畏くも

八意思兼大神さまであります。

 

     八意思兼大神の御本質

 八意思兼大神さまは、天照大御神の相殿の神であられまして、政治の神、思慮の神であられますことは、みなさまの御承知の通りであります。

八意思兼大神さまの政治の神、思慮の神としての御事蹟(おじせき)(業績)は、古事記に明らかにされておるところであります。

すなわち高天原における須佐之男命の乱暴のために、天照大御神が天石屋戸にさしこもりましたときに、思兼神さまは、八百万の神たちの一致推挙によって、思慮の神としてのおはたらきを発揮され、種々な方策を講じて再び天照大御神を、天石屋戸からこの世にお出し申上げたのであります。

また、国津神を服従させることによって、また豊葦原中津国を天照大御神に奉還申し上げるようになったのも、思兼神さまの思慮と智慧のはたらきの結果であります。

さらにまた、豊葦原中津国が平定されてから、思兼神さまは、天照大御神の御付託により、政治の大神として、天孫ニニギノ命とともに、この豊葦原瑞穂国に天降りましたのであります。

このように、大神さまは、思慮の神、政治の神として、われわれ日本民族の彌栄に対しては、かけがえのない大切な神さまであられます。

ところが、天平九年聖武天皇の勅命によりまして 伊勢の皇大神宮の相殿を去られて、京都伏見の藤之尾霊地にお遷りになられたのであります。

申すも畏きことながら、大神さまは、このときから思慮の神、政治の神としてのおはたらきを御発揮あそばされない立場に置かれたことと拝察されるのであります。と申しますことは、大神さまは、天照大御神の御付託により、政治の神としてこの国に天降りまして、天孫ニニギノ命の御相談相手となられ、その御立場から伊勢の皇大神宮の相殿の神として鎮まられて、思慮の神、政治の神としてのおはたらきをなされておられたからであります。

日本の悲劇は、思慮の神であり政治の神であられる大神さまが、伊勢の皇大神宮の相殿を去られたときから始まっていると申しても過言ではないと思います。

大神さまが、険悪な世相を救おうとする故岸一太先生の切なる懇願を容れられ、平田篤胤大人命の仲執りもちによって、本会にお鎮まりになられたのは、昭和三年二月四日のことであります。

しかしながら、大神さまが本会にお出ましになられたのは、思慮の神 政治の神としてではなく、氏神の総代表としてお鎮まりになられたのであります。

したがって大神さまが本会にお出ましになられましたのは、いわば、私的のお立場からと拝察されるのであります。

公的のお立場であられるということは、思慮の神 政治の神という大神さま本来のおはたらきをなされる場合でありまして、それは天照大御神の相殿の神として伊勢の皇大神宮に鎮まられる場合に限られるのであります。

そこで大神さまが、氏神の総代表であられるということは、次の理由からと拝察いたします。

すなわち、大神さまは、天孫ニニギノ命の御相談相手として、ニニギノ命と共に天降りましたのであります。

そして当時ニニギノ命が豊葦原中津国をしろしめすための第一の仕事は、民族同化であったのであります。つまり先住民族を天孫系の民族に同化することにあったのであります。しかもこの民族同化の事業は、ニニギノ命の御子神たちによって、いまもなお、続けられているのであります。

すなわち、日本人の誰もが、その生れ出る瞬間に、この御子神たちによって、日本民族魂を授けられるのであります。

この御子神たちが、すなわち一六八座の氏之祖ノ神たちであります。

ここに、八意思兼大神さまが、氏神の総代表であられる所以が拝察されるのであります。

でありますから、大神さまが、氏神の総代表として本会にお鎮まりになられるのは、どこまでも私的のお立場であられるのでありまして、国民の全部がお互いの魂のふるさとである氏之祖ノ神に信仰を捧げるようになれば、ここにはじめて、大神さまは、伊勢の皇大神宮の相殿にお帰りになられ、大神さまの御本質たる思慮の神、政治の神として、公的のお立場にかえられるのであります。

われわれは、一日も(すみや)かに、大神さまが公的のお立場にかえられんことを念願して止まないのであります。

大神さまを本会におむかえ申し上げた以上、われらの使命の容易ならざることを、お互いに痛感すべきであります。

 

 氏 神 奉 齋 の 意 義

日本人は、太古から農耕定住民族でありましたので、遊牧の民のように、転々と居所を変えるようなことはなかったのであります。

したがって、ふるさとを愛する心は、日本民族伝統のものでありまして、他の民族と比較にならないほどの強度の愛郷心を受け継いでいるのであります。

われわれの遠い先祖は、その定住の地をふるさととして、その地をうしはぎ(領有する)ますところの氏之祖ノ神のみいつのもとに、生れれば魂を授けて頂き、また死ねば魂を引取ってもらうという全く死生一貫の安心立命の生活を営んでいたのであります。

でありますから、われわれの遠い祖先にとっては、そのふるさとを愛する心は、ひとしお強いばかりでなく、その地をうしはぎます氏之祖ノ神に対しては、限りない敬愛の情をもって信仰のまことを捧げていたのであります。このようにして、山や川に囲まれた定住の地であるふるさとを愛する心は、魂のふるさととしての氏之祖ノ神につながっていたのであります。

景色としては、なんら見るべきものもない平凡な故郷、あるいは荒れ果てたる故郷に対してさえも、ふるさとを愛する心は、いまなお、われわれの心のなかにうづいているのであります。ところが、魂のふるさとに対しては、これを求めるのになんらの()りどころとてなく、五里霧中であるのが現状であります。

でありますから、氏神奉斎ということは、暗夜に燈火を得て、それを道しるべとして魂のふるさとに帰えることであります。

日本人のふるさとを愛する心は、かならず魂のふるさとにまで行き着かねばならないのであります。またそうなってこそ、はじめて日本人としてのほんとうの姿が出てくるのであります。        

畏くも八意思兼大神さまの大みはかりによりまして、氏之祖ノ神という魂のふるさとに帰って、ほんとうの日本人の姿にしてもらうことができるのであります。

かく観て来たりますと、氏神奉斎は、われわれに対して、いちばん自然な生き方を教えるのであります。

魂のふるさとへ帰れば、そこには魂のオャ神が、それこそ大手をひろげ、ふところを開けて、われわれ氏子の飛びこんでくるのを待っているのであります。

氏之祖ノ神は、魂のオヤ神でありますので、氏子を愛し、氏子を守護するありさまは、ちょうど親が子に対するようなものであります。

親が子を愛するのに、条件を付けることはないと同様に、氏神が氏子を愛し守護するのに、条件を付けるはずはないのであります。

それは、本能的とさえ考えられるのであります。法律用語に、停止条件ということがありますが、それは、ある法律行為の效力は、条件の成就するまでは停止して発生しない、条件の成就によって初めて效力が発生するということであります。

氏神と氏子との間柄は、このような停止条件付きのものではないのであります。

しかるに反問する人は、氏神が氏子を守護するためには、氏子の四魂具足を条件としておるから、氏神と氏子との間柄は、いわば停止条件付きではないか、というかも知れませんが、これは思わざるも甚だしいといわねばなりません。

いうならば、こうした考え方は、氏神信仰に対する誤解や曲解から起ったものでありまして、決して素直な信仰態度とは申されないのであります。

親が子を愛するということは、ある意味では本能的に見えますが、子を愛する根底には、親の人格とか人柄とかいうものが本能的に流れていなければならないのであります。

つまり親の人格や人柄を通した愛し方でなければ、それは偽わりの愛し方であり我慾的な自己満足的な愛し方でありまして、なんら世の中の道義につながっていないのであります。つまり社会性のない愛し方であります。

氏神さまは、神格というものがあります。氏神さまの神格とは、四魂円満具足のことであります。氏神と氏子とは、親子の関係でありますので、氏子を愛し氏子を守護するのは、そのかぎりにおいては本能的ではありますが、それは四魂具足という神格を通してのみなされるのでありまして、このことは、(ごう)(まつ)わずかもいわゆる停止条件付き愛し方ではないのであります。

氏神が、四魂具足という神格を通してみいつを下されるのは、氏神の本質であり本能的はたらきであります。条件を付けるのは、氏神の側ではなく、むしろ氏子の側にあることを覚らなければなりません。

でありますから、魂のふるさとに帰り、氏神という魂のオヤ神のふところに飛びこむ以上は、一切を神任せにしなければなりません。そうすることによって、オヤ神の限りない慈愛と守護を親と子の本能的な関係において頂くことができるのであります。

 

     祖 霊 奉 齋 の 意 義

先祖を大切にせよ、ということは、ほとんどどの宗教でもとりあげております。

それほど、先祖を大切にすることは、日本人の民族的習性であり伝統であります。

われわれの先祖を、昔へ昔へと辿(たど)っていけば先祖をしてあらしめた魂のオヤ神すなわち氏之祖ノ神に到達するのであります。敬神は崇祖に在りということは、この点に存するのであります。

天孫降臨以来、日本民族は、天孫系の民族に同化されて今日に至っているのであります。    民族同化ということは、民族に民族としての魂を入れることであります。つまり、民族

に対して、共通した霊性が賦与されることであります。

前述した通りこの民族同化のはたらきをなされるのが、氏之祖ノ神であります。

われわれの先祖は、この共通した霊性を抱いて生活していたのであります。そして死ねばこの霊性は、一つの魂となって霊界に安住の地を見出そうとするのであります。

そこで死後の魂をして安住の地におらせるためには、魂の授けオヤである氏之祖ノ神に魂を引取って頂いて、 そのみいつのもとに、浄化をとげることよりほか、他に方法は見出せないのであります。この意味から申しても、氏神信仰と祖霊祭祀は、切っても切れない関係にあるのであります。

いうならば、崇祖をさかのぼれば氏神信仰に到達するし、また氏神信仰でなければ真の崇祖は成り立たないのであります。

でありますから、敬神は崇祖に在りという真理のなかには、こうした二つの密接不離の関係が存しているのであります。

さて、生命の永続性ということは、人間はもとより、動物にいたるまで本能的にもっている希望であります。

しかしながら人間は、いつかは死ぬのであります。

生命の永続性の希望と、現実には必らず死ぬという人生の矛盾のために、つまり人間はどこまでも長生きしたいという希望と、その希望に反して死は免れぬという現実の矛盾のために、死者の霊を慰めるということが、祖霊祭祀の一つの要素をなしているのであります。

人間が存在するということは、人間は死ぬことにほかならないという人生の矛盾の解決を、祖霊祭祀という形に求あているのであります。

また、祖先崇拝の思想は、子孫をして今日あらしめたところの先祖の恩に報いる感謝の念にほかならないのでありますが、これ以上に強く祖先祭祀の念を打ち出しているものは、家の永続性に対する願望であります。

この願望は、例えば民間においては、いろりの火を絶やさぬことを意味して、特にいろりを家庭の中心として大切にし、その火を神聖視していることからも、うかがわれるのであります。

このように、祖先崇拝の風習は、いろいろな理由から日本人固有の伝統となっておりますが、これを正当に且つ条理をつくして解決するためには、なんと申しましても、敬神は崇祖にありという氏神信仰によるほかないのであります。

 

    真の家庭信仰の在り方

本会の信仰は、家庭信仰ともいわれております。ということは、各家庭に氏神と祖霊を齋き奉って、氏神に信仰を捧げ奉ると同時に、祖霊を崇め奉っているからであります。

でありますから、このかぎりにおいては、(まさ)しく家庭信仰であります。

しかしながら、われわれは家庭というものを、世間並みに、家長のもとに家族たちが集っているところの一つの集合体であるとは、考えたくないのであります。

家庭というものを、このように考えると、本会の家庭信仰は、ただ御利益のために氏神や祖霊を自分の家に抱えこんでしまうようになって、知らず識らず、我慾信仰に陥いるのであります。我欲信仰では、絶対に、みいつは頂けないのは、みなさま十分に御承知のことであります。

われわれの意味する家庭とは、氏神・祖霊・家長・家族の全部を包括したところの顕幽一体となったものでなければなりません。

いうならば、霊界の家庭では、氏神が家長であって、祖霊は家族であります。また、現界では、その家の主人が家長であり、妻や子供たちは家族であります。

このように、家庭というものは、一応、霊界と現界とに分けて考えられますけれど、真実は、霊界と現界の家庭とが合一して一体になったものが、われわれ信仰人の真の家庭であります。

したがって、われわれ信仰人の真の家庭における家長は、氏之祖ノ神でなければならないのは当然であります。

すなわちわれわれは、家長たる氏神を家の中心とし、祖霊を氏神と現界の家族たちとの仲執り持ちをなさる霊界の家族として、信仰生活を営むのであります。

健全な家庭におきましては、家長の人格は、家族たちにとって、あこがれであり、敬愛の対象であります。

まして、四魂円満具足の真神霊にまします氏之祖ノ神を家長と仰ぐ顕幽一体の家庭におきましては、氏神は当然、家族たちにとって、絶対の信仰を捧ぐべき対象であります。

それはひとり現界における人間である家族ばかりではなく、霊界.の家族たる祖霊にとっても、絶対の信仰を捧ぐべき対象であります。

祖霊の浄化ということは、祖霊が氏神のお導きをうけて、四魂具足の(ぎょう)を積むことでありまして、この意味において、祖霊も 霊界における家族として、信仰の対象を

氏神に求めているわけであります。

そこでここに重大な御神示の一節が厳然としているのであります。

すなわち、昭和七年四月三十日の神人交通の記録に

問 祖霊が氏神と交通するには、今日は 八意思兼大神の

稜威が働かなくては、交通が出来ないものでありますか。

答 そうである。

とあるのであります。

この御神示によりますと、祖霊が氏神と交通するということは、氏神と祖霊との間が、円満に有無相通じていることでありまして、これを他の言葉で申せば、祖霊の浄化が進みつつあるということであります。

すなわち祖霊の浄化には、氏神のみいつばかりでなく、八意思兼大神の大みいつがなければならないのであります。

ここのところにも大神さまが、氏神の総代表であられる所以が拝されるのでありまして、大神さまは、氏神・祖霊・家族から成り立っているわれわれの真の家庭が集って、大きな集合体をなしているところの一つの大きな家庭すなわち惟神会という顕幽一体の大家庭の家長であられるのであります。

本会に、八意思兼大神を主神として奉齋し、各家に氏神祖霊を祀らせるということは、本会を顕幽一体の一大家庭と見て、大神さまを家長と仰ぎ奉ることに外ならないのであります。

でありますから、われわれの顕幽一体の真の家庭は、祖霊も家族もすべて氏神にひきいられて一丸となって、惟神会という大きな家庭の家長であられる八意思兼大神に、絶対の信仰を捧げざるを得なくなるのであります。

すなわち氏子たる家長や家族は一致団結して、家庭における敬神崇祖の信仰を確立の上、氏神の総代表であり、また惟神会という大きな家庭の家長であられる大神さまに対し奉り、氏子個人の資格でなく、氏神・祖霊・家族という顕幽一体の家庭そのものとして、絶対の信仰を捧ぐべきであります。

これが、真の家庭信仰の在り方であります。この真の家庭信仰によって.大神さまの大みいつは、氏神・祖霊を通して家族たちにそれこそ降る星のごとく注がれるのであります。

われわれが、ほんとうに幸せになるか否かということは、氏神や祖霊を自分の家に抱えこんでしまうところの似て非なる家庭信仰あるいは我慾信仰であるか、または大神さまを一大家長と仰ぐところの氏神祖霊家族の顕幽一体の真の家庭信仰であるかによって定まるのであります。

     わ れ ら の 使 命

以上申し述べましたように、大神さまがおられての氏神であり、祖霊であり、また家族であります。

大神さまが氏神の総代表として、また惟神会という一大家庭の家長として本会にお出ましになられましたのは、惟神会という顕幽一体の大家庭をますます拡大強化してその傘下に氏神祖霊家族を一体とした真の家庭を、いよいよますます、集めに集めて、この敬神崇祖・四魂具足の信仰を、日本民族のすべてに及ぼし、おたがいが魂のふるさとに帰り、日本人本来の姿に立ち還らんがためであります。

大神さまの大みいつによって、われわれが幸せになるということは、大神さまの大みはかりを、いやますますに、顕現するための土台ともなり、土作りをすることにほかならないのであります。

この意味におきまして、我慾的な家庭信仰では、幸せにならないのは当然のことであります。

本会の信仰の確立に、たいへん御尽力を賜った平田先生の御訓示のなかに「惟神会員は国教確立のためには犠牲者であるから、自分のことばかり考えないで、御神業のために尽さなければならない」という意味のことがありますが、この御訓示こそは、われわれの信仰の大きな道しるべであります。

同じ御訓示のなかに「惟神会員は、仏教徒がつねに南無阿彌陀仏と称えるように、寝ても起きても四魂具足、四魂具足と称うべきである」との一節がありますが、今日の惟神会の現状をもってすれば、寝ても起きても、四魂具足、四魂具足と称えると同時に、御神業、御神業と併せ称うべきであります。

神さまは、御神業のために敢えて犠牲になることを、われわれに望まれておられますが、反面素直な心で犠牲にならなければ神に近づき、神の声を聞く事はできないのであります。

神さまは、われわれに御神業恢弘(かいこう)(押し広める)のため犠牲を求められますけれど、 四魂円満具足の真神霊は、決してわれわれを単なる犠牲者だけに終らせないのであります。

かならず、われわれが犠牲になった以上のものをなんらかの形において下さるのであります。またそうでなければ、御神業恢弘の犠牲の意味がないのであります。

もっとも、御神徳目当ての犠牲では、それは真の犠牲ではないのでありまして、結果はむしろ反対の場合もあるのであります。

神さまと人間との関係は、呼べば応える関係にあるのでありまして、それは神さまが、人間の呼び声に応じられることにほかならないのであります。

われわれが、国教確立という御神業にお仕えすることに対しては、神さまはかならず、応えて下さるのであります。

この呼応の間柄が神と人との関係であります。われわれは、呼ぶことを忘れて、ただ応えて下さることのみを、神さまに求めてはならないのであります。

すなわち我慾信仰になってはなりません。われわれは、惟神会に入会することによって、氏子であると同時に会員たるべき使命と義務を負わされているのであります。

氏子であるということは、お互に四魂具足につとめて信仰の向上を計ることであります。

会員であるということは、氏神奉齋・祖霊祭祀の意義をよく理解して、この信仰を自分の一身一家だけに局限することなく、広く世に広めて御神業の拡大強化に努力し 大神さまの御神意に副い奉ることであります。

この氏子であると同時に会員であるという同時原則をよく理解し認識して、この信仰の同時原則をつねに実行することが、『われわれの使命』 であります。その何れを欠いても、われわれの使命は果されないのであります。

本会信仰の根本信条である四魂具足の各条は、すべて自分の一身一家をととのえ、それをもって世のため人のためにつくせということでありまして、氏子であると同時に会員でなければならないことを表示しているのであります。

ということは、世のため人のためになることの最大のものは、この信仰を広めて、魂の授けオヤである氏之祖ノ神を奉齋させ、人々をして魂のふるさとへ帰らせて、ほんとうの日本人の姿となることであります。

これより大きな世のため人のためになることはないのであります。

現代のように混乱した時代では、敬神崇祖・四魂具足という日本民族本来の信仰を説いたところで、たとえどんなに筋が通っていても、(はなは)(非常に)まわりくどいというそしり(非難)を受けるでありましょう。

しかし、たとえまわりくどくともこの筋を通した信仰を奉じる人が一人でも多くなれば、それだけその人たちは、まわりくどくはならないのであります。

ということは、この信仰を信じることによって、直接自分の魂のふるさとに帰ることができるからであります。

そして、そうなってゆくことだけが、真に時代の混乱を救う道であります。それ以外の道は、所詮(しょせん)(結局)一時逃れのごまかしに過ぎないではないのでしょうか。

ここに、われらの使命の重大さがあるのであります

(昭和三十年十一月二十日 八意思兼大神秋季大祭における委員長の講演要旨)

以 上

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