大阪市総務局発行
「都市問題研究」(1985) テーマ・盛り場
『アーチストタウン・アメリカ村』 回陽豊一
新しい文化を生むのは、常に若者だ。
60年代のビートルズ、ヒッピー、70年代のサーファー、ニューウエイヴ、パンクの少年少女達。彼らは確実に自分達独自の生活感、価値観を持って、大人達の社会に現れた。
それは、大人達にとっては衝撃的であり、また反抗的ではあったが、彼らは後の世に確実に文化を残していった。新しい文化を創る若者は、大人の社会に不満を持っている。大人を否定することから若者の生活がはじまるのだ。文化を創る若者は、なぜかいつも不良っぽい。
そんな若者にとっての盛り場を考えると、ふと困ってしまう。若者達の言葉の中に「盛り場」という言葉が、もう存在しないのだ。若者と話し合っても、「盛り場」という言葉を一度も聞いたことがない。「盛り場」という言葉には、古い大人達の遊び場という響きがあり、自分達の生活感と合わないのかも知れない。
盛り場が単に遊ぶ所を意味するのであれば、若者にとって、それは例えばディスコ等のことをさすのかも知れない。でもそれは、単にポイントでしかないのだ。
若者の遊ぶエリアは広い。「場」という言葉では表現のしようのないほど広いのだ。
例えてサーファーのことを言えば、彼らは四国や日本海にまで出かける。毎週でも出かける。そんな彼らの感覚はインターナショナルだ。意識はハワイ、西海岸、バリ、オーストラリアのサーフポイントへと飛ぶ。
サーフブームが去った今も、そんな若者の意識に変わりはない。今、若者の感性は、ロンドンやヨーロッパに向いている。
だが彼らの多くは、単に夢見ているだけではない。実際に現地へ行ってしまうのだ。今、普通にアルバイトをしていれば、ロンドンへ1ケ月くらい遊びに行くことは、そんなにむつかしくはない。若者の遊び心は、全地球的なのだ。
そんな彼らにとって、あえて盛り場というものを考えてみるならどうなのだろう。
若者にとっての盛り場は、もはやポイントでもなければ、「場」でもない。そんな小さなエリアでは、もう若者を十分にとらえることはできない。。
若者を満足させるに足りるエリア、それはポイントとポイント、「場」と「場」を結びつけてすべてを含んだ「町」として形作られる。
人が何らかの共鳴感を持って集まり、共に遊ぶ場。そしてその人達によって、そこに独自の文化が創られていくのが盛り場であるなら、若者にとってのそれは「町」である。そして大阪の若者にとっての代表的な盛り場、つまり「町」は、「アメリカ村」である。
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