アーチストタウン・アメリカ村
ぼくには自分の好きな町ときらいな町を見きわめる1つの定義がある。
それは、その町が何かを生み出しているかどうかということだ。
6年間アメリカ村を見てきて、ぼくはここを、他に類のない若者文化を生み続けている町だと思う。そしてここが、日本でアーチストタウンと呼べる唯一の町だと思っている。
それはこの町が、さながらアーチストが自己表現するかのごとく店が作られ、アートにひき寄せられるがごとく若者が集まり、アーチストが生産するがごとく文化が生まれていったということだ。
アートとはつまり、それぞれの店である。
アメリカ村をつくってきた店々は、「何が売れるか」ではなく、「何を売りたいか」を考えて店を作っている。そうしてできた店は、その店主の自己表現であり、アートそのものである。
そういう店が点在した町には、その店を支持する若者が集まる。店をとりまく若者達が、それぞれの店のものを吸収しながら、店と店をつないでいく。そしてその若者たちが、自分なりの工夫で得たものをねり合わせながら、ファッションを作り、文化を作っていく。
店が脳細胞ならば若者はそれをつなぐ脳神経であり、町全体が1つの頭脳となって、物事が生み出されていくのだ。
ぼくはいろんな都市を見て回ったが、全国的にもこのような形態の町をほかには知らない。アメリカ村と一時よく比較された原宿でさえ、そういう意味ではかなりちがっている。
ぼくはアメリカ村ができたことに、奇蹟に近いものを感じる。なぜか。
それは、このような町は、意図的には作れないからである。意図的な都市計画や、意図的な店集めは、もちろん可能であろう。だが、そこから文化を生み出す構造はけっして作れない。若者は敏感であり、敏感な若者であればあるほど、意図的な町は拒否する。若者にとっては、そういった意図的に作られた町からは、離れる方が正しいのだ。
若者の文化は、いつも大人への拒否と反抗から生まれる。
若者文化、あるいは若者の町、あるいは若者にとっての盛り場というものは、若者自身が作るしかなく、若者しか作り得ないのだ。
だがそのアメリカ村も、この1、2年の間に急速に巨大化していった。大手企業、ディベロッパーの進出。ホテルの乱立。大阪市と大阪21世紀協会によるアメリカ村ユニークタウン宣言。児童公園がイベント公園に改造され、商店組合的運動もできはじめ、ニューメディア情報網も、全国に先がけて導入されようとしている。
それはこの町にとって、本当に素晴らしいことなのだろうか。
若者向けの店も急速に増えたのだが・・・・。
ぼくは今、この町を一言で表現するなら「リトル東京」と皮肉りたい。
なぜだろうか。
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