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この肖像は且元の十三回忌の際に描かれたものである。
元来且元と、彼の滅後五十年近く経ってから建立された慈光院とは、「弟の菩提寺」という以外には特に縁があったわけではない。
関ヶ原の戦いの後、且元が徳川家康から大和竜田に領地を与えられ「竜田片桐家」が始まり、弟貞隆の「小泉片桐家」と共に江戸初期には大和に二つの片桐家
(藩)が存在した。
小泉片桐家の方は石州が出たこともあり幕末まで無事続いたが、竜田片桐家は子孫が病弱であったため且元から6代目で途絶えてしまう。
その折り、竜田片桐家に代々まつられてきた且元像(上の写真)と位牌が慈光院へ預けられ、現在に至っている。
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