創 業 の 風


デボ1形に記された≪大軌≫の社章(図柄中心部)

初回版公開:2000年04月30日
改訂版公開:2003年06月23日

◆序章◆

2002年12月ある日、小春日和となったその日の午後、近鉄奈良線、旧向谷トンネルの生駒方坑口を望む丘の上に1人の老人が立っていた。
旧向谷トンネルの生駒方坑口は、今日に至るまで大軌創業当時の様子を我々に伝えてくれる貴重な遺産であったが、すぐそばで京阪奈新線の工事が始まった同じ年、その“タイムトンネル”の入口にはコンクリートによって、つにい“封印”が施された。

その老人は、かつて車掌として奈良線の列車に乗務し、この旧向谷トンネルを数え切れぬほど通った経験を持つ。いや、向谷トンネルだけではない。今は遺構すら残っていないが、鷲尾トンネルや山田トンネル、そして開通当時は標準軌・複線トンネルとしては日本最長と言われた、当時の姿そのままに創業当時の歴史を今も語り続ける、伝説の旧生駒トンネルを通過するシーンが、その老人の瞼にはしっかりと焼きついているのだった。
老人が車掌として列車に乗務していたのは現在の近畿日本鉄道となってからのことであるが、大近鉄の原点と言える奈良線で、大軌の『創業の風』を感じながら仕事が続けられたことに、彼は誇りを感じていたのである。少年時代に奈良線を颯爽と走る大軌電車に憧れ、彼はその後近鉄に入社をしていた。
そんな老人にとって、人知れず行われた旧向谷トンネルの封印は、決して小さな出来事ではなかったのである。
老人は、トンネルの入口を覆ったコンクリートの真新しい壁をじっと見つめながら、心の中でつぶやいていた。「私にとって大軌は永遠の憧れであり、誇りである」、と。


“封印”された旧向谷トンネル(写真中央)

今も老人の家の書棚には重厚な仕様の2冊の近鉄社史があった。
1冊は、現役時代に手にすることとなった青い表紙の『50年のあゆみ』。そしてもう1冊は、近鉄を退職後に手にすることとなったパールホワイトに金線が美しい表紙の『80年のあゆみ』。前者は、佐伯勇社長時代の刊行であり、後者は上山善紀会長/金森茂一郎社長時代の刊行である。老人は、この2冊の近鉄社史を自分の孫に見せながら、大軌電車のことや、自分自身の乗務員時代の思い出話をし、孫が目を輝かせながらその話を夢中になって聞く姿を見ることが楽しみの1つとなっていた・・・

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明治43年9月16日、大阪−奈良間の鉄道施設を目指して大阪商業会議所に於いて奈良軌道株式会社が創立された。同年10月25日には大阪電気軌道株式会社、所謂≪大軌≫に改称され、大正3年4月30日には上本町−奈良間で営業運転を開始。以後昭和16年に傍系会社の参宮急行電鉄、所謂≪参急≫と合併し社名が関西急行鉄道株式会社と改められるまで≪大軌電車≫として沿線の人々に親しまれ、幾度かは会社存亡の危機に立たされながらも、今日の近畿日本鉄道の本流として確固たる基盤を確立して行った。

ここでは、決して平坦な道ではなかった創業当時の歴史を、今日まで残る創業時の遺産の写真も交えて振り返りながら、近畿日本鉄道株式会社に今も受け継がれている大軌の精神と伝統の一端を、主として前半は創業当時のエピソードを中心に、後半は写真を中心にご紹介する。

 

 

Part1・阪奈間鉄道施設の夢


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