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いずみの@講義中 の発言:
それでは、今回の参考物件をとりあえず列挙しますね(笑)
はし の発言:
はいw
いずみの@講義中 の発言:
文脈としては、まずペトロニウスさんの予想から始まって
*153時間目 綾瀬夕映の答えの予想〜世界の理を曲げること
http://ameblo.jp/petronius/entry-10018551338.html
いずみの@講義中 の発言:
ウチの記事をペトロニウスさんが拾って、ぼくも議論に参加して(コメント欄参照)
*ピアノファイア いずみのさんより
http://ameblo.jp/petronius/entry-10018598876.html
いずみの@講義中 の発言:
このペトロニウスさんのブログに、
名も無き読者さんが投稿。
*夕映の答えと超の反論予想/さらにそれを覆すネギの論、の予想
http://ameblo.jp/petronius/entry-10018693204.html
まきばっくす の発言:
なるほど、論破合戦としてのネギまですね
はし の発言:
まぁ、ここら辺はリアルタイムで追ってたので、大丈夫です
まきばっくす の発言:
自分はお二人の会話を追いながら読むってことでw
いずみの@講義中 の発言:
そこから飛び火して加熱した、っていうのが
「今ココ」ってやつですね(笑)
*〈ネギま〉と〈デスノ〉に見る独裁者の孤独。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20061023/p1
はし の発言:
海燕さんのトコですねw
いずみの@講義中 の発言:
とりあえず、今回は名も無き読者さんの
予測を中心に話を進めますね
はし の発言:
はいー
まきばっくす の発言:
どうぞ
いずみの@講義中 の発言:
まぁ、名も無き読者さんの話は、面白いわけですけど。
いずみの@講義中 の発言:
特に武道会から語り続けてきたことが
ちゃんと超鈴音の否定に繋がってるっていう
視点の提供はいいですね
いずみの@講義中 の発言:
ウチだと、ここらへん
http://d.hatena.ne.jp/izumino/20060601/p2
で書いたこととの関連ですね
はし の発言:
ふむふむ
いずみの@講義中 の発言:
エヴァのは、16話前の話だよっていう(笑)
はし の発言:
もうそんな前でしたっけw
はし の発言:
そっから繋がっていたと・・・
いずみの@講義中 の発言:
正確にはネギ刹那戦(114話)からですんで、40話ほど前からですね。
はし の発言:
ネギが他人(クラスメート)を信頼する、してない云々の辺りですよね?
いずみの@講義中 の発言:
「一人で背負うヤツ」を否定して、
「みんなでやるヤツ」を肯定するという流れですね。
はし の発言:
はい。
いずみの@講義中 の発言:
エヴァが言ってるのは信頼されてるんだから期待は裏切るな、っていう話ですね。
だからまぁ
「連帯と信頼」がキーワードになってる。はし の発言:
ですね。
いずみの@講義中 の発言:
超の台詞は、
「私はうまくやる」であって、「私たちは」とは言ってない
んだという。
いずみの@講義中 の発言:
で、反面気になってるのが、名も無き読者さんが使っている「少年漫画の王道として」
というフレーズなんですね
はし の発言:
正直、私は確かに王道な気もするんですが・・・
いずみの@講義中 の発言:
>少年漫画的な王道として、「他人を信じられない者」の計画が上手くいくはずがありません。
とか、
>「少年漫画としての王道として」、ネギは別の路線から反駁し、最終的には理屈の上でも勝利せねばなりません。
とかですね
いずみの@講義中 の発言:
王道として〜というのを根拠にしている割に、その王道が何かっていうことには触れてないんですよ。
読み手のニュアンスに任せた書き方で。
はし の発言:
ふむ
いずみの@講義中 の発言:
で、文章から逆算すると、この人が考えてる王道っていうのは
「主人公は連帯しないといけない」って
ことなのかな? になるんですよね
はし の発言:
でしょうね。
いずみの@講義中 の発言:
>少年漫画的な王道として、「他人を信じられない者」の計画が上手くいくはずがありません。
というのは、「他人を信じることが王道である」ですからね
まきばっくす の発言:
この辺は意識してというよりは、「わかってるよね?」的な言葉足らずではないかと>王道
いずみの@講義中 の発言:
いや、そもそもこういう感覚的な言葉を
「わかってるよね?」で素通りしちゃうからこそ
その人が持ってる「少年漫画観」が
問われるってことでしょう(笑)
はし の発言:
ははぁ(笑)
まきばっくす の発言:
たしかに(笑)
いずみの@講義中 の発言:
いや、名も無き読者さんを責めてるわけじゃないんですが(笑)。
「〜ですよね?」調なんですけど、
そこを暗黙の了解にしてしまうこと自体に
物足りなさがあるわけで。
はし の発言:
具体的には踏み込んでない訳ですなー。
いずみの@講義中 の発言:
ぼく自身の「少年漫画観」を語るなら、窮極的に辿り着く地平は
「少年漫画とは、一人のヒーローを描ききるものである」
に尽きるんですが、その前提で話を続けますね。
いずみの@講義中 の発言:
で、「一人でやる」ヒーローって居るよねっていう(笑)
結果的に「みんなが力を貸す」けど、
「本人は助けを求めてない」場合もありますしね
はし の発言:
例示をお願いします!先生!(笑)
いずみの@講義中 の発言:
『からくりサーカス』の勝とかそうじゃないですか。
はし の発言:
あー(笑)
いずみの@講義中 の発言:
あの人、全部一人で背負い込もうとしてますよ(まぁ誰も信じない、って意味じゃないですが)。
あと刃牙もそうか(笑)。
孤高のヒーローみたいな少年漫画だってありえるんだし、
「少年漫画には連帯が必要だ」っていうのは一要素に過ぎないというか、
それこそ各々の思想の違いのレベルなんですよね。
勿論、ネギまという作品の中では「連帯した方が正しいんだ」っていうテーマが存在していて
いいんですが。
いずみの@講義中 の発言:
でもその一方で、名も無き読者さんの文章を読んでいて、気付かされた法則があって
いずみの@講義中 の発言:
ウチの記事でも
> 主にやってるのは、思想戦なんですよね。っていうのは少年漫画らしからぬ独特な臭いがあって、行き着く先が気になる所です。
って、「らしからぬ」なんて書いちゃったんですけど
いずみの@講義中 の発言:
「ああ、こうすれば少年漫画的な着地点になるな」と。
いずみの@講義中 の発言:
実際、今みんなが考えているような合理的な思想戦とかは
やっぱり少年漫画の範疇の外だと考えてまして。
まきばっくす の発言:
少年漫画ならもっと非合理的な着地点に落とし込むでしょうね。>少年漫画的ではない
いずみの@講義中 の発言:
「そういうのもうまくやれたら面白いと思うけど、
それだけじゃダメだろう」なと。
はし の発言:
名も無き読者さんの論も、少年漫画的でないと。
いずみの@講義中 の発言:
少年漫画的でない、というより、押しが足りない、って感じですね。
だからもう一押し補足した方がいいと思って。
はし の発言:
ふむふむ。
いずみの@講義中 の発言:
で、それは何かって言うと、少年漫画の主人公は
「スケール勝ち」
さえすればいいんだ
と、名も無き読者さんのを読んで気付いて(笑)
はし の発言:
ははぁ(笑)。超の方がネギよりも小者になってれば良いと。
いずみの@講義中 の発言:
うーん? まぁ結果だけみりゃそうですが。
はし の発言:
なんとなく、エヴァが3巻で敗れたシーンを連想しました
いずみの@講義中 の発言:
そうそう、あれなんかは王道的なんですよ。>3巻のエヴァ
根拠のない自信と大言壮語なんだけど(笑)、
ネギがエヴァに勝った後で「呪いを解いてあげますから」と言うと、
エヴァは「すぐには無理だろ」、って怒るんですけど、
一瞬ひるんでるんですよね。
いずみの@講義中 の発言:
で、そのエヴァに対してネギが言ったようなことは、
ちゃんと名も無き読者さんの予想の内に入ってるんですよ。
いずみの@講義中 の発言:
>「少年漫画としての王道として」、ネギは別の路線から反駁し、最終的には理屈の上でも勝利せねばなりません。
「勝利せねばなりません」って書いてて。更に踏み込むと、
>最終的に、超の「目的」を「全世界魔法バレ」とは全く異なる手段で果たしてあげること。超の経験した悲劇を、超の当初の計画とは異なる形で回避させてあげること。それが学祭終了後のネギの大きな目標になるはずです。
>超の「動機」や「過去」について、それを聞いた時にネギたちも共感できて、別の形で協力あるいは解決ができて……そしてそれが果たされた時こそ、超の「封印された涙」が拝めるのではないでしょうか。
>では「動機」でないのなら、何でもって当面の超と対立し、彼女を凌ぐのか。
いずみの@講義中 の発言:
ここのポイントは
「超の当初の計画とは異なる形で回避させてあげること」と
「何でもって当面の超と対立し、彼女を凌ぐのか」
ですね。
はし の発言:
なるほどー
いずみの@講義中 の発言:
「凌ぐ」って言ってるんですよね。
いずみの@講義中 の発言:
http://d.hatena.ne.jp/izumino/20061018/p1#20061018f1
http://ameblo.jp/petronius/entry-10018598876.html#cbox
ここにも書いたように、
基本的に超鈴音編は相対主義の話で、
どっちが勝っても負けても相対価値が変わらないような気がするから、
「少年漫画らしからぬ」とぼくも言ってたわけですね。
いずみの@講義中 の発言:
「いい悪い」も無いし、超は生徒だから「やっつけるべき敵」でもないし、
少年漫画に一番必要な「勝負」が存在しなくて、
強いて言うなら「ネギの決断は正しいのか正しくないのか?」くらいだったという(笑)。
はし の発言:
そういや、超ってクラスメートでしたね(笑)
いずみの@講義中 の発言:
でもそこで「ああ、主人公がスケール勝ちすればいいんだ!」っていう視点が入ると、
「勝ち負け」のレベルに落とし込めるんですよ。
いずみの@講義中 の発言:
で具体的に何をすればいいかっていうと、
ネギは論理的に論破しなくてもいいんですね(極論として)。
論理的に論破するだけじゃ、理屈だけの、賢い人が納得するだけの漫画になりますからね。
それって「読者は納得しない」ってことなんで。
まきばっくす の発言:
少年漫画はどっちかというと非合理に価値観を置きますしね
いずみの@講義中 の発言:
少年漫画の主人公は、特に根拠や準備が無くても
「無理なことをやってみせる!」っていう決意を示せばそれでいい
んで(笑)。
はし の発言:
それでいいのか(笑)
いずみの@講義中 の発言:
いや、そういう意味では、みんなが
今考えてるような「超のやり方は正しいのか」っていうのは、
現実主義や常識に基づいてるわけですよね。
いずみの@講義中 の発言:
「現実的手段としてなら、超のやり方が最善だろう」
っていう作中でも語られてる前提を、割と無批判に
受け止めてるわけじゃないですか。
いずみの@講義中 の発言:
超の策を「最善」だとするなら、
それを否定するってことは次善の策に思えてしまう
ってことですね、常識的には。
いずみの@講義中 の発言:
『武装錬金』の主人公性ってのが
最近だとわかりやすい例なんですけど
いずみの@講義中 の発言:
悪役に
「二つの命があるとして、一つだけ救えるとしたらどっちを選ぶ?」
って言われて
「俺は両方を救ってみせる!」って言うのが
主人公であると(笑)
はし の発言:
あー(笑)
いずみの@講義中 の発言:
で、決意があるだけで、
論理的根拠も準備も手段も用意してないのに、決意しちゃうわけですよね。
だから悪役も「理想論を言うな」と。
いずみの@講義中 の発言:
「ユメみたいなこと言うな!」って言われて、
「それでも俺はやるんだ」、「最後まで決して諦めないんだ」って言って
まきばっくす の発言:
少年漫画っぽい
いずみの@講義中 の発言:
で。ここからが超重要なんですけど
いずみの@講義中 の発言:
ヒーローは、
いずみの@講義中 の発言:
その夢を実現するんですよ(笑)
はし の発言:
かっこいい(笑)
まきばっくす の発言:
まさしく選ばれた人だ
いずみの@講義中 の発言:
なんで実現できるのかっていうのは
なんでもいいんですよ、少年漫画の場合。
なんせヒーローが「絶対に諦めない」って
言っちゃってるんですから、なんとしてでも実現するんだろうなと。
まきばっくす の発言:
序盤に話に出た「少年漫画の王道」を定義つけるのなら
最大公約数的にはいずみのさんが指摘された二点で、
・合理的なものより、器の大きさ的な価値観と
・夢は必ず適う
という点かと
いずみの@講義中 の発言:
例えば、これは結城さんって人が言った例なんですけど、
「漫画ばっかり読んでる子供は、まともな大人になれない!」
って大人に言われたとしてですね(笑)
いずみの@講義中 の発言:
主人公なら
「俺は漫画を読みながら、まともな大人になってみせる!」
って言うんだと(笑)。
身近すぎて酷い例えだとは思うけど。
はし の発言:
(笑)
まきばっくす の発言:
で、凡人のオレはまともな大人になれなかったわけだけどw
主人公はなる(笑)
いずみの@講義中 の発言:
当然子供だから、「まともな大人」のなんたるかも解ってないし、
方法論も何もなく、意志の強さだけでメンチ切ってるわけですよね。
あとは主人公の名にかけて「なんとかする」だけですよ。
いずみの@講義中 の発言:
「なんで実現できるのか」っていう過程の描写は、パターン的には
「努力型」「根性型」「才能型」「理屈型」「協力型」「描写しない」なんかに
分かれると思うんですけど
はし の発言:
ネギまだと「才能型」とか「理屈型」あたりですか?
いずみの@講義中 の発言:
ネギまは、まさにそれですね。今はやりのタイプ。あと「協力型」も入ってますが。
まぁ「努力」は根性や理屈が形を変えただけとも言えるし、
しかも最終的には「全部才能だろ」なんですけど。
いずみの@講義中 の発言:
努力型だと、必死に勉強して司法試験に受かったりする。
その「努力」ってのは、寝ないでガリ勉するようなド根性だったり、
理詰めで計画的に合格するような理屈だったりと様々ですね。
いずみの@講義中 の発言:
どっちにしろ、漫画的には
「努力すれば、漫画読んでても立派になれるんだ!」
って感じのストーリーに見えるわけですけど、
冷静になって良く見てみると、
主人公が漫画を読みながら猛勉強する
という生き方に向いてただけで、
誰でも同じ生き方ができるとは限らない(笑)。
はし の発言:
つまり主人公の才能なんですね(笑)
いずみの@講義中 の発言:
ギフトのように、チャンス(教師や仲間、アイテムとの出会いなど)がポンポン
舞い込んできたりするのも主人公の特権なので。
第一、「どんな人間にもあてはまるような成功の過程」なんて一本の漫画で
フォローしきれるわけがない。
いずみの@講義中 の発言:
ヒーローは理詰めでなるものではなくて、
「なるべくしてなる」ものだとしか言えない、
んですね。
その過程に
よくわからない強い説得力さえあればナンデモいい。理詰めでサクセスする話を伝えたいんだったら、青年誌でウンチク漫画を書くか、
ビジネス本でも出版した方がいいですからね。
いずみの@講義中 の発言:
まぁ「理詰めでなくともいい」であって、「少年誌で理詰めをやっちゃいけない」わけではないですけど。
でもそれだって、
「理詰め通りに行動すればヒーローになれる」という幻想
を描いてるだけですよねーっていうのは思う。
その理屈で成功したり、世界を救えたりするのはやっぱりヒーローだからであって、
ヒーローの行動は参考程度に留めて
自分用の理屈は自分で手に入れろっていう。
あるいは、単に憧れることで心の潤いにするかですね。
いずみの@講義中 の発言:
最近は大人になっても少年漫画を読む人が多いんで、
青年誌的な表現とのチャンポンで描くのが流行りっちゃ流行りですね。
少年漫画として読まない人は、少年漫画としての面白さを評価できないし。
いずみの@講義中 の発言:
ここは深い、少年漫画論にもなってくるんですが、要するに
「自分の可能性にリミッターをかけるな」
が少年漫画の根本的なマインドだと思うんですね。
はし の発言:
ふむふむ
いずみの@講義中 の発言:
ヒーローは最初に「できそうにないこと」を大言壮語しちゃうけど、物語的には
「その理想を実現するだけの可能性」を秘めてる
からこそ、作者がそれを言わすことができるわけで
いずみの@講義中 の発言:
逆説的な話になってきますけど、だから決して「無茶な夢が叶う」という幻想じゃないんですよ。
物理的にはムチャだとしても、それに見合う才能があるんだったらできたって変じゃないでしょっていう。
いずみの@講義中 の発言:
「勝てる可能性を秘めてるヤツは勝てる」
「でも可能性を信じられないヤツは勝てない」
ってだけなんですよね。
それって要するに
「どうせなら、自分の可能性は可能な限り発揮しろ」
という思想であって、その一点だけでいえば
凡人はヒーローを参考にできる。
ただ、
「ヒーローは輝かしい成功を収めて、みんなから憧れられるんだ」
という凡人との差があるだけで。
いずみの@講義中 の発言:
その一方で、
現実にもヒーローになれる可能性を秘めた人間っていうのは当然ゴマンと居る
わけで、そういう人がもし自分を信じられなかったとしたら、
「傑出した才能」が埋もれることに繋がりますよね。
将来、破格の天才になりそうなヤツに向かって
「そんな無茶なことはやめとけ」なんて言うのか? という。
もし
映画の『ガタカ』のようなディストピアですから。
いずみの@講義中 の発言:
そういう「可能性を否定してくる大人の意見」が、
「そんなの理想だ」とか、「常識的にできない」とか言ってくる敵
として象徴されてるだけで。
いずみの@講義中 の発言:
だから
「非合理性の尊重」というよりも、
「合理性や先入観に対する懐疑や超越」の方に
本質があるんじゃないかなあと。
「どれだけ先入観を飛び抜けられるか?」
っていうのは「少年漫画の熱さ」を計る一種のバロメーターではありますね。
いずみの@講義中 の発言:
反・合理性だから非常識的な理想が好まれるだけで、
最後に残った結果だけ見たら
合理的に見える(場合もある)んじゃない? っていう。
さっき例に出した『ガタカ』もそういう話ですけど。
まきばっくす の発言:
そういえば、
不可能を可能にするヒーローの手腕
も重要だけど、
できそうなことを不可能と言い張る悪役の説得力
も重要ですよね
いずみの@講義中 の発言:
それは至言ですね。
いずみの@講義中 の発言:
ネギまの場合は多分、超の思いつかない、
(それなりに)地に足がついた解決手段がちゃんとあって、
「ネギの器があればそれを実現できる」、という構図なんでしょうね。
いずみの@講義中 の発言:
で、そのネギだけにできる手段っていうのが、ネギのヒーロー性に関わってくると。
超や学園長にはそれができない。
いずみの@講義中 の発言:
できるだけ
「普通の人間には不可能な」才能を持ってるほど
ヒーロー性は輝きますよね。
はし の発言:
ですね。
いずみの@講義中 の発言:
島本和彦の論法じゃないけど、
常識的にできないことに挑戦するなら、
ソイツ自身が常識で計れない存在であればいい! 理論というか
(「凡人で等身大のヒーロー」を描くタイプの少年漫画なら、ハナシは別ですが。
ネギまは「天才のヒーロー」を描くタイプの少年漫画なので、こういう方法論とマッチする。)
いずみの@講義中 の発言:
そういう意味で、超はネギのヒーロー性を
「見くびってた」わけで、
そこに勝ち負けが発生するんですね。それって思想戦の決着とは関係無いレイヤーの「勝負」で、
それがスケール勝ちすることなんだな、と(笑)
はし の発言:
あーそういう読み方ができるのかー(笑)>ネギのヒーロー性を「見くびってた」
まきばっくす の発言:
思想とは関係無いですね、根性焼き見せて感服したみたいなかんじですねw
いずみの@講義中 の発言:
王道的には
「ぼくならみんなと力をあわせてなんとかしてみせます!」とか強気で言って、
超がひるむような展開に持ってければ勝ちなんですよ。
いずみの@講義中 の発言:
斜めから読もうとする大人の読者は「なんとかなる根拠」を
求めようとするだろうけど、それは、スケール勝ちしたヒーローにとっては
事後からついてくるもんなんで(極論)。
まきばっくす の発言:
ただ、それをしちゃうと夕映関連の伏線が無駄になりませんか?
はし の発言:
いや、逆に夕映関連の話があるから活きるのでは。
いずみの@講義中 の発言:
ネギに説得力を与えるための武器のひとつってことですね。>伏線
あとネギまの場合、思想戦としての決着を
別に無駄だと言ってるわけじゃないんで。
合理的な解決策のラインも残されてますしね、
「強制認識魔法の、超とは違う使い道を提案する」とか。
いずみの@講義中 の発言:
うやむやにしても構わないし、うーん、要するに
「論理的にやりこめた」という構図になると困る
んですよ。
まきばっくす の発言:
なるほどね。
はし の発言:
ふんふん
いずみの@講義中 の発言:
論理的にやりこめるだけなら、主人公がネギである必然性が薄いですしね。
あくまで器の大きさで上回らないと、勝ったことにはならないわけですから。
まきばっくす の発言:
それは超重要ですね。
実は一緒に学園側の意見さえも超越しないとスケール勝ちできない。
いずみの@講義中 の発言:
で、名も無き読者さんも描いてた「凌ぐ」っていうことがどういうことかというと、
いずみの@講義中 の発言:
超が
「これが一番現実的な手段で、それを否定する側の立場と大差ない」
って相対主義を語るとするなら、
いずみの@講義中 の発言:
ネギは、単にもっとデカいことを言えばいいんですよね。
Aに対して非Aではなく、もっと大きなAを提示すればいい。
いずみの@講義中 の発言:
んで超が「そんなの無理だ、ユメみたいなこと言うな」って言えば、
「僕たちならやってみせます!」と
いずみの@講義中 の発言:
まぁ「私ならうまくやる」って言う超も、ヒーロー的といえばヒーロー的なんですよ。
「無謀だ」と言われるような常識に対して挑戦してるわけですから。
じゃあもっと非常識なことに挑戦して
「できる!」って言って、「できそうだ」
って思わせたら、乗り越えた形になりますよねっていう。
いずみの@講義中 の発言:
「僕たち」って文章を少し変えただけなのに、
「なんとなく相手とは違う姿勢を示して相手を乗り越えた感」
を与えるのも地味にボイントですかね。
いずみの@講義中 の発言:
それにですね、仮にリスクとリターン、利害関係がどっちもどっちな
プロジェクトが二つあるとして
それぞれの主催者のリーダー性に差があったら、
いずみの@講義中 の発言:
プロジェクトの価値は同じでも、
リーダーが頼りになりそうな方を選ぶ
のが現実的な判断ですからね(笑)
はし の発言:
まぁ、そりゃそうですねw
いずみの@講義中 の発言:
これも結城さんが言ってたことなんですけど、
「理想を言うな」「いやできる!」
っていう大人と子供の水掛け論になった時に
いずみの@講義中 の発言:
結局、
「やれそうな器の大きさを証明する」手続きが必要なんですけど
いずみの@講義中 の発言:
究極的には「ケンカで勝つ」なんだっていう(笑)
いずみの@講義中 の発言:
「大人にケンカで勝てるくらいの子供なら、大したやつに違いない」
みたいになるわけですね。
それは「世の中は腕っ節でなんとかなるもんなんだ」って言いたいわけじゃなくて、
結局漫画なんだから、
「ケンカの強さ=人間の大きさ」っていう象徴的表現なんですけど。(それを言うなら、ジョジョのスタンド戦だって「心の強さ」の象徴表現なんで)
まきばっくす の発言:
結局、根性見せたやつが強いというw
いずみの@講義中 の発言:
「いい目をしている」とか、
「この俺が無意識に一歩下がっていたというのか」とか(笑)
はし の発言:
それでいいんだ(笑)
まきばっくす の発言:
>それでいいんだ (笑)
だから、別になんの解決になっていなくても
「先生なら変えてくれそうネ」と超に言わせれば勝ちw
いずみの@講義中 の発言:
えーと、BSマンガ夜話の聖闘士星矢の回は見たでしょ?>はしさん
はし の発言:
みましたー
いずみの@講義中 の発言:
夏目房之介さんが非常に的確な分析をされてるんですけど、
黄金聖衣って、「大人になったらできること」の象徴なんですよ。
いずみの@講義中 の発言:
青銅聖衣を着てるヤツ(=主人公達)は子供だから、
実力じゃ絶対ゴールドセイントに勝てないんですよね。それは凄く徹底してる。
はし の発言:
ふむふむ
いずみの@講義中 の発言:
ブロンズセイントが自分の限界を超えて力を出して、
黄金聖衣の表面に傷をつけたり、ひるませたりするのが精一杯なんですよ。
まきばっくす の発言:
星矢もアルデバランの角折るくらいのことしかやってない(笑)
いずみの@講義中 の発言:
でもなんで星矢達が十二宮編を勝ち進めるかというと、敵がみんな
いずみの@講義中 の発言:
「こいつは拳の勝負では俺には勝てないが、精神の勝負では俺と互角だ」
とか、
「勝負自体は俺の勝ちだったが、
もし俺が黄金聖衣を着ていなければ
さっきの一撃で命を失っていた」
とか言って、
ブロンズセイントの心意気や将来性だけを評価して、道をゆずってくれる展開ばっかだからなんですね。
はし の発言:
なるほど、だから「大人になったらできること」かー
いずみの@講義中 の発言:
「俺が黄金聖衣を着ていなければ死んでた」っていうのは
「年齢が同じだったら俺の負けだった」と同義になってるわけですね。
いずみの@講義中 の発言:
で、実際に星矢達は黄金聖衣を着る(=大人になる)ことで、
先代ゴールドセイントが見込んだ根性がニセモノじゃなかったことを証明する
んですよ。
いずみの@講義中 の発言:
そう通して読むと、熱いでしょ?
はし の発言:
確かにw
いずみの@講義中 の発言:
ちなみに実力でゴールドセイントに勝てたのはアンドロメダ瞬だけだけど、
瞬は設定的に別格なだけだから。
まきばっくす の発言:
深いな〜、
シルバーセイントは先輩とか近所の中学生?
いずみの@講義中 の発言:
ですね、番長漫画に喩えたら。>シルバーセイントは先輩
いずみの@講義中 の発言:
ゴールドセイントは政治家とか刑事とかですね(笑)。
はし の発言:
大人だ(笑)
まきばっくす の発言:
するとアテナは国家権力そのもの?
「あの凄い大人達でさえどうにもならないものがあるんだ」ってかんじ?
いずみの@講義中 の発言:
アテナやポセイドンとかの神は、
総理とか国家元首のレベルなのでゴールドセイントでも勝てない。これも一貫してる(笑)
はし の発言:
なるほど(笑)
いずみの@講義中 の発言:
でもゴールドセイントでもコスモを高めれば
神に冷や汗かかせたりできる。
逆に言うとそれだけしかできない(笑)。
いずみの@講義中 の発言:
そこにアテナが、ゴッドクロスをゴールドセイントに与えるシチュエーションとか熱いですよ。
一人の刑事に国家権力の使用権を一時的に貸与させて、
敵国の首脳と戦わせるようなもん?(笑)
はし の発言:
現実に当てはめると、すごいシチュエーションですな(笑)
まきばっくす の発言:
かっこいい〜、それ無茶苦茶使いたい設定だ
いずみの@講義中 の発言:
漫画におけるバトルや強さの序列なんて、みんなそういう
「現実では曖昧な力関係」のシンボルでしょっていう。>現実に当てはめると
いずみの@講義中 の発言:
基本的には
「ゴールドセイントが神に冷や汗をかかせたスキをついて、アテナがとどめを指す」
ってパターンなんですけどね、星矢は。
はし の発言:
なるほど
まきばっくす の発言:
ネギまもそういう展開なのかな〜
いいんちょ関係に動きがあるのもその伏線なのかと妄想。
いずみの@講義中 の発言:
で、ハナシを戻しますと……・なんだったけかな(ログ読み)
いずみの@講義中 の発言:
チャットは話題の転換点をチェックできるから便利ですね
いずみの@講義中 の発言:
はし の発言:
それでいいんだ(笑)
まきばっくす の発言:
だから、別になんの解決になっていなくても
「先生なら変えてくれそうネ」と超に言わせれば勝ちw
いずみの@講義中 の発言:
えーと、BSまんが夜話の星矢の回は見たでしょ?>はしさん
いずみの@講義中 の発言:
こっから星矢の話に脱線したんでしたね。
はし の発言:
はい
いずみの@講義中 の発言:
問題は、ネギまの場合、星矢と違って
「子供(青銅)→大人(黄金)」
みたいなドラスティックな成長とか無いので
いずみの@講義中 の発言:
「こいつが成長したら……」とはまた
違うパターンでのスケールを見せないと
いけないでしょうけどね
いずみの@講義中 の発言:
卍解ができるようになったら
強さが何倍にもなるような世界観でもないし。
いずみの@講義中 の発言:
努力や根性でパワーアップできない分は、友情パワー(要するに人海戦力)で
カバーするのがお約束なので、
そこで「連帯と信頼」ってキーワードが活きてくるんでしょうけど、
結局
「ネギのカリスマ性」がキーになってくるんでしょうねいずみの@講義中 の発言:
超人的にモテると。超の現実的判断力を覆すほどモテれば解決する(笑)。
そんな単純なハナシではないので、誇張して言えば、ですが。
いずみの@講義中 の発言:
ゴールドセイントの例で言えば、
超は「負けて小物になる」だけじゃダメですよね。
大物感を見せた上で、
「それでもネギを認めて、任せてみよう、協力してやろう」
という持ち上げ方をしないと
はし の発言:
ふむ
いずみの@講義中 の発言:
そもそもネギの「僕たち」の中にまず超を
入れてこそのカリスマ性だろうし。
でないと今後のクラスメイト編に繋がりませんしね。
まきばっくす の発言:
ここで、蛇足的な質問なのですが「僕たち」すなわち英雄予備軍として含まれるのは
「ネギパーティー」のみなのか「クラスメイト全員」なのか
あるいは人類全体を指すのかどれなのでしょう?
要はクラスメイトそのものも「特別な存在として集められたかどうか」ということなのですが
いずみの@講義中 の発言:
その「僕たち」ってのはどこまで指すのかって話なんですけど
まきばっくす の発言:
はい
いずみの@講義中 の発言:
テーマとなってるのが、連帯ですよね。
まぁそもそも最初に言ったように連帯っていうのは少年漫画的には副次的な要素で、
強くて格好いいヒーローには勝手に人が集まってくるでしょうっていうハナシなんですけど
いずみの@講義中 の発言:
すげえ単純に
「一人よりもみんなの方が強いんだ」ってハナシで、独裁者よりもチームの方が強いだろうっていう
身も蓋もない場合の方が多い気がします(笑)。
まきばっくす の発言:
ぶっちゃけ「一人でも生き残ればどうにでもなるわ!」って世界w
いずみの@講義中 の発言:
むしろ集団を悪役にして「連帯の恐怖」を描く漫画もありますしね。
集団vs個人だって、少年漫画的ですよね、俺は一人でも自分のために戦うんだみたいな。
はし の発言:
ふんふん
いずみの@講義中 の発言:
努力・友情・勝利は、
「手段・手段・結果」であって、
「目的・目的・目的」ではないという
いずみの@講義中 の発言:
で、その前提で(笑)。
手段としての友情、連帯と信頼をテーマに
しているネギまに戻ると
いずみの@講義中 の発言:
もともとネギまというか、麻帆良学園における物語自体が
「非日常と日常の融合」がテーマになってるんですよね。だから、仮に今後のネギの目的が
「魔法界と人間界を融和させること」に向かうとしたら、シリーズを通した統一性が生まれるとは思います。
いずみの@講義中 の発言:
3-Aクラスメイトに徐々に正体を明かしていって、仲間にしていく、
っていう話ですよね。>ネギま
まきばっくす の発言:
なるほど、理解の輪を広げるのが主題なわけですね
いずみの@講義中 の発言:
その3-Aっていうのは麻帆良学園っていう
非常識な空間にくるまれて成り立っているわけですけど
いずみの@講義中 の発言:
3-Aを学園全体に、学園を世界に、
っていうビジョンを今後提示する可能性はありますね。
いずみの@講義中 の発言:
そこで雪広財閥っていうのは超重要なので。
まきばっくす の発言:
再確認なのですが、
3−Aそのものが「ネギのために選ばれた特殊な存在」という可能性はどうでしょう?
いずみの@講義中 の発言:
それはありますよね
いずみの@講義中 の発言:
ネギが生まれたのは10年前だし(クラスメイトが小一だった頃)
まきばっくす の発言:
なるほど、それを前提として聞きます
続きをどうぞ
いずみの@講義中 の発言:
結構、ぼく自身も
「いいんちょは日常側に居てこそ」みたいなことを書いてて、そう思ってる読者も多いみたいなんだけど
はし の発言:
そう思ってた一人ですw
いずみの@講義中 の発言:
それは
「魔法と日常の往復」をテーマにした場合の話なんで、前提条件が覆ってしまうんですね
いずみの@講義中 の発言:
往復ではなく融和となると、いいんちょの
立ち位置は全然違ってきます
いずみの@講義中 の発言:
まぁまだなんとも言えませんけど、
「いいんちょに魔法バレさせちゃダメだろ」
とかは思わない方がいいかもよ、と(笑)
はし の発言:
覚えておきます(笑)
まきばっくす の発言:
なるほど、二つの世界の融和になるといいんちょの位置は全然変わってきますね
はし の発言:
3-Aで一番社会に影響力持ってますしね>あやか
いずみの@講義中 の発言:
横文字で言うとマッチメーカーになってくれそうだなと。
まきばっくす の発言:
これからの流れ次第なのですが、千雨がいいんちょに
「いいんちょにしかできないことなんだ」と言ってたのは
非常に象徴的ですね
いずみの@講義中 の発言:
そういう意味じゃ、いいんちょが千雨と行動してるのは意味深ですね
いずみの@講義中 の発言:
いいんちょが表世界のブルジョワなのに対して、
「裏の世界でトップをとる」
のが千雨だからなー(笑)
いずみの@講義中 の発言:
千雨いいんちょのカップリングは実現したら熱い。
表向きの看板と裏の看板みたいな。
いずみの@講義中 の発言:
で、連帯のテーマの話に戻りますけど、
いずみの@講義中 の発言:
アスナの役割が結構重要そうだなと考えてて
いずみの@講義中 の発言:
一応アスナ復活は伏線になってますからね。
はし の発言:
美空に連れて行かれたシーンですね
いずみの@講義中 の発言:
まず連帯という意味ではネギのパートナーであるし、
立場的に魔法界の王女っぽい感じですからね
はし の発言:
あー、そこで魔法と日常の融和に繋がるのですか
いずみの@講義中 の発言:
だからいいんちょは、アスナと対照的なキャラなんですよ
まきばっくす の発言:
ふむふむ、大団円で対になる可能性が高いですね
いずみの@講義中 の発言:
そこにちう先生を加えると熱いですが。
(魔法界にもインターネットがあるから)
いずみの@講義中 の発言:
あと、実を言うと
「無根拠な自信」と「ヒーロー性」
っていう意味では、アスナの方がいかにもそれっぽいんですよね
いずみの@講義中 の発言:
「多分大丈夫!」って言って(笑)、
実際に大丈夫にさせるキャラだとすれば。
はし の発言:
エヴァの過去語りの辺りとか、確かにそう感じますな。
まきばっくす の発言:
アスナはどっちかというと
ダブル主人公の片割れだしな〜wいずみの@講義中 の発言:
だからネギが「僕たち」と言って連帯を強調するなら、
アスナと一緒に言うことで説得力が増す筈なんですよね
はし の発言:
だから明日菜復活は伏線だと。なるほど・・・
まきばっくす の発言:
なるほど
いずみの@講義中 の発言:
まだアスナはヘタレ補正がかかってる方だから、
究極的にはネギがヒーローなんでしょうけどね
いずみの@講義中 の発言:
うーむ、というか、
「多分大丈夫」っていう無根拠な大風呂敷を広げるのがアスナの役割で
いずみの@講義中 の発言:
アスナ一人では無理な難題を、実現してやるのがネギ
みたいな関係性が出来たら綺麗かな?
いずみの@講義中 の発言:
ネギに方向性や自信のようなものを与えるのがアスナ、っていうことですね。
いわゆる「子供の理想」を言うのがアスナで、それを叶える才能を持ったヒーローがネギ、と。
はし の発言:
なんだかんだ言っても、やはりメインヒロインなのですね(笑)>明日菜
まきばっくす の発言:
グランドストーリーのキーは明日菜でしょうね
いずみの@講義中 の発言:
勿論アスナに引っ張られっぱなしじゃ主人公失格ですから、
超鈴音編のラストはネギが決意することになるでしょうけど。
いずみの@講義中 の発言:
でもなんだかんだで、ネギが今、自分の足で立ってるのは
いずみの@講義中 の発言:
アスナが「大丈夫に決まってるでしょ」
って言い続けてるからだしなぁっていう
いずみの@講義中 の発言:
「難しいことはいいから、ネギの思うとおりにやりなさいよ」
っていう。
勿論根拠は無い(笑)。まきばっくす の発言:
根拠はないがそれがいい(笑)
いずみの@講義中 の発言:
今ネット感想とかを見てると、夕映がメインで
ヒロイン役だって思ってる人が多そうですけど、千雨同様、
「合理的なアドバイザーの役」である以上、
ネギのヒーロー性を保証する立場であるアスナよりは
重要度は落ちるんですよね。
(あくまで少年漫画的に言えば、の話)
はし の発言:
なるほど・・
いずみの@講義中 の発言:
そういう、正妻の位置に座ってるヒロインを
嫌っちゃう人もいますけどねえ(笑)
まきばっくす の発言:
オレだw>正妻嫌い
はし の発言:
ちょww
いずみの@講義中 の発言:
まぁ、アスナがそううまく納まるかはまだわかりませんけどね(笑)。夕映をさしおいて、みたいな。
いずみの@講義中 の発言:
でもかなり美味しいところをかっさらってくれるんじゃないかな。
正妻っつーよりもアスナが主人公だと思えばいいわけですよ(ゆきのん的に)
まきばっくす の発言:
それなら許すw>ゆきのん的に
いずみの@講義中 の発言:
そういえば細かいことなんですが、補足しておくと。
主人公自身が別にいちいち「俺はやってみせる!」って意気込む必要無いんですよね。
いずみの@講義中 の発言:
弱気な主人公で、そんなに勝ち気でも無いんだけど、
誰から見ても「アイツならなんとかしてくれそうに見える」
っていうのもヒーロー像としては典型的ですね。
はし の発言:
そういう姿を見せれていればOKってことですか?>意気込む必要は無い
いずみの@講義中 の発言:
行動と結果に表れていればいいってことですね。
修羅場になるとその時だけ人柄や振る舞いが変わる、という主人公も多いですけど
いずみの@講義中 の発言:
「別にやりたくないんだけど、本能的にやってしまう」
くらいの方が怪物性が高くて良いですよね。
まきばっくす の発言:
天才性の象徴ですね。>怪物っぽい
いずみの@講義中 の発言:
あるいはデカいことを断言しちゃってるんだけど、
本人は口がすべっただけだったり、深く考えてなかったりっていう。
いずみの@講義中 の発言:
そのあとは結果で実力を評価されて、
周囲にヒーローとして祭り上げられるだけですから。
いずみの@講義中 の発言:
ルフィやカズキみたいに「○○になる!」「○○してみせる!」
って叫ぶキャラの方が珍しいんじゃないかというか、
まぁどれにしろ「パターンの一つに過ぎない」ってことですね。
はし の発言:
言われてみればそうかも。
いずみの@講義中 の発言:
ネギの場合「マギステル・マギになる」
ってのが本人の言葉ですけど
いずみの@講義中 の発言:
ネギの言い方って、
「先生の仕事を頑張っていいことをしてればいつかなれる」
みたいな、凄く日常の延長線としてとらえてそうなトコありますよね(笑)
いずみの@講義中 の発言:
勉強して受験して就職して〜みたいな。
実際「NGO団体に入るのが将来の夢」みたいな
真面目なこと言ってるし
いずみの@講義中 の発言:
でも現実のマギステル・マギって、
物凄い英雄的なことをしないといけないんじゃない? っていう
はし の発言:
少なくとも日常の先には無さそうですねw
いずみの@講義中 の発言:
つまり本人の意識としては「頑張っていいことをしよう」程度の意識しか無くても、
主人公のゴールが「英雄になる」である以上
いずみの@講義中 の発言:
否応なく英雄的行為を達成することが
決まってるわけですよね。
それこそ「魔法と日常の融和」を達成させることが認められて
マギステル・マギになるかもしれないわけで
まきばっくす の発言:
言葉にすると簡単だけど偉業ですよね>魔法と日常の融和
いずみの@講義中 の発言:
そういう、
ケンイチなんかでも、本人は「護身術でいいんだ」って思ってるのに、
結局悪人をぶったおしたり新白連合の象徴になったりするヒーローを演じてますからね。
いずみの@講義中 の発言:
ここまででなにか質問あります?
まきばっくす の発言:
いえ大筋的には無いと思います(枝葉を入れるとキリがないので)
はし の発言:
大丈夫ですね。
いずみの@講義中 の発言:
じゃあそろそろ、水音さんを招待しましょう
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