溢れる光の向こう側
第九回
殺風景で味気ない病室の天井を見つめている父は、何を考えているのだろうか。今夜限りで、もう父と会うことはなくなるかもしれない。
そう父も感じたのか、乾いた唇を一度舌で舐めて声を出した。
「俺は仕事をしている、お前が自慢なんだ」
そういうと父は苦しそうに体を揺すったあと、疲れたのかまた目を閉じた。
信一郎は父の命の灯がもうすぐ消えようとしているのが、初めて実感として胸に迫り、目頭に熱いものが溢れそうになるのを、止めようとはしなかった。
暗闇の中に、涙で滲んで父がゆがんで見えた。
翌朝、加藤の携帯電話がつながった。
「どうして事故になったんだ!」
責めるつもりはなかったが、思わず厳しい言葉になった。
加藤が語るには、水中ハウジングを水面まで引き上げて、ロープをかけて作業スペースまで移動させようとしていた。加藤は滑車にかけたロープを支え、高橋が照明用水中ハウジングを誘導していた。少し移動させたところで、濡れたゴム靴がすべり高橋が尻餅をついた。バランスを崩した二〇キログラム程ある照明用水中ハウジングは揺れて、ロープがずれて高橋の足の上にずり落ちた。そこで高橋は足首を骨折したらしい。もう一本ワイヤーをかけているので、それ以上落ちることはなかったのだが、焦った高橋はハウジングが水中に落下するのではと思い、ハウジングを支えようと抱きついたが、円筒形のハウジングは回転し、高橋は肩からプールに落ちた。
すぐに助け上げたので、大事には至らなかったが、水が半面マスクの隙間から入り、少し口や鼻に入ったらしい。
「で、容態はどうなんだ?」
『元気にしている。体に入った水はごく少量だったので食道や胃・腸等を洗浄した結果、残留放射性物質はどうやらないようだ。足首の骨折は全治三ヶ月という診断になっている』
信一郎は多少ほっとした。
『今日から事故調査が入るが、定期点検全体の行程は変わらず、一週間後の原子炉稼動は予定通りに再開される見込みだ』
「分かった。事故調査の結果はすぐ知らせてくれ。そちらにすぐ帰る」
予定通りに点検を終了させるためには加藤一人では無理だ。遅れた行程も取り戻さなければならない。信一郎は今日中に移動し、明日から作業をすることに決めた。
8.
信一郎は東京から原子力発電所に戻る前に、高橋の担ぎ込まれた病院に立ち寄った。
体内に残留放射性物質は無いと診断されていたが、まだ事故二日目ということで高橋は隔離されていて、ガラス越しにしか会えなかった。
右足はギブスで固定されて、天井から下がったロープに吊るされていたが、上半身を起こして、なにやら本を読んでいるようだった。
信一郎に気づいた高橋は
『お・や・じ・さ・ん・は?』と言葉が読み取れるように大きく口を動かした。
「あまり良くない」と信一郎は正直に答えた。
『す・ま・な・い』と高橋は頭を下げながら言った。
「気にするな、仕事は俺に任せておけ」と言って信一郎は親指を立てて見せた。
『よ・ろ・し・く・た・の・む』
それだけで、二人の会話は充分であった。
事故調査委員会の現場検証は簡単に終わった。
予想通り、作業員の安全確認不履行による、人的に極軽微な事故である。ということで報告されて、定期点検全体の予定や再稼動の時期が変更されることはなかった。
マスコミでも大きく取り上げられることもなく、新聞の三面にごく小さく載っただけだった。
後ほど会社には、原子力発電所から何かしらのペナルティが課せられるだろう。
再び原子力発電所に舞い戻った信一郎と時を同じくして、社長が高田課長を伴って発電所と元請け会社の所長に謝罪に現れ、そのあと信一郎と加藤に会った。
「中島君の家庭の事情を知りながら、どうして予備人員を登録しておかなかったんだ!」
社長は強い口調で高田課長を叱責し続けた。
「もう一人作業員がいれば、ハウジングの引き上げも安全に行えた筈だ。課長としての責務を果たしていない。管理不行き届きだ!」
社長というのは得てして結果だけを見て判断を下すものである。
「お言葉ですが、高田課長は他の仕事の兼ね合いも考えて調整する努力はしていただいていたように思います」
萎れきっている高田課長を見かねて、信一郎は社長に声をかけた。
「結果はなにもしていなかったのと同じだ!」
高田課長は頭が肩にめり込んでしまうのではないかと思うほど小さくなった。
第十回へ続く