溢れる光の向こう側
第七回
ガレージの壁は練習の為に、原色のペンキで何度も塗り重ねられた文字や絵で、さながら抽象画のキャンバスのように見えた。
小学校の通学路から見える看板は殆ど父が書いたものであった。
とりわけ近所の小さな映画館に掲げられる、スターの似顔絵や映画の場面の看板を見るたびに父を誇らしく思った。
『ロッキー』の生きいきとしたボクシングシーン。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアン。『ジョーズ』の飛び出すような鮫。それらはいつまでも信一郎の記憶に残っている。
新幹線に乗り継ぐ駅で、妹に十九時頃病院に着くと電話をした。父の様子は相変わらず危険な状態から脱していないらしい。
高校に入ってからは、それまでとはうって変わり、事あるごとに父に反発した。
いつも家で仕事をしている父を煩わしく感じ、毎日のように衝突した。
反発する信一郎に対して父は高圧的に押さえ込もうとしたが、ますます反抗した。
ペンキで汚れた作業服を着て看板を取り付けている父に町で出くわすと、友人に見られるのが恥ずかしかった。スーツ姿で通勤している友人の父親を羨ましく感じたものだった。
家に帰ると、ペンキの臭いが充満していて、集中して勉強が出来ないと八つ当たりもした。
高校二年の時、学校で喫煙していたのを教師に見つかり、父が呼び出されたことがあった。
学校から帰ってきたらぶん殴られるだろうと、腹をくくり反抗する言葉を選びながら部屋で待っていると、帰り道で買ってきた灰皿を目の前に突き出し、
「吸うなら家で吸え」と一言いって部屋を出た。日頃とうって変わって芝居じみた、その物分りの良い父親ぶりに、また反感を覚えたものだった。
地方の電気工学の大学に行ったのも、自分の跡を継いで欲しいと美大への進学を薦めた父に反発したからだった。
大学に入学し父と別れて暮らすようになった時は、総てから解放された気分になったものだった。
家にはめったに帰らず、夏や冬の休みも、彼女と旅行にいったりして過ごした。
就職先も自分で見つけた。東京の勤務となったが、実家から通わずアパートを借りて一人暮らしを始めた。
さすがに社会人になってからは、盆と正月ぐらいは家に帰ることにした。父と二人でテレビに向かっている時は、言葉も交わさずにお酒を呑んで過ごすことが多かった。
母と妹が片づけを終えて一緒に寛ぐときには、茶の間も急に会話も増える。
テレビの話や、とりとめもない噂話を、くだらないと口では言っているが、母と妹の明るいペースで、父の口も軽くなる。
いつまでも子供扱いをする母と違って、いつの頃からか父は信一郎を大人として扱うようになっていた。
以前のように頭ごなしに自分の意見を押し付けることもなくなり、無口ながらも信一郎の言葉に相槌をうっていた。
「お父さんは、しんちゃんのことをいつも自慢しているよ。あいつは信念を持って仕事をしている。たいした奴だって」
父のいないところで母によく聞かされた。
しかし、信一郎にはすんなりと父と打ち解けられない、わだかまりが残っていた。高校の頃の抑圧的な父の態度が、心に大きな翳りを宿しているのを拭い去れずにいたのだった。
妹は短期大学を出て結婚するまで両親のそばにいた。そのおかげで長男の役割をしなくてもすんだといえる。いや、今でも妹に任せていることが多いが、結婚してからは、そうはいかないだろう。
7.
新幹線は東京駅に入った。時計を見ると定刻どおりの十八時三十五分だった。
コンコースを抜けて八重洲口のタクシー乗り場に向かって歩き出したとき、携帯電話が着信しているのに気が付いた。
高田課長からの電話だが、駅の雑踏で何を言っているのか聞き取れない。
静かな場所に移動して信一郎からかけなおした。
『高橋君が怪我をしたらしい。詳しいことはまだ分かってないが、燃料保管プールに転落したようだ。今は病院に運ばれているが、足を骨折したのと少し水を飲んだらしい』
「水って、汚染された水ですか。それはまずい。それで容態はどうなんです?」
『だからまだ詳しくはまだ分かってない。加藤君が付き添って病院へ行っている。詳しくわかればまた知らせる。君は東京に着いたのか?』
「はい、東京駅です。次の連絡を待っています」
あの冷静沈着な高橋がどうしたのだろう。二人になったことで無理をして作業したのだろうか。汚染された水を飲んだということは、すぐに胃の洗浄をしただろう。しかし内部被爆は避けられない。放射能が強ければ急激な症状が出るだろうし、放射能が弱くても後遺症や子孫に対する心配もある。
第八回へ続く