溢れる光の向こう側
第六回
『あ、やっと連絡が取れたわね。今朝お父さんが苦しみだしたので、救急車を呼んで病院に運んだの。再入院したのよ。今は鎮痛剤で落ち着いているけど、肺炎を併発しているようで、主治医の話では二、三日が峠らしいの』
病院にいるらしく声をひそめてはいるが、いつもより早口で話した。
『帰ってこれるの? 親戚には今連絡をつけているところ』
「仕事は今始まったばかりだけど…… もう少ししてからこちらから連絡する」
『何とか頼むわよ。祥子さんもすぐこちらに来てくれるそうよ。お母さんがかなり参っていて心配』
電話を切っても妹のすがるような声が耳に残る。
横で様子を窺っていた高橋が信一郎の顔を見つめて言った。
「帰ってあげなよ。仕事は加藤と何とかするから」
加藤も無言でうなずく。
高橋と加藤は午後の作業に備えて昼食の弁当を食べだした。
信一郎は上司の高田課長の携帯電話にかけて、あらましを説明した。
高田課長も昼食中らしく、口をもぐもぐさせながら後は二人に任せて帰ってあげなさいといった。
これから仕事というところで、なにもせずに帰るのは後ろめたいが、ここは二人に任せるしか仕方がないであろう。
「とりあえず退所手続きはせずに帰る。あとは頼んだぞ」信一郎は二人に言った。
ライトバンは彼らが毎日使うので電話でタクシーを呼び、用意されている弁当を高橋と並んで食べ始めた。
退所手続きをとっていたら、今日中にはここから帰れない。半日とはいえ原子炉内部に入ったので、ホールボディカウンターを受ける予約を入れなければならない。それにフィルムバッチの返却手続きをして、放射線管理者に『放射線管理手帳』を提出し、被爆量のデーター記入捺印をしてもらわなければならない。
退所手続きをせずに帰ったら、後日予約を入れて、手続きをするために戻る必要があるが、今は一刻も早く帰りたい心境であった。それに、もし東京から戻って作業をすることになるなら、退所手続きをしていない方が便利である。
信一郎は呼んだタクシーにゲートのところで乗り込んだ。いつもの警備員がにこやかな顔で見送ってくれる。
途中、民宿に寄って清算し荷物を片付けて駅へ向かった。
時計を見ると十三時過ぎだった、在来線と新幹線を乗り継ぐと東京には夕方の六時ごろに到着する。そのまま病院へ行って父と会おう。
6.
信一郎は父親の背中を見て育ったといっても過言ではない。
物心がついてからというものは、傍にはいつも父がいた。
父は自宅のガレージを作業場にして一人で看板屋を営んでいた。自分から積極的に営業に行くのが苦手な父は、地元の常連さんからの仕事だけをこなして生計を立てていた。
それでも仕事はコンスタントに有ったのか、毎日仕事をしていた。父が家でぶらぶらしている姿を見たことはない。
角材で枠組みを作りスレート板を貼り付け、そこにペンキで文字や絵を書き込んでいく。
出来上がった看板は軽トラックに載せて運び、自分で建物や電信柱に取り付ける。
信一郎もよく一緒に軽トラックに乗ってついて行ったものである。
父が仕事をしている姿を道路の脇にしゃがんでいつまでも飽きずに見ていた。ガレージの中でも父が書いている絵を真似したものだった。たまにペンキで色を塗らせてくれることもあって、子供ながらに、その緊張感に絵筆が震えたことを思い出す。
小学生の頃には、大川さんという若い職人が父を手伝っていた。仕事に厳しい父はいつも、大川さんを大声で叱り付けていた記憶がある。
「大川! この字はなんだ。おまえの根性と一緒で曲がっている。書き直せ!」
そんな言葉を何度となく父に浴びせられても、反発することもなく黙々と父の指図に従っていた。
大川さんは、他の人には無口だったが、小学生の信一郎にはよく話をしたり、“ウルトラマン”の描き方を教えてくれたりした。休憩の時などは信一郎とキャッチボール等をして遊んでもくれた。
「信一郎君は大きくなったら、何になりたいんだ」
「看板屋!」即座に答えることが出来た。
「そうか、じゃあ、僕と一緒に仕事できるなあ」
大川さんの言葉に、信一郎も本当にそうなると思っていた。
しかし、厳しい父に耐えかねたのか、三年ぐらいで父の元を去って行った。
それ以来、父はずっと一人で仕事をしていた。
第七回へ続く