溢れる光の向こう側
第五回
エレベーターで七階まで上がり二つ目のバリアーを跨ぎ、またゴム靴を履き替える。
そこから原子炉棟のハッチの手前に行く。定期点検中なので原子炉は停止していて、ハッチはオープンの状態になっている。これから先は汚染度の高いエリアに入るので、つなぎの作業服の上から特殊な不織物で出来た、つなぎの防塵用タイベックスーツを着る。靴下を一枚穿き替え、ゴム手袋も一枚取り替える。
空気フィルターの付いた半面マスクを着用する。ヘルメットこそフルフェースではないが、見た目は宇宙飛行士のようである。
ここまで来るとお互いに目しか見えないので、息の合った仲間であることが心強い。
「いつ見てもこのマスクを着けると、お前の顔は蝿男のように見えるな」
マスク越しのくぐもった声で加藤は信一郎を茶化す。
「俺が蝿男なら、お前はさしずめゴキブリ男だ」
毎年ここに来ると同じ会話を交わしている。その時によって蜘蛛男になったり蝉男になったりする。
さらに放射線量を測定するためのポケットベルのような、アラームメーターを着用する。
このアラームメーターが鳴ると、その作業者は仕事の途中でも即刻退場しなければならない。今から入る燃料棒保管プールは汚染度こそ高いが放射線量は少ないので、アラームメーターが鳴り出すことはまずない。
三人は数歩ずつ距離をおいて原子炉棟屋に入る。炉心の上部を迂回する。このあたりは放射線が強いので、極力、柱の影伝いに歩くように気をつかいながら、燃料棒保管プールのある部屋の入口に行く。
燃料棒保管プールは小学校等によくある二十五メートルプールぐらいの大きさで、水が一杯張られている。
照明の光線でその水は神秘的なエメラルドグリーンに見える。深さはビルの二階分くらいはあるだろうか。プールを覗き込むと底は蜂の巣状に仕切られていて、燃料であるウラン235のペレットが収納されている、筒状の燃料棒が無数に見える。
水によって放射線が遮られているとはいえ、燃料が見えるというのは、あまり気持ちのいいものではない。
プールサイドには、船に装備されているような浮輪が、ところどころ置いてある。
「あの浮輪の、お世話になる時は人間をやめなきゃならない時だな」加藤が冗談とも本気とも分からないような口調で呟く。
三人はプールサイドから、素早く水中の壁に付いている照明灯を見て周り、切れているのがないのを確認する。
この照明灯は点検日後半に、水位を下げて全数取り替えることになる。
水中の燃料棒を引き抜いて炉に移動させる燃料移送用クレーンが、プールを跨ぐように設置されていて、その水中アームにも照明灯が数基取り付けられている。その一灯が切れていた。
「今日の午後作業で、あの一灯を水中から引き上げてランプと防水パッキンを交換しよう」
信一郎が言うと、加藤はすぐに燃料移送機の側に行き、水中照明ハウジングの引き上げ作業足場と、引き上げたあと作業をするスペースを確認しだした。
「OK、足場もスペースも大丈夫だ。昼からはロープ、ワイヤー、ランプ三個、防水パッキン三個、工具一式、電源ドラム、それに安全帯を用意しよう」
「じゃあ、俺から放射線管理者に作業場周辺の事前養生と、作業後の除線依頼を出しておこう」
信一郎が加藤の言葉を受けて応える。
「判った。俺は作業申請と持ち込み工具の申請、作業内容書、安全チェックシートの作成をしておく」高橋も応える。
いつもの三人の連携である。日頃は意見の相違が出ることもあるが、仕事となると長年培った連携精神が働く。
午後からの仕事のあらましを打ち合わせたあと、三人は昼食と休憩の為に現場事務所に戻ることにした。
戻るだけでもまた時間がかかる。入ってきたときと同じ手順で帰る。ゴム手袋を着け変え、ゴム靴を履き替えてバリアーを越えて脱衣場へ行く。そこで防護服をすべて脱いで、脱衣シューターに放り込む。タイベックスーツ、ゴム手袋は一度使っただけで放射性汚染廃棄物として処理される。再びパンツ一枚になってから、顔と手と足を水で洗浄する。そのまま体表面モニターのゲートで身体汚染検査をする。以前ここで高橋が検査にひっかかり、何度もシャワールームへ行って洗浄し直すということがあった。ロッカールームに戻ると通常の作業服に着替え、TLD測定チップを測定器にかけて、緑ランプがつくと初めて外に出られる。
外は春の日差しが眩しく、信一郎は目をしかめながら新鮮な空気で深呼吸をした。
5.
現場事務所に戻ると、昼食のため戻ってきた作業者で現場事務所はごった返していた。
信一郎に事務の女性が近づいてきて、伝言メモを差し出した。
「おいおい、ここでも女性にもてるのかよ。早くもデートの約束か」加藤が茶化して声を掛ける。
メモには、すぐに会社に電話をするようにと書かれてあった。
いやな胸騒ぎがした。加藤の冗談にも付き合えない。
携帯電話が使える昼休みまで待てずに、事務所に電話をしてきたということは余程の急用が発生したのであろう。
会社に電話をすると、やはり家に電話を至急入れるようにということだった。
信一郎はすぐに携帯電話で家にかけたが誰も出なかった。
続けて銀行マンに嫁いでいる二歳下の妹の携帯電話にかけた。
第六回へ続く