溢れる光の向こう側
第二回
2.
今年もいつものメンバーである、高橋正志と加藤充の三人でチームを組み、一週間の予定で原子炉建屋内の照明設備点検にやってきた。
前日の夕方に東京を車で発ち運転を交代しながら、翌日の九時に発電所に入る行程である。高橋と加藤は運転の役目を終えて、今は後部座席で熟睡している。
半島の先端近くに来ると道路幅は急に広くなり、山のほうに上がる道路が分岐する。その分岐のほうに折れて坂道を登る。抜けるような青空と山の木々の緑に囲まれながらも、それを押しのけようとするかのような、白い原子炉建屋と周辺建造物が見えてくる。近づくにつれて、その威圧感のある建物が人と自然を拒否しているかのように眼前に迫る。
しばらく走ると電動ゲートと警備員詰め所がある。ゲートの手前で車から降りた信一郎は身分証明書を見せて入場者記録に記帳する。
「おはようございます。 ――ご苦労様です」
警備員が日焼けした顔で、にこやかに車両通行許可書を手渡してくれる。
毎日、多くの人がこのゲートを通過して一日の仕事に取り掛かかる。
彼はセキュリティの息苦しさを少しでも和らげようとしているのであろう。全員に同じ様に柔らかな表情を向けているが、目の奥の光には凄みを感じる。
再び車に乗り込んで、電動ゲートが開くのを待って車を走らす。
高橋と加藤もようやく目覚めて、まぶしそうに目をこすった。
俗に“定検”と呼ばれる定期点検は十二カ月毎に一度、原子炉を止めて二、三ヶ月間行なわれる。したがって点検の月は毎年二、三ヶ月ずれてゆき、四、五年で季節を一巡りすることになる。すでに信一郎はこの半島の四季を一通り経験したことになる。
定検期間は点検業者が大挙して入場してくる。その為に、四面あるテニスコートも駐車場として開放されてはいるが、駐車スペースを探すのに苦労する。 特に信一郎達が行う作業は、定検期間の後半にスケジュールされていて、入場作業者がもっとも輻輳する時期でもあった。
信一郎は今回の出張には一抹の不安を抱えていた。
父親が一年前に胸の痛みを訴えてから入退院を繰り返していた。本人に告知はされていないが病名は肺癌ですでに末期であった。半年が山場になると主治医に診断された。
今は小康状態で自宅に帰っているが、いつまた入院になるかも判らなかった。
今度入院すると病院から出られないであろうと、家族の誰もが分かっていた。
本人も薄々気づいているようすで、自分が元気なうちに信一郎の結婚式を見たいと急かした。そういうこともあって婚約者の山下祥子や家族とも相談の上、父親が再入院する前に結婚式を行おうと、急遽結婚式場の予約を入れた。
その結婚式は、この出張が終わった五日後に迫っていた。
「今度の出張なんですが、誰かに代わって行って貰うわけにはいかないでしょうか」
上司の高田課長には結婚式の案内状を渡して、乾杯の音頭をお願いしていた。結婚式の時期が早くなった理由も告げていたので、思い切って相談してみた。
「中島君、君の事情は良く判る。しかし君も知っていると思うが、他の奴も皆んな忙しいのだよ。とっても君と代われるような状態じゃないんだ。お父さんは結婚式に出席出来るぐらいだから、今のところは大丈夫じゃないのか」
「いえ、最近体調が芳しくないようなのです。かなり辛そうにしています。何とか結婚式まではと気力だけでもっているような気がするのです。もしものことがあれば、会社に迷惑を掛けることになると思いますので……」
「そうか、それは心配なことだな。お父さんにもしものことがあれば、それは勿論話は別だ。こちらも対応策を考える。しかし今はどうにも人のやり繰りがつかないんだ。だから頼むよ」
信一郎も今の会社の忙しさを考えると、とても代わってもらえる状態ではないことは判っていた。
それに他の社員たちは、原子力発電所という作業環境を嫌い、極力関わりを持ちたがらない。信一郎の予備人員に指名されないよう、自分たちが持っている仕事だけで手が一杯で、とても人の仕事のサポートが出来ないということを暗に態度で示していた。
「もし君が抜けなければならない事態になっても、高橋と加藤なら二人で何とか作業を続行出来るだろう」
現実的に判断するとそれしかないだろうと信一郎も理解できる。
それに急遽予備人員を登録するにしても、原子力発電所で仕事をするには、『放射線管理手帳』の交付を受けなければならない。
会社でこれを持っているのは、今回出張の三人だけである。
これは放射線管理区域内への入場記録と、被爆履歴等を記載するものである。
信一郎の『放射線管理手帳』には、すでに六回の作業従事記録が記載されていた。
そして実際に入場する直前には『電離放射線健康診断』を受けなければならない。
それ以外に、発電所敷地内に立ち入るためのIDカードの発行を受ける必要がある。
これら諸々の手続きを今から別の社員がとっていると、予定された作業工程に、ぎりぎり間に合うかどうかという微妙な時期になっている。
信一郎はこんなこともあろうかと、以前から予備人員の登録を上司の高田課長に要請していたが、忙しいという理由で取り上げられては貰えなかった。
もっと強く要請をしておくべきであったと、今更ながらに悔やまれた。
第三回へ続く