1.

春の柔らかな朝日のなかを海岸線に沿って車を走らせると、半島の山影から白い建物が見え隠れしてくる。右手の松林越に見える穏やかな湾内の風景には不釣合いな景色である。
 中島信一郎は年に一度ここに通っているが、何度訪れても豊かな自然と乖離した建物に、違和感を持たずにはいられなかった。

半島の付け根から先端に延びる道路が港を過ぎて山道に入る。測定器や工具、部品を満積している上に、大人三人が乗ったライトバンはパワー不足で、山道の登坂はさすがにきつい。
  大きなカーブを切るたびに信一郎はアクセルを強く踏み込む。しだいに高度を上げていくと、湾の向こう岸の道路を走る車に、春の太陽が反射してキラリと光るのが見える。冬場は積雪でタイヤチェーンかスノータイヤが必要となる地域で、特にこの峠越えの区間は勾配がきついので、地熱温水が噴出す融雪道路となっている。原子力発電所建設にあたりこの道路は整備されたが、極力自然環境を壊さないようにとの配慮から、トンネルや高架橋は作られていない。
  湾には大小漁船が白い航跡を引きながら、ゆっくりと進むのが霞んで見える。
  この風景は数年前に立ち寄った原子力PR館のジオラマで、忠実に再現されてあったのを思い出す。

ガラスで仕切られた向こう側に、箱庭のように再現された模型の半島。濃い緑に覆われた山と湾に添って半月状に拓かれた町。おもちゃの小さな車がぎこちなく行き交い、平板な海の上を漁船が動く。大型のフェリーは波止場に横付けされている。半島の先端には白い建物があり[原子力発電所]と名称板が貼られてある。実物よりもジオラマではずいぶん可愛い建物に見える。 
 手元のスイッチを押すと、照明が茜色に変わり夕景となる。ほどなく夜の情景に変わると、原子力発電所から鉄塔を伝って送電された電気によって、クリスマスの飾りつけのように町が煌めきだす。駅を離れた電車がヘッドライトを点けてのろのろ走る。

 信一郎は子供の頃、プラモデルを作るのが好きだった。出来上がったプラモデルを手に持って、しばし想像の世界に浸ることが楽しかったのだ。空想の世界は自由で、無限に広がった。手に取った小さなプラモデルから物語が生まれる。その物語は必ず自分が主人公であった。
  戦闘機のパイロットになり空中戦を演じてみたり、スポーツカーを飛ばして道なき道を走ってみたりした。プラモデルを作り始めると、その製作段階に合わせて心の中のヒーローがしだいに形作られてくる。出来上がるころには自分の分身であるヒーローが、その模型の世界の中で活動する。自分の分身は全知全能のスーパー・ヒーローではなく、傷つき悩み敵と戦う人間臭さを持っていて、最後は必ず逆転して勝利を得るのだった。

  ジオラマを見るとそんな懐かしい思いが甦ってくる。子供の頃の自分がこのジオラマを見たなら、ゴジラに踏み潰されようとしている原子力発電所を守ろうとする科学捜査隊員にでもなっただろう。
 父は楽しそうに一人で遊ぶ信一郎によくプラモデルを買い与えてくれたものだった。信一郎は、看板屋の父が仕事で使っているペンキを借りて、自分だけの色づけをして、父に褒められるのが嬉しかった。
 今の子供たちはコンピューター・ゲームでリアルに疑似体験できるが、その反面フィギアも人気が有るということは、やはり想像を広げる立体的な分身が欲しいのだろう。
 そんなことを考えながら車を走らせていると、すでに峠を過ぎて海岸線に下りてきていた。
 ジオラマと違って現実は風があり、太陽の温度があり、潮の臭いがあり、人の生活感がある。

現代人にとって電気のない生活は考えられない。資源の乏しい日本にとって、原子力発電による効率の高さと、将来に対して完全には拭い去れない不安との天秤は、議論し尽くされない問題である。しかし信一郎は、こうして仕事の一部として訪れる以上は安全に全力を尽くすのみだと考えている。

 道路の両側には漁業のかたわら、民宿を営んでいる建物が増えてくる。釣り客や夏場の海水浴客を目当てにするだけではなく、年に一度の原子力発電所定期点検に出入りする作業員の宿泊を当て込んでいるのはあきらかである。原子力発電所建設にあたり、地元漁協を通じて渡された、漁業補償金を利用していると思われる立派な鉄筋造りの民宿も数多くある。
 信一郎達もそういう民宿の一軒を常宿として、今回も予約を入れている。

                第二回へ続く

溢れる光の向こう側

    
第一回