と、ここまでレーベル・オーナーとして語ってもらったわけだが、より話の輪郭を明確にせんと、竹村氏個人のことについても話題は及んでいく。



C: 『こどもと魔法』のリリース時によく、「DJミュージックのつもり」なんていう発言をされてましたけど。

 

T:DJっていうのは僕の中ではこどもに凄く近いものなんです。譜面書いたり、メロディ弾いたり、伴奏して歌ったりするのと違って、DJって音の内部から何かを表現するっていう考え方ではないじゃないですか。あるものを、ほんと、素手で掴み取るっていう感覚というか。それがDJ感覚なんですよ、ぼくにとって。 あのアルバムは譜面から書いた曲もあれば、いろんな方法で出来てるんだけど、最終的に一口で言っちゃうとカットアップ的な感じで並べてあるので、そういう意味でDJミュージックって言ってたんですよ。世の中のDJミュージックが僕にはわからないっていう皮肉もこもってるんだけど。


C:DJミュージック、DJ的観点というと、足し算的なもの・・・あれとこれを足して・・・っていうのを想像させるんですけど、竹村さんに関しては、このあいだの Child's View 名義のものにしてもそうですけど、ちょっと引き算っぽい印象を受けます。
  T:そうですね。全てにおいて演出されてるものが嫌いみたいで。なんか音そのもの、飾ってない・・・和音とかでもテンションがはいってないシンプルな和音とか好きみたいで。そうすると、どんどん音がへっちゃうし。

C:人間は自分の中にあらかじめあるもの、なにか過去の音楽体験を下敷きにしてじゃないと、別の新しいものを作り出すことは不可能だという気がするんですが、竹村さんにとってのその「なにか」はそのDJ観だとか、ヒップホップであると考えて良いんでしょうか。

 

T:それはなにか「作ろう」と思うから駄目なんですよ。遊んでる感覚でだらだらなんかやってれば、何か出てくるっていうか。それは誰でもね。そういう遊びの感覚っていうか気負いの無さって、そこが好きだったんですよ。ヒップホップって。皆なんか適当に黒人の人達がありもので・・・お金なかったからっていうのはちょっと嘘っぽいんだけど・・・みんなで騒いでスクラッチしだしてっていう、そういうのは魅かれますよね、なんか。誰かに観てもらうためとかじゃなくて、楽しむためにやってたわけだし。それを誰か商売人が「新しいね」って言うかもしれないいけど、やってる本人達は気付いてないっていう(笑)。そういうもんじゃないですかね。


C:それが竹村さんの言う「こども」っていう感覚に繋がるわけですか。

 

T:そうですね。まさに、そうです。そういうことが出来る人っていうのは聴く耳も持ってると信じてるんで。何かに追われて、何かの為にやってる人っていうのは、そういう(面白い)音がたまたま出たとしても無視してると思うし。その違いじゃないですか。だから、こういう純粋な音を聴いて、プロのミュージシャンとかが「昔は俺もこうだったんだな」って想い返してくれれば凄い嬉しいです。


C: そういう感覚や先程のDJ観のようなものがレーベルのディレクションに関しても作用していると考えて良いんでしょうか。

 

T:実際のDJをやるときには、なんだかんだ言って制約が多いんですよ。正直言ってぜんぜん好きなこと出来ない。だからDJの表現に純粋に一番近いのは、チャイルディスクの運営のほうかも知れないですね。


 



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