竹村延和〜チャイルディスクの音は抽象である、と言ってしまおう。
しかしそれは直接的なことばの意味に於いて・・・つまり、核の部分をぼんやりと不定形に表わすという通俗的意味合いに於いて語ろうというのでは、勿論、ない。
その音は、チャイルディスクの音そのものは、むしろ遥かに具体的に響く音であるのだから。 これらの楽音的ならざる素直な音の表現を耳にしては、もはや伝統的に用いられる「聴く」という表現も適切ではなくなるのかもしれない。本来ならば、より日常的な場面で用いられるはずの「聞く」という言葉のほうが、ここではしっくりくるようにも思えてくる。「聴く」ということばには多分に、「作品を通して別のなにかを読み取る」ようなニュアンスが強すぎるのだ。音楽に「別のなにか」が介入する余地など有っただろうか。現実に空気を揺さぶる音塊のほかに、なにが有ったというのか。もし別のなにかが一次的に生まれ出るとしたら、それは音楽それ自体からではなく、我々の形骸化されきった頭のほうではないのか。 彼等のあまりに直接的な「具体」そのものの音楽は、あまりに「具体」的でありすぎるが為に、現実的な音楽のマーケット上、カテゴリー上では「抽象」でいるしかない。そう、これはいささか背理的な意味を含んだ抽象表現なのである。

竹村氏は作曲家〜クリエイターとしての側面が強いが、上記のような現状を踏まえ、今回は敢えてレーベル・オーナーという立場から質問に答えてもらうことにした。


 



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