猫
第二話
「あーまた負けちまったよ・・・」
春の昼下がり。
男はため息をつきながら帰路についていた。
パチンコに負けたショックのせいかその足取りは重い。
白のTシャツにボロボロのジーンズ。
茶髪で無精髭。
手には透明なA4サイズのクリアケース。
その中には経済学や英語の教科書とノートが入っている。
どうやら大学生のようだ。
「はぁー今月生活やばいよ・・・」
少ない生活費を増やそうと思い、朝から並んだパチンコ。
しかし、その甘い考えがアダとなった。
結果、2万マイナスの惨敗。
親の仕送りはあと2週間後。
今後の生活のことを考えると自分が行った行動への後悔でやりきれなかった。
「・・・また由香に借りるしかないな・・・」
小さくぼそっとつぶやく。
由香とはもちろん彼女のことだ。
大学に入学してすぐに付き合い始め、かれこれ1年になる。
気が強くてワガママだが甘えん坊。
大学のテストや生活の面でいつも助けてくれた。
男はジーンズのポケットから携帯を取り出す。
発信履歴から由香の番号を見つける。
10日前の発信履歴。
ディスプレイには由香の携帯番号。
しかし、男は発信ボタンを押せないでいた。
「・・・まだ・・・怒ってる・・・だろうなぁ・・・」
さかのぼる事10日前。
その男−祐二は由香と喧嘩した。
原因は由香の誕生日を忘れていたこと。
恋人にしてみれば最悪の事態である。
明らかに自分が悪かった。
それはわかっている。
でも、由香の言い方が気に入らなかった。
ひどい言い方だった。
逆上した祐二は無言で彼女の家を出た。
「ごめんなさい」という一言。
それが言えなかった。
何度も連絡を取ろうとした。
でもできない。
「あいつがあんな言い方するからだ・・・」
自分勝手に責任転嫁し、由香からの連絡を待っていた。
当然、連絡が来るはずがない。
端から見れば変なプライドである。
それ以来連絡を取っていない。
いや、取れなかった。
また逆上しそうな自分がいて。
そして、ますます2人の関係が険悪になりそうで。
そう考えるといつも携帯の発信ボタンが押せないでいた。
ただでさえ、この状態なのに、
「お金を貸してくれ」
なんて言える訳がないよなぁ・・・
祐二は携帯をジーンズに無理矢理押し込んだ。
もう一度、深いため息をつくと再び足取り重く歩き出した。
小さな脇道から大きな商店街へ繋がる角を曲がろうとしたときだった。
「ごんっ!!」
自分の右足に何かがぶつかった。
足元を見ると、小さなトラ猫が鮭の切り身を加えたまま気絶していた。
「ん〜なんだぁ〜この猫・・・ぶつかってきやがったぞ」
祐二はしばらく猫を見続けた。
身動き一つしない猫。
しゃがみこんで猫のお腹のあたりふにふにと触ってみる。
反応なし。
頭をぐりぐり。
それでも反応なし。
そんなことをしているうちに祐二の顔が歪み始めた。
「・・・・ぷぷっ!!ぎゃははははは〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!」
地面に座り込んで爆笑。
目に涙をため、腹を抱えて大声で爆笑した。
商店街にいた人達が何事かと伺う。
こんなドジな猫、初めて見た。
自分の足元で気絶している猫がおかしかった。
しかも鮭の切り身を加えながら・・・
その姿がさらに笑いを誘った。
そこへ魚屋の店主がやってきた。
包丁を振り上げ、息を切らせて祐二の足元にいる猫を見下す。
そして、ドスの聞いた口調で祐二に問う。
「あんちゃん、この猫捕まえたのか?」
その問いに祐二は爆笑しながら答えた。
「ヒィーヒィー・・・いや、この猫俺にぶつかって・・・勝手に・・気絶した・・・
ぶははっ!!」
自分でまた言って爆笑する。
どうやら笑いのツボにはまったようだ。
そんな爆笑する祐二を尻目に店主は猫を摘み上げる。
それを見て祐二は急に笑いと止めて立ち上がった。
「お、おっちゃん、その猫どうする気?」
「あぁん?こんな泥棒猫、保険所に突き出して三味線の皮にしてやる!!」
しゃ・・・三味線の皮になるのか・・・?
祐二、心の底でツッコミを入れる。
そして、ポケットから財布を取り出し、中を見る。
全財産8927円。
これで今月をしのがなくてはいけない。
財布から1000円取り出すと店主の前に差し出し、こう言った。
「おっちゃん、この猫が盗んだ鮭の切り身、俺が買うよ。
だから、その猫放してあげてよ。」
「なにっ??お買い上げいただけるのですか?」
店主の表情が急に明るくなる。
なんで敬語なんだよ・・・
再び心の中でツッコミを入れる。
店主の問いに祐二は大きく頷いた。
「ま・・・まぁ、それなら許してやるよ」
しゅばっ!!
店主は全日本百人一首カルタ大会のような速さで1000円札を取り上げる。
そして、猫を祐二に渡した。
あっけに取られる祐二。
店主は千円札を見つめ、顔をくしゃくしゃにして喜んでいた。
「お買い上げ、ありがとぉぉ〜〜〜うっ!!!」
親指をグッ!!と立てて店主は高らかにスキップしながら自分の店へと帰っていった。
「面白い店主だ・・・これからはあそこで魚を買おう」
祐二はスキップしている店主を見つめ、しみじみそう思った。
ふと手元にいる猫を見る。
可愛い奴だ。
その寝顔を見ているだけで安心できる。
気が付けばパチンコで負けたことなんて忘れていた。
「うちのアパート、動物禁止だけど何とかなるだろう・・・」
猫を抱きかかえながら祐二は家へと帰っていった。
こうして、俺はこいつと共に生活することになった。