Spacetime 2004~

Gravitation and Cosmology

Abstract

[日本科学哲学会2005年大会,シンポジウム「相対性理論100年」でのわたしの報告に基づいた論文]


重力理論と宇宙論

アインシュタインとド・ジッターの論争から膨張宇宙論へ

内井惣七

1. はじめに

 相対性理論を扱うとき,一つの標準的なやり方は,(1)特殊相対性理論,(2)一般相対性理論(重力理論),および(3)宇宙論,と三つの分野を分けて,段階的に進んでいくことである.本論では(2)および(3),とくに(3)を中心に論じてみたい.もちろん,国際物理年をうたって,すでに物理学の分野では様々な催しが行われたので,科学哲学では「哲学的視点」を強調した論じ方をするのが本筋であろう.そこで,本論では,相対論的宇宙論を始めたアインシュタインとオランダのド・ジッターの論争から,1980年代のインフレーション宇宙論までを射程におさめて,哲学的に注目すべき論点をいくつか拾いだしてみたい.

2. 一般相対性理論のおさらい

 特殊相対性理論と一般相対性理論の基本は,内井(2004)で哲学者向けにていねいに解説してあるので,ここでは概略のみをおさらいしておけば十分であろう.まず,特殊相対性理論は慣性系のみに限定された理論なので「特殊」という形容詞がつけられているのだが,「自然法則はすべての慣性系で同じである」という相対性原理と,「光は,真空中で,光源の運動にかかわらず,すべての方向に一定速度cで伝わる」という光速度一定の原理を中核とする.これら二つの原理から,異なる二つの慣性系の間でのローレンツ変換の式が導かれ,同時性の相対性やその他の相対論的特質が導かれることは周知の通りである.また,これらすべての特質がミンコフスキ空間において幾何学的に表現できることも言うまでもない.ミンコフスキ空間で成り立つ時空の幾何学は、ローレンツ変換を成り立たせるメトリック(計量)で特徴づけられるので、「ローレンツ幾何学」と呼ばれるべきものである.直交座標系など、特定の座標系を選んだだけではまだ幾何学は決まっておらず,メトリックが導入されて初めて幾何学が決まるということも、この段階で確認しておきたい.さらに,古典力学での慣性系とはっきり区別するために、特殊相対性理論での慣性系は「ローレンツ系」と名づけ直して、混同が生じないようにしておきたい.

 アインシュタインは,重力理論に向けての歩みを1907年に始め,ようやく1915年に重力場方程式にたどり着いて「一般相対性理論」が完成する.この方程式は,重力現象すべてを規定するものであり,時空の曲がり方を記述するテンソルGと運動量-エネルギーの分布を記述するテンソルTとを関係づける

(1)G = κT

という形の微分方程式である(κは定数).これは,簡単に言えば時空と物質分布とが相互依存的に決まることを述べるものである.また,重力場と時空とは分離不可能なものとなる.重力場は,方程式の解から得られるメトリックによって決定され,これが時空構造を決めることになるのである.

 通俗的な解説によれば,一般相対性理論の構成原理は、重力場と加速度の存在を同一視する「等価原理」と,相対性を一般化した「一般相対性原理」である言われることが多いが,科学哲学をやる者は,このような不正確で誤解を招きやすい言辞に惑わされてはいけない.等価原理は微小領域に限定されていることに注意しなければならないし,「一般相対性原理」は特殊相対性理論の相対性原理(物理的内容を持つ)の一般化ではありえない.正確には、「重力法則は選ばれた座標系によらず同じ内容を持たなければならない」という一般共変性,いわば数学的条件が,ここで意味されていることなのである.これについても内井(2004)で詳しく解説したので省略する.

 以上,初心者が引っかかりやすいポイントをクリアーした上で,ここではっきり確認しておきたいのは,重力場方程式を解くには,星の質量などの初期条件に加えて,境界条件と呼ばれる(外から持ち込まれなければならない)ものが必要になることである.たとえば,一般相対性の教科書で必ず出てくるシュヴァルツシルトの(外部)解では,均質で回転しない星の周りの重力場を求めるにあたって,星の質量(初期条件)に加えて,この星がどこまで行っても空っぽの空間に置かれていて,「無限遠点で時空がミンコフスキ時空になっている」という境界条件が必要である.そのため,方程式自体はあらかじめ前提された外枠(座標系)に依存しない(一般共変)にもかかわらず,その方程式の解は,このような境界条件を通じて,外枠に依存するものとなるという事態が生じるのである.

3. アインシュタインの球形宇宙

 アインシュタインが1917年の論文で宇宙論的考察に踏み込んだ一因は,以上で確認した境界条件の問題である.もう一つの理由は,マッハの影響もあって,アインシュタインが,宇宙の時空構造は物質分布のみによって決定されることが認識論的に望ましいと考えていたことによる.簡単に言えば,彼は重力場方程式(1)の右辺から左辺が(因果的に)決定されるはずだという考えにとらわれていたのである.後知恵からすれば,これを実現することは重力場方程式の本性上(先に述べたように,両辺は相互依存関係にあって、一方が他方を因果的に決めるという類のものではない)不可能なのだが,アインシュタインは自分の方程式の意味をいわば誤解していたのである.その誤解をもととして,オランダの天文学者ド・ジッターとの間で論争が生じ,後世の宇宙論にとって重要な種がまかれることになった.この論争の詳細に立ち入ることは避け(Kerszberg 1989 参照),重要な部分のみをかいつまんで紹介してみよう.

 アインシュタインは,重力を考慮に入れた宇宙論では一つの難点が生じることを指摘する.ニュートン的な万有引力が働く世界では,物質が相互に引き合って,いずれ中心に大きな塊を作ってしまうかもしれない(ニュートン自身,この問題に苦慮した).たとえば,無限の空間中に無限の物質が分布していたとしても,位置(ポテンシャル)エネルギーを決めるポアッソン方程式で無限遠点の境界条件をニュートンの万有引力に合致するように設定すれば,ある限界の外側では物質の平均密度がゼロになって,無限の空間中に一つの島宇宙ができてしまうことになる.この,明らかに現実の宇宙とは合致しない描像を避けるためにはニュートンの逆二乗法則に恣意的な手直しが必要となってくる.では,アインシュタインの新しい重力理論ではどうだろうか?

 この問いに立ち入る前に,アインシュタインがこの考察で導入した前提を述べておかなければならない.「明らかに現実の宇宙とは合致しない」と言うためには,現実の宇宙を特徴づけている少なくとも大局的な描像が必要である.そこで,彼は大胆な単純化によって次の二つの前提を置いたのである.

(2)宇宙は,大局的には一様(物質分布がどこでも等しい密度)で,どの方向でも等しい(等方的).               

(3)宇宙の状態は,大局的に見れば時間的に変化しない.

(2)は現代では「宇宙論原理」と呼ばれるもので,まだ生き残っているが,(3)は静的宇宙を仮定するもので,現代では却下されている.

 これらの前提のもとでアインシュタインがたどり着いた解決策は,空間的に有限だが境界がなく,閉じた宇宙である.ニュートンが想定したような無限のユークリッド空間では解決が難しいが,アインシュタインの重力理論は非ユークリッド的な空間,とくに閉じたリーマン空間を物理的に可能にした.そして,宇宙論原理を仮定すれば,対称性の考察によって球形の宇宙に到達するのである.このような有限の宇宙であれば、無限遠点での境界条件の問題は生じない,とアインシュタインは結論したのだった.しかも,彼がマッハから引き継いだと考えた条件,時空の構造は物質の間の相互作用から(外枠を必要とせずに)生じるべきであるという条件も,宇宙論原理に含まれる対称性(宇宙の中のどの部分も同等である)によって,どの部分についても(大局的には)同等に満たすことができる.これが彼にとって大きな魅力だったはずである.

 しかし,そのためには重力場方程式に少々の変更が必要であった.もとの方程式では,宇宙が有限で閉じることは難しい.そこで導入されたのが宇宙定数Λのかかった宇宙項である(一般共変性を満たすためには.メトリック・テンソルにかかる係数は定数でなければならない).このΛに与えられる物理的意味は,ニュートンの重力理論で生じた難点に即して考えてみればわかりやすい.万有引力によって,無限の宇宙でも物質は中心部に島を形成したのである.これを妨げるためには引力に対抗して収縮を押さえるファクターがなければならない.アインシュタインのΛもそれとほぼ同じ役割を担うわけだから,引力に対抗する斥力を生み出すわけである.しかも,Λは重力現象すべてを決定する方程式に現れるわけだから,この斥力も重力の一種だと見なされなければならない.

 アインシュタインのこの方策は,ある意味で苦し紛れのような方策に見えるかもしれない.しかし,苦し紛れであったにせよ何にせよ,この方策がもたらした概念的な変革こそ,アインシュタインが宇宙論にもたらした最大の功績ではなかったか,というのがわたしの言いたいことである.ニュートンの重力理論では,重力が斥力として現れる可能性は排除されていた.アインシュタインの場合、もとの方程式でも圧力(これは(1)式右辺のテンソルに含められる)の向き(外向きか内向きか)によって斥力が生じる可能性はすでに確保されていた.しかし,相対論的宇宙論の歴史をざっと眺めわたして言えることは,まさに宇宙定数Λこそ斥力としての重力を目に見えるものにした張本人だったということである.もっとも、この功績をアインシュタインだけに帰属させるのは公平ではない.彼のアイデアに対するド・ジッターの反論と,ド・ジッターがアインシュタインの球形モデルの対抗馬として提案したモデル,「ド・ジッター宇宙」にも功績の少なくとも半分を分け与えなければならない.

4. ド・ジッター宇宙

 ウィレム・ド・ジッターは,一般相対性理論を英語圏に広めることに大きく貢献したが,重力場の方程式について,ある意味でアインシュタイン本人よりも深く理解していたかもしれないと言われることがある.その理由は,アインシュタインとの論争をある程度追跡してみれば納得できる.本論の2節末で指摘した,重力場方程式自体とその解との区別(一般共変性について)は、基本的にド・ジッターが明確にしたものである.彼とアインシュタインが1916年から1917年にかけてかわした論争の往復書簡では,「慣性の相対性」という紛らわしい表現が頻繁に出てきて,これが両者の間での中心的な論点に関わるのだが,ここでは(わたし自身の信念と好みで)この表現は避け,別の言葉で争点を言い直してみることにしたい.

 アインシュタインの1917年論文に対するド・ジッターの批判論文は,同じ年に出版されている.この論文で,ド・ジッターはアインシュタインが宇宙項Λを導入するに至った経緯を簡潔に解説したのち,アインシュタインがこだわったマッハ流のアイデアを痛烈に批判する.アインシュタインは,彼の球形宇宙モデルで,基本的に「物質なくして時空構造なし」という立場を表明しようとしたのに対し,ド・ジッターの戦略は「物質なしでも時空構造が生まれる」ということを,宇宙項を含む修正された重力場方程式に即して(宇宙の平均物質密度がゼロでも解があることを)示すことだった.そのような時空構造がのちに「ド・ジッター宇宙」と呼ばれることになった彼のモデルである.ルメートルやフリードマンの膨張宇宙論が出るまで(1930年代)の間,アインシュタインの球形宇宙とド・ジッター宇宙が相対論的宇宙論の業界を「あれか、これか」で支配したのである.

 ド・ジッター宇宙は,このような歴史的役割を果たしただけでなく、実に1980年代のインフレーション宇宙論とも関係が深いので,もう少し詳しく解説しておく値打ちがある.ド・ジッター宇宙では、時空の構造を決めることに物質(平均密度ゼロゆえ)はまったく貢献せず,宇宙定数Λが時空の曲がり方を決めることになる.簡単に解説してみよう.すでに触れたシュヴァルツシルト解では,星の質量(長さの単位に換算してはかる)をMとして,シュヴァルツシルトの極座標をとれば,

1 − (2M /r)

というファクターが時空を曲げる(時間座標にはそのままの係数として,半径座標には逆比例の係数としてかかる).これに対し、ド・ジッター宇宙では,同じような極座標において,

1 − (1/3)Λr^2

というファクターが時空を曲げる(ド・ジッターのメトリックについて,詳しくは適当な相対論の教科書を参照されたい). そこで,一般相対性においては時空の曲がり方すなわち重力場の構造となるので,「物質なしでも時空構造が生まれる」という彼の主張が出てくるわけである.

そして,話はこれだけでは終わらない.当初,ド・ジッター宇宙の定式化はアインシュタインの静的宇宙の対抗馬として提出されたので,やはり静的宇宙だと見なされたのだが,エディントンやロバートソンによるその後の研究の結果,実は動的宇宙(膨張宇宙)と見なしてよいことがわかってきたのである.というのは,複数のテスト粒子(物質の平均密度がゼロということは、物質粒子が存在しないということを意味しない)の運動を調べると,時間が経つにつれ,これらは分散していくことがわかる.ロバートソンによる動的な定式化によれば(一般相対性では座標の取り方は自由であることに注意),この分散の度合いは指数関数的に大きくなっていくのである(そこで,アラン・グースのインフレーション宇宙論で再現する).テスト粒子の軌跡は「測地線」にほかならず,内在的な時空構造に即したものだから,ド・ジッター宇宙は,実は膨張宇宙であり,その膨張のもとは宇宙項Λだったということなのである.つまり,斥力としての重力が宇宙を膨張させるということになる.われわれは,後知恵によってそのことがよくわかる立場にいるが,以上のようなことが明らかになるにはかなりの時間を要したのである(Ellis, 1989参照).

5. 膨張宇宙論

 膨張宇宙の可能性を初めて展開したのはアレクサンドル・フリードマン(1922年と1924年の論文)であるが,歴史的には,ハッブルによる観測宇宙論での業績(ハッブルの法則)と,ルメートルの無視されていた仕事を評価して広めたエディントンの貢献が,膨張宇宙論を表舞台に出したと考えられる.ハッブルの業績はよく知られているので解説は省くが,彼の有名な1929年の論文末尾では,遠くの銀河のスペクトルの赤方偏移に言及した際に、ド・ジッターのモデルが挙げられていることを注意しておく(ド・ジッター宇宙では赤方偏移が生じる).以下では,相対論的宇宙論における概念的な変革という点で哲学者にも興味深い,ルメートルとエディントンの業績を紹介したい.

 すでに述べたように、1930年頃までアインシュタインの球形宇宙とド・ジッター宇宙は,「あれか,これか」という対立関係にあると見なされてきた.この見方を打破したのがルメートルである.彼の1927年の論文(エディントンの勧めで1931年に英訳版が出た)では,二つのモデルが動的宇宙論の中で,両極端に位置づけられうることが指摘される.すなわち,アインシュタインの球形宇宙が何らかの原因で膨張を始めて物質密度が小さくなっていけば,極限として密度ゼロに近づくはずである.その極限がド・ジッター宇宙にほかならないというわけである.この論文を読み直して感銘を受けたエディントンは,アインシュタインの球形宇宙が実はきわめて不安定な平衡状態にあって,ほんの少しの状態変化で収縮にも膨張にも転じうることを証明したのだった(Ellis 1989).こういった動きによって「あれか,これか」の偏見は打破され,膨張宇宙論が盛んになってくる.フリードマンが再発掘され,ロバートソンやウォーカーといった,宇宙論では今や古典となった人々の仕事が続々と現れる.特異点から膨張を始める宇宙のモデルも,もちろん考察の対象となってくる.

6. 宇宙の初期条件は?

 さて,フリードマンやルメートルの膨張宇宙論では,宇宙の初期条件,たとえば物質がどのような形で与えられているのか,がいわば天下りで前提されていることに注意しよう.これは,アインシュタインやド・ジッターでも同じである.静的宇宙であれ,動的に進化する宇宙であれ,この時期の宇宙論では物質は(宇宙全体から見れば)チリのような粒子と見なされて,最初から適当な量が存在していると仮定されている.核分裂や核融合,あるいは素粒子論など,核物理学の知見がまだ出ていなかった時期なので,これはやむをえないのである.しかし,原子爆弾が開発され,水素爆弾の可能性も現実味を帯びてきた時代になると話は別である.初期宇宙の状態や,元素生成や銀河の形成についても宇宙論が立ち入れる時代がやって来る.これの先鞭を付けたのがジョージ・ガモフと彼の弟子たちである(ガモフはマンハッタン・プロジェクトにも関わっていた).

 アルファー,ベーテ,ガモフ連名の論文(1948)を皮切りに,ガモフと弟子たちは,いわゆる「火の玉」宇宙論を提唱し,初期宇宙を論じ始める.これがビッグバン宇宙論であり,膨張宇宙論に元素形成や銀河形成のシナリオを組み込むものだった.要するに、重い元素は星の中でしか合成できないので,初期宇宙では水素とヘリウムを主とした軽い元素が合成されなければならないはずで,そのためには核融合が必要だから,初期宇宙はとてつもなく高温でなければならなかった,というわけである.それによって,これまでの膨張宇宙論で天下りだった物質の生成が,少なくとも一部は天下りでなく説明可能な問題に変えられた.

 しかし,科学的宇宙論であるためには,このシナリオから検証可能な帰結がいくつか導きだされなければならない.その目玉となるはずのものが「宇宙背景放射」だった.初期宇宙は微小で高温だから,エネルギーの大部分は放射の形であり,宇宙全体はすぐに熱平衡状態になっているはずである.とすると,プランクの量子仮説のもととなった空洞放射,あるいは黒体放射という,特有のスペクトルを発したはずで,宇宙が膨張で冷えていっても,このスペクトルは低い温度(つまり,放射の波長がのびて低エネルギー状態)でまだ残っているはずである.これが宇宙背景放射である.アルファーとハーマンはこの計算を1949年の論文で発表し,5°Kという数値をはじき出していたのだが,1960年代にはこれは忘れられていた.

7. 宇宙背景放射の発見と未解決問題

 その後の話はすでに有名なので,ここでわざわざ繰り返す必要もないだろう.宇宙背景放射は1965年に,いわば偶然によって発見された.プリンストン大学の物理学者ディッキーのグループは,宇宙背景放射を予測して検出しようとしていたのだが,ベル研究所のペンジアスとウィルソン(この分野では素人)に先をこされてしまったのだ.ただし,ディッキーのグループで宇宙背景放射の計算をしたピーブルズは,ガモフのグループの昔の仕事を知らずに計算し,やや高い数値10°Kを予測していた.

 この発見によってビッグバン宇宙論の信憑性は高まったが,いくつかの未解決問題も同時にクローズアップされた.わたしが今まで長々と「ポピュラーサイエンス」まがいの解説をしてきたのは,ここにつなぐためである(また,物理学を知らない「科学哲学者」が日本には多すぎるためでもある).未解決問題の一つは「地平問題」である.宇宙背景放射は空のあらゆる方向からほぼ一様に来る.しかし,相対性理論によれば因果作用が伝わるには光速という限界があるのだから,この一様性は説明を要する.光さえ届く余地のない,宇宙の中で遠く離れた二つの場所からいったいなぜ同じ温度の放射がくるのだろうか.ビッグバン宇宙論はこの説明を持たない.

 もう一つの未解決問題は「平坦性問題」である.現在の宇宙では,ニュートンの慣性法則がどの方向でも成り立っていると言っていいほど、大局的にはユークリッドの平坦な空間に近い.しかし,膨張宇宙論によれば,宇宙の大局的な構造,曲がり方は,宇宙に含まれる物質の密度に依存して決まる.専門家の慣例にしたがい,平坦な宇宙での物質密度を基準として,ある宇宙の物質密度とそれとの比率Ωが1より大きいか小さいかで宇宙のタイプを区別するのが便利である.このΩが1より大きければ閉じた宇宙(やがて膨張は収縮に転じてビッグクランチに至る)、小さければ開いた宇宙(どこまでも膨張して発散する)である.ではなぜ、現にある宇宙は平坦性にかくも近いのか?これはライプニッツの充足理由律の要求(物事はなぜこうであってほかのありようではないのか,十分な理由がなければならない)の再現である!

 平坦性を実現する宇宙では、初期宇宙の条件がきわめて厳しく制限されることに注意したい.われわれの宇宙のΩは,観測からの推定で 0.1と2の間だといわれている.「これはずいぶんと大まかな話で、これで平坦に近いと言えるのか?」と疑問を感じる向きがあるかもしれない.しかし,われわれの宇宙の年齢は推定で約 137億年であることを想起しなければならない.膨張宇宙でこれだけの時間が経って,前述の幅に収まるためには,ビッグバン直後1秒の時点で,Ωの値が小数点以下15桁にわたって1と区別できないということなのである.この15桁目を10等分したとして,その目盛りが4つ大きい方へずれると現在の宇宙のΩは2を超えてしまうし,4つ小さい方へずれるとΩは0となってしまう(Guth 1997, 25).いったい,何がこのファインチューニングをもたらしたのか?ビッグバン宇宙論はこれにも答えられない.

 そして,そもそも,ビッグバン宇宙論は,「ビッグバンとは何であり,なぜ,どのようにして起きたのか?」という問いに答えられないのである.前の時代の膨張宇宙論が天下りで仮定したことにはいくつか説明を与えられたが,ビッグバンそのものは天下りで仮定せざるをえなかったのである.

8. インフレーション宇宙論

 以上のようなビッグバン宇宙論の弱点に関して,1980年代に入って一つのブレイクスルーが生じた.それがインフレーション宇宙論である.すでに4節で予告した通り,ここで60年以上前のド・ジッター宇宙が再現し,アインシュタインが「わが生涯最大のチョンボ」と嘆いた宇宙定数の意義が改めて見直されることになるのである.インフレーション宇宙論には,わが国の佐藤勝彦氏をはじめとして多くの人々の貢献があるが,誰か一人を取り上げるとなると,やはりアラン・グースを代表とするのが穏当なところであろう.というのも,彼の出世作となった1981年の論文は,「地平問題および平坦性問題のありうる解決」と題されており,本論の趣旨にぴったりだからである.

この最初のインフレーション理論にはいくつかの不備があって「誤りだった」とグース自身も認めているが,だからといってブレイクスルーの意義が失われるわけではない.その後の改良されたインフレーション理論でも、シナリオの基本線はおおむね保たれているからである.インフレーション理論の出発点は,素粒子論の「大統一理論」である.これは,電磁力と原子核内の弱い力(中性子から電子が一つ放出されて陽子になるという弱い相互作用の力)を統一した「電弱理論」(ワインバーグ,サラム,グラショウ)の成功を受けて,強い相互作用(陽子と中性子は核内で中間子を交換し合って結びついているという湯川理論が最初の成功例)の力も同じようなシナリオで統一しようという試みである.

その基本思想は,高温(高エネルギー)状態では無差別(対称的)だったものが,ある温度以下になったときに分化して異なったものになる(対称性が破れる)ということである.このような力の分化は,重力も含めると計3回あったはずだということになっていて,宇宙あるいは真空の「相転移」と名づけられている.もちろん,この相転移を説明するためにはある仕掛けが必要であるが,それがヒッグス場とヒッグスメカニズムと呼ばれるものである.そこで,インフレーション宇宙論のシナリオは,ビッグバン宇宙論にこのヒッグス場を持ち込むことによって,初期宇宙の高温と膨張の由来(つまり,ビッグバンとは何であり,どのようにして起きたか)を説明し,合わせて二つの未解決問題,地平問題と平坦性問題も解決しようということになる.

では,その核心部分はどこにあるのだろうか?ビッグバン宇宙論の弱点は,光さえ伝わらないはずの宇宙の諸部分がなぜほぼ同じ状態になりえたか,なぜほぼ平坦になりえたかというところにあった.宇宙創成後1分や3分のスケールで推定された(標準的ビッグバン宇宙論による)膨張の速度では,この弱点は克服できないのである.そこで,もっと急激な膨張,加速的な膨張を初期宇宙に仮定できれば何とかなりそうである.ただし,この膨張は,のちの元素生成,宇宙背景放射,あるいは銀河生成などのシナリオとつじつまを合わせるために,宇宙誕生直後,ごくごく短時間の間でなければならない.どれくらい短いかというと,(グースの最初のシナリオでは)おおよそ10のマイナス35乗秒の近辺である.このときまでに,極微の初期宇宙が前の段階の2倍,2倍と大きくなる膨張を100回ほど繰り返す(その結果、約10の30乗倍となる)という凄まじい加速膨張ができたなら,地平問題も平坦性問題も解消する.そして,この加速膨張すなわち(グースのうまいネーミングによる)インフレーションが終わったところで,標準的なビッグバン宇宙論にスムーズにつなぐことができる.これが核心部分である.

もちろん,このシナリオをきちんとした物理学で埋める作業が必要であるが,それを解説する前に,インフレーションによってなぜ二つの問題が解決できるかをきちんと理解しておく必要がある.まず,平坦性の方が理解しやすい.ビッグバン後1秒時点のΩは,なぜ1とほとんど区別できないほど平坦性に近くなったのか.インフレーション前のΩは,1000でも1000000でも,0.1でも0.000001でも差し支えなくなったのである!インフレーションによって,少なくとも10の30乗のオーダーの膨張が起きるので,小数点以下15 桁程度までの一致はたやすく実現することができる.

地平問題については、宇宙全体に言及する必要さえなくなる.というのは,観測される限りでの宇宙背景放射の一様性が問題だからである.したがって,現在われわれの観測にかかる限りでの背景放射の温度がほぼ一様であることは,短いインフレーションの間に,最初極微だった宇宙の一領域(現在観測にかかっている領域)がほぼ同じ温度になったということで,これも容易に解決できるのである.

9. 斥力としての重力とインフレーション

そこで,いよいよインフレーションのメカニズムの問題に移ろう.なぜそのような凄まじい膨張が起きたのか.宇宙の温度が下がって相転移が起きることは,ヒッグスメカニズムと呼ばれる仕掛けによって説明される.ヒッグス場は,質量の起源(第一の相転移),強い相互作用と電弱相互作用の分化(第二の相転移),そして電磁気力と弱い相互作用の分化(第三の相転移)のいずれにおいても仮定される場で,ポテンシャルエネルギー分布が伏せたボウルのような形になっていて,対称性が破れやすい形になっていると想定されている(対称性が破れることによって、それまでなかった区別が生じなければならないからである).この逆さボウルのてっぺん(対称的)から下で底となっているところ(エネルギーが最低の真空)へ落ちたときに対称性が破れる(区別が生じる)わけで,その結果として(ほかにも相互作用がかんでくる)区別が生じることが,少々乱暴な解説だがヒッグスメカニズムだというわけである.

さて,逆さボウルのてっぺんは,局所的に平らなので(グースの最初の理論では少しへこんでいる),滑り落ちた先の底,つまり真空と似た性質を持っており,ニセ真空と呼ばれる.すなわち,高エネルギーであるにもかかわらず,局所的に落ち着いた状態にあるから「ニセ真空」と呼ばれる.これは,持っているエネルギーに比して温度の低い状態だから「過冷却」と呼ばれる状態である.たとえば,純粋な水が0度以下になってもまだ凍らずに液体状態(高エネルギー)にとどまっておれば過冷却であり,さらに冷えて凍り始める(相転移の)とき,高かったエネルギーに相当する熱(潜熱)を放出する.これと同じことが宇宙の相転移でも起きて,熱が放出され,これがビッグバンの火の玉を生むことになる.小さかった初期宇宙でも,凄まじい膨張を遂げた後では、膨大な量の熱を放出するというわけである.

ここで,インフレーションを起こすエネルギーはどこから来たのかという疑問が生じるだろう.極微の初期宇宙に含まれたエネルギーでは,広大な膨張宇宙に相当するエネルギーを生み出すことは不可能である.インフレーションで凄まじい成長を遂げたからこそエネルギーも成長したはずである.しかし,その当のインフレーションを起こしたエネルギーはどこから調達されたのか?言い換えれば,ニセ真空状態の宇宙を押し広げた力はどこから来たのか?この謎を解くのが重力場方程式である.

詳しい解説は内井(2006, 239-247ページ)を参照していただくとして,ニセ真空はエネルギー密度を保ったまま膨張して,結果として膨大なエネルギーを稼ぐことができる(そして,このエネルギーから生じる重力場が負のエネルギーを持つことによって,エネルギー収支は差し引きゼロである!).そして,その膨張のための力は,ニセ真空が持つ負の圧力から生じる斥力としての重力である.普通,自動車のタイヤや風船を膨らませたとき,これらが持つ圧力は「押し出す」圧力、正の圧力である.負の圧力は,これとは逆に「吸い込む」圧力である.しかし,重力場方程式によれば,いずれの圧力も重力を生み出す.ただし,重力の向きは,圧力の正負で逆転し,正の圧力の場合は引力,負の圧力の場合は斥力となるのである.つまり,ニセ真空の負の圧力は,宇宙定数Λと同じように斥力としての重力を生み出し,これがニセ真空状態の宇宙を膨張させるのである.

それだけでなく,重力場方程式からこの膨張の数学的特性も導きだすことができる.ニセ真空がもたらす斥力に従って膨張する宇宙は,実はド・ジッター宇宙と同じ形のメトリック(ロバートソンによる動的改訂版)を持つ.ド・ジッター宇宙のメトリックで重力場を規定するファクターは宇宙定数だったことを想起しよう.このアインシュタインの「生涯最大のチョンボ」は,アインシュタインに対するド・ジッターの辛辣な反論経由で,64年後にインフレーション宇宙論において意外な形で大きな収穫をもたらしたわけである.

10. おわりに

以上,本論文では一般相対性理論から出てくる「斥力としての重力」という話題に的を絞ったが,この理論の持つ奥の深さがある程度わかっていただければ幸いである.重力場の方程式を解くことが難しい,また計算も難しいということもあって,アインシュタインが当初から構想していたことでも,理論的に確認されて結論が出るまでに何十年もかかった事例も珍しくない.さらに,実験的な確証ということになればもっと時間がかかるわけである.しかし,この理論の内容はまだまだくみ尽くされておらず,哲学的にも豊かな問題を包含している宝庫であると思われる.この100周年を機会に,日本の科学哲学者も,もっと真剣にアインシュタインの重力理論とその先を研究してみるようにと願う次第である.



文献

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