Todayama's Adventure or Conservatism?


「愛、地球博」で元気のいい名古屋から、

戸田山和久『科学哲学の冒険』NHKブックス、2005年

という元気のいい本が出た(戸田山さん、『科学哲学入門』を宣伝してくれておおきに!)。とくに、第二部、第三部で「科学の目的」と実在論-反実在論論争についてわかりやすい解説があるので学生諸君には参考になるだろう。戸田山さんは実在論擁護の立場を公言するが、彼が提示している例、たとえば「電子の実在」程度のもので実在論を宣言するのは早すぎる、とツッコミを入れておきたい。科学哲学において「実在論か否か」が死活問題になってくるのは、量子論、量子場の理論、時空論、そして最新のひも理論など、理論が仮定する「存在物」にどう意味を与えるかという場面なのだ。たとえば、ひも理論によれば、電子やその他多くの「素粒子」はもはや基本的な存在物ではあり得ない。極小のひもの振動から生まれる派生的な「現象」にすぎないのである。だから、一時期存在が確立されたと思われた電子でさえ、ホントの実在物ではなかったということになる。保守的な哲学者が「電子の実在がやっと言えた」と思った頃には、先端の科学者ははるか先に行って、その「実在性」を突き崩すという体になっている。

「しかし、ひもは基本的実在だと仮定されているではないか」と反論されるかもしれない。しかし、これはあくまで「当の理論が措定する存在物」であることに注意しよう。しかも、ひもとは、10次元、または11次元の「世界」に存在するといわれている代物なのだ。そこまでいかなくとも、スタンダードな量子力学の解釈でさえ、実在論的解釈はいまだに成功していないというのが実情である。科学者や哲学者が自分の研究を進めるための「動機」として「実在論」をとりたいという姿勢はよくわかるのだが、それを「きちんと認識論的に擁護できる見方」として採用できるかどうかは別問題である。わたしの率直な印象(きちんとした議論にするのはなかなか大変なのだが、ここではそのスペースがない)をいえば、「実在論」擁護は、「冒険」どころではない「保守的」な態度なのである。これは戸田山本をけなすつもりのコメントではなく(すでにほめてあるじゃろ!)、評判になった本をすぐに信用したがる初心者向けの注意にすぎない。


Last modified March 30, 2005. (c) Soshichi Uchii

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