FINE KYOTO 3

道徳起源論から進化倫理学へ、内井惣七

12月18日講演の要旨

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3 道徳性とは?

道徳に不可欠な心理的、行動的特性をチンパンジーをはじめとする霊長類の研究によって明らかにしようとしたドゥ・ヴァールは、次図のようにその考察をまとめています。同様の見解は、昨年来日して京大その他で行なった講演でも展開されました。彼は、明らかにダーウィンの路線を継承し、新たな形で発展させようとしているのです。定義ではありませんが、「道徳性」のこの特徴づけを、わたしは出発点としたいと考えます。

 

 

これに対し、倫理学者による「道徳性」の特徴づけとして、バイアーとフランケナは次図のようなリストを示します。

 

 

わたしは、黒丸の項目は、還元主義の倫理学を目指す場合にはいずれも強すぎて、その正当性を言う議論なしでは使えないと考えます。わたしの意図を全然理解しなかった(例えばコメンテイター伊勢田君のような)人は、わたしが一般に受け入れられた「道徳性」を放棄して、「いらざる苦労を背負い込んだ」と批判します。しかし、「道徳性」の規定に強い規範的条件を読み込むと、その分「なぜ道徳的であるべきか」という問いが重くなり、それに答える必要性が残されて、結局後でツケが回ってくるにすぎないのです。わたしはそこまで先を読んでいるので、わざわざ貧弱な基礎から道徳を考え直そうとしているのです。これが還元主義の真意の一つです。

倫理学者の言う条件の大半(黒丸)は規範的条件ですから、わたしの進化倫理学の立場では、これらがどのような形で正当化できるか、そして正当化のためにどのような条件が必要か、ということを明らかにしたいと考えます。したがって、例えば、わたしがヘアの普遍化可能性を批判し、ヘアが示す理由づけを捨てたからといって、「わたしが普遍化可能性を捨てた」(コメンテイター奥野さんの誤解)と結論するのは早計です。進化的思考法では、「あれか、これか」ではなく、「あれとこれが統計的にどう分布するか」が重要なのです。


なお、これは講演では触れる時間がありませんでしたが、ダーウィンの道徳感情の分析は、ヒュームの道徳感情論を援用することができます。次の図を見てください。

 

 

道徳的是認や非難の感情も、共感能力と知性を介して発達する、とダーウィン自身も考えているのです。これを考慮に入れると伊勢田君の危惧や非難は大半が的はずれになるとわたしは考えます。共感能力とは、同情心だけで働くものではなく、被害者の怒りや復讐心も再現できることを誰かさんは見落としているのです。また、知性によって状況を見分ける能力が伴いますので、同情心をもちやすい人が搾取されるのを防ぐことも十分可能になるわけです。さらに、人々(チンパンジーでもよい)の交渉は「2人ゲーム」ではなく、周りの人々からも見られていることに注意してください。年老いた親からの見返りがもう得られないと見切って冷酷に扱う某俳優のような人は、われわれの評価を著しく落とします。


→ 4 生物学的基盤から規範倫理への道筋

Last modified December 23. (c) Soshichi Uchii