Leibniz-Clarke

New Book (Jan. 9, 2006)

『空間の謎・時間の謎』(中公新書、2006年1月刊行)

2006年2月19日毎日新聞に海部宣男氏による書評)


Chapter 1. What's Space, What's Time?

Chapter 2. Newton and Leibniz: What did they fight for?

Chapter 3. From Newton's Bucket to the Theories of Relativity

Chapter 4. Whereabouts of the Machian Mechanics

Chapter 5. Cosmos and Quantum

[English Abstract]

第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
プロローグ/時空の難問、奇問、愚問?/ライプニッツークラーク往復書簡/ニュートンのバケツと私の遍歴/マッハ流力学/宇宙と量子

論争の始まり/科学のヴィジョンに関わる論争/重力の遠隔作用/絶対空間と絶対時間/「絶対時空」の背景/デカルト運動論に対する反発/デカルトの事情/空間は神の感覚器官か/神は腕の悪い時計職人か/クラークのニュートン弁護「感覚器官は比喩にすぎない」/ニュートンの見解「自然哲学は第一原因を指し示す」/「神の、いわば、感覚器官としての空間」から何が明らかになるか/科学を動かす二つのヴィジョン/神の力と神の知恵/充足理由律の二つの解釈/ライプニッツの充足理由律は無い物ねだりか/ニュートンの宇宙論、ベントリーへの手紙(1692-3年)/絶対時空のイドラ/時空の関係説の要点/ライプニッツ自身による解説/関係説は(物理)幾何学の基礎づけも提供しうる/関係説はなぜ絶対説の難点を回避できるか/クラークの反論(1)──慣性力、創造の時間、時空の量/クラークの反論(2)──回転運動による遠心力/ライプニッツは真空と原子も否定する/引力はワケのわからない性質か/見分けられないものは同一か/統計力学からの例/モナドロジー/情報の流れによる宇宙のダイナミクス

ニュートンのバケツ/慎重なニュートン/オイラーのひねり/水の中の物体はどんな場合に「動く」のか/「同じ方向への運動」にどう意味を与えるか/空間と時間の「等しい量」/オイラーの貢献/カントはスキップ/マッハ『力学の発展史』/マッハのバケツ?/マッハと慣性の法則/特殊相対性理論/同時性の相対性/時間の本質?/特殊相対論では空間も時間も相対的/特殊相対論において加速度は絶対的/特殊相対論で成り立つ幾何学は?/時空は絶対的/特殊相対論とニュートンのバケツ/等価原理/一般相対論とニュートンのバケツ/一般相対論とマッハのバケツ/一般相対性理論から学んだこと マッハ流力学のシナリオ/ポアンカレの洞察/関係説における位置エネルギーと運動エネルギー/シュレーディンガーの1925年論文/バーバーとベルトッティの研究/相対的配置空間またはプラトニア/惑星系の運動/最小作用の原理/内在的な差/プラトニアの測地線/ニュートンとライプニッツの調停/時間の等しさはどうなるか/特殊相対性理論はどうなるか/一般相対性理論と関係説/一般相対性のためのプラトニア/プラトニアでの軌跡の多様性/一般相対性はマッハ流力学の条件を満たす/量子力学はどうなるか 重力は引力だけとは限らない/ニュートンゆかりの問題/閉じた有限の空間/宇宙定数/アインシュタインとド・ジッターの論争/膨張宇宙論/フリードマン宇宙/膨張宇宙における空間と時間/ビッグバン宇宙論/宇宙論と素粒子論/素粒子と相互作用/クォークモデル/ヒッグス場と統一理論/ゲージ理論/宇宙背景放射と地平問題/平坦性問題/インフレーション宇宙論/平坦性問題の解決/地平問題の解決/インフレーションはどのように起きるか/インフレーション宇宙論とエネルギー収支/宇宙と時空の創造/プランク長さとプランク時間/エピローグ

【出版されたものとは少し異なる】


第1章 空間とは?時間とは?

プロローグ

この本では、空間とは何か、時間とは何かという問題を考えてみたい。これらの問いは、昔から最大級の謎と見なされてきた。普通の生活では、時間も空間も、世界で起きるすべての出来事の大前提みたいなものである。ところが、その当たり前の「時間」と「空間」はいったい何か、といざ開き直って考えようとすると、普通の人はまず途方に暮れる。だから、「面倒くさい、こんなことわからなくても生活に支障はない」と、すぐもとの日常ペースの思考に戻るのがオチである。しかし、「力学」と呼ばれる物理学の分野がこれらの問題と実に深いつながりがあって、謎解きにはおそらくもっとも有力な手がかりを提供してくれるのである。なぜなら、物の運動は空間の中でおこなわれ、地上でも、太陽系の外でも、われわれの銀河系の外でも見られる種々の運動が力学法則の対象となっているからである。もちろん、運動とは時間を通じた変化だから、時間ともつながりが深いことは一目瞭然である。そこで、この観点から謎に迫ろうというのが本書の方針である。主観的な意識の立場で「空間や時間の意味を問う」などという、よほどの才能がないとものにならないような(関西弁で言えば、しょーもない)考察は、本書ではすべてバッサリと切り捨てる(わたしにそのような才能がないことは、よくわかっているつもり)ので、妙な期待はしないように最初にお願いしておく。以下では、まず、あまり四角張らない自由な予告編をやってみよう。理科系離れが言われ、とくに物理学を知らない若者が増えているとも聞くが、物理学や力学は、以下でなぞるような、ある意味で突拍子もない問いに答えようとするとどうしても必要になってくる、人類が誇るべき文化遺産の一つである。

時空の難問、奇問、愚問?

日常生活では、われわれはあくせくと時間を気にしながら、狭苦しい空間のなかで動き回っている。わたしのように、定年退職も間近になってくると、物忘れ対策でしょっちゅうスケジュールや時間を気にしなければならない。歯医者の予約は何日の何時だった?それに間に合うためには、何時の電車に乗らなければならないか?昨年の三月に頼まれた原稿の締め切りはいつだったかな、そろそろヤバイのでは?そうこうするうち、来年三月には定年退職ではないか!光陰矢のごとし、ついこの間、親の猛反対を押し切って哲学研究の道に入ったと思うのに、はや40年近くが流れたのか?40年前の「一年間」と最近の「一年間」とではホントに時間の長さは同じなのか?そもそも、「流れる時間」とはいったい何なのか?時間には流れの向きがあると皆思っているが、物理学ではこれを説明するのがなかなか大変らしい。時間の流れに逆らって歩みを遅くすることはできないものか?あるいは、未来を先に見て、あらかじめ対策を打っておけないものだろうか?ムムム・・・少し頭を冷やそうと、多数の本がスペースを占める狭い書斎を出て、ベランダで夜空を見上げる。北斗七星にカシオペア、オリオン、日本からは見えない南十字星などは言うに及ばず、この広大な空間にいったい星はいくつあるのだろうか。この広大な空間にわたって一つの同じ時間が流れているのか、それとも場所ごとに時間は違うのか?そもそも、この地球上の出来事と200万光年離れた別の銀河での出来事とが同時に起きたということはできるのだろうか?このように多数の星々を含む宇宙はどのようにしてできたのか?まず空間があって、そこに物質が生まれたのか、それとも空間は物質とともに生じたのか?もし、空間が先にあったのだとすると、その空間はどのようにしてできたのか?だいたい、空間と物質はどのような関係にあるのか?もっと細かいことに目を向けても、地球上の一メートルと、アンドロメダ銀河での一メートルとはホントに同じなのか?ムムム・・・頭を冷やすどころではないワイ。こういう難問が目白押しでは、少しは先人の知恵を借りて考察を始めなければどうにもならないのである。

ライプニッツ-クラーク往復書簡

古代からの哲学史をひもといて、などという悠長なことは、わたしの性分上決してやらない。しかし、以上のような問いの幾つかが、「何とか答えられそうな」感じになってくるのは、17世紀のニュートンやライプニッツの頃らしいという事実は押さえなければならない。ニュートンは、ご存知「万有引力」の発見者で、ニュートン力学の生みの親である。それだけではなく、力学をやるためには、物質世界の入れ物のような不動の絶対空間、そして悠久の時を変わりなく一様に刻む絶対時間がなければならない、という考え方の提唱者だった。これに対して(他にいろいろないきさつもあって)猛然と反対を唱えたのが、「神はすべての可能性のうちから最善なものを選んでこの宇宙を作った」という見解の持ち主、ライプニッツだった。ライプニッツ死の直前に、彼と、ニュートンを弁護したクラークとの間で交わされた往復書簡は、実は、空間と時間の哲学の古典である。古典の古典たるゆえんは、古くさそうに見えても、読み方次第、読む人の心構えと問いかけ方次第では、実にいろいろな読み方ができて、新しい教訓が得られるということなのだ。論より証拠、実際にそのような読み方をお見せしよう、というのが次の第2章である。何を隠そう、わたしは、哲学の世界で何とか飯を食うためにいろいろな分野を渡り歩いた(次節参照)あげく、つい最近ライプニッツとライプニッツ流の時空の関係説の支持者になった,はぐれ狼科学哲学者なのである。

ニュートンのバケツとわたしの遍歴

ニュートンが絶対空間の存在を示す証拠としてあげた、有名な「バケツの実験」というのがある。回転するバケツの中で水が遠心力によって縁で盛り上がるという現象が、絶対空間の必要性を指し示すというわけである。この議論、何でもないように見えて、実は大変に手強いのである。また、空間や時間の問題がどれほど難しいかということを具体的に示すには手頃な話題でもある。そこで、第3章では、この実験をテーマとして、二十世紀に至るまでにどういう紆余曲折があり、相対性理論とどのように関わるかという話をしたい。これには、個人的な思い入れもあるので、少々の脱線をお許しいただきたい。

相対論を中心とした、空間と時間の哲学を論じることは、わたしの長年の目標のひとつであった。わたしが科学哲学を志したのは、ハンス・ライヘンバッハの『科学哲学の形成』(原著1951,邦訳1954)を読んで感銘を受けたからであり、彼がもっとも大きな貢献をしたのは、この空間と時間の哲学の分野であった。欧米では、もちろん、この分野は科学哲学の「ハード・コア」の一部である。しかし、日本に科学哲学が導入されて以来五十余年がたつにもかかわらず、この分野の日本人研究者は、皆無とは言わないまでも、限りなく層が薄い。この事態を少しでも改善し、日本の次世代の科学哲学への橋渡しとなりうるものを少しでも残しておきたいと思って仕上げたのが、『アインシュタインの思考をたどる』(ミネルヴァ、2004)という前著だった。 ライヘンバッハやその後の時空論を勉強できる機会(可能性)は、実は、遠い昔、わたしのアメリカ留学中(1968-71)に一度あった。わたしが在籍したミシガン大学では、当時気鋭だったローレンス(ラリー)・スクラーがおり、この分野の講義をおこなっていたのだが、いろいろな事情が重なり、わたしは受講できなかった。学位論文のテーマも、これとは直接関係のないテーマを選んだので、精力を分割する余裕がなかったのである(ちなみに、スクラーには学位審査委員の一人になってもらったのだが)。後で勉強しようと思ってテキストや文献だけは用意して帰国したが、論理学(とくに様相論理の多世界意味論)、倫理学(ホッブズ、ロック、ルソー、ヒューム、カント、ベンサム、ミル、シジウィック、ムア、ヘア、ロールズなど)、確率論と帰納、進化論と生物学の哲学、十九世紀の科学方法論、シャーロック・ホームズ研究、ダーウィン研究、進化倫理学、統計学の哲学、科学の倫理など、他の分野での研究と学生指導等の義務とに時間をとられてままならず、集めた文献も多くは時代遅れになってしまった。もっと新しい時空論関係の文献をきちんと読み始められたのは、この十年足らずのことである。わたしの留学中からすでに高名だったグリュンバウム(ピッツバーグ、科学哲学センターの創設者でもある)の本に続いて、70年代から80年代にかけて出た、もっと若い世代のマイケル・フリードマン、デイヴィッド・マラメントやジョン・アーマンらのレベルの高い(けれども不親切な)仕事を目の当たりにして、「これはもうだめだ、追いつけない」とあきらめかけたこともしばしばであった。しかし、心強いことに、この分野に興味を持つ若い学生が(きわめて数少ないながら)現れてきたし、ホーキング、ペンローズ、ホイーラー、キップ・ソーン、アラン・グース、ジュリアン・バーバー、テイラーとホイーラーなどによる魅力的な啓蒙書や教科書も続々と現れてきた。そこで、わたし自身ができることはもうたかが知れているが、日本の次の世代の研究者が少しでも差を縮められる手がかりになるようにと願って、本書を書いている次第である。

マッハ流力学

続く第4章では、19世紀にニュートン力学批判をおこなったことで有名なマッハの路線、ライプニッツに遡る関係説の力学がどうなったのか、日本ではあまり知られていない、二十世紀の初頭から最近の成果までを紹介する。この路線を追究するに当たってもっとも大きな成果を上げたのは、イギリスのユニークな物理学者ジュリアン・バーバーである。基礎的な問題をじっくり考えたいのでアカデミックなキャリアをあきらめ自営の道を選んだバーバーは、マッハ流力学の路線を追究し、これと相対性理論とがどのような関係にあるのかを考察した。 その成果は1970年代より現れはじめ、一般相対性理論の中に、相対的な距離のみから出発し力学を構成するというマッハ流関係説力学の構造が実現されているという論陣を張っている。数十年前に、一般相対性は関係説の時空論になっているのかどうかという科学哲学の論争があったが、バーバーの業績に比べれば、まったくかすんで見えるほどである。このバーバーの仕事にふれて、わたしは「目から鱗が落ちた」というか、関係説の魅力を再認識した。この行き方は、重力の量子理論として最近知られるようになった「ループ量子重力」理論 (時空の構造を極微なところに遡っていけば、小さなループ─輪─が単位となった離散的な構造になるという説)にも影響を及ぼしており、時空の哲学としてもきわめて面白い。

宇宙と量子

最終章では時空の問題とは切っても切れない縁にある宇宙論にもある程度踏み込んでおく必要がある。一般相対性理論と宇宙論とは関係が深い。アインシュタイン自身が一般相対性理論を使って宇宙の大局的な構造を考えようとした試みは、すでに1917年に出ている。そして、1920年代にはいると、大口径の望遠鏡を使った観測によって、宇宙が膨張しているという証拠が集まってくる。もちろん、最大の功労者はハッブルである。そして、一般相対性理論自体が、膨張したり収縮したりする宇宙を許容することもわかってくる。しかし、もし宇宙が収縮したらどうなるのだろうか。だんだん小さくなって、ついには大きさがゼロに近づくはずである。とすると、宇宙の大局的な構造を扱うはずの宇宙論は、同時にミクロの領域にも言及しなければならなくなる。これは、一般相対性理論よりも十年ほど後に確立された量子力学の領域と重なる(ところが、両者は水と油のような関係で、相対論が連続的な数学に乗る決定論的な理論であるのに対し、量子論は離散的な数学を要求する確率論的な理論である)。それだけではない。大きな質量を持つ星がどのような一生をたどるかという問題も、核物理学、量子力学、重力理論が交錯する領域となって1930年代に進展を見せることになる。これが、チャンドラセカールや、ロバート・オッペンハイマーと彼の弟子たちの研究を経てブラックホールの理論的予言へとつながっていく。もちろん、後知恵によれば、ブラックホールの可能性は1916年にシュヴァルツシルトが見つけたアインシュタイン方程式の解のうちにすでに含まれていたのだが、当時の人々にとってこれは論外の可能性だった。アインシュタイン自身も、相対性理論のよき理解者だったエディントンも、こんな法外な可能性は物理的にはあり得ないと否定したのである。物理的な可能性として真剣な検討の対象となってくるのはオッペンハイマー以後の話である。しかも、オッペンハイマーは戦時中のマンハッタン計画でロス・アラモス研究所の責任者となり、戦後も科学行政に巻き込まれ、研究からは遠ざかるので、ブラックホールの可能性が理解されてくるのは1960年代だと言っても過言ではない。

しかし、ブラックホールの可能性がいったん理解されると、これまた重力理論と量子力学、マクロとミクロの橋渡しを要求する。ブラックホールが、一般相対性にしたがって、文字通り体積ゼロ、質量密度無限大となる「特異点」になれば物理学は破綻するので、それを避けるためには量子力学の出番となって、特異点を避け、重力の量子理論を考え出さなければならないのである。もしそのような理論ができると、今度はそれを利用して、量子宇宙論ができる。これが時空の誕生を解明することに大きく貢献するだろう、という筋書きが生まれるのである。これは、大変に難しい話だけれども、空間と時間の哲学を目指すものにとって、ワクワクするような話である。こういった話が、すでに多くの読者がご存知のビッグバン宇宙論(ガモフらが1948年に提唱)、素粒子論、あるいはインフレーション宇宙論などの流れとどうつながっていくのだろうか。 そして、こういった考察すべてに照らして、宇宙と時空の誕生はどこまでさかのぼれるのだろうか。

このような筋書きで本書の叙述を進めていく。空間と時間の問題の奥の深さや、長い時間かかって古いアイデアが復活したり、予想外の展開があったりしながら謎の解明が進んでいくという面白さが読者に伝われば幸いである。

図 ド・ジッター宇宙

[オランダのド・ジッターがアインシュタインの球形宇宙に対抗して考え出したド・ジッター宇宙(1917年)は、当初、アインシュタインのものと同様静的な宇宙と見なされたが、実は膨張宇宙だった。]


Last modified, Jan. 19, 2006. (c) Soshichi Uchii

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