生駒山東面の古道

新年おめでとうございます。年明けに紹介するとお約束しておいた五辻-宝山寺道から分岐する生駒山東面の古道続編です。なかなか作業がはかどらず、中間報告です。
この道は明治の地図にある教弘寺から北上する道のようです。ただし、山頂への道から教弘寺間はまだ、道がたどれていません。下地図にマウスを当てると、整備中のルートが現れます。経路上でイガグリ状の点になっているところがあるのはその地点に長時間停止していて、自分は動かないのにGPSデータの方が揺れるためです。八大龍王五丁道標のそばに長時間停止している、ははあ休憩所で休んだなとばれてしまいます。

道の探索と整備作業ですから、目的地に近い道を進めばよいのに、コンクリート道を通るのが嫌で、休憩所からわざわざ辻子谷越道へ入り、遠回りして八大龍王参道へ入っています。帰路は庄兵ヱ道から山頂へ続く道を降り、庄兵ヱ道山道入口の現状偵察のため、少し寄り道です。さてこんな地図で歩ける人はいませんのでコース説明しましょう。

まずは昨年開拓した五辻-宝山寺道へ入って下さい。この道はふぁんトントさんにより「八大龍王参道(仮称)」と命名されました。ケーブル線を横切るのに抵抗のある方はケーブル霞ヶ丘駅から下って入ることもできます。五辻から下る方法もあります。八大龍王参道(仮称)との分岐は谷筋とぶつかるところです。

 右手登り道(赤テープ)は五辻・八大龍王方面、今回紹介の道は水平に谷筋を横切ります。

すぐ道が分岐します。右手の登り道を進むとすぐあきれるほど広い道になります。推定生駒石搬出道です。終点は生駒石群です。今回紹介の道は水平に進みます。

 左手の水平道は少しわかりにくいが赤テープを巻いてあります。

暗峠-宝山寺参道があったと推定されている尾根を巻いて進みますが、両側を注意しながら歩いてもそれらしきところがわかりません。完璧に消失しています。進むにつれて道が明瞭になります。しばらく進むと道が大きく左に曲がり坂を下っていきます。そのまま下ると、急坂から造園業者の私道にたどり着き、立ち入り禁止ゲートをすり抜けて帰ることになりますが、ここで下らない。曲がり角で前方を注意してみると赤テープが巻いてあり、さらに水平に進んでいけます。ここからが明治の地図にある教弘寺への道のようです。急坂を降る道も明治の地図にあるのは驚きです。この分岐の直前で、五辻から降ってくる道が合流しているのですが、これは通れるところにテープを巻いただけの経路のようで、本来の道ではないようです。よほど注意してないと気付きません。分岐を進むとすぐ巨大な生駒石の南に出て、謎の石碑があります。

 そばに道路標があります。

最初に紹介した写真に比べて、表面のコケが減っています。文字でも出てこないかとタワシでこすったのですが、何も出てきません。残念ながら大発見にはなりませんでした。しかし、人為的に建てられていることは確かです。
では道路標に沿って南下しましょう。ただ、次の道路標の先が急坂で危なっかしいので、山側で迂回できるようにテープを巻いてあります。道路標に沿って進むことももちろん可能です。ただし、少々すべりやすい。まもなく、造園業者の私道にぶつかります。下ると、石燈籠がいくつか並んでいるところを通り、五辻下山道を下ったときと同じ立ち入り禁止ゲートに出ます。ほんの少しだけこの道を降って、南へ水平に進みましょう。なお、造園業者の私道のこの部分は現行の地形図には書かれていません。もう少し下で終わっています。実際にはあと少しだけ上へ続いています。

 造園業者私道からの入口、テープが巻いてあります。

この少し先から、道の確定ができていません。道の痕跡がないのではありません。ありすぎるのです。下生えのない林間なので、どこでも歩けてしまいます。急坂を避けて歩きやすそうなところをたどっていくと、石積みがあったりして道と確信する。さらに木性の道路標があって、その先で山頂への登山道に合流するのでこれで良しと、納得します。しかし引き返して下の方を見ると何か遺跡らしいものが見える。急坂を下ってみると道がある。南下するとやはり、山頂登山道に合流する。こちらの方が歩きやすい。このコース面白すぎます。どうも上下すぐ近くに2本の道があったようなのです。しかも、どちらの登山道との交差点もさらに南への道があるようで、どちらを探索する方が面白いのか思案中です。思案せずに進めばよいのですが、この南はどちらもかなり、藪になっており、いずれ両方やっつけるにしても、面白い方から進めたいので優柔不断と言ったところです。という現状で、まだ、地図を付けての説明までは進みません。取りあえず、面白いところの写真紹介だけしておきます。

まずはじめに出合うのがコの字型に石積みしてある遺構です。横幅3.6m(2間)、奥行き1.8m(1間)です。小屋跡でしょうか。

小屋跡(推定)の下には石段があります。下ると、水平な道に出ます。

 石段

水平道を北に進むと広場になります。家があったのでしょう。その北へも道が続いていたと思われますが、造園業者の採石道で破壊されて不明瞭です。南へ進むと、炭焼き窯跡ではないかと推測している石積みがあります。

 ましな写真とお約束しましたが、あまりましなものがとれていません。

炭焼き窯にしては小さすぎるんですが、円弧状の石積みで、ほかの用途が思いつきません。土を掘って、炭の破片でも出てくれば決まりですが、やっていません。詳しい人に見ていただくしかない。さらにすすむと登山道に合流して、さらに南へ道が延びていますが、少し進むと藪になって探索作業中断中。

推定小屋跡で下へ下りないで南下する道は細くてはっきりしないのですが、時々石積みがあります。紛れもなく道ですがたどるのはなかなか難しい。登山道合流点の直前で、木性道路標があり、一安心します。

 こんなのが3本ありました。

登山道と合流して南への道は直交でなく、ほんの少し下って南下します。進むとすぐ巨大な石垣です。石垣の上は広場状なので、家があったようです。こんな所に?先ほどの推定小屋跡近くの広場も謎ですが、さらに謎は深い。石垣下の道に巨大倒木があってどうやって迂回しようか思案しているところで日が暮れました。庄兵ヱ道へ下山して帰ります。この後の報告はまたしばらくお待ち下さい。

 登山道南の石垣と邪魔な倒木

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