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(4)

 高校の校舎の屋上と言っても基本は生徒の立ち入りは禁じられており、常に施錠されている。
 某怪盗や自分のようにこっそり勝手に潜り込むような生徒は他にはいないのか、誰ともかち合わないのを良い事に白馬は二、三度人目を盗んで屋上からの眺めをこっそり楽しんでいた。
 多分、他人が思う程に白馬は真面目一辺倒でも優等生でもない。
 校舎の最上段からは校庭を一望出来る。
 屋上の端には頭上まである転落防止の金網が張り巡らさる代わりに、腰丈程のコンクリートが壁の様相を呈しているので、端まで寄ると一気に視界が開けるのだ。
 障害物がない高い場所から見下ろしたり、見渡す光景はキッドを追うようになって、多く目にするようになった。
 キッドを追いかけて、またあるいは待ち伏せでそういった場に立ち入る機会も増えたが、それでも目前が開け全てを眼下にする感覚は昼でも夜景であってもどこか胸に迫るものがあった。
 同時に、足下から背筋までひやりと撫でるようにゾクゾク感が走る。
 屋上の淵に立ち、真下を見下ろすと既に下校の第一波は過ぎたのか、校門に向う生徒はまばらだ。
 部活動もとっくに始まっているようで校庭では野球部の掛け声が響き、黙々と駆け抜ける陸上部と線で引いたように陣地を分けあっている。
 ぼんやりと眺めていると、昇降口から出て来た三人連れの少女が目に止まった。流石に上方からと言う角度と距離で明確に顔の造作までは分からなかったが、それでも一目で確信する。真ん中で弾むように歩いているのは青子、その両脇は恵子と紅子だ。
 しきりに身振り手振りを交えながら話す青子と、笑い転げているらしい恵子。紅子は相変わらず泰然としているようだが、彼女たちが笑いさざめいているのが聞こえそうなそんな穏やかな日常の情景に、知らず白馬の表情が綻ぶ。
 何気なく目で追っていると不意に、紅子が校舎を見上げた。校舎を。……屋上を。
 まるで白馬の視線を感じ取って、呼応して転じたかのようなピンポイントの見上げ方に、ギクリと身を引いた途端。
「!」
 ものの見事に白馬は引き倒された。
 ぐりん、と視界は百八十度回り、バネ人形のように次の瞬間にはストンと綺麗に尻餅をついていた。
 引き倒された、と感じたのは後ろ襟を掴まれて勢い良く後ろへ引かれたからで、幸いにも背中からばったり大の字にひっくり返らなかったのは、同時に膝かっくんをされたからだ。
 そんな事を理解したのは「ナニぼけっと突っ立ってんだよ、バ〜カ! 下から丸見えじゃん」とからかわれながらの事で、半ば茫然と白馬はその顔を見上げた。図らずも、この展開に頭がついていけていないのが丸分かりな顔で、である。
「青子にでも見つかってみろ、『白馬くんバイバーイ!』とか大声で叫ばれて、ここに潜り込んでたのバレて、生活指導室直行コースだぞ」
「……黒羽くん」
 おう、と快斗は偉そうにふんぞり返って白馬を見下ろしている。その立ち姿はどう考えても人を『ぼけっと突っ立っている』などと非難出来るような態勢ではない筈だが、恐らく彼の立ち位置は校庭や階下からは姿がのぞめない、そんな距離なのだろう。
 ……白馬とさして変わらない場所に立っているよう、感じたとしても。
 半ば茫然とただ見上げる白馬を見下ろしていた快斗が、次第に訝し気な表情へと至る。ひょい、と快斗は白馬の傍らへとしゃがみ込んだ。
 顔を覗き込むように見られ、思わず白馬は身を引いて釣られたように眉間にしわを刻む。
「おい……? どこも痛くしてないよな……?」
 確かめるような問いに、白馬はむすっと答える。
「とても痛いです」
「どこが? ケツはノーカウントだからな」
「違います。プライドが傷つきました。……君が近づく足音にまるで気付かなかったなんて、不覚にも程がありますよ」
 完全に背後を取られていたというのに、背を向けていたとはいえど扉の開閉音も、足音も、気配の一欠片すら感知出来なかった。
 白馬の台詞に快斗は人を食った笑顔でニヤリと笑う。
「そりゃー、お気の毒さん」
 等と言いつつも表情は『当然だね』としたたかに語っている。白馬は諦めのため息を一つ落として、あちこちを払うと立ち上がった。
 勿論、今度は目撃者が出ないよう速やかに屋上の端からは離れながら、改めて快斗を眺めやる。
「ところで、どうしてまたここに? ……まさか、僕を生活指導室行きから救う為にわざわざ引き返して来た訳ではありませんよね」
「意外にその為かもしれないぜ」
「ほう? では僕はここで『ありがとう黒羽くん、君はなんて良い人なんだ!』と感謝のあまり君を抱きしめたりするべきですかね?」
 胡乱な棒読みに、快斗が吹き出した。
「あー、うん、悪かった、悪かった。まぁオマエがちくられてココの出入りが面倒になったら昼寝の穴場が一個減っちまうのもどーかなって思ってさ」
 案の定な答えに、そんな所でしょうね、と白馬も苦笑で応える。
「んじゃご納得頂けたところで、飯食うぞ」
 飯を食いに行かないか、でも、飯を食いに行こう!というお誘いでもなく、単なる宣言に聞こえるそれに首を傾げる白馬を余所に、快斗はスタスタと階段へと向かう。
「…………あの……?」
 思わず背を見送ってしまったら、階段へ続く扉の手前で彼は身を屈め、鞄を手に取る。扉の横の壁に立て掛けてあったのは小さな紙袋と、学生鞄が二つ。
 おもむろに、鞄の一つを快斗は白馬へと突き出す。受け取るのを一瞬ためらった白馬に、快斗は無造作にそれを押し付けた。
「ほら」
「え……僕の、ですか」
「そ。机の中のと上の、テキトーに突っ込んどいたけどそれでいいんだよな?」
「はぁ、……ええ。ありがとうございます」
 わざわざどうして、と質問を重ねようとしたのを見透かして避けるように、一つ頷くと快斗は階下へと足を向ける。慌てて後を追いその背に続こうとした所で、快斗はくるりと上半身だけ振り返った。
「おっと、そこ。閉めンの、お忘れなく、探偵さん」
 ……ニヤリ、人の悪い笑みに、つんのめるようたたらを踏んだ。選んだようにこんな場所でその名称を使うのは嫌味としか思えない。
 もしくは、その一言で線引きをされたのだろうか。
 オマエは『探偵』だろう?と。
 だから、違う、と。
 気持ち慌ただしく施錠している白馬を、大方の予想通り、快斗は立ち止まって待っていたりはしなかった。足取り軽くすたすたと、彼は階段を下って行く。
 そういう所が益々もって、先程の宣言が単なる独り言なのか白馬へと向けた誘いなのか、判断に迷わせる点である。
 そもそも白馬は快斗にご飯に誘われた覚えは一度としてない。
 彼だけでなく、普通の高校生なら当たり前に友人同士で誘う合うような、放課後の寄り道の経験すら限りなく少ないのだ。
 英国帰りの高校生探偵を名乗る白馬の立場とその性格、そして立ち居振る舞いは、クラスメイトの女子から黄色い声は上がっても、クラスのもう半分の人間と当たり前の友人関係を築くには、どうにも浮きがちなのが現状といえる。
 快斗のように正面からからかって当たって来てくれる相手と、常に誰にでも分け隔てなく自然体な青子のような存在がなければ、とっくの昔に遠巻きにされるだけでなく、教室内で完全に白馬は孤立していた筈だ。
 そしてそれになんら不満も抱いていなかっただろう。
 本人が孤立と思わなければ、不便を、孤独を感じないならば、それは単なる『ひとり』で、『普通』の状態だから。
 高校生であるより、自らは探偵なのだと思っていた。
 必要なのは高校生の友人でも学生生活でもなく、探偵であること、そして怪盗キッドを捕らえること。そんな風に思い込んで過ごしていた。
 ただ、白馬が快斗を怪盗キッドの正体と確信して江古田へ乗り込んで来たから否応なしに快斗とはぶつかるしかなかった。
 快斗としても白馬の存在は面倒だった筈だ。
 例え彼が怪盗キッドでなかったとしても転校当時の白馬の態度は相当彼の鼻についていたに違いなく、白馬の主張通り怪盗キッドであるなら、面倒どころではなかったに違いない。
 面倒で、うっとうしく、目障りな筈だ。
 それでも存在ごと無視はせず、茶化したり、かわしたり、時折噛み付いたりしながらも快斗がああして相手をしてくれたから、白馬の存在は教室内で確立出来たのだともいえる。
 そして勿論、キッドを追い続けている中森警部の娘である中森青子の存在も大きい。彼女は、いつも無邪気に屈託なく笑って声をかけて、まるで十年来の友人であるかのように白馬を扱った。
 クラス内のムードメーカー的な二人がそんな風だったから、白馬はいつの間にかクラスメイトにも受け入れられていた。
 それだけで、不思議と学校はただの箱ではなく探偵の付加価値程度だった学生の生活はそう悪いものでもなくなっていた。今の白馬は教室内にも居場所がある。多分、いつの間にか彼らが作ってくれたのであろう居場所が。
 それでも、放課後に一緒に寄り道するような気の置けない友人までは、いない。
 四六時中共にいたいとか、全てを知るなんてべったりした関係が欲しい訳ではないけれど、それでもたまに思うのだ。
 教室を出る時にさよならと言って、それで終わりではない『友人』を得たいと。
 たわいもない事を話しながら駅まで歩いたり、休日にどこかへ繰り出したり、何かあった時にメールの一通でも送り合うような、そんな相手が白馬にはいなかった。
 そんな『誰か』が、彼であれば、と思うようになったのはいつからか。
 捕らえると心に決めた怪盗キッドとしてだけでなく、友人として、更にそれを超える存在として望むようになったのは。
 既に彼は薄々それを知っている。白馬の思いを、願いを。
 そして彼が気付いたであろう事を白馬が察したのも、きっと知っている。
 でも、彼は秘める。
 白馬も口を閉ざす。
 だから二人の距離はそれまでのまま、遠ざかりも近づきもしない。
 均衡は保たれている、筈だった。
 なのに、どうしてだか彼はこの屋上へと引き返して来た。
 その理由が分からない。
 分からないままだから、白馬は目隠しでふらふらと、快斗の背を、音を辿って追うているかのようだ。
 一寸先の予測も立たない。
 ほんの些細な一言が、誘いだったのか、むしろ線を引かれたのかが分からない。分からないから、快斗の一挙一動に簡単に振り回されてしまう。
 そうでなくても今日は酔った快斗に、色々と崩されている。距離も、対応も、ペースも。
 だから期待してしまうのかもしれなかった。するつもりもなかった期待を。
 たちまち落ち着かなくなった鼓動に合わせて、白馬は早足で階段を駆け降りた。
「黒羽くん!」
 思いがけず早くその背に追いつけた所を見ると、どうやら快斗は振り切って帰る算段はしていなかったらしい。
 呼ばわった声に、返事代わりのように視線が返されたので、それを許可として、隣に肩を並べた。
「あの、」
「青子のノート、」
 被さるように声が重なり、白馬は失礼と目で詫びると、口を噤んで快斗に先を譲る。
 快斗はそっと苦笑を口許に過ぎらせて、白馬が小脇に抱えた鞄を指差した。
「預かったの、入れといたから」
「青子くんの? 彼女が貸して下さったんですか?」
「そ。写していいってさ。午後の二限の」
 青子も変なとこマメだよなぁ、と快斗は至って他人事だ。
「……はぁ。では後でお礼をメールしておきます。教室で会えたんですね?」
 ちゃんと謝りました?と念を押すと、彼はややふてくされた顔を頭上へ向けて、大きくため息を一つ。
「おー、こってり怒られてキマシタ」
「なら良かった」
「なんだよー、オレが怒られて良かったって意味か」
「いえ、とんでもない。先刻屋上から、青子くんたちが出て来るのが見えたので、君とすれ違ってなくて良かったなと」
「あ?」
 意味が分からない、と首を傾げる快斗に、つまり、と足りなかった言葉を補う。
「謝るのって、時間が空けば空くほど勇気が沢山いるようになるじゃないですか」
「あー」
 得心、と快斗が苦笑う。
「確かに。ごめんなさいとありがとうとおめでとうは早いに越した事がないよなぁ」
「そうですよ。すっきりして良かったですね」
「ところがそうでもない」
 昇降口で上履きからスニーカーにはき替えながら、快斗があっさりと否定する。
「なんせ重大なる使命を二個も抱え込む羽目になっちまってさ」
 重大なる使命だとか崇高なる使命だとか、聞いたようなフレーズが繰り返される所を見ると、その辺りは最近の快斗のお気に入りのフレーズなのだろうか。
 ぼんやり相槌を打っていると、唐突に軽く足を蹴飛ばされた。
「こら、ナニ他人事みたいな顔してんだよ!」
「君、足癖悪いですよ!」
 同時に言い放ち、はた、と白馬は快斗を見る。
「おや。今の流れで、僕、何か関係してましたっけ」
「大いにしてんの! 青子に聞いたぞ!」
 上履きを親の仇のように手荒く靴箱へ突っ込んで、快斗は白馬へと向き直った。
「オレがオマエにひっついて離れなかったから、屋上連れてったんだって? 昼飯もくいっぱぐれて、午後も全部サボって、つきあってくれたんだろ」
 にらみ上げるように強い視線が、白馬を射抜く。言葉どころか息すら殺して白馬が見守る中、ためらいもなく快斗は頭を下げた。
「迷惑かけて、悪かった。それから、助かった」
 聞き慣れないストレートな言葉だった。悪態や、からかい、冗談なら受け取りようも返しようもあるが、快斗からの装飾も一切ないシンプルな謝罪と礼なんて、どう扱っていいのかも分からない。
 却って白馬の方が落ち着かなく、よして下さいと慌てて遮るしかなかった。
「ほら、顔を上げて下さい。そんな……そんなの、全部、勝手にしたことですから」
 無理に上げさせた顔は、今し方の神妙な声を裏切り、くるり、表情を変えてあっけらかんと、見慣れたいつもの快斗が顔を出す。
「侘びと礼は言ったもん勝ちだよな。よお〜し、すっきりした!」
 晴れ晴れと笑い歩き出す横顔の落差に、束の間反応をし損ない、次いでがっくりと力が抜ける。
「んじゃ、とっとと行くぞー、腹減った!」
 呆然としている白馬を振り返ると、さっさと来いとばかりに手招いては校門へと歩む足取りは至って軽やかだ。
「黒羽くん! からかわないで下さい!」
 追いかけ噛みつく白馬に、快斗がへらりと笑う。
「おあいこ。オマエだってさっき屋上で、全部冗談にしたじゃん?」
「あ、あれは……何か、思い出したんですか?」
 出来るものなら独り占めしていたい時間だったが、共有するならそれは夢からリアルになる。どちらを期待しているのか自分でも良く分からないままに探るようにかけた問いを、快斗は笑い飛ばした。
「さあね? オレの思い出したものとオマエの知ってるものは違うかもしれないし」
 そういう割には声に当惑はなく、弾み、みるからに機嫌も良い。
「オレの言葉も全部が本当じゃないかもしれないけど、全部が冗談でもねぇよ。だから、おあいこって事で今日は相殺な」
 にっこりと笑った顔は、肩口で笑ったあの時の横顔に少し近い。無防備で、無邪気で、屈託のない笑顔に、どこかいたずらっぽさを足したような、そんな目元だ。
「で、ナニ食いたい? リクエストくらいは聞いてやるよ」
 その一言で、ようやく一つ謎が解ける。つまり、悩まされた最前の快斗の台詞は単なる宣言ではなく、食べに行こう、と白馬を誘っていたのだと。誘うというには拒否権のなさがその言葉に相応しくない気もするが、一応、誘いは誘いである。
 げんきんなもので、そうと分かると当惑はさておき途端に白馬の足取りは軽くなった。
 二人並んで校門を抜ける。学校の敷地を出て、駅までの道のりをのんびりと寄り道の相談をしながら進むのは、いかにも『高校生の帰り道』みたいだった。
「ただしお高いのは禁止。候補は、マックと丼とお好みと、おでんかケンタか、あ、ラーメンもいいなぁ」
「そこに僕のリクエストが入る余地、なさそうなんですが」
「ん?」
 ぼやいた小声に反応した快斗に、なんでもないと首を振る。
「ラーメン、いいですね。豚骨ラーメンとか久しぶりに食べたいです」
「いいねえ、トンコツ! あ、でも惜しい! オマエんちの近くに屋台の旨いトコあンだけど、屋台だけあって開くの結構遅いんだよ」
「君もあまり遅くなってはまずいですよね。第一、今お腹が空いているんですし」
「時間はへーきだけど、確かに腹は減ってる」
 情けな気な表情でお腹に手をあてる姿は見事に腹ペコを体現していて、微笑ましい。
「では、屋台が出るまで、うちで軽く何か摘むのはどうでしょう? 時間潰しがてら少しのんびりして、開く頃に出かけるのでは?」
「それ、既に寄り道じゃなくて夜遊びになりそーだな」
「駄目ですか」
 途端に落胆の色に染まる白馬を、快斗の軽やかな笑い声が救い上げる。
「オレが夜遊びキライだと思う?」
 いたずらっぽい声に、自然と白馬も笑みで応える。素直に『否』や『応』で答えない快斗らしい言い回しは、白馬を簡単に落ち込ませもするが、容易く引き上げもする効果がある。
「じゃあこれでオマエんちでお茶しよ。そしたら使命も両方果たせてラッキー」
「使命って……先刻言ってた、崇高だか重要だかの?」
「そ。いっこはオマエに飯を食わせて借りを返すこと、それからもういっこがコレ」
 無造作に鞄と共に下げていた紙袋を白馬へと渡す。ちょいちょい、と覗くよう人差し指に促され恐る恐る可愛らしい小さな水色のストライプの紙袋を覗くと、コロンとしたカップケーキが二つ。
「青子が二人で食って仲直りしろってさ」
「……仲直り?」
「オレがオマエを屋上に残して一人で降りて来たから、またけんかでもしたんだろうって」
「けんか、は、してませんよね」
 最終的には、ただ単にいつもの距離を保っていただけだ。
「それを青子にどう説明しろと?」
 軽くにらまれて、それもそうかと納得した。
「では、仲良くお茶と頂くとしましょうか」
 快斗がラム酒を飲んでしまったことで製作に何らかの変化があったのだろう、カップケーキはプレーンのタイプとチョコチップが仲良く並んでいる。
「美味しそうですね」
「あ! コラ、いっこずつだぞ!」
「分かっていますよ。プレーンとチョコ味みたいですね。君はどちらが好きですか」
「チョコ!」
 予想通り、迷いなく即答である。
「つっても、プレーンもプレーンの良さがあるからどっちも好きだけどさ。まぁ青子が作ったんだから、味は期待すんなよ?」
「それは青子くんに失礼ですよ」
「いいからいいから。で、オマエはどっち派?」
「どちらも、普通に」
 そう甘いものが得意な方でもない白馬の答えは控えめだ。
「ああ、そういえば、実はレーズンの入った洋菓子は少し苦手で……」
 君のお陰で入ってませんね、等と何の気なしに言いかけて、白馬の語尾は消える。
 干しぶどうをふやかす為のラム酒を飲んで酔っぱらってしまった、快斗。
 出来上がったカップケーキには、白馬の苦手なレーズンが入っていない。
 まさか、初めからそのつもりで……?
 そう尋ねようとして、見返した瞳には不思議そうな光が瞬いていた。思わせぶりでもなく、裏もない表情に、覚えていないと言った彼の言葉を思い出す。
 白馬のためらいの間に快斗の声は滑り込んだ。
「マジ? もしかしてドライフルーツ全般?」
「……そう、ですね、あまり」
「うわー、勿体ない! パウンドケーキは勿論だけど、アイスクリームとかヨーグルトのトッピングにも最高に旨いのに!」
 邪気のない発言に、ふっと肩から力が抜ける。
「なら今度うちのパティシエに作ってもらってみましょうか。僕も少し、食べず嫌いだった気もしますし」
 その代わり、と言を継ぐ。
「その時は、君も来て下さいね。やっぱり食べれませんでした、なんて事になったらパティシエに悪いですから」
「おー、責任取らせて頂きますとも♪ てか、自宅にパティシエがいる家ってどんな家だよ」
「あんな家です」
 道路の先に見えた自宅を指差すと、快斗があんぐりと口を開けて見やる。右手を延々入口まで続く壁が白馬家の敷地を示すものだと悟った快斗が、改めて白馬へと向き直った。
「……オマエんち?」
「そうです、ようこそ」
 家を見て、また白馬をまじまじと見て、快斗は大きく頷いた。
「……そりゃそうか、うん。こう育つ筈だよなぁ」
 一人納得している風で、呆れ顔と苦笑を混ぜたような笑みが零れる。
「じゃあ、屋台のラーメン、初めて?」
「はい。TVでしか見た事がないので楽しみです」
 本当は『寄り道』での飲食も楽しみだったが、屋台には屋台でまた別の魅力がある。
「屋台って言えば、串揚げとビールとか、おでんと日本酒とかも憧れますよね」
「ああ、うん、旨いよな、……あ、今のなし!」
 何気なく同意をした快斗が、慌てて口許を押さえるが遅すぎた。
「『かなり飲まなきゃ酔わない』とまで言っておいて、今更ですよ。まぁでも、出来れば二十歳までは外では飲まないで頂けると僕としても助かりますが」
 なんと言っても、今日が前例としてある限り、白馬としては快斗からは目が離せない。
 他の誰かに、くっついて、笑顔全開で笑って、甘えて、美味しそうなんて言われては困るのだ。
「んじゃ、家か、オマエんちだけにする」
「うちですか」
 下心を見透かされたかのような名指しにドキリとする白馬を知ってか知らずか、快斗の笑顔は一向に悪びれない。
「だってオマエんちで出るお酒なら、絶対旨いのしか出なさそうじゃん」
 ふ、と白馬に視線を留めて、それから、と快斗は呟く。
「つまみはナッツがいいな」
 センサーで門が開くのを待ちながら、白馬は固まった。その脇をするりと抜けて快斗が敷地内へと足を踏み入れる。
「黒羽くん、」
「ヘーゼルナッツ、ちょっと甘めでさ、……癖になる」
 歌うように呟いて、彼は振り返った。視線がどこを捉えているのかは、不思議と確信があった。
「君、酔ってた時のこと、」
 ふわり、と快斗が笑う。
「とりあえずさ、カップケーキ食べて、ラーメン食いに行こう?」
 とことこと白馬の元へと戻ると、三歩ほど開けて彼は足を止める。
「んで、とりあえず、このくらいの距離から始めてもいーんじゃない」
 好きとは言わない。
 好きなのは知られているかもしれなくても、彼も言わない。
 それでも、快斗は引き返して来た。
 寄り道に誘った。
 白馬はそれを受けた。
 そして家へと招いた。
「新しい距離ですね」
 クラスメイトほどに遠くはない、けれど目眩がする程は近すぎない。呟いた白馬に、快斗は一歩詰めた。
「それともこのくらい?」
 そして、もう一歩。
「それとも、」
 とっくに抜けている筈の芳醇な香りが鼻先を掠めた、気がした。

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