LOVE BARANCE  1



「これ……、なんや」
 愕然とした表情で呟く彼の左手は快斗の右の掌を捕らえ、右手は袖口を捲し上げて手首に巻かれた真っ白な真新しい包帯を二人の目に晒した。
 別段彼を相手に隠し通そうだなんて思っていなかったけれど、わざわざ見せびらかせるつもりもなかった傷。
 けれど、その剣幕に驚いてしまって快斗は咄嗟に言葉に詰まる。
「なァ、どないしたん……?」
 答えられないでいる快斗に、幾分声を和らげて平次は更に問いを重ねる。語調は和らいでも鋭い視線が快斗を貫いて、まるで詰問されてでもいるようで。奇妙な居心地の悪さに、快斗は貫く視線から逃れるよう俯いて軽く言い返した。
「……別に大した事じゃ、ないよ」
「快斗」
 強く低く名を呼ぶ声はそんないい加減な言い逃れを許さないと言外に伝えて来る。
 袖口を押さえていた平次の右手はいつの間にやら身じろぐ快斗の肩を掴んでいて、まるで人が変わったように……いや、探偵としての顔で彼は応えを要求している。
 強く掴まれたままの掌から微妙に手首に流れた握力が傷に響いて、快斗は軽く顔をしかめた。
「……ああ、……スマン」
 気づいた平次が顔を強張らせたまま掌から力を抜いた。ついで、ためらいがちに彼は快斗の右手を放す。快斗は自由になった右手を庇うよう胸元へと抱き込んだ。
 そんな動きの中でも袖口から覗く白から平次の視線は離れない。
 右腕の怪我が何故こうも平次を刺激したのか、快斗には分からない。急変した彼の機嫌に困惑しつつも、どうやら怪我の経緯を話さない事には事態は治まらないらしいと察して、渋々快斗は口を開いた。
「言っとくけどホントに大した事じゃ、ないからね」
 念を入れて更に前置きを入れる。
「……ただ最近、何だか色々あって、さ」
 表向きにも、そして裏家業でも何かと追い立てられる忙しない時期で。気を張らなければならない事だらけな割には結果に繋がらない、へこむ出来事も多い毎日。
 そういう時こそ恋人に甘えたり、でなくとも会うだけでもパワーを補給出来る筈だが、そうしたくても残念ながらこの時期の快斗にはそれは少なからず難問だった。
 いかに相手が恋人でも、怪盗KID関連で探偵を相手にぐずぐず愚痴る訳にもいかない。
 そもそも平次にはここしばらくまともに会えもしなかったのだ。これでは愚痴ろうにも甘えようにも、倒底話にならない。
 それを言い訳にする訳にはいかないが、一因ではあったのだと思う。……らしくもなく、その突然の衝動に逆らえなかった原因の。
「ちょっと疲れていて、……だから、つい……衝動的に……」
 やってはいけない事をやってしまった。いつもなら絶対にしなかっただろうに。
 挙句がこの始末なのである。
「アホ!」
 言葉が途切れるより前に、快斗は罵倒を浴びせられ同時にしっかりと抱き締められていた。いきなりの骨も折れよと言わんばかりの強い抱擁に、快斗は舌を噛みそうになる。
「え、ちょ、なに、……?」
「何でそんなしんどなる前に俺を呼ばへんねん! こんなっ……こんなアホな真似する前にちょっとでも俺の事考えてくれへんかったんか!」
 ろくに口を挟む間も与えられず矢継ぎ早に怒鳴りつけられた上、背に回っていた彼の指はもどかし気に快斗の髪を乱暴に梳き上げて柔らかい猫っ毛を指に絡める。
「好きやってなんぼ言うたら分かるんや。ジブンに何かあったらって思うだけで、目の前真っ暗になるねんで。……なんで、こんな……っ!」
「ちょ、待っ」
 半端な制止の声は彼に届く前に立ち消える。
 髪を下に引かれると自然顎が上がり、もう次の瞬間には荒々しく唇は奪われていた。

(うわーっ! 待てって言ってんのにーッ)

 怒っている。
 しかもヤバイくらい、本気で怒っている。
 それは確かで、快斗にも容易に分かる。
 だが平次の発言は疲れの残る快斗の頭にはどうにも支離滅裂に聞こえた。理解不能な愛の言葉のように、どこをどう捕らえれば全容を把握出来るのかまるっきり分からない。
 しかも反問しようにも、唇は勿論、あっと言う間に両腕も封じられ手も足も出ない。
「……ンッ……へー、じッ……!」
 抗うべき所を、慣れ親しんだ香りに包まれて、どうして伝わらないのかと苛立ち混じりの深いくちづけを受ければ、制止しようと抗う意識は敢無く霧と消えてしまう。
 キスを通して伝わる苦悩に、理性を蕩けさせる熱に、ただただ応えずにはいられない。
 止めないと、と思う理性も確かにそこにある筈なのに。
「……ン……ぁ……」
 無意識に鼻から抜ける小さな甘い声。指先から痺れて全身に広がる何とも言い難い感覚に溺れそうになって、その心もとなさに快斗は無我夢中で手近なものにしがみついた。
 掴んだ何かが平次の肩だったと気付いたのは、貪りつくようだった平次のくちづけが、ふ、と唐突に力を弱めたから。
 ただ苛立ちをぶつけ、奪い責め立て、噛みつき翻弄するだけのようだったキス。受け止めるのが精一杯だったキスが、いつしか緩やかに離れては引き寄せられ受け止めて応え返し与え合う、そういうキスに変化していた。
 最後に名残惜しそうに下唇をついばんで平次が離れると、快斗は開いていてもどこか霞みがかったままの瞳を数度瞬かせて彼を見返す。
 完全に上がってしまった息は空咳を二、三誘発して、三百メートルを全力疾走した直後のように胸中で激しく動悸が轟いている。
 す、っと、微かに口の端に触れる温かさ。鋭敏に高められた感覚にはそれすらもひどくリアルで、快斗をぐらりと揺るがす。
 未だ厳しい顔つきのままの平次が愛しげに快斗の口の端を、一筋、親指で拭ったのだと一呼吸置いて理解する。親しげな仕種と彼のその表情は、酷くアンバランスに見えた。
 少しざらついた感覚が唇に僅か残る。
 何故だろうか。それでも囲われたままの腕の中、すぐにはそこから逃げる気にはならない。
 強引で一方的な翻弄を、理不尽だ、と理性は訴えるのに。
 困った事に平次の腕の中にすっぽり収まるのは存外心地よくて、俄かに逃れる気にはなれなかった。
「……なんで平次が、怒るんだよ……?」
 問えば、諦めたような一拍の間を置いて溜め息一つ。
 いつものように、打てば返る返事はない。
「何に、怒ってんのさ……?」
 問い方を変えると、やり切れないとでも言うように、彼は瞳を眇めた。
「そンくらいの権利は貰ろとる、思うとったんやけど?」
 逆に返された問いは質問の答えとは食い違い、戸惑いは増すばかりだ。
 平次は確かに快斗の恋人で、大切に思っている相手で、……けれど些細な怪我の一つから申告しなければならないとは思っていなかったし、一方的に責められる謂れはない筈だ。
 そう思うのに。
「心配くらいさせて欲しい言うんは、贅沢な望みなんか」
 やるせない表情と吐き出すような声音に、快斗は困惑気味に首を振った。
「そんな事ない」
 心配をされるのが決して嫌な訳ではない。
「そんな事は、ないよ。ただ……、あの、オレ、」
 言いよどむ快斗の姿を横目に捉えつつ、平次は軽く脇へと溜め息を逃がした。何かをクールダウンするような間が空いて「痛ないか?」と問うた声は常の如く、穏やかに耳に届いた。
 包帯をそっとなぞる手つきも思いの他優しくて、却って落ち着かない気分を呼び起こす。
「ううん。強く触んなきゃ平気。心配させちゃって、ゴメン」
「いや、俺もスマンかった。怒鳴ったんも、……先刻のも」
 平次は、痛ましそうに包帯を見やる。
「これもやな」
「……え」
「こんな溜め込んでまうまで気づいてもやれんで、堪忍。仕事の事も、色々あるやろうに俺は何もしてやれへんな」
 その言葉に、はたと快斗は思い至った。……先程からの奇妙な平次の発言と、激変した挙動の理由。
 ……視線の先に、手首の包帯。

(もしかして、もしかして……?)

 その勘違いの可能性に。
「自分が情けなくて悔しィて、腹立つ」
 しかし本気で怒って心配して思いやってくれている相手に『ねぇ勘違いしてない?』とは幾らなんでも切り出しにくい。けれど誤解があるならさておき早く解いた方がいいとも決まっている。
 快斗は思いあぐねながら口を開いた。
「……あのさ、……ちょっと言い難いんだけど、」
「言わんといて」
 思いがけない早口に、おずおず切り出した快斗の台詞は即座に遮られた。
 声と共に強く背を掻き抱く腕。またも快斗は懐深く抱き竦められる。いつの間にかついた少しばかりの体格差に、抱き締められると腕が背に回ったというだけでなく『包み込まれる』状態になってしまう。
 すっぽりと包み込まれてしまうと、視界から余計な物の全てがなくなって、感覚も全部が彼に向かっていくから……平次だけになる。
 その瞬間が好きだ。
「頼むから、今だけはジブンから拒否の言葉は聞きたない。放っておいてくれも、関係ないも、聞きたないねん」
 駄々っ子のように、いやだと言い募る言葉に即時に返す言葉は見つからない。
 快斗が怪盗KIDだと知っている平次には、恋人としてかなり無理を強いている自覚はある。急なキャンセル、長の不在、テレビ越しにはらはらとさせて、挙句数日連絡もつかないなんて時も、しばしば。
 それでも平次は悠々と構えていた。
 事件とくれば急なキャンセルはお互い様だし、仕事は仕方ないから無事に自分の所に帰って来てくれるならばただそれでいいのだと窓の向こうで笑ってくれていた。
 けど、いつだって笑って解き放ってくれていた腕が、今、それを否と訴える。
「ジブン抱えとるモンに俺が関わるんをヨシとせんのは分かっとるし、尊重するつもりやった」
 いつだって、追いかけては来ても最後の最後までは追い詰める事のなかった眼差しが、腕が。
「けど、せやけど、……こんな風に自分からおらんくなるような真似は、もう二度とせんで。それだけはアカン。ここから……おらんくならんといて」
 逃がしてはやれないのだと、苦しげに告げる声。
 きっと今度の件がなければこんな風に心情を吐露する事なく、快斗を彼は腕の中で漂わせてくれたのだろう。
 温かで曖昧で心地よく、ひたすらに優しい場所で。平次が自身を律して快斗にくれている猶予だと知る由もなく身を任せ、たゆたって。
 それは平次の無言の譲歩の上に成り立っていた砂上の楼閣で、彼はその砂の城を護る権利も崩す権利も持っている。
 けれど、崩すなら崩すにせよ本来ならその時期を決めるのもまた平次の意思に因る筈なのに、こんな形で……平次の一方的な勘違いとは言え……無理やりに彼に決断を迫るような形になってしまった事が少しばかり悔やまれた。
 そして、それ以上に胸を震わせたのは、歓喜。
「いなくなったりなんか、しないよ」
 応える声も心なしか上擦った。
 痛い程に拘束する彼の腕が伝えて来るのはおぼろげな不安だろうか。
 それとも、快斗を失う事への怯えなのだろうか。

(どうしよう)

 こんなに必要とされていたなんて知らなかった。
「どこにも行かない」
 好きだとは言われた。それも数え切れない程に繰り返し告げられている言葉だ。
 想われている実感だってある。
 彼は時に向けられたこちらが気恥ずかしくて仕方なる程に、好意を態度にも言葉にも素直に現してくれるから。
 愛おし気に触れるてのひら、熱く注がれる視線、見えない気遣いに、吹き込まれる甘い囁き。そんなものたちで伝えてくれる。
 出会うまでの夜。
 出会ってからも、こうして平次の腕の中に居場所を得るまでいくつもの夜を越えて来た。
 言葉だけじゃなくて、態度だけでもなくて。重ねた日々から確かに伝わって来るものがあって、それを快斗は受け取っていた。
 それでもその先があるなんて知らなかったのだ。更に深くギリギリで、……切実な想いがあるだなんて。

(どうしよう)

 こんなに必死に全身で求められてしまったら。
 後ろめたいのに、上回って嬉しい気持ちが衝き上げて来る。

(もう逃げられない)

「オレは、平次が追いかけて来れないような所には行かないよ……?」
 行かない。きっと行けない。
 抱き締めようと伸ばされるその手を避けず、切ない愛の言葉は胸を貫いて、熱い視線に背を向ける事も、ない。
「……それを、……ジブンのその言葉を、まんま信じられたらええのに、思うわ」
 呟く平次の視線は快斗の右手首に落ち、……やんわりと手を取られる。
 丁寧に、優しく、どこか悲しげに、親指が包帯を辿った。……言葉なく『どこへも行かないと言うなら、どうして?』と、責めるのとは違うやり切れない表情で、寂しそうな眼差しが問い掛けて来る。
 手首の、包帯。はっと息を飲む。
「ちがっ」
 浅く喘いで快斗はその手を振り払った。暖かく安穏と出来るその腕の中から、無理やりにその身を引き離す。
「……違う! 置いていったりしないってば。これはそんなのじゃ、……!」
 どう言えば誤解をすんなり解けるのか分からなくなって、思考がこんがらがってしまう。
 もどかしくて、普段なら回り過ぎるきらいのある舌なのに、肝心な時にうまく言葉も使えない。伝えるべき言葉を見つけられない。
 けれど一言、信じて、と叫ぶには清廉潔白には程遠い自分が邪魔をする。

(どう言えば……ッ)

 快斗はいらいらと視線を巡らせて、そこで目を止めた。
 飛び込んで来たのは、これ以上なく手っ取り早く、且つ確実に真実が伝わる手段。
 快斗は右手の包帯に乱暴に手をかけた。
「快斗っ、何すっ……?」
 その左手を慌てたように平次が掴む。瞬間抗った位では揺るがない左手に更に苛立って、快斗は身を捩り右手の包帯を口許にあてた。
 平次に見せつけるように、包帯の結び目に歯を立てて、ぐいと一気に引く。流石に加減が利かず鈍い痛みを感じたけれど、この際と目を瞑った。それよりもと心が逸る。
 解けた包帯がたわみ、ずれた包帯の隙間から四角いガーゼが顔を覗かせた。
 平次は快斗の左手を掴んだまま、凍り付いたように動かない。
 動けないのかもしれなかった。ひたすら声もなく、ただただ固唾を呑んで。
 快斗は荒っぽく腕を振ってゆるゆる纏わりつく絡んだ包帯を振り払う。するすると滑るようにとぐろを巻いて音もなく白布は床に落ちた。
「こんなの、見て気分の良いもんでもないけどさ」
 傷口に乗っているだけのガーゼの右手を、彼の目前に突き付けて。
「自分で確かめれば。見たら分かるよ、オレはそんな事しないって」
 独りよがりに終わりを決めたりしない。彼を置いて、どこへも行ったりはしないと、これで嫌でも分かる筈だ。
 まっ直ぐに伸ばした腕は確認を促し、語気の鋭さは剣の切っ先のように決断を迫る。
「……ほら!」
 強く促す声に引き寄せられた腕がぎくしゃくと快斗の手に伸びて……、永遠のような数秒の後、ガーゼに触れる間際、唐突に平次は掌を握り込む。
 どこか茫然としていた瞳が瞬き一つ、後。
 強い意思を映し込んだ漆黒が、不意に強くはっきりした色を纏った。
 ようやく強く握り締めたままだった左手首に気付いたらしく、一度やんわりと指が離れかけ……握り込んでいた親指が労わるように快斗の手首の内側に優しく触れ、今度こそ離れる。
 そして身を屈めたかと思うと、彼は捨て置かれていた包帯を拾う。
 一連の動作に説明は一切なく平次の感情の動きはさっぱり掴めなかった。
 隠そうとすれば探偵は怪盗よりも上手にその感情を表情に乗せない術を知っている。平次にそうされると途端に快斗は戸惑いと不安を覚えると言うのに。
「へーじ……?」
 呼ぶ声が、力なく聞こえるのを怯える癖に、声をかけずにもいられない。
 なのに、平次は答えない。
 何かを考え込むよう黙したまま、快斗の右の手を取って、丁寧な手つきで彼は包帯を巻いていく。ガーゼの上、強くもなく緩くもなく絶妙な強さで。
「……平次……」
 困惑がちに呼ぶ快斗にようやく平次は視線を上げて微かに笑みで応えた。
 らしくもない小さな笑みだったけれど、笑んだ瞬間にそれは快斗の心に巣くう不安の火を消してくれる。理由なんて知らず、けれど確かな力で。
「信じる言うんはどうしたって難しいもんやけど」
 唐突に紡がれた言葉に、快斗は意識を引き戻す。平次が微笑むとついその空気に巻かれて意識が散漫になりがちだ。
 包帯を小さく蝶々結びで仕上げ『ほい、出来た』と今度は少しばかり得意気な笑み。
 夏のお日様みたいな、大輪のひまわりみたいな、底抜けに明るく力強い微笑みにまたも耳がおろそかになりかけて……。
「これ見てもぅてから何言うたかて、信じてる言う事にはならんやろ」
 考えながらゆったりとした語調で話す平次の言葉に、黙って快斗は耳を傾ける。
「証拠とか、言葉とか、そんなんやなくて何もなしで。それでも信じる言うんがほんまに『信じてる』言う事や思う」
 せやから、と平次は笑う。
 どこか吹っ切れたような笑顔と語調で。
「見ィひんでええよ。ジブンはどっこも行かへんて信じるから」
 合わせた掌、組んだ指先、絡めた吐息の隙を縫って零れたのは安堵の溜め息。
 馬鹿みたいにお人好しで、厄介ごとには目がない事件体質の上、実は結構早とちりだし、人の話はたまにすっぽ抜けてちっとも耳に残ってない。
 だけど嘘みたいに真っ直ぐでどこまでも快斗だけを好きでいてくれている。愛してくれている。
 それこそ昨今は親兄弟だってそんなに無償の愛を注がれずにいる事も珍しくはないご時世なのに……平次はそれが出来る。
 そして快斗へと向けてくれる。
「信じとるよ」
 ほろ苦く、甘い声。
 とても耳に心地良く、強く胸を打つ。湧き上がった衝動は何だか泣きたくなるようなそれで、じんわりと胸が温まった。
「……良かっ、た」
 ぽろりと口を吐いた言葉に、不思議そうに平次が快斗を見た。応えて、快斗はその呟きにもう一言分補足する。
「えと、好きになったのが平次で良かったな、って」
 こんなに好きになったのが彼で良かった。
 こんなにも愛してくれる人を、誰よりもと言ってくれる人を、負けない位好きでいられた幸運に心から良かったと思える。
 ありがと、と素直に言えばそれが珍しかった為か、平次はひどく照れくさそうにあからさまに視線を逸らした。
「勘弁したって。ジブンにそんな真顔で好きやとか礼とか言われ慣れてへんから、どんな顔したらええか分からんで、困るやん」
「失礼だなぁ、もう。オレがよっぽどそーゆー事言わないみたいじゃん」
 確かにこうも真正面から告げるようなのはなかったかもしれないけれど、好きだとか、サンキューだとか、ごく軽い好意の発露や礼の言葉を出し惜しんだりはしていない筈だ。
「そら、な。せやけどジブンこんな直球ど真ん中なキャラちゃうやん。なんやこう……身の置き所がないっちゅーか、慣れへんねんって」
「……素直に嬉しいって顔してればいーんだよ」
「そーやろうけど……ほんなら『大好き』とか言われたら、どないな顔したらええんや。もっと見当もつかん」
 言うのは照れもてらいもない癖に、言われる事にはそれほど耐性がないのだと言い募る横顔は本当に困惑がちで、苦笑するやらどこか微笑ましいやら、それこそ反応に困る。
「試してみる?」
 ひた、と視線を合わせ吐息の如く甘く囁くと平次が息を飲み快斗を見返す。
 一拍置いて。
「……大好きだよ、平次」
 計算し尽くしたタイミングと完璧な上目遣いでの甘い声に、失礼にも平次が大きく吹き出した。そして快斗をあっという間に腕の中に浚い、ぎゅうぎゅう抱き締めながら声をたてて笑う。
 あまりにも楽しそうで朗らかな笑い声に、快斗もつられそうになりつつも必死に顰めっ面を保って、苦情を述べた。
「何だよ。笑うか感動するか、どっちかにしてくんない? 好きだって言われて困って、大好きって言われたリアクションが、ソレ?」
「しゃあないやん、ジブンほんま可愛ええし、何や嬉しなるし、ごっつーおもろいんやもん」
 それこそどんな顔をして良いか分からなくって、ふてくされた顔を見せるも結局頬は綻んでしまう。
 真正面から向けられる満足そうな浮かれた笑みに対抗できるものなんて所詮限られているのだ。しょうがない、と、肩から力を抜いて快斗も悪戯っぽく瞳を輝かせた。
「じゃあさ、『愛してる』って言った時のリアクションは?」
 冗談の延長線上に乗せた言葉に、平次はふっとその目許から笑顔を引っ込めた。
「仮定法なん?」
 何かを確かめるみたいに快斗を眺めて、すっと目を眇める。
「仮定法やなく、聞かせてくれへん?」
 意外にも渇望が声から滲んだ。強く絡んだ視線が離せずに、快斗は小さく息を吸う。
 不思議ともう一度冗談に乗せる事は出来なくて、さりとてさらりと流しも出来そうになくって。
 急に酸素が薄くなったような、気がした。
 今更だと友人が聞いたらきっと笑うだろうけど、好きだとは言ったのに、不思議と愛を告げる言葉は胸に秘めたままだった。タイミングのせいか、無意識に照れていたのか、想いは確かにあったにも関わらず。だから、告げる言葉に緊張しているのだと自覚すると益々心臓は早鐘を打つ。
 実際に熱を放っているかのような強い平次の視線がそれに拍車を掛けた。
 二度唇を湿らせて、快斗はようよう口を開く。
「……愛してる」
 最後の『る』共々、言葉も息も、嵐のような激しく長い長いキスに浚われた。
 荒々しい程の熱いキスは、予測はしていたけれど心構えがあれば溺れないでいられるというものでもない。むしろ期待してしまうからそれだけ余分に心臓は鼓動を刻んでしまう。
 瞬く間に触れ合った唇から発火しそうな熱が伝わって、間を置かず全身を巡った。膝の力なんていつ抜けてもおかしくない状態になって、彼の腕を掴んだ指先に力を加える。
 やっと唇が離れると、平次は蕩けそうな表情で微笑む。
「こーゆーリアクションはどない?」
「……悪くないね」
 妙な余裕が悔しくて顔だけは澄まして言ったものの、瞳を覗き込まれると誤魔化しようもない。
 快斗の瞳に隠しようのない熱を認めた平次は、満足そうに笑った。
「俺も、愛しとるよ」
 今度は平次の言葉尻を塞ぐように、速攻で快斗がキスを奪い返した。
 瞬間目を丸くして、けれど目で微笑むと平次もキスに応える。浅く、深く、途切れそうで途切れない、……引力が働く。
 キスが途切れると愛を囁き、それにキスで応える、その繰り返し。
 出来上がるのは、不思議なループ。
 結局どちらから仕掛けても次第に長く甘くなるばかりのキスに二人して窒息しかけた頃に、平次がキスの合間を縫ってふと呟きを漏らした。
「堪らんわ。キリない」
 なんや悔しい気ぃもするけど、ごっつー嵌る、と苦笑と共に耳に届いた言葉に、同感と笑う。
「ねえ、へーじ。もーいっかい」
 そっとねだれば、甘い返事が返された。愛の言葉にキスを返し、キスに甘い囁きが応える。言葉でキスをねだっているのかキスで言葉を欲しているのか、いつしか分からなくなる位に。
 閉じた瞼の裏で次々と起こる、ハレーション。言葉遊びの延長のように繰り返される、囁きと、くちづけと。
 最後には互いの名前と『アイシテル』の言葉しか知らないみたいに、とめどなく囁く声に、その都度キスを返す。
 ひたすらに、熱くて甘くてクラクラする波にどこまでも溺れていく。
 気付けばついに誤解を解くタイミングは見つからないままだった。

◆つづく 


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