KEEP OUT




8)

『戻って来てくれないか、快斗』
 前置きもなく開口一番、友人はそう言った。
 彼の声には苦り切った響きがあって、語尾に僅かに切羽詰った気配が感じ取れた。
 本来なら快斗は新一の願いなら何をさておき意に添えたいと思っている。
 快斗が絶望の淵に片足を踏み込んだ時にも、何を知らずとも彼はそこにいて、話し、笑い、触れる、他愛のない会話を交わしてくれた。快斗は友人の存在そのものに救われる。彼の言葉が目が笑みが、薄ら寒い場所から穏やかで暖かい場所へと快斗を引き戻す。
 大切で愛しい相手だ。
 懐っこい犬のように彼に纏わりつき、事件とあらば共に駆けて行ける存在に嫉妬を覚える程度には、思い入れがある相手だ。だからと言って新一をどうこうしたい、新一との関係を変えたいというような訳ではないけれど、彼はとっくに自分の中では特別な位置にいた。
 反射的に了承を伝えそうになって慌てて快斗は一度瞬く。
「どうしたの、いきなり」
 軽く携帯電話を握りなおして、いつもの口調で茶化す。
「なーに、先刻まで居たのに、もう寂しくなっちゃった?」
 一仕事終えて。一度工藤邸に戻った快斗は改めて身の回りを片付けると西の探偵の帰りを持たずに暇請いを告げた。
 今両足を延ばして転んでいるのは、友人宅のような居心地の良さは望めないもののとりあえず身の安全の確保に押さえてある隠れ家の一つだ。
『そんなんじゃねーよ。……いや、そういう事でも良いから帰って来い』
 珍しくも茶化しに噛み付くよりも、乗ってでも意を通したい某かの事情があるらしい。
「あれま。なんか切羽詰ってる?」
『ああ、……服部が倒れた』
 瞬間フリーズし、再度理解するまでに微妙な沈黙が二ヶ所間を漂った。
「……たおれたぁー?」
 思わず繰り返してしまう程度には服部平次と倒れるという単語のイメージはそぐわない。違和感バリバリだ。
 そもそも事件に巻き込まれて刺されたとか事件を暴こうとして犯人に狙われてボコにされただの誰かを庇って身代わりにどこぞから落っこちただとかなら、納得出来る。大いに起こり得る事象、おろか『済』マークがついているものも顔を覗かせているようだ。
 だが事が怪我ではなく『倒れた』となると意味合いが大きく違う。彼とイコールでは結べない。
 だからだろうか、何故か快斗は言葉の継ぎ穂が見つからない。
 結果的に黙り込んだ快斗の耳元で、名探偵は大きな溜め息を落とした。途方にくれた声が続けた真実に、我が身を振り返った快斗はズッコケればいいのかツッコミを入れるべきか、はたまた責任を感じ恐縮するべき所なのか判断をつけかねた。
『ぶっ倒れたんだ、……風邪で』
 ミイラ取りがミイラになった。快斗の頭を過ぎったのはそんな言葉だった。それとも単に順繰りに風邪菌が移動しているだけなのだろうか。
 だとしたら次の犠牲者は巡り巡ってこの電話の相手になるのだが……それはまだ仮定法未来形の話。
 何にせよ、自分が転がり込んでいたこの数日、あの友人の友人こと服部平次が何かれとなく世話を焼き、快斗の回復に手を貸したのは紛れもない事実だ。快斗がそれを望んだかどうかはともあれ、借りは借りとして認めるべきだろう。認めた上でこれを突っ返せるならそれは何より、絶好の機会である。
 であるの、だが。
「えーっと、実は、ちょっとばかり問題があったりとか〜」
『ンだよ』
「顔を見られてる」
 即答に新一が『……ドジ』と低く罵る。快斗は苦笑を漏らした。
『昨日か』
「そ。顔そのものは新一の変装したんだって思ったみたいだけど、眼を、見られちゃっててね。もう一度快斗として会うのはどーしたものかなぁとか……、ビミョーじゃない?」
『おまえそんな呑気な……、微妙よりずっとヤバイじゃねーか』
 既に名探偵に内情が筒抜けなのは納得ずくとしても、英国帰りの探偵には充分に怪しまれている身の上だ。この上もうすぐ正式に上京して来るらしい西の探偵にまで目をつけられるようになったら、怪盗KIDの活動に際して多少面倒な事態が生じるかもしれない。
 しっかりと挑発した覚えもあるだけに自業自得だと言われれば返す言葉もないが、KIDと快斗を関連づけられる危険性は無視出来ない。
 危ない橋なら渡らないのが無難で要領よい生き方なのだろう。
 だがそんな理性の説得は快斗の中ではとっとと聞き流されてしまう。頭の中の天秤に幾つかの情報がかけられると、あっさりと天秤は片方向へと傾いだからだ。
 目前にあるのが危ない橋なら、引き返すより迂回路を探すより、いっそ飛んで越えちゃえばいい、という極論に走るのが快斗の快斗たる所以なのだった。
(尻尾巻いて逃げるなんて、冗談じゃねーっての!)
 今、快斗は警察相手だけならその攻防に物足りなさを覚えている。刺激としては探偵の一人や二人が首を突っ込んでこそ釣り合いも取れようと言うものだ。
 それは強がりと呼ぶのか。
 虚勢と言うか。
 でなければ単なる負けず嫌いの見えっ張りがそうさせただけなのだとしても、言い切ってそう実行してしまう、そう出来てしまう事こそ快斗を快斗たらしめているモノに違いない。
 怪盗KIDは快斗が引き継ぐ事にした、父親の真実の死の謎を解く大事な手掛かりであり、快斗だけに残された秘めた遺産だ。
 けれど父親の残した形見であると同時に、既に血肉を備え快斗の定義で動き出した怪盗KIDでもある。何かがあった場合跳ね返って来るのは自身にだ。……所謂、得るのも失うのも。
 それが今は有り難かった。
「ま、いーや、行くよ」
 へろっと出た了承の言葉に反対に新一が電話の向こうで慌てている。
『え、だけどよ、』
「考えたって、どーせなるようにしかなんないよ」
『かもしんねーけど、……せめてもう少しくらい迷えよ、おまえ』
 と、新一が溜め息を落とす。
「それより今新一にはオレ、必要でしょ? 行くから、待ってて」
 強引に言い切る快斗に、新一もそれ以上止める素振りもなく、快斗がもう一度工藤邸を訪れる事は本決まりとなった訳である。
 決めてしまうと下した判断は間違ってない気がした。
 「じゃあね」と、音高く投げキッスをおまけして通話を終える。憮然として握りしめた受話器を睨んでいる友人の姿が浮かんで快斗は小さく笑った。
 いらない、と即座に返されなかっただけでも僥倖だ。友人はその辺り割と容赦がない。勿論、快斗は快斗で例え軽くあしらわれたとしても行くと決めれば行ったには違いないが、どうせなら好意の押し売りに行くよりは必要とされたい。
 それが快斗の望む快斗と新一の関係だ。
 また、快斗と平次の関係はというと……これには間に新一を挟んだ、新一経由の関係になるので現時点では顔見知りかせいぜい知り合い程度の認識ではないかと思われる。少なくとも快斗はそう思っている。
 双方の意識にさほど差がなければ、恐らく平次も似たりよったりな筈だ。
 KIDと西の探偵との間には……多少の関係と呼べるかもしれない程度の関わりが発生した。
 再会は快斗の予測より多少逸脱した面も見せた予想外の様相を呈し、KIDが出し抜けた部分と、平次の動きがKIDの読みを上回った部分とが混ざり合っている。
 服部平次は計り知れないような所がある。
 KIDを前にし、意気揚々としているかと思えば、それなりに警戒するような視線を寄越したりもする。怪盗を前にした探偵として至極真っ当な反応である。
 だが、訝し気に眺める割には思っていたよりずっと近くまで平次はKIDの接近を許した。軽く見られていたのか、様子を見たか。
 見据える視線は真正面からKIDを追いかけ、貫き、正体を見透かそうとでもするようにざっくりと突き立てる。
 平次はKIDの向こうに新一を見、その中に快斗の瞳を見つけた。新一と快斗の明確な差異を。
 快斗がその時に感じた苛立ちは感情を御しきれなかった自らへの苛立ちだったのか、KIDの中の快斗として認められたのが眼だけだった事への苛立ちだったのか今となってはもう判別もつかない。
 ただ、抱いたのは苛立ちだけではなかった。
 探偵の巡らす思考に対する興味や、彼の言動の意外性にかきたてられた興奮だとか。僅かな間にそんなものをも引っ張り出されてしまっていた。
 掌握し切れない、扱い切れない、自分の感情である筈なのに。けれど快斗は混沌とした己の感情に戸惑いつつもそれを楽しんだ。
 そんな風に西の探偵は思いがけず快斗を愉快がらせた。東の探偵とはまた違った探偵の資質と色合いで場に華を添えて。
 だったら一人の知人としての服部平次はどうだろう?
 快斗はまだへろっている状態で数日顔を合わせただけだ。それ以外は新一経由で聞いた『服部』しか知らない。
 それは探偵の名を背負う立場ではなく、友人と親しい距離に居れる相手への嫉妬でもなく、初めて個人である服部平次に向けて抱いた純粋な意味での興味だった。友人の存在を通さずに、彼を見てみたいという興味。
 平次が快斗をどう見るかは分からない。快斗らしい快斗を彼はまだ知らない。
 それに快斗の瞳の色に果たして気付くか、否か。そこも問題だ。
 彼が快斗の瞳に気付かなければ面倒がなくて良い、そう思う反面本気でKIDを追う覚悟があるのなら、快斗の瞳を見つけてほしい。せめてその位熱心になってくれても良いじゃないかと思う。工藤新一を夢中で追い掛けていた時のように……。
「あれ」
 快斗は思考を一時的に停止した。
「おっかしいなー……、」
 確か、工藤工藤と友人の周りを犬のように追い掛けて、今では新一と探偵仲間として肩を並べて歩いている、そんな存在がしゃくで嫉妬紛いの八つ当たりでちょっかいをかけた筈なのに。
 傍らにいる事を許された存在に対して抱いた羨望だったのに、今となればどちらに向かってその気持ちを抱いているのだが。
 小さく動揺が走った。感情の揺らぎが視線の揺らぎにも繋がり、無意識に視線がさ迷う。
 快斗は彼の傍らの居心地の良さを自覚してからというもの、極めて一途に新一を見ていた。
 それが友情か恋情か愛情から来たものなのか、それとも全く別の何らかの感情か、気持ちに名前なんかつけれないままだったから今更分類も出来かねた。
 変わらず確かに快斗の中、彼へと向かう想いがある。
 けれど、新一を見ていた視界にすんなりとかつ強引に平次が入り込んで来て。二人して事件へと事件へと駆け出し推理を戦わせ、不自然でなく共に居る。新一の傍らに堂々と居れる立場の彼に抱いた、苛立ちや押さえ切れない羨望、そこから発生した嫉妬。
 やみくもに服部平次を嫌わせたそんな感情が何時しか服部平次という人間への漠然とした興味へと変容している。
 新一が言う程良い奴とは限らずとも、自分が勝手に思い込んだ程嫌な奴でもないのかもしれない。そんな風に。
 ただ快斗にとって『服部平次』は嫌な奴であった方が都合が良かった。関係ないと無視して関わらないでいれれば、多少の後味の悪ささえ目を瞑れば自身は変わらずにいれた。
 下手に抱いた興味で今後の西の探偵への見方が変われば……好意的に、だ……追い詰められるのは快斗の方だと容易に想像がつく。
 好意を抱けば抱くにつれて、沈黙を守らなくてはならない自分の立場がのしかかり、辛くなるだろう。関わりが深くなればなる程に切なくもなるだろう。
 だから本音とすれば人柄など知りたくはない、現状を越えて彼に近寄りたくない、興味を引かれたくなどないのだ。
 なのに、これから工藤邸に戻ると快斗は決めた。
 不安は過ぎる。……張り続けられた意地が保てるかどうか。一度表情を殺すのに失敗すればきっと、立て直しは無理だ。
 思っても、逃げたくはなかった。
 混乱混じりの頭を強く一度振って、快斗は立ち上がる。行かなくてはならない。このこじんまりとした無機質で味気ない室内から、暖かく心地良い、けれど戻るのには勇気の必要なあの場所へ。
「ああ、もう、とにかく、行かなくっちゃ、」
 逃げずに立ち向かって越えれたなら、その向こうに何があるのかを知る事が出来るかもしれない。
 KIDでもない、新一に似ている人物とも違う、ただの快斗で向かい合いたい。……しかも表情を殺したり感情を乗せないようにした快斗じゃない、いつも通りの。
 見つめた心の中にいたそんな願いが、ささやかなのか無謀なのか、快斗には分からない。
 きつく握りしめたままだった携帯電話に気付き、未だ体温を移した電子機器を無造作にジーンズの後ろのポケットへと捻じ込んだ。
 財布をコートの内ポケットに入れて手早く羽織り、三連式のキーケースを手にして足早に玄関を抜けると、まるで自分の足音や影に急かされでもするようにして、快斗は一目散に駆け出す。
 奇しくもその姿は、丸一日も過ぎない過去に快斗が工藤邸を後にしたその時と全く変わらぬいで立ちだった。

*          *          *



◆KEEP OUT:平×快◆つづき


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