KEEP OUT




7)

 『干してある洗濯物を取り入れておいてほしい』だの『夕刊を忘れずに入れておいてくれ』だの、相変わらず多弁にどちらが家の者かも分からないような頼み事を連ねる平次を、新一は言葉巧みに宥めすかした。
 気持ち的には蹴り出してやろうか、位の所だったがそうもいかない。
 表面的には穏便に、相棒を送り出したのだった。
 送り出した足で二階のゲストルームを覗く。自室の向かい、現在快斗の使用している部屋だ。
「快斗」
 そこには、きちんと整えられたベッドと、枕元には彼が着ていたパジャマ、サイドテーブルには口の開いたのどアメの袋がぽつねんと残されていた。
 快斗はいない。
 ぐるりと見回した室内にも、カーテンを開き覗いた窓の向こうの景色にも、駆けて行く見慣れた後ろ姿を見つける事は出来なかった。
「なんだ、行ったか」
 少し気が抜ける。……何故かホッとした。
 力の抜けるがままにベッドに両手をついて腰を掛けて、アレ、と動きを止める。
 新一は何かを暴く時と同様に一瞬の躊躇もなく整えてあった上掛けを剥いで、シーツの上にさっとてのひらを滑らせた。
「まだ少し温かい……、」
 と言う事は、快斗が『行って』からほとんど時は過ぎていない。下手したら馬鹿正直に平次が工藤邸より出て行くのを見届けてから姿を消したのかもしれない。つまり、つい今しがたに。
「オイオイ、そんな悠長に構えててちゃんと間に合うのかよ、あいつ……」
 探偵としては泥棒稼業を心配する筋合いではないが、他人事ながら不安に駆られる。呟いて更なる不安に気付いてしまった。
「待てよ。万が一、快斗帰って来なかったらヤバイんじゃねーか」
 彼の不在の言い訳なんて考えてもいない。けれど自分は未だ風邪っぽい『黒羽快斗』の見張り番……看病よりは信憑性がある……の名目で平次と同行せずに居残ったというのに、肝心の快斗が脱走していたでは笑うに笑えない。
 いや、仮に彼がここへ約束通り戻るにしても、平次より帰宅が遅くなった場合どう言ってごまかせば良いと言うのだろう?
 どんどん問題点が浮かんで来ては頭に居座る。
「いや、それより……!」
 新一は愕然と肩を落とし呟いた。
「生姜湯に二人前のうどん、一人でどうすりゃいーんだっ?」
 馬鹿馬鹿しいかもしれなくても本人的には大問題である。だがしかし、そんな苦悩もあらわな疑問に答えられる人物はどこにもおらず、頭を抱えたまま新一は呆然と立ち尽くしたのだった。

*          *          *


「いいか! 怪盗KIDの予告時間まで三十分、アリ一匹入れてはならーんッ!」
 七階ホールの特設会場に鬼気迫る中森警部の怒号が響き渡り、警官が配置につくべく足音荒く右往左往している。
 真夜中も近い時間にも関わらず、百貨店は夜の繁華街に負けまいとするように全階明かりをつけ、喧騒に包まれている。
 入口、非常口には共に立入禁止のロープが引かれ警官が大規模に渡り警備にあたっており、百貨店の前の大通りにはとうの昔に交通規制が引かれている。辺りには何台ものパトカーが待機中だ。
 それを取り囲むようマスコミ各社が陣取り、更に後ろには犯行現場を一目でも垣間見ようとする野次馬が溢れている。
 主に怪盗KIDの巻き起こす窃盗事件は、『ショー』とまで言われる華やかさがある。
 だからだろうか、野次馬も多種多様だ。
 KID自体を垣間見るのが目当ての者、KIDのショーが目当ての者、また翻弄される警察を見て楽しみたい者と、その人出につられたよく分かっていないお祭り体質の者。時間も時間だというのにお構いなしな十代から五十代を越える会社帰りのサラリーマンまで年齢層も幅広い。
 そして人数はと言えば、これまた半端ではない。一説では隅田川の花火大会にも匹敵するという噂だ。
 通常なら夜間、店内は必要最小限のライトしかなく不気味な程静まり返っている筈の百貨店が、今夜だけは煌々と明かりを放つ。
 空中を旋回する警視庁のヘリコプターからのサーチライトがスポットライトのように百貨店の外観を幾度となく照らし通り過ぎた。観衆を光が射抜く度に歓声ともつかないものが上がった。
 相次ぎ下方からも向けられているサーチライトが交差して闇を薙ぎ払い、周辺はまるで昼日中のような明るさである。
「あのぅ〜、警部さん」
 やたらとハンカチで汗を拭いながら、男は強化硝子のケースに納まっている宝飾品と眉尻を吊り上げている中森警部を何度も見比べながら恐る恐る問い掛けた。
 宝石展覧会場、七階特設ホールはピリピリとした緊張感に包まれている。
「本当に怪盗KIDは現れますかねぇ」
「勿論現れますとも、奴は必ず来る。そうして現れた時が怪盗KIDの年貢の納め時ですよ! まあ見ていて下さい」
 応える中森はいつもの如く自信満々に胸を叩く。
 次々と無線で部下達がそれぞれ配置場所についたという最終確認が飛び込み同時に、屋外や警備室との連携も忘れない。
 一方、百貨店側の代表として立ち合っている男は気が気でなかった。
 会長でも社長でも副社長でもない、ただの企画室長でしかない男が汗を拭い拭い同席しているのは、望んでのものなどではない。
 だが、企画部が立てた宝石の展覧会の中の目玉であるペンダントが怪盗KIDに狙われたのだ。
 事と次第によっては百貨店の命運を左右する、とまで言われてしまっては知らぬふりで居合わせない訳にもいかない。……保険はかかっているとはいえ、宝石が盗み出されでもした場合、百貨店側のスケープゴードにされるだけと、承知していたとしても。
「それより、あんた。何があっても迂闊に動いたりせんで下さいよ。KIDを捕らえる罠にあんたがかかちゃあ困りますからな」
「え、あ、ハイ」
 重々しく刺された釘に男は条件反射で頷き返す。
 けれど、考えていたのは、せめて例の泥棒らしく盗んだ宝石を返してくれれば首の皮一枚で首は繋がるのに、とか何とか。……横で張り切っている警部が怪盗KIDを捕まえる、もしくは撃退し宝石を守り切るという可能性を頭から考えてもいない極ありふれた民間人がここにいた。
 同時に。
 警察の勝利を念頭に置いていないもう一人の民間人が、間近にいる事を彼等は知るよしもない。
(何ともまぁ……ちょろいでやんの。ンな簡単で良いんでしょーかね)
 様々な侵入経路を検討していたというのに、呆気なく警官の一人のすり替わりに成功してしまった。しかも七階特設ホール入口の担当とは好都合過ぎてやや空恐ろしい。
 KID逮捕と息巻く幼馴染みの父親を横目でこっそり伺い見て、更にホール中央の硝子ケースをも視界の隅に捉らえた。中央に設えられた展示台の上のお姫様は強化硝子の特殊ケースに守られている。
 次第に動く人の気配と足音が途絶え、最高潮に達しつつある店外の喧騒とは裏腹に、店内は息を殺した警官達の張り詰めた空気に満たされている。
 予告時間まで四半刻を切り、中森警部が腕時計へとやる視線も厳しい。
 そうでなきゃね、と快斗の瞳はそっと輝く。
 KIDに対する彼等の意気込みや視線の強さはそのまま自分へと打ち寄せて、心地良く響き合う、協和音だ。せいぜい楽しませて貰おうと、快斗は僅かに俯き人目を避けて口の端に薄く笑みを刷いた。
 場に居合わせた誰もが、今はただ時を待つ事のみに集中している。チリチリと痛みを伴う沈黙を、共有して。
「後、五分だな」
 警部の呟きに、居並ぶ警官の緊張がたちどころにいや増し急激に高まっていく。
 無論、快斗も同様だ。あえて違いを言うならば、せり上がる興奮をどこか冷静な所を残した高揚へと意識的にすり替えている辺りだろうか。
 耳鳴り。
 空気を伝わって感じられる秒針の振動。
 胸の中、誰かが取る声ならぬ声のカウントダウン。意識が一息でクリアーになる感覚は、束の間。快斗は快斗であって快斗ではなくなる。
 長針が天を指す、ぴったりのタイミングでKIDは握り込んでいたてのひらの中の小さなスイッチを押した。
 『ドォン!』と。
 鈍く響く地鳴りのような重低音と、足元から這い上がる振動に誰もがぐらりと足を取られた。その中で、KIDは強く大きく右手を翻した。
 煌々と室内を照らし出していた明かりが一斉に落ちる。
 立て続けに起こった事態に対応し切れないで上がる狼狽した声の中「うろたえるな、KIDだ!」と叫ぶ中森の怒声が響き渡る。一喝に、動揺が微かに落ち着きを見せたが、地階警備室を無線で呼び出す中森の声に、低く含み笑いが被さった。
「まさしく。こんばんは、中森警部、今宵もお元気そうで何より」
 皮肉気で、僅かに掠れる特徴ある響きに、誰もがはっと息を飲んで動きを留めた。
 点滅しつつ点灯した非常灯の薄ら暗いぼんやりとした明るさにようやく慣れた目に、痛みすら感じる純粋な白色が一際大きく波打ってふわりと翻る。
 音も気配もなく怪盗KIDがマントをなびかせて、硝子ケースの上にどこからともなく降り立った瞬間だった。
「KID……ッ、かかれーッ!」
 息を飲んだ次の瞬間には中森が時代劇がかった叫びを上げて、慌てて目を瞬かせた部下を伴いよりにもよって硝子ケースの上に降り立った怪盗へと確信を持って飛びついた。……今夜こそ捕らえる、と。
 だが先陣切って飛びついた中森の両腕は、純白のマント一つ掴めずに大きく空を切り、驚愕の叫びを上げた。
「何だと!」
 己が指は目前の怪盗の身体をスルリとすり抜ける。実体を捕らえる事なく突き抜けて、やっと酷く存在感を持つ彼がその場にはいないのだと中森は悟った。……ホログラム、の文字が一呼吸をおかず素早く頭を過ぎる。
 束の間他人事のように醒めた目つきで自らに……否、自らの幻影に飛びついた警官達の動きに視線を投げ……けれど泥棒は姿を消す事なく、気障な仕種で軽く肩を竦めて見せた。
「失礼、握手はまたの機会に願いますよ、警部。生憎今宵はこの通り、愛しの姫で手一杯」
 ひらり、と翻したKIDの白手袋の右手にはいつの間に手にしていたか、通称『水の女神』と謳われるペンダントが輝きを放っている。
 KIDの腰かけた硝子ケースの中には濃紺のビロードの布だけが見えた。
 トルマリンの最高峰、パライバトルマリンは薄闇の中でも綺麗な蛍光ブルーの輝きを放つ。雫のような暖かみを内包する水色は、全ての水の女神のような神秘的な輝きで『水の女神』と謳われる要因と言われている。
 雫型を象ったホワイトゴールドと地金に、2カラットの天然ダイヤモンド七つに守られるように約七カラットの天然パライバトルマリンが使用されている……値段などつけようもない、希少な宝石のペンダントである。
 中森は低く唸った。
「馬鹿な……ッ。開く筈がない、そんな……、」
 明かりが落ちて非常灯が灯りKIDの姿が確認されるまで、経った時間はほんの十数秒にも満たない。
 しかも、ペンダントを覆っていたのは強化硝子のケースで、台座との接続は特殊な識別反応のみに対応している。その識別コードを知っているのは、中森だけだ。装置自体、百貨店の電源とは完璧に異なっている為、KIDが引き起こした停電にも関係しない。
 おまけに、ケース上に見えるKIDはホログラムに過ぎない。実体は映像が投影出来る範囲内にいる筈とはいえ、既にケースとは離れた場所に宝石を手にしたKIDはいる事になる。
 それらを、このような短時間で……ッ!
 愕然とする中森に、目を眇め、怪盗はクスクスと楽し気に笑う。そして周りの全ての警官の神経を逆なでするかのように、そっと……まるで厳粛な儀式の如くてのひらの中の柔らかな輝きを見せる水色の石に、唇を寄せる、仕種。
「ではこれにて」
 KIDは一動作でくるりと宙返り、ケース上に立ち上がると優雅に一礼する。
「あ!」
 中森の間近で、叫びが上がった。警官の一人が指を差す。……KIDのいる中央の展示台とはまるで見当違いを。
「警部、あそこを!」
 展示会場の入口に浮かぶシルエットは、ケースの上の怪盗と同じ態勢で、同程度の高さに、存在した。
「逃がすな、逮捕だ!」
 中森が手を上げると、警官達は我先に入口へと殺到する。だが、先頭の警官はKIDに手を伸ばし悔し気に振り向くと横に首を振った。
 そのKIDすら実体ではなかったのだ。
 またか、と歯ぎしりする中森と、当惑する部下達の耳に新たに届いたのは、無線から伝わる緊迫した声。ザーッと混じる雑音に負けまいと叫ぶ、声。
『報告します。中森警部、B地点エレベーター前にKIDが現れましたっ! ……ぅわ!』
 叫びで切れたそれに中森の決断は早かった。
「A班はこのままB地点、B班は第二エレベーターで屋上へ向かう。両班共に各一人は次の指示があるまでこの場で待機、急げ!」
 走りながら更にエレベーターや非常階段、地上班に屋上班とKIDが向かう可能性の強い各地点へと次々指示を飛ばしながら走る中森に急かされ、部下達は慌てて動き出した。待機の二名の警官、そして残る十数名の警官がその指示に従い素早く移動する。
 ただ一人、オロオロと汗を拭い続けた民間人の存在を、忘れて。
「あ、あのぅ……、私はどうすれば……」
 すっかり青ざめた企画室長の問いに、警備に残った二人はきまり悪気に顔を見合わせた。指示を仰ごうにも上司も同僚も互い以外この場には誰もいない。
「どう、って言われても、なあ」
「警部、多分この人の事忘れてたんじゃないか」
「だろうな。無線でどうすりゃいいか聞いてみるか?」
 大の大人のしかも警察官が顔を寄せ合いこそこそ内緒話である。
「けど、もしそれが原因でKIDに逃げられでもしたら……」
「……………」
「……………」
 そりゃマズイだろう、と互いの目で語っては頷き合う。
「じゃあとりあえずこうしよう」
 何やら思い至ったらしい警官Aに差し招かれて、民間人と警官Bは展示会場の入口で顔を寄せ合った。
 おどおどとした企画室長と不思議顔の警官Bの目前に警官Aが右の拳をひょいと目の高さまで上げる。
「?」
 てのひらを開いた時には、人差し指が細く小さいスプレー缶の突起を押さえていた。シューっと霧状のモノが噴きつけられる。
「……ぁ……?」
 何かのスプレーを噴きかけられたのだと、彼等に理解出来るだけの時間があったかどうか。茫然とした表情の二人は瞬く間に眠りに落ちた。スプレーがコンパクトなだけになくなるのも早いのが難点だが、効き目の方は文句なしで満点である。
 どすん、と痛そうな音が響いたが二人を倒れるに任せ、警官Aこと怪盗KID……もとい快斗は、ニヤリと笑いてのひらサイズのスプレー缶をポケットに滑り込ませる。
「こうしておくのが一番、と」
 ついでに言うなら入口に倒れ伏しているのもそれはそれで邪魔なので、ズルズルと足を掴み部屋の隅に二人を転がしておく。
 ……結構雑な扱いである。
 ともあれこれで怪盗KIDの前に立ちはだかる障害は……快斗を阻むものは、ゼロに等しい。
 ぱんぱん、と両手を払い、さて、と改めて快斗は中央の台座を振り仰いだ。
 からっぽの、硝子ケース。
 正確には、そう見えるだけだ。
 二十三時ちょうどに起こした配電室の爆破による短時間の暗闇を利用したどさくさに貼り付けたソレを、今度は手早く剥がす。硝子ケースに貼り付けた特殊シートの向こうに『水の女神』が姿を現した。
 先刻のホログラムでKIDが手にしていたイミテーションではなく、正真正銘まがい物ではないパライバトルマリンがキラキラと輝く。
「んじゃま、いざ。さっさと戴くモノは戴いて、暇請いと参りますか」
 台座に触れると流れるようになっていた電流はシートを貼りつける前に既に無効にしてあるし、ケースを開ける為の認識コードは読みを外さず幼馴染みの生年月日を逆さまにしたものである。
 打ち込み、承認、解除、そして奪取。
 一連の作業を秒単位の早業でこなし、快斗は悠々とペンダントを手に出来た。だが、その表情に歓喜や満足さはない。
 手にした石がいかに柔らかな光を放つきらびやかなモノでも、値のつけようのない高価なモノであろうとも、現時点では未確認のビッグジュエリーでしかなく、そんなものに快斗の中で感慨は生まれはしなかった。
 これが探しものであるならいざ知らず……まだ判断の機会を得ない今は、今度こそそうであればと淡く願うばかりだ。
 しかも無駄に期待を重ねると反動も大きい事も既に重々承知している。
 だから敢えて強くは祈らず、快斗は淡々と丁寧に件の宝石を胸元の内ポケットへと収めたのだった。
 適当にあちこちに潜ませてあった小型投影装置のスイッチを入れて捜査陣を撹乱し、無線で情報を拾い逃走経路を確保して行く。
 二、三の事柄を除き当初の予定をほとんど逸脱していない。階上へ向かうと見せかけ階下へ。
 途中で方向転換して非常階段へ出ると屋上に予め仕掛けてあったグライダーつきのダミーのKID人形を遠隔操作で飛び立たせた。
 眼下の人々が、唐突に現れた月下の貴公子の姿を目に捉らえる。
 一際高く上がる歓声、拍手とざわめき、打ち寄せる波のようにKIDを呼ぶ声が百貨店に当たり、ぶわりと拡散した。
 夜空を翔る白き魔術師を追い掛けて、サーチライトが空を切り裂く。
 後を追うべく旋回するヘリコプターは、声と言う声をかき消そうと唸るようなプロペラ音を撒き散らす。
 だが、屋上へと連絡を受けた中森始め警官も続々と駆け付けるが、その頃には白い影は顔の認識の出来る距離でもなくなっていた。
 手が出せるのはヘリくらいだ。矢継ぎ早にヘリとパトカーに追跡の指示と怒号を飛ばす必死な声と、KIDの名を呼ぶ声、声、声。
(そろそろ頃合、か)
 タイミングを見計らい、遠隔操作で偽KIDの身体に小さな爆発を起こさせると、詰めてあった花びらが一斉に舞い落ちた。風に煽られてはらはらと舞い、ふわりと上がり、するりと落ちる。
 淡い雪のような……桜はもとより梅の季節にも些か先走った季節外れの、花吹雪だ。
 薔薇の花びらは、深紅、純白、ベビーピンク。
 瞬間の静寂の後、ひらひらと舞い落ちる小さな色の正体に気付いた観客が、怪盗からの幻想的な贈り物へ思わず手を上げる。落ちて来る花びらを追い掛け掴もうと、一人また一人……気付けば幾人もの人間が次々にとそのてのひらを天へと差し延べた。
 そのほとんどが手袋に包まれたてのひら。
 上着の色よりそれは多種に富み、まるでビルの上から見下ろすと色とりどりのカラフルな花が咲き乱れているかのようだ。
 空に舞う花びらと地上に咲く、花。
 状況とかけ離れた至って和やかな風景に束の間目を楽しませると、くるりと踵を返し足早に非常階段を後にして、隣のファッションビルへと移動した。
 本来ならここで奪った警官の制服を脱ぎ捨て一般人に紛れる予定だったが、快斗はもう一度KIDの白装束を着込む。
 シャツを代え、ネクタイを締め直し、シルクハットを目深にかぶる。
 仕上げに肩から流れる足首まである真白なマントの裾を指先でひらりと捌く。
(誰のために?)
 思考を過ぎった疑念に、ふ、と手が止まる。
 百貨店の前を埋め尽くしていた、観客の為ではない。もう一度彼等の前に姿を現す必要性がない。
 また、今もどこか見当違いな方向に怪盗KIDを捜している警察陣の為でもない。もう辞去の挨拶も済ませてあるのだから。
 ではこの後、隣のビルで逃亡して来る自分を待ち伏せている筈の、男の為か?
「まさか」
 即座に否定が口を突いた。
 そんなのは、まるで怪盗KIDとしての姿で探偵としてのカンサイジンとの再会を心待ちにしているかのようで……とんでもない。
 快斗は眉を寄せ、軽く舌打ちして意識を切りかえる。
「……オレの為だ」
 理由はいつだって自身の為であるべきだ。そうでないならせめて継いだその名の為であるべきだろう。……行動規範は。
 そう例えるならば、手にした石を月夜に確認する、その時は怪盗KIDでなければならない……そんな風に。守るべきは怪盗KIDとしてのささやかなプライド。
「それだけに決まってる」
 自らに言い聞かせるような小さな呟き。けれど、他の誰を見事に騙しおおせたとしても、自分自身だけは騙しきれない事を快斗は知っていた。
 最後にモノクルをカチリとはめると硝子一枚隔てた世界が彼を迎えた。
 ……第二幕の帳が、ゆっくりと上がる。

*          *          *



>◆KEEP OUT:平×快◆つづき


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