KEEP OUT




6)

 ゲストルームの扉を閉めて。横を過ぎようとする新一に、一つ溜め息を落としてから平次は声をかける。
「なぁ工藤」
「ぁん? ……どうしたよ、似合わねぇしかめっ面して」
「顔に関するいらんコメントはせんでええ。……最後までちゃんと名乗りよらんかったな『カイト』とやらは」
 先に立って階段を降りながら、新一が少し意外そうに瞳を瞬かせた。
「何だよ、機嫌悪くしてるのか」
「しても可笑しないんちゃう? 名乗らへん、ろくに返事もせん、目線も合わさへん。構ぅてくれるなと言わんばかりや。ごっつーけったクソ悪いわ」
 手渡した物は口にしたものの、喜んでではないのもバレバレな態度で。笑顔らしきものを覗かせたのは、新一とりんごのやり取りをした時位のもの。
 病人を相手に絡む訳にはいかないから必要以上にテンションを上げて受け流していたものの、ああもあからさまに意識から閉めだそう閉めだそうとしている反応を見せられると、正直へこむ。
 しかも初対面、引き合わせて即刻で、だ。
「もとからあないに無愛想な奴なんか、今がえらい機嫌悪いだけなんか、俺がごっつー嫌われとるんか、どれや思う?」
 返事の如何でこっちも考えさせて貰わな、と低くつけ加えると、相棒は沈黙したまま呆れきった視線をザクザクと平次に突き刺した。
 その無言の圧力に酷く自分が的外れな事を言ったかのような居心地の悪い気持ちにさせられしばらくたった頃、やっと新一は口を開いた。
「オレは……快斗がおまえをどう思ったかなんてのは知りようもねぇから、あいつがおまえを好きか嫌いかなんて勝手に言えねぇよ。ただ……態度が悪く感じたんだとしたら悪いのは性格や機嫌じゃなくて、具合なんじゃないか」
 子供に言い聞かせるかのようにゆっくりと諭し口調で言う。だが、最後の最後に「だから、ちょっとは大目に見てやれ」とナチュラルな命令形で付け足されて平次はがっくりと肩を落とした。
 ともあれ新一が言う事にも一理ある。
 誰だって調子の悪い時にまで愛想を振り撒きはしない。……しなくて普通だ。
 ましてや相手は初対面だ。同年代の同性だから、間に共通の友人がいるからと言って簡単に打ち解けれる訳じゃない、それも分かっている。
 風邪で寝込んでいる姿を見られるのや世話を焼かれるのは、居心地も悪いだろうし屈辱と感じる気持ちもあるだろう。
 立場が逆だったとしたら、平次にした所で気まずい思いもしたろうし、機嫌だって下降線になったかもしれない。
 相棒である工藤新一の『ダチ』だという『カイト』の人間性に関する判断を、今の数十分のやり取りのみで下すのは確かにフェアじゃない。
 『カイト』の、自分と相棒を見る瞳に何かひっかかるものを感じたにせよ、それはまだ感覚的でしかなく、曖昧な色合いのもので、はっきりと形や言葉には出来なかった。
 はぁ、と大きな吐息は天井へ。
「ほな、暫くは保留しとく。そんでええな?」
「ああ、そうしてやってくれ」
 一つ頷いて、さっさと踵を返した新一の後ろ姿をゆったり追いかけ階段を降りる。トレイの上でカチャカチャと触れ合った器達がそれぞれに音をたてる。
 まずは解熱で生姜湯とカモミールティー、それから咳や喉の痛みに大根の蜂蜜漬けと日本酒の喉湿布。
 順序としては大根の蜂蜜漬けを先に漬けておくべきか、と迷いながらふと思い至って平次は相棒の背中に問いかけた。
「せやけど工藤、あさってまでにあいつ良ぅならんかったらどないすんねん」
 振った話題に明らかに不意を突かれた表情で、新一はリビングの手前で足を止める。
「ああ……、そうか。KIDの予告日なんだな」
「せや。あさってなんてあっちゅー間や。なんぞ考えといた方がええんちゃう? ああ、俺に居れゆーんはナシやで」
 怪盗KIDについてあれこれと質問を重ねた当初は相当煩がられはしたが、意気込みは汲んでくれたらしい。今回の予告状が手に入ったと言って、新一は真っ先に平次に参戦か否やを問うて来た。
 暗号文の解読も逃走経路の割り出しも、スタイルとしては面倒がっていても始めてしまえば楽しんでいたのも明らかで。
 二人で捕まえるのだと下見に行った先で結託したのはほんの三日前だ。だから犯行予告日までをてぐすね引いて待っていたのは彼も同様の筈だった。
 けれど、彼が自分を頼って来た体調を崩した友人を案じているのも確かだ。案の定、新一は顎に指をあてて難しい顔で考え込んでしまう。
 まるで、困っている友人を見捨てて遊びに出ようとしているような後ろめたい気分で、平次は早口に言を継ぐ。
「いや、あんな、別に意地悪で言うんやあらへんで?」
 普段の平次なら自分の保護下に入れた病人を無責任に見放すような真似はしない。ただ、今回はあまりにも日にちとタイミングが悪かった。
「明日までは俺も責任持ってちゃあんと面倒みたるさかい。けど……、当日はあかん、無理や」
 絶対に、今度の事件に平次が首を突っ込むであろう事を、相手も予想している。よりにもよってあんな挑発めいた真似までして来たのだから。
 月のない夜。
 無風の空。
 塗り潰すような漆黒を白く切り抜いた、影。
 今時有り得ない程のモノクロの景色の中、白が痛い程鮮やかにリアルさを排除している。それを裏切る皮肉に染められた語調が、平次をリアルに留め、その存在を脳裏へと焼き付けていた。
 あれは明らかな挑発だった。探偵である平次に対する怪盗KIDの挑戦だ。
「あのコソ泥相手に、もう不戦敗だけはごめんなんや」
 戦線離脱も、不戦敗も。苦々しく呟いた平次に、新一は相槌代わりに小さく頷きを返す。しかし心ここにあらずな厳しい表情は変わる事はなく、そのまま酷く難しい顔で彼は口をつぐんだ。
 怪盗KIDの犯行予告日まで残す所、三日。

*          *          *


 快斗はまれにみる模範的な病人だった。
 薬は飲まないと明言しそれは頑なに守っているのと、愛想は変わらずなかったが、それ以外に関しては大変手のかからない病人だ。
 差し出されたものは殆ど残さず食べるし、あれが欲しいこれが欲しいと我が儘めいた事一つ口にしない。
 むしろ何か欲しい物はないかと問うても首を振るばかりだ。
 熱が下がって来たからといって退屈がってふらふらうろついたり、安静の意味を履き違えこっそり読書に耽った挙句また発熱したという新一のような悪癖を真似したりもしない。
 昏々と眠っては、目を覚ます度に何かを口にしてまた眠る。
 正に治す為にしなくてはならない事を、淡々と成している。
 そういう意味ではこれ以上なく真面目に回復に努める理想的な病人である。
 しかし、だからと言って番茶だの生姜だのを使用した民間療法のみで風邪の諸症状がみるみる改善するとは、正直誰も思ってはいなかった。
 当面看病にあたった関西人も、予定外にすりおろしりんごに嵌ってしまった家主も、当事者の風邪っぴきですら。
 だが侮るなかれ。
 民間療法は立派に先人の知恵の結集であり、ただの言い伝えだけでなくその成分や使用法によって目に見えて効果を上げる事が出来てしまうのである。
 ピピッと小さく鳴ったデジタル体温計を受け取って、平次はにっこりと顔を綻ばせて一つ頷いた。
「六度五分。ええ感じやん。自分、平熱なんぼ?」
「……五度七分」
「さよか。う〜ん、ほなまだちょい微熱やな。もうちょお大人しィしとった方がええわ」
 その顔に感情を乗せずに、こっくり、と快斗がうっそり頷き返す。
 本来の彼の資質には果てしなく似つかわしくない鉄面皮もとうとう三日目に至り、平次が同席する場ではより完璧にそれは保たれた。
 悪ふざけもからかいも冗談の一つを飛ばしもしない黒羽快斗は、新一にはまるで別人の快斗のようだ。
 それ以前の目まぐるしく変わる表情やあけっぴろげとも言える程に心を映し出している瞳、明るく笑い声をたてる快斗を知っているだけに、徹底した彼の態度のギャップに新一は内心いらいらしてしまう。
 感情を殺したような表情は、怪盗KIDのポーカーフェイスとはまた違う。無愛想と無表情と不機嫌顔を足して三分割したような顔で、それだけで彼の魅力の半分以上を消してしまっていた。
 それらは風邪のせいだけではなかった。言葉少ないのも抑揚を抑えた語調も、喉の痛みの一言で纏められるものではない。
 それでも良いから出ては行くなと止めた。多少の不機嫌なんて、体調を崩した状態の彼を見失うよりは断然良い。
 双方の意見を言葉巧みに丸め込んで『黒羽快斗』と『服部平次』をどさくさ紛れに引き合わせようと画策したのも確かだ。KIDと平次の出会いだけでは双方の良さが……魅力が、どちらにも届きそうになかったから。
 余計な事かもしれなかったが双方の魅力を……彼らの良い所を知っている新一には、彼らの、互いの一面しか見ようとしない態度が歯痒くて、じれったくて仕方がない。
 哀にも忠告は受けたが、お節介なのは承知の上だ。
 だが、快斗の意向を無視して自分よりこういった曲面で頼れそうな平次を呼び寄せた事で、快斗は頑なな態度を維持しその魅力を半減させてしまった。
 人の良さにつけ込んで巻き込んだ平次は、流石に新一に騙されたと判明すると機嫌を損ね……そんな状態で出会った今の頑なな快斗に好感情を抱きもせず。新一の安直な計画は破綻したかに見えた。
 裏目、裏目に出て。
 結局三日たった所で、快斗は何を思っているのか頑ななまま、救いとすれば風邪が快方に向かっている事くらいだ。
 平次はそんな調子の快斗にすっかり慣れたのか、それとも言葉通り判断保留中の為か、初日に見せた不快感は完璧な笑顔の下へと納めた。
 三日目の今現在快斗をどう思っているのかを覗かせる事なく、親身にまめに何くれとなく彼の世話を焼いている。平次に心境の変化があったか否か、気になる所であろう。
「咳もあんましせぇへんようになったし結構順調やなー。せや、喉はどない?」
 予告なく身を屈められた快斗が、目前に現れた平次の顔から距離を取るようにベッド上で僅かに身を引く。そんな仕種も気付かなかったように、無造作に笑顔で開いた距離を平次が詰めた。
「ちっこいねーちゃんとちゃうから見ても良ぉ分からへんけど、ちょお喉見せてくれへん?」
「…………………」
 微妙に渋い顔で、快斗が目で新一を呼ぶ。視線が言うには『あのさァこの人何とかしてくんない?』ってな所だ。
 壁に背を預け腕を組み『知らねェよ』と不敵に笑うと、今度はふて腐れ顔でそっぽを向く。
 ムスッと拗ねた快斗と、にやにや傍観者を決め込んだ新一、そして困惑顔で快斗が口を開けるのを大人しく待っている平次。三者三様のまま部屋には沈黙が満ち。
 ……音を上げたのは平次だった。
「…………工藤、」
 情けない目に縋られて、諦めの小さな溜め息を落とす。
「ったくよ〜」
 どうやら平次は快斗の扱いに困ると新一を引っ張り出すという新技を覚えたらしい。
 始末の悪い事に目で訴えて、だ。
「快斗」
 呼びかけるとこちらはこちらで『ひっどい新一の裏切り者〜っ!』と目で目一杯非難する。揃いも揃って手のかかる友人達である。
「ハーゲン●ッツ」
 びくっ。
 快斗が猫なら今ヒゲがビクリと震えた所である。疑わし気に視線が探偵達を一瞥する。
「カスタードプディングってアイスが今の一番人気なんだって?」
「あ、うん」
 返事はしつつもまだまだ慎重に猫は様子を伺っている。
「甘ったるそーな名前。で、おまえソレ食べた?」
「ううん、まだ。だってアレ凄い人気で、一回発売中止になったっていういわくつきの……、」
 ジャンプ一つ。
 迂闊な猫は興味津々で一息に射程距離へと飛び込んで来る。それでも未だ真顔の快斗だったが既に気もそぞろの様子がありありと窺えるのはご愛嬌。新一は内心にんまりとほくそ笑んだ。
「ふぅん。おまえが買って来たのってそれだよな、服部?」
「せやったような気ィも……。なんや、食うんやったら、持っ」
「食べる!」
 言葉半ばで満面の笑顔が真正面で平次へと向けられた。一瞬の激変に目をぱちくりとさせて、平次は言葉もなく驚く。そして、ニヤニヤ笑いの新一。
 そんな二人の様相に、ようやくしくじりに気付いた風邪っぴきが、慌てて無愛想の仮面を取り繕ってももう遅かった。
 快斗がそれ以上のアクションを起こす前に「ほな待っとり」といそいそと西の探偵は退場してしまったからである。
「新一〜……」
 やっちゃったじゃないか〜、と快斗が頭を抱える。
「いいじゃねーか、ちょっと笑うくらい。減るもんじゃねぇし」
「あのね。そーゆー問題じゃないでしょーが」
 脱力した快斗の顎を人差し指で軽くすくい上げる。
「ほら、見せてみろ」
 早く、と目で促すと脱力ついでか相手が平次ではなかった為か、先程まで頑なに閉じられていた筈のその口は、思いの他素直に大きく開けられた。
「……どう……?」
「…………まだ駄目だな」
「えー。もう喋れるよ。動けるし平気だよー」
「それでも駄目。微熱あるしまだ咳も出るし、今日は止めとけ。……止めたりも出来るんだろ?」
 新一は友人の誘い……個人的に送られてくる怪盗KIDの犯行予告を示したカードをそう呼んで差し支えないなら……を数回に一度程度の頻度でしか受けない。暗号を解くのは楽しいが現場に立ち会うには時間がなかったり、一課でのお呼びを優先したり、気がのらなかったりと理由は様々だ。
 しかし、KIDが何らかの都合で犯行を中止したり延期したりという事が過去にあったろうか。
 ……思い出せない。
 快斗は困ったように曖昧な微笑みを浮かべる。
「快斗、」
「大丈夫だよ、新一は心配し過ぎ」
 ちっともまともに心配させやしない癖にそんな事を言う。
 本音は閉じ込めてでもちゃんと治るまで裏家業を休めれば良いのにと思う。
 けれど。快斗を閉じ込めていられる人物もそこいらにいやしないし、止めた所で彼の決意がそう簡単に翻るとも思えなかった。
 何より彼の捜し物は『じゃあ今度でいーや』なんて先送りしてしまったら次はいつお目にかかれるか分からない宝石の中でもビックジュエルと呼ばれる特殊なモノばかり。ちょくちょく姿を現すものではない以上、この貴重なチャンスを安易に無駄には出来ないだろう。
 想像がつくだけにそれ以上言い募るのも馬鹿らしく、新一はどどっと疲れを感じ肩を落とした。
「……言っておくけど、服部は行くぞ」
 中森警部が良い顔はしないだろうから、平次が会場内で発言力を得たり件の宝石近くに待機出来る可能性は高くはない。
 新一は暗号解読という形で一応関わっているだけに流石に追い出されこそしないが、その新一の不在に平次単一でどの程度受け入れて貰えるかというと……微妙だ。ましてや馴染みのある捜査一課の参入もなく大阪府警本部長令息の立場を利用する気もないのなら尚。
 これから頼み込む算段を立てるよりは逃走経路に張り込む可能性の方が上なのは、数日前の夜の『ザマァミロ!』発言からも容易に推理出来る。
 何にせよ彼の現場へと赴く意思は翻りそうもない。
 怪盗KIDの犯行を阻止する為かKIDの逮捕協力にか別の意趣返しのようなものなのかは別として、意気込みだけでも大したものである。そこに意地と根性、そして野生の勘が加わると彼は犯罪者にとって自分とはまた別の意味で脅威となるに違いない。
 だが、そんな新一の杞憂を以前と同じく快斗は笑い飛ばした。
「それが何? 誰が来てもオレがする事は変わんないよ。来るのが新一でないんだったら、ね」
「おまえな……、」
 新一は溜め息一つ。
「オレには過大評価し過ぎだしあいつは過小評価し過ぎてる」
「どうかな。それも夜にははっきりするんじゃない?」
 怪盗KIDの犯行予告は、今日。平次と解いた暗号が示す時間は二十三時ジャスト。
「新一はどうすんの? 来てくれるんじゃなかった?」
「バーロォ。『黒羽快斗』を放り出してオレが行ける訳ないだろーが」
 今夜、肝心の『黒羽快斗』がこの場にいるかどうかは別として。快斗は意味深に微笑んだ。
「ああ……へぇー……、そうなんだ〜。優しいんだね、新一?」
「嫌味かよ。まったく……風邪酷くしても知らねーからな」
「平気だよ。新一が信じてくれるならドロボーさんは風邪なんかに負けないよ、空だって飛んじゃうんだから」
「どっかで聞いたよーな……って言うよりいつだって飛んでんじゃねーか」
「あはは、バレた?」
「馬鹿言ってねーで。とにかく服部が帰って来るまでに戻って来いよ」
 快斗が楽し気にくすくすと笑う。
「なんかオレってば、シンデレラみたい。魔法使い新一がオレに魔法をかけてくれるなら風邪だろうがなんだろうが、無敵なんだけどな〜♪」
「……魔法?」
「うん、ここはお約束の、愛のちゅー」
「…………服部にでも捕まっちまえ、この馬鹿ッ」
 手近にあったクッションで新一は容赦なく友人の顔面を抑え込んだ。いつだって冗談ばかりの友人はもがもがと手足をばたつかせ暴れる。……少なくとも馬鹿を言って暴れられる程度には彼はすっかり元気であるらしい。
 そこにおずおずと躊躇いがちな声が投げ込まれた。その場を外していた、友人の声で。
「どないしたんか知らんけど、工藤、それ、ヤバイんとちゃうか……?」
 リクエストの有名店一番人気のカップアイスとスプーンを片手ずつに握って、戸口で立ち止まってしまったもう一人の探偵のご帰還である。
 瞬間フリーズした新一が恐る恐る振り返る。
「ははは服部。お、おまえ、いつから……?」
「いつて、今やけど。何や、どないしたんソレ。俺、工藤の相棒のつもりやけど殺人犯の相棒になんのは嫌やで」
「コレくらいで死ぬかよ。て、っていうか、あ、あのよ、もしかしておまえ、オレ達の話聞いたりとか……、」
「ほーお、そーゆー事かいな」
「は、服部……?」
「さてはジブンら」
 ギロリと平次が視線鋭く声を低めた。表面上は変わらずとも内心だらだら冷汗を流している二人を、平次はひたりと見据える。
「俺がちょお席を外したんをええ事に、」
 クッション越しに探偵と怪盗はそっと視線を交わし、顔には出さずに言葉の先を探り合っている。
 ビビっている、と言っても良いが二人共それを認めるような性格でもない。
 平次はやけに嬉しそうな勝ち誇った声を上げた。
「二人して俺の悪口言うとったんやろ!」
 ビシッとスプーンで指差し言われ、半眼の探偵はクッションにがくりと力尽き、クッションに埋もれていた友人はぐえっとくぐもった悲鳴を上げた。半テンポ遅れて浮かんだ渇いた笑いに、平次だけが不思議そうに首を傾げた。

*          *          *


 まだ昼下がりだというのに既にテレビでは夜に備えた生中継の特別番組が組まれていて、しかも真夜中までというまるで年末年始の番組編成か二十四時間テレビ並の扱いである。とても一窃盗犯の扱いとは思えないが、『怪盗KID』ならそこいらのアイドルも顔負けの高視聴率が叩き出せるのも事実だった。
 しかも百貨店の代表は宣伝も兼ねる決意をしたか嬉々揚々とインタビューに応えていて、問題の宝石の出元までもが『怪盗KIDに狙われれば箔が付く』だの『どうせKIDなら盗まれても返って来る』だのとやけに楽観的に過ぎるコメントを寄せている。
 すっかりお祭り騒ぎだ。
 宝石の展示会自体は五日目の今日までの開催予定だった。
 だが、流石に犯行予告日に一般人を入れる訳にもいかないと警察も判断したのだろう。七階催し物会場を含む二階から屋上階までは今朝から完全封鎖。一階と地下一階のみ昼までの営業を行い、通常営業時を上回る恐ろしいまでの野次馬が訪れたという話だ。
 今も生中継の画面の中、アナウンサーの後ろに野次馬が鈴なりで馬鹿馬鹿しい程の盛り上がりを見せている。
 そんなテレビの音をバックミュージックに、平次は工藤邸のダイニングキッチンでまめまめしく立ち動いている。
『当日はあかん』
 そう宣言していたにも関わらず、平次は未だ現場に駆け出す事なくしっかり朝から長ねぎ湯を作り昼には玉子粥を炊き、今は生姜湯と夕飯のうどんの準備にと余念がない。
「服部」
 呼ぶと、振り返らずに「なんやー」と平次が応える。ネギを刻むリズミカルな音がまるでドラマの朝ごはん風景のようだ。
「あのよ、時間まだいいのかよ……?」
 犯行予告時間まではまだ間があるとはいえ、昨日までのどこか焦燥感漂う平次と違い今日の彼は至ってのんびりと構えて見える。
「まだええ、キリまでやってから行かんと。……なぁ、工藤は、ホンマに止めとくん?」
「あー……。止めとくよ」
 新一は苦笑う。
「快斗、結構元気になって来たみたいだから、ここでちゃんと見張ってねーと逃げる」
「逃げよるん?」
 平次の声は怪訝そうだ。
「逃げる、っていうかどこか行っちまいそうだ」
 基本的に快斗は世話を焼かれるより焼きたがるタイプだから。今の状況は彼にとって不本意でしかない。なんといっても、世話を焼いているのが目下快斗が著しく拒否反応を示している男である。約束を取り付けていなければとっくに姿を消していてもおかしくない。
 ふぅん?、と、平次はやはり少し気のない相槌を打つ。
「……まぁ、工藤がええならええけど」
 平次の手元で刻みネギが手早くラップに包まれまな板から追放され、次にかまぼこが登場する。
「あのコソ泥は俺に任せて、二人でのんびりテレビででも俺の勇姿を観戦しとって」
 勇姿と来たか、と薄ら寒い笑みを浮かべる新一にも気付かず、平次はニコニコと振り返った。
「これでもテレビ映りはええんやで」
「………………」
 不自然な位に得意気だ。
 テレビ映りがどうこう以前に、平次のテレビ出演というのが沖縄の大食い大会しか思い出せず、とりあえずその件についてはコメントを避けた新一である。
「勇姿ならいいけどKIDに簡単にあしらわれてる所を中継で撮られたりするなよ。同じ探偵として格好悪ィから」
「分かっとるって。それは中森のオッサンに任しとくわ」
 どうだかなぁ、と受け流していると平次が『来い来い』と手招いている。新一は渋々ソファーから腰を上げた。
「……なんだよ」
「ちょうどええ、居るんやったら聞いといてんか。これが生姜、あっつい湯入れてハチミツ入れて飲ましたって。ハチミツはスプーンに二杯半。ホンマは一杯でええねんけど甘い方がええみたいやから」
 促されるまま覗くと、マグカップの底には既に糸切りになっている、生姜。
 そして。
 マグカップの隣にはちょこんと並んでクマが佇んでいる。
 耳から足の下の蓋部分を含み、身長およそ百十センチ、体重百十グラム。
 いつぞや幼馴染みに土産で貰ったきりどこに置いたかすらすっかり遠い記憶の彼方だった、某有名テーマパークのキャラクターの一つである壷を抱えたへそ出しスタイルのオレンジ色のクマだ。
 ……どうやら中身はハチミツだったらしい、この会話の流れだと。とてもくれた幼馴染みには聞かせられない今更な感想である。
 今更ついでに賞味期限、という言葉が頭を過ぎったがそこは無言で目をつぶった。
 何事も人生とはチャレンジだ。自分はともあれ快斗の腹なら平気っぽい気もする。新一は根拠のない動機で無責任な決断を下した。
 一方、そんな微妙な反応を気にも止めず、平次のマシンガントークはヒートアップしていく。
「ほんでこっちがうどんのつゆでな、ああ、もう味はついとるよ。関東のんと違ぅて色は薄ぅ見えるけど、これが旨いねんで〜。むやみやたらに醤油足したりはせんでや。つゆは出汁が命やねんから」
 勢いに押されてこくこくと頷く。
「お揚げさんとネギとかまぼこは、これな、切っといたのを冷蔵庫に入れとくさかい忘れたらあかんで。素うどんなってまう」
 はいはい。もはや止める術も持たず新一はただただ頷く。
「どこなおそ……うどん玉の横置いといたらええ? ほな、ここな。余裕あったら卵も落としたらええけどいや多くを求めるべきちゃうな。……せや聞いてへんかったけど……工藤、うどん、炊けるんか」
 冷蔵庫に首まで突っ込まされた揚げ句に向けられた失礼極まりない台詞に、新一はすまし顔で不満を伝えた。
 足で。
 黄金の右でなかったのは友情から成る慈悲などではない。
 怪盗KIDに逃げられてしまった場合の言い訳になりたくなかったからだ。……平次がそういう責任転嫁をするとも思えないが。
 後は全部をうどんつゆに入れ火にかけるだけの至れり尽くせりの状態で、この質問は馬鹿にしているにも程がある。いかに新一が料理らしい料理をろくにしないにしても。
 平次は蹴られていない方の足でぴょんぴょん飛び跳ねながら「あだだ〜っ」と叫んでいる。そのまま流し台に取り縋ると十五数えてようやく彼は顔を上げた。眉が八の字だ。
「オレが何だって」
「…………スンマセン、失言でした」
 よし許す、と新一が鷹揚に頷く。平次は理不尽さにめげる代わりにそっと溜め息を落とした。
「ほなまぁとりあえず頼むわ。うどんは工藤の分もあるんやから面倒がらんと、ちゃんと食いや」
「わーってるよ。おまえもそろそろ行けば?」
 新一自身騒ぎの一因ではあるのだが、都合良く自らは棚上げして平次を追い立てにかかる。
 相棒のテンションの高さにそろそろ真剣に息切れして来たのと、もう一人の友人の気持ちを案じてのものだった。
 快斗の『仕事』に積極的に手を貸すつもりはなかったが、平次がいる限り快斗が先に姿を消す訳にもいかないだろう。『仕事』前にどの程度の時間を必要とするのかを新一は知らないから……内心ヤキモキしてしまう。
 そして、平次は平次で緊張しているのか、気が高ぶっているか、しているらしい。
 この性格からして至ってマイペースに見える平次も、慣れれば分かり易い変化を起こす。
 緊張している際、気が高ぶっている時。元よりよく喋る男だがそういう時ほど輪をかけて多弁になるのだ……傾向とおしては四〜五割増し程度に。
「せやな、そろそろ動かなあかんか。せやけど今頃あのコソ泥、何しとるんやろ。下見とか、せこい小細工でもしとるんやろか」
 エプロンを外しながら、ふと平次が呟いた。
「さぁ、な」
 基本的に、終わった後なら工藤邸を訪れる事はあっても、犯行当日、犯行前に快斗と会う事はない。何をしているかなんて知りようもなかった。
 それは友人がけじめと呼ぶ幾つかの事項、こだわりの一つではないかと新一は思っている。
「知らねぇけどよ。オレやおまえとすり替わる為にメイクアップでもしてるかもな。怪盗KIDは変装の名人みてーだから」
「……工藤の変装なら構へん。俺はお前が今日来ぉへんの知っとるから遠慮なく捕まえられる。のぞむとこや」
「おまえだったら」
「それはあらへんよ」
 静かな断言に何故、と目で問う。
 平次はやや自嘲気味な台詞を、あっけらかんと言い捨てた。
「俺の言う事に誰も耳を貸さへんのやったら、服部平次に化ける必要なんてあらへん」
 変に達観したかのような台詞は柔らかいとも取れる声音で紡がれて、新一の前にすとんと落ちる。
 新一は表情を消して、ただ無言のままを貫いた。……今、どんな言葉を返したとしても、彼の発した声音とは隔たったその表情の何をも動かせない気がしたから。

◆KEEP OUT:平×快◆つづき


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