KEEP OUT




5)

 事の起こりは数日前に遡る。
 既に予告状は出した次の仕事の仕込みにと、訪れたのは真夜中の百貨店。
 警備システムにウイルスを潜ませて、監視カメラには時限装置を付け、いざという時の為に人目に付かない場所には変装道具を忍ばせておいたり。
 言うに及ばず盗聴器や集音器の類はあちこちに設置したし……いくらかは発見される事も見越してあからさまな位置にも仕掛けた……進入、逃走の経路も吟味して手を入れておく。
 三日後から開催される宝石の展示会の催し会場は未だ開催されている『食の博覧会・大北海道展』の為参考になる部分は限られているが、従業員の通る通路や商品在庫のあるバックヤードの位置、空調設備や通気孔、窓の数自体は変わる訳ではない。
 『大北海道展』は翌日には最終日を迎え、百貨店の閉店と同時に各ブースが撤収・搬出し、その更に翌日の定休日には完全に仕切りから取り払い宝石の展覧会仕様にへとじゅうたんから仕切り直される。
 沢山の人間が一気に入り乱れるこの時は、下調べや情報収集にはもってこいである。
 その夜の内に販売用の手軽な価格のアクセサリーを始め、展示品の宝石が金庫からもしくは別の場所から搬入されるのだ。
 目玉のビックジュエルの登場は一番最後、開催初日の早朝に運び込まれる場合が多く、警備会社の護衛の元とはいえ正直に言えばその時点に狙うのが一番容易に盗み出せる。
 ただ怪盗KIDとしては華々しく盗み出す必要性があるのでそれに飛びつく訳にはいかないだけで。結果、犯行予告日は宝石展覧会の五日目……最終日とした。
 警察は、というより愛すべき中森警部は、依然として日にちや予告時間までちゃんと暗号を解読出来てはいないらしい。名探偵に話が移行するのは時間の問題と快斗は睨んでいる。
 ちなみに名探偵こと工藤新一には約束通り、『招待状』はもうお届け済みである。
 テキパキと隣り合うファッションビルとビジネスビルにも幾つか仕込みをする。……派手なショーには地道な下準備が欠かせないものなのだ。
 予告状の存在はまだ警察内部で留まっておりメディアに取り上げていないせいか、百貨店も両隣のビルも警備体制は最低限といった所だ。これまた好都合と快斗はほくそ笑む。
 そこまでは邪魔の一つも入らずいたく順調に快斗は下見と仕掛けを潜ませられた。
 だがそこから逃走経路に向かったところで、追い風がてのひらを返したのである。
 真夜中とはいえ百貨店の通りは繁華街の一角だけに、まだまだ車の影は途絶えない。しかし一端裏手へ回ると割合簡単に人気は絶えてしまう。
 逃走経路の一つとして目をつけておいたビル……貸しビルで現在店子は三軒。一階にはブティックが一軒と、携帯電話のショップ、共に午後八時には閉店し半時経たずに無人となる。
 二階は進学塾が入っていたが、半月前に潰れて今は店子募集の張り紙がなされている。
 三階の一角で開業している歯医者も営業時間は午後八時まで、しかも月・木・土と定休日で水曜は午前中のみなのである。
 常駐の警備員は置かず、裏口の暗証コードさえ手に入れれば屋上までフリーパスとなる、ここは怪盗家業には大変都合の良いビルだった。
「んじゃ、お邪魔しま〜す」
 闇夜に紛れ裏口に辿り着いた快斗は、素早く暗証コードを打ち込んでロックを解除する。
 電気が使えない以上、エレベーターは使えない。故に、普段は使われている様子のない階段を快斗は焦るでもなく昇って行く。屋上まで抜けると、ドアノブの警報を無効にして扉を押し開いた。
 ピリピリと痛さを伴う冷たい風の洗礼を受け、薄手のトレンチコートの襟を精一杯立てて、屋上をぐるりと一周闊歩する。
 屋上の端には一段高い位置に給水塔。錆びてペンキの剥がれた赤いハシゴがはりついている。
 それ以外は快斗の背丈程の緑のフェンスで囲ってあり、その外に三、四十センチメートル程度の張り出しがある。打ちっぱなしのコンクリートは流石に誰も踏み入れないからかうっすらと砂埃が見えた。
 だがロケーションの悪さが快斗には好条件になる。
 繁華街の平均値よりやや下の三階建てのビルは、一面を工事中の高層ビルに面し、もう一面は百貨店に隣り合うビルに面している。
 それも、こちらのビルがやや低い程度でその差異は一メートル余り、二つのビルの距離は二メートルと離れてはいない。……快斗なら助走すらなしでも向こうからこちらへと移動が可能だ。
 フェンスをひょいと越え張り出しへと降り立って、快斗は眼下を見下ろす。
 真夜中を過ぎてもネオンの光は減らず、見上げても地上の光に負けたか星は視認出来ない。月が満ちるまではまだ少しかかるいびつな楕円が、薄雲に隠れるように透け見えている。
 時折走り抜けるヘッドライトとテールライトを注視しながら歩数で大まか距離を読んでいて、快斗はそれに気付いた。
 残像を引いて通り過ぎるばかりの中で、このビルの真下で停止し、消えたヘッドライトと排気音が一つ。快斗は薄闇に目をこらす。
(単車? しかも二ケツかよ……)
 光源が足らない上に三階プラス屋上分の距離があるだけに年格好等までは確認出来なかったが、二つの人影が入口から消えたのを見て「おやおや」と呟く。
 何らかの用事が出来て戻って来た店関係者か、それとも怪しまれるような尻尾を出したつもりはないが、警備関係者か。少なくともビル管理にきちんと許可を取っている後ろ暗くない者達なのはモーター音を唸り出したエレベーターからも分かる。
 エレベーターを動かすと言うからには、一階の店舗の関係者ではない。三階の歯医者関係者か、警備関係者か、大穴で無関係な素人さんか。
(どうする?)
 心中で自問する。
 今の内に階段でこっそり降りるか、このまま隠れてやり過ごすか……警備員にでも変装して見回りでも装うか?
 今日の快斗の変装のテーマは『推定五十代前半の少しくたびれたサラリーマン、多分課長職、付き合いでちょいと一杯ひっかけてほろ酔い気分でこれから帰宅』である。
 コートを脱いで紺の背広に無線だのいくつかそれらしいアイテムでもくっつけてしかめつらしくして見せれば、警備員に見えない事もない。
 しかし、迷える時間として残されていたのも、ほんの一瞬で。
 小さなランプが停止せず屋上に辿り着く前に快斗は決断せねばならなかった。無論、決断の後は決行あるのみである。
 鈍い銀の光を束の間閃かせて、快斗はそのまま気配を断った。

*          *          *


 チン!
 可愛らしい音を立てて小さなエレベーターは屋上階に着く。
 更に屋上へ出る扉を押し開けると、強く冷たい風が来訪者達を迎える。現れたのは二人の少年だった。知る人ぞ知る、東西高校生探偵である。
「……うっ、寒ィ……、」
「よぉ言うわ、先刻まで他人ンこと風除けにしとった癖に」
「うっせー。それでも寒いもんは寒いんだよ。それより、KIDが好きそうなビルだろ? 気がすむだけ見れば」
「おっと、せやった。ほな工藤ちょお待っとって」
 ぱたぱたと歩き回る靴音が一足分と、扉の傍から動こうとしない気配が一つ。
「貯水塔かいな。……あのコソ泥やったらこーゆートコのてっぺん登んのも好きそぉやな」
「ナニかと煙は高い所が好きらしいからな」
 真顔の東の高校生探偵はさらりと酷い事を言い捨てている。
「それにガキも高いトコ好きやもんなァ。上も調べといた方がええやろか」
 言った側から西の探偵は軽やかに赤いハシゴを登り出している。
 両腕を組んだ東の探偵は「……げ、物好き」とやけに元気な相棒を扉に凭れて斜めに見やる。それでも念の為、相棒が登りきってから彼は声をかけた。
「服部ー、開くか?」
「ん、と、待ち。……いや、鍵かかっとる。まぁそんな簡単に開いたらマズイやろーし。ほら、昔なんやあったやん」
「ああ、青酸カリだっけか」
「そやそや、あれ以来流石にどこもそこそこはちゃんとやっとるんちゃう? せやけど、ごっつー都合ええ場所やで、ここ。俺でも道具なしで隣行けるわ」
 貯水塔の上で平次が苦笑う。
 その位置からだと隣のビルへの移動は距離といい高低差といい絶妙で、怪盗KIDでなくともビル間の移動は容易に思える。
「しかも片っぽは更に都合良ぅ工事中のビルと来たもんや。目くらましにも最適なんちゃう」
「まぁな。中森警部にも逃走経路の一案として、一応言ってある。どこまで通るかは知らねぇけど」
「あー……あのオッサンもわりと他人の話し聞きよらんし、その場限りな人員配置しかせぇへんみたいやなぁ。捕まらへん訳や」
 平次にかかれば警部も探偵も他の誰であってもほとんどが『オッサン』か『おっちゃん』で片付けられてしまう。若ければ誰彼構わず『ニィちゃん』に『ねーちゃん』呼ばわりと親しげなんだかなめてかかっているのだか。
 今度は新一が苦笑う番だった。
「別に彼が悪い人って訳じゃない。ただ……目暮警部みたいに進んで耳を貸してくれる方が特殊なんだよ。軽んじられるのも相手にされないのも、珍しい事じゃないだろ」
 実績とそれを買ってくれている関係者がいなければ、高校生探偵等と名乗った所で、一民間人で、子供でしかない。当たり前の事実だ。
 言ってから彼の地元警察での猫可愛がられぶりを思い出したが、新一は口の端を僅かに引き上げて微笑んだ。
「まぁ、おまえは地元じゃ可愛がられてるみたいだから、そーゆー感覚少ないかもしんねぇけど」
「アホ」
「ああっ?」
 西の探偵の短い暴言に東の探偵が一気に色めき立つ。
「何ぬかしとんねんアホ」
「……。おい、その語尾変換の一つみたいに暴言吐くの、やめろ」
「あ、スマン、悪気ちゃうで」
 慌てて平次が言葉を継いだ。
「ただ……お前コナンやっとった姿あんだけ見とるんやで、そんなん今更やろ。俺かて地元以外の山かてぎょーさん首突っ込んどるんやし、それ位分かっとる。必要以上に中森のオッサンの態度に引っかかったりせぇへん」
 さばさばと平次が笑う。
「最終的には、俺らは俺らでやったらええ、っちゅうことやろ。頭の堅いオッサンが逃げられたコソ泥を、人員配置もせぇへんかったこーゆートコで、踏ん捕まえたる」
 過剰なまでの自信と勝ち気さを映し出した瞳で西の高校生探偵は眼下の街並を睨み据えた。
 東の地の、街の光を。
 頬には不敵な笑みを湛えて。
 ……怪盗も、警察でさえも所詮は相手ではないと。本来なら垣間見せる事さえも傲慢さの表れと取られかねないそんな語彙を、この男は悪戯な子供が笑い飛ばすかのように、気持ち良く豪快に言い放つ。
「ザマァミロや! ちゃうか、工藤」
 お馴染みの優等生な苦笑を張り付けようとして、新一は失敗した。
「ほんと、おまえって……、」
 漏れるのは、笑み。平次が首を傾げるのに、新一は手を振る。
「あん? なんや」
「いや……、」
 たまにどうしようもなく、この相棒の男と自分が同類なのだと言う事を実感する。
 そうだ、違わない。
 きっとその時が来たなら、警察にどんな優等生な高校生探偵の顔で応対していても、心の中では誰にともなく喝采を上げるだろう。彼と同様に『万歳、ザマァミロ!』と。
 探偵なんて所詮、似たり寄ったりの本当に仕方のない生き物で。取り繕おうにも、こんなにワクワクしてしまっているのだから答えなんてとっくに決まってる。
 新一は顔を上げて天を見据え、痛みを覚える程の冷たい空気を一息に肺に吸い込んだ。
 相棒を見返す。
「しゃーねぇ、やるか」
「おー! やったろやったろ!」
 東西探偵は傍目にも物騒な……共犯者の笑みを交わし、頷きあった。

*          *          *


 探偵達が決意も新たに次の逃走経路の選定に、排気音を轟かせ立ち去って、五分たち、十分が過ぎた後。
 警備会社に連絡が行ったか弱い光を保っていたエレベーターは再び機能を停止し、扉のアラームシステムは常夜灯の明かりに沈む。
 ビルには、再び痛い程の静寂が訪れた。音も動きもない空間。
 そんな中、僅かな月光に、鈍く艶消しをかけた銀のワイヤーが微かに光を弾いた。
 人影のなくなった屋上の、フェンスの更に外。
 人一人が立てるか立てないかの打ち晒しのコンクリートの下に、ワイヤー一本で身を潜め完全に気配を断っていたその身を、音もなくするすると引き上げた。
 怪盗がまさか同時に下見に訪れているとはゆめゆめ思っていなかった探偵達が決意表明も新たに立ち去ったその場に、軽やかにそして優雅にふわりと降り立つ、影。
 その身体をヒューと真冬の冷たい風が切りかかるように過ぎて行く。
「……は、」
 ぶるり、と一瞬大きく身を震わせる。ぞくぞく、と寒気が下から這い上がるのを止める術はもうなかった。
「……は、は、は、はーッくしょんッ!」
 ……こうして快斗は風邪を引いた訳である。

◆KEEP OUT:平×快◆つづき


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