KEEP OUT |
2) 「意外だと思わねー?」 日本警察の救世主、平成のホームズは、前後の脈絡なくそんな風に問いかけて来た。 椅子に後ろ向きに腰掛け、椅子の背に両腕を乗せ足をぶらぶらさせている。……子供の姿から以前と変わらぬ高校生の姿に戻ってもう結構時間は流れているというのに、こんな無自覚な可愛らしさを筆頭に、彼はあまりにも変わらない。 ……つまり江戸川コナンの可愛らしさは演出でも演技などでもなく、かなりの部分で地だったのだろう、と哀は再認識した。本人、自覚もなしにやっている辺り周りの人間の苦労がしのばれる。 返事を返さないでいる哀の背中で、こちらの都合などお構いなしにやって来た新一は、コーヒーサーバーをちらちらと横目で窺いながら、そのまま脈絡のない質問の返事を待っている、らしい。 先程からずっとデスクトップパソコンに向かい合っていた哀は、とうとう諦めてキーボードから指を離した。 「コーヒーでいいわね」 それ以上に手間をかけるつもりはない、と言外に告げたつもりなのに、サーバーに向かった背中には「おう、悪いな」と、たかだか煮詰まったコーヒーには勿体無い程の期待のこめられた満面の笑みが寄せられた。 二人分のカップにコーヒーを注ぎ、片方を新一に差し出す。 「さんきゅ」 受け取るとすぐさま口をつけ、彼は微妙に顔を顰めた。 煮詰まっていたか、ぬるかったのか、とにかくそういった感想を彼なりに顔に出さないようにした結果に違いなかった。 そんな所で気を遣わなくても、気にしやしないのに。そう思っても親切ぶって告げる気もない。 立ったままコーヒーカップに口をつけた哀に、新一は「で、どう思う?」と既に過ぎつつあった先程の会話を強引に引っ張り出す。 「どうって、何」 「だから、意外な気、しねぇ?」 「……何がかしら」 単調な口調でそう返すと『ああ、やっぱり!』とでも言いた気に新一は天を仰いだ。最近時折見られるようになった彼のオーバーアクションは、今では新一の良き友人であるらしい某怪盗の影響に他ならない。悪影響と判じるかどうかは結構微妙な線だ。 「工藤くん。私、今、忙しいって初めに言ったわね……?」 彼が来た時の、哀の第一声が「私、今日忙しいから相手出来ないわよ」だったのだ。 それを適当に受け流して居座っていたのは新一の方だ。なのに、聞いていなかったと自分ばかりが責められるのでは割に合わない。 じろり、哀に斜に見られて、新一は僅かに首を竦めると「そりゃ……、」と、もごもごと言いよどんだ。 余程言い難いのか、両の掌でコーヒーカップを包み持ち、まるでカップの中身に重大機密が隠されてでもいるかのようにコーヒーの表面を睨んだまま、新一は呟く。 「灰原、いつだって忙しいって言うから。その都度遠慮してたらオレいつまでたってもおまえと話出来ねぇと思って、だから……、」 邪魔して悪かったな、と新一が拗ねたようにつけ足した。 以前から気障な物言いをするような所はあったが、知り合った頃からこんな率直な言い方が出来る人だったろうか。 ……否。 多分、こんな所は彼のもう一人の友人の影響だ。率直で物怖じしない、開けっ広げに笑う関西人。 西の……というより東に居つくつもりらしい元西の高校生探偵というべきか。 工藤新一の危機、という電話一本で他の全てを投げ打って東都へと駆けつけて来る行動力。相手構わず、ずけずけと歯に衣着せない物言い。人懐っこく笑って気安く話し、スキンシップを伴うコミニュケーションに長けている。 それらの全てに新一が影響を受けたとは言えないが、彼も徐々に変化している。 ちなみに反省しても懲りていない、というのはどちらかがどちらかに与えた影響というよりは、探偵と名乗る者たちの特性のようなものなのだとも思う。哀がそんな探偵の特性に呆れても腹を立てても、反省したという彼らが改心する事はないし好奇心も無鉄砲も治らない病気のようだった。そういうものだと嘆息一つで終わるようになったのだが、慣れか、彼らから受けた影響の一つといえるかもしれない。 諦めの溜め息を小さく落として、哀もコーヒーに口をつけた。 ひたすらに濃くなったコーヒーは、香りは飛んでしまってほとんどない。辛うじて飲める程度の代物になり果ててしまっている。 先程の新一のように、哀も思わず眉をひそめた。 それでもカップの中身を半分ほど攻略してからおもむろに哀は言を継ぐ。 「で、何が意外だと言うの」 新一が目を二、三度瞬かせて「ああ、」と顔を上げた。 その話に戻ったのが意外だったのか、哀が話を聞く態勢を作ったのが意外だったのか、それとも単に彼の頭の中からその会話はすっかり流れ去ってしまっていたのか。 応えが返るまでに、束の間沈黙が過ぎった。 「服部と快斗。あいつら顔合わせたら気が合うんじゃねぇかと思ってたんだけどよ」 「……会ったの」 「快斗が会いに行ったみてぇ」 「つまり、怪盗KIDが服部くんに会いに行った、という訳ね」 「おう」 新一は何をそんな当たり前の事を確認するのだろう、というような顔で頷いた。そして決して美味しくはない筈のコーヒーを、それでも文句も並べず真顔ですすっている。 哀は大きく溜め息を零した。 「あなたがどうしてそれで二人の気が合うだなんて思うのか、分からないわ」 平成のホームズと謳われた男は哀の言葉がまるでひどく難解な暗号であったかのように少し眉を寄せ、顎に指を当てて考え込んでいる。……これは本当に分かっていないに違いない。 「まさか、友達の友達は皆友達なんて思ってはいないでしょうね……?」 「えっ、いや、性格が! あいつら合うんじゃねーかって」 焦って言い募る辺り、怪しさも倍増しというものだ。 「それ以前に探偵と怪盗よ」 すぱっと言うと、新一は一瞬目を見開いてふるふると首を横に振る。そして思いの外真面目な語調で、哀の意見に異を唱えた。 「いや、それならオレと快斗だって、探偵と怪盗だぞ」 ……なんとも説得力に欠ける反論だった。 「…………工藤くん。あなた、バカ………?」 日本警察の救世主が笑えるくらいぱっかりと、大口開けて凍りつく。 「KIDとあなたが仲良くやってる方が異常じゃないの」 「い、異常……」 呻くように新一がその単語をくり返す。 よほどショックだったのか、跨った椅子の上で引きつった表情の彼の身体がよろりとよろめいた。椅子の背に縋っている有様だ。 「おかしいわよ。異常が気に入らないならあなた達は特殊な例だと言い直すわ。探偵と怪盗なんて本来、相容れないものだもの」 ……本来なら。 酔狂な事に、探偵は怪盗を追い掛ける事は楽しんだが、むしろ怪盗の身に降りかかる厄災……目一杯人災だった……を心配し、本気で泥棒の無茶を叱り飛ばした。 片や計算高い筈の怪盗はというと、小さな探偵の事情を知るやいなや我が身を省みず、迷いなくその手を差し延べた。小さな探偵が払いのけても蹴飛ばしても一向に取り合わず、傲慢なまでに心を砕いて。 こんな探偵やこんな怪盗を変わっていると言わずして何を変わっているというのか。 その規格外探偵と気が合っているからと言っても服部平次までが規格外とは限らない。 哀の淡々とした指摘に、どうにかこうにか我が身の解凍に成功したらしい新一だったが、言葉もなく瀕死の金魚のように口をぱくぱくさせているばかりである。 「服部くんにしたってそうでしょ。『工藤新一』に会いに来た彼は、初めから友好的だった?」 思い当たる節があるのだろう、新一は唇を噛むようにしてやや下方へと視線を逃した。 大概にして人好きする性質の平次だったが、人呼んで西の服部・東の工藤と並び称される人物に会いにわざわざ東都まで乗り込んで来た時は、『工藤新一』に触発され、ライバル意識剥き出しだったと聞いている。 同じく探偵を名乗っているというだけで気が合うとは限らないし、探偵同士だからこその反発もあるだろう。尊敬に値し、同じ速さで物事の矛盾に認め合えたのはすばらしく幸運な事なのだ。 それを立場的に相対する怪盗を相手に、ましてや初対面で同様の理解を求めるのは無理があり過ぎる。 ただ……。 「ありえない、とは言わないけど……実際にこうして成功例もある事だし」 「…………オレ……?」 「ええ、そうよ。立派な臨床実験ね」 「こういう場合にも臨床っていうのか?」 「……冗談よ。まじめに取らないでくれる?」 新一は叱られた子供のように軽く首を竦めて見せた。 「つまりどう転ぶかなんて誰にも分からないって事。それよりすぐ首を突っ込みたがるその性格を、どうにかしてもらえないかしら」 「悪かったな、お節介焼きで」 多少の自覚はあったようだ。ぶっきらぼうに呟くと、新一は視線をカップより更に下方の床辺りまで落とした。 「仕方ねぇだろ……服部も快斗も一応オレのダチなんだから……なんか放っとけねぇよ」 ダチ、という言葉を新一はやや照れくさそうに発音した。 コナンだった時から、新一がどれ程彼らの存在に助けられていたか、哀は少なからず知っている。 具体的な助けとして、精神的な支えとして。今なお彼らは新一の傍らにいる。 とても急速に躊躇う余地のないほどの強引さで、友達なんて言葉でその傍に居場所を作ってしまったのだと彼は苦笑と共に語っていた。 彼が、強い心のままコナン時代を乗り切れたのは、工藤新一という人間の資質や努力も勿論あったのだろう。だが、彼らの存在があればこそというのも事実だった。 哀自身は、彼らと友好を結んだ覚えはなかったが、新一が哀を運命共同体と認定した時点で彼らの付き合いも選択の余地もなく芋蔓式に付随して来ている。 平次も快斗も、哀の小さな友人達と同様に哀に無邪気でストレートな感情を向けて来る。……まるでひとかけらの屈託もないかのように。 それなりに哀の前身も立場も知っている筈の二人が、隣家の科学者の養い子として、またあくまでも新一の運命共同体としての対応で接して来るのだ。 それもあらわな好意や何気なく向けられる信頼の色だったりで、その都度哀は戸惑いを覚える。 戸惑いを押し隠すべく素っ気ない態度を取っていても、眉をしかめる者もなければ気にしている様子すら見せない。 ……工藤新一も。 怪盗KIDも。服部平次も。 新一にとって彼らはライバルであり、大切な友人でもある。今となっては、第二の家族といっても差し障らないほどの存在だ。哀にとっても第二の家族・阿笠博士の存在と同様に。 だから、KIDと西の探偵の出会いのもたらす結果を新一が憂うのも理解出来た。 「どうしても気になる?」 「そりゃ、まぁ……、」 「……そう。なら、何故と聞くのは黒羽くんにするのね」 「快斗に?」 新一が不思議そうに首を傾げる。 「どっちかって言うと、服部のが口割らせ易いんだけど」 「無意味よ。そもそも服部くんがKIDを追いかけたのではなく、黒羽くんが……KIDが、服部くんに逢いに行ったのでしょう。何があったかは服部くんも話してくれるかもしれないけれど、何故逢いに行ったかその理由は、黒羽くんにしか分からない。違う?」 確かに、と神妙な顔つきで新一も頷く。 「ただし」と、哀はしっかり釘を刺す事も忘れなかった。 「聞いた所で彼が素直に答えるかどうかまで責任を持つつもりはないわよ」 「分かってる、快斗がそんな簡単に吐くとも思えねぇし。どう転ぶとしてもあいつら次第だってのも、……うん、一応、分かっているつもりなんだけどさ」 一つ、そっと零される小さな溜め息。 「普段はウルセーばっかだけど、あいつらにはなんだかんだ言っても世話かけてっから」 放っとけねぇんだよなぁ、と新一は椅子の背に顎を乗せて、少し俯いた。 哀にすれば、このゴタゴタの挙句に怪盗KIDが逮捕されたり、平次と新一が深刻に仲違いするような結末を迎えずにすめば、結果オーライだと思っている。 欲を言うなら、新一も彼の友人達も、笑いあっていられるなら尚、上出来だ。それはそれで手前勝手な願いではあったが。 だが、そんなささやかな望みの為に哀が出来る事などそうはない。……例えばこんな風に。 「博士が鯖をたくさん頂いて来たの」 唐突な話題転換に、日本警察の救世主はきょとんと目を丸くする。 「サバ?」 「ええ。もし、食べるなら……、」 哀は少し言いよどんだ。 うまいやり方なんて、知らない。ただ新一の笑顔を望む気持ちだけは彼らにだって負けないつもりだ。 この人は、怒って軽蔑してしかるべき時に『気にすんな』『おまえのせいじゃねぇから』と笑ってくれた。 そんな人だから。 哀は新一が笑顔でいる為に出来る事なら何だってやってもいいと思っている。 ……ほんの些細な事しか出来なくとも。 「塩焼きか味噌煮か、好きな方を選んでいいわよ」 「オレにも食わしてくれんの? 珍しいー……」 「これ以上ここで辛気臭い顔されるのが嫌なだけよ」 つっけんどんな物言いにも怯まず、新一はさも嬉しそうに笑う。 「じゃあよ、給食で出てたみたいな甘い味噌煮にしてくれよ。服部ン家はそんな甘いのじゃねぇみたいだし、快斗は魚の料理、絶対作ってくんねぇからさ」 思わず哀は微笑んだ。目聡くその口元の小さな笑みを見つけた新一が「何だよ」と顔を覗き込もうとする。 「いいえ。ただ面白いなと思って」 「面白い? って何が」 「あなたが。博士も鯖の味噌煮は甘いのが好きだっていうの。あなた方、血の繋がりもないのに時々とても……似ているわ」 そうかぁ、と新一はしきりと首を傾げている。 彼のそんな姿は哀の現・保護者である阿笠博士が、そうかのぅ、と首を傾げる仕草とやはり酷似していて、カップを手にしたまま哀はもう少しだけ柔らかい笑みを漏らした。 その笑顔は哀の決意とは全然別の場所に位置していたが、結果として新一の微笑みをも引き出したのだった。 |
◆KEEP OUT:平×快◆つづき◆ |
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