KEEP OUT




1)

 工藤新一の一日の機嫌は寝起きに大きく左右されるのが常である。
 故に、朝っぱらから予定外の客を迎えたり、その予定外の客が既に客というよりはほぼ居候と化している男だったり、更に言及するならばその男に早朝から馬鹿でかい声を持って目覚めよと叩き起こされたりするような朝は非常に不本意だし、目覚めの印象としてはかなり悪い部類に入る。
「工藤! 起きてや、工藤っ!」
「ぅるせー…五時だぁ?」
 ゆり起こされ、目をこすりながら時計を見た新一の語尾が跳ね上がる。
 ベッドに転がり込んでからまだたったの三時間しかたっていない。新一は額を押さえて思わず呻いた。
「……なんだよ。何かあったのか」
 それでもこう尋ねてしまうのは性分なのかもしれない。
 新一は昨日、毛利小五郎の所へ舞い込んだ依頼を代理として請け負って一日飛び回っていたのだ。……毛利家の居候の子供が親許へ戻ってから眠りの小五郎は目立った活躍はないものの、地道な調査依頼を受けて生計を立てている。
 それでも一度売れた名前の効果は未だ健在で、たまに手に負えない依頼が来るとそれは新一へと回されてくるようになった。
 娘の蘭の強硬な主張が通った形となった訳だが、現在、小五郎の顔を立てる意味でも新一の名前を出さないのは双方納得の暗黙の了解事項となっている。
 小五郎自身は「探偵ボウズの新一の助けなんぞ、いらん!」などと喚いてもいたが、内心協力体勢には幾らかはほっとしたのかもしれない。新一は名目上は毛利探偵事務所に名を連ねないものの、毛利小五郎の臨時助手という形になっている。
 新一もコナンになる前のように目立つ活動の仕方は避けるつもりだった。だからと言って、探偵活動から一切手を引けるような性分でもなく、難事件への誘いはむしろ有り難く、渡りに船とそれを了承した。
 自らの目的の為に本人に知らせる事もなく毛利小五郎を勝手に利用していたのも幾らか申し訳なく思っていたから、今のスタイルは思うより悪くはなかった。
 そういった経緯で昨日、目暮からかかった電話は工藤邸の草むしりに来ていた半居候の平次が受ける事となり、彼とは別行動の一日だった。だからこそ『何かあったのか』という台詞が転がり出たのだ。
「いや、それはええねん。それよりあのコソ泥の資料出してんか!」
「……コソ……もしかして怪盗KIDか? おまえ、KID興味ないんじゃなかったのか」
 エッグの事件で戦線離脱して以来、何度か新一がKIDと接触したと聞いても、まるで無関心に平次はそれを聞き流していた。
 どうやら興味がないらしいと語らなくなって久しいというのに、何故今頃になっていきなり資料なのだか。
「興味なんぞあらへん。ただめちゃめちゃムカツクんや! あンのコソ泥絶っ対、次、逢ぅたらお縄にしたるわ。せやから工藤の持っとる資料、全部出してんか!」
「お、おう」
 勢いに負けた形で仕方なく新一はパジャマの上からジャケットを引っ掛けて渋々ベッドを後にする。
 アドレナリン出まくりで目を血走らせた平次は明らかに三時間しか寝れていない自分より睡眠時間が少ないに違いない。
 というよりこの時間に叩き起こされた所からみて絶対貫徹だ。
 貫徹のキレかけた服部平次を相手にこれ以上引止め、昨日何があったのかを聞き出すのは至難の業というものだろう。困難に立ち向かうには睡眠時間が足りていない。
 最早諦めの境地の新一だった。
 怪盗KIDの資料はファイル二冊に渡っている。
 というのも、新一が独自にファイリングした資料に加え、父・工藤優作の作成した詳細な怪盗KIDのファイルがあったからだ。
 優作は、怪盗KIDと名付けたのは自分なのだと豪語までしているが、新一はどこまで信用して良いものかと思っている。………何分、平気な顔で息子を担いでは驚いた息子の顔を見てしてやったりと手を打って喜ぶような子供っぽい一面を有した親でもあったので。
 平次は手渡したファイルを即座に床に広げ、そのままあぐらをかいたかと思うと剣呑な視線で、それを捲って行く。
「服部。見るんならリビングで見ろよ」
 渡すものを渡したからにはお役御免と引き上げようとして、戸口で立ち止まり声をかけたのだが……平次はもう集中してしまっているのか『あー』だか『うー』だか生返事が漏れるばかりで視線は一点集中、ファイルへ落ちたままである。
「冷えるぞ、ここは。……って聞いちゃいねえ」
 ちゃんと身体の事を考えろ、だとか、無理をしないように、だとか。実の母親よりよっぽど口煩い相棒だというのに、まったくもってらしくない。
 しかも彼自身無茶をしないとはいえないが、自分の言葉に耳も貸さないほど何かに没頭している姿は久々に目にしたような気がする。
 こうなると、もう生半可な言葉は届きはしないだろう。
 無自覚ながらも、情報が雪崩れのように入って来る代わりに視覚を除く聴覚や嗅覚といった器官の働きが低下し、全てのエネルギーが勝手に視覚から情報を得る為に回されてしまう。
 新一にも覚えのある感覚だった。
 それが怪盗KIDによって平次にもたらされたというのが意外で、同時にどうしたものかという迷いも生じる原因である。
 ……KIDに関して、新一はファイルに収められないでいるデータがあった。
 けれど、今はそれを告げるのに相応しい時期でないのも確かだし、平次がどういうデータを求めているかはともあれ、今提示している二冊のファイルだけでも一般的に知られている怪盗KIDの情報を遥かに上回っている筈だ。
 ここに載っていない新一の手にしているデータを知らせないのを後ろめたく思いはしたが、事が自らの秘密でない以上断りもなく知らせる訳にもいかない。心境は複雑だ。
 ただこうして彼が動き出した以上、同じように怪盗KIDと遭遇した探偵として平次がどういう方向性に突き進んで行っても阻む気にもなれない。
 きちんと二人が出会った以上、そこから先は彼らの問題だから。
 その割には早々に迷惑をひっかぶった気もしたが、まぁ仮にも相棒だし迷惑だってお互い様だよな、と新一は自分を納得させる。
 改めて言葉を紡ぎはせずに、新一はエアコンの温度設定パネルに手を伸ばした。
 並んで表示されているデジタル数字はAM5:23。早朝と言って良い時間だ。しかも視覚で認識すると嫌でも脱力感が倍増しになってしまう。
 手早く設定をいじり、あふ、と沸きあがる大きな欠伸に促されるように、新一は僅かにでも熱の残っているかもしれないベッドへと思いを馳せ、足早に階段を上がった。

*          *          *


 すぐには寝付けないでいた新一がやっとウトウトし出したのは遮光カーテンの色の裾にかなり明るい色がぼやけて見え出した頃。
 窓の向こうからはスズメのさえずりが聞こえ出したが新一はしっかり布団に潜り込み、今度こそけっして些末ごとでは起きるまいと耳を閉ざす。
 ……閉ざした、のだが。
 チャランララ〜ン♪
 再度新一の覚醒を促したのは、間違いなく自分の携帯電話が奏でる、設定した覚えのまるっきりない馬鹿明るいメロディーだった。
 流石に熟睡には至らなかったものの、瞼が容易には持ち上がらない。勿論、手だって頭だって凍結している。
 チャンラララ〜、ラーラララ〜、チャンラララ〜、ラーラララ〜、チャラララ〜ララララーラー、チャララ〜ラーララ〜♪
 チャララッ、チャラチャラッッ、チャ、チャラッチャ♪
「ルパン・ザ・サード……?」
 メロディーに続いて呟いてしまって、新一はどっと疲れた。
 他人の携帯の着信音を断りもなく且つこっそりとこんなふざけたものに変えてしまうような知り合いに、大いに心当たりがあったからだ。
「……電源、落としときゃ良かった……」
 そうなればなったでそれを理由に問答無用で押しかけて来そうな気もする。
 睡眠不足状態の今、あいつのハイテンションに寝込みを襲われれば命に関わる、とどこか諦めに似た気分で渋々新一は未だかしましく某アニメ主題歌を撒き散らせる携帯電話を引き寄せたのだった。……本当に心から目一杯、不本意ながら。
『何なんだよアイツ!』
 彼の第一声はこれまた大変非常識だった。
 「おまえこそ何なんだよ、藪から棒に……」と言い返してはみたものの、何となく想像がついてくる。
 平次が怪盗KIDにいきなりあれだけの反応を示したのだ。片方がそうならもう片方にだってそれなりに反応があったって可笑しくはない。
『だって新一が言ったんじゃん! 結構いい奴だって!』
 ……第二声は常識はもとより脈絡が頭っから欠落している。
 平次の反応があったから彼がいうアイツが誰かという所から会話を始めなくて済んだ訳だが、思わず黄昏たくなる程度には無茶苦茶だ。
「……服部か。オレには結構いい奴だけど」
『すっごい感じ悪かった!』
 第三声は子供みたいにふて腐れたような声だ。
「そりゃ、服部が誰にでもンな良い顔してるなんてオレだって思ってもねぇけどよ。で、あいつに何したんだよ、おまえ……」
『ひっどいっっ!』
 第四声は絶叫だった。
 耳元で絶叫かます奴の方が絶対『ひっどいっっ!』のじゃないだろうか、と新一はうわんうわんと反響している気がする頭を押さえ、しみじみ思う。
『ひどいよ新一! なんでオレがアイツに何かしたって思うのさっ?』
「そりゃ当然、いざという時に普段の行いが物を言うからだ」
『えー。オレ普段の行い、いいよ? ……まぁ、夜半の行いはあまり褒められたもんじゃないかもしれないけどね〜』
 しれっと言われて思わず半眼で天井を睨んだ。指が勝手に電源を落とそうとしてしまう程度には、彼の発言は危うい所をかすめた物言いだった。
「ンな朝っぱらからこーゆー電話かます奴の、普段の行いのどこがいいんだって?」
『あははー、やっぱ寝てた? ごめんごめん』
 普段の新一の行動形態を熟知している彼が、早朝のこの時間に新一が起きていると思う筈がない。確信犯はしらじらしく笑い声を上げて、反復して謝る事で謝罪の気持ちの信憑性も地に落としている。
『でもさぁ、起きてそうな気がしたんだよね。……アイツ、来なかった……?』
「……『あいつ』が服部なら、徹夜で始発って時間に来たぜ。今は下で『コソ泥』の資料漁ってる」
 コソ泥呼ばわりにまた噛み付いて来るのかと思ったが、それが新一の発言でないと判断したからか端からコソ泥と怪盗を同一視しなかったのか、新一の発言のその部分は不問と伏された。
 黙殺とは彼の反応としては珍しい。
 落ちた沈黙の間が漠然と気になって「おまえは?」と問えば『なに?』と反対に問い返される始末である。
「だから、おまえはどうなんだ? こんな時間電話かけて来て……ちゃんと寝たのか」
『あーっと………二時間くらい、寝たかな』
「勝った」
『え。ホント? 新一、何時間?』
「三時間。と、今おまえに起こされる前に小一時間って所」
『なんだ。それじゃそんなに変わんないよ』
 やっと彼の声が呆れたような自然な笑い方で、耳に届く。
 だが、そんなやりとりに誤魔化されてやるつもりは新一には毛頭なかった。
「で、何したんだ」
 あっさりと話を引き戻すと、相手は束の間言葉に詰まりふて腐れた声で答える。
『したって言うか……あっちが先に無視したんじゃん。オレちゃんと声かけたもん』
「ちゃんと? こんばんは、ボク怪盗KIDです。よろしく……とでも?」
『だいぶ違うけど……新一、普段そんな挨拶してんの? もうっ猫っかぶりなんだからー』
「うるせ! しねーよ! する訳ねーだろ、バーロォ!」
 一瞬でも間を置くと後々までそういう事にされてしまうので、新一は即座に言い返す。
「それより! 服部の奴、相当頭にきてるぞ。何やったか知んねぇけど、おまえ今度の仕事は覚悟しとけよ」
 わざわざ好意でした忠告を、事もあろうに電話の相手は一笑に付した。
『アレを相手にこのオレが?』
 そこまでやるか、と思う程バカにしきった声がせせら笑う。怪盗KIDとして彼と顔を合わせた時も割合皮肉られたものだが、今の彼は段違いに凶悪なヤな奴を露呈していた。
『来たけりゃ来りゃいーけど、口だけ野郎をまともに相手してやる気はさらさらないね。あ、勿論、名探偵が来てくれるなら別♪ もーう、大歓迎しちゃう!』
 前半後半でバッサリとあからさまに語調を変えての台詞に、新一は苦笑を禁じ得ない。
「気が向けば、な」
 そうでなくても中森警部には覚えめでたい立場じゃない。顔を出した所で煙たがられる事はあっても歓待される可能性は限りなく、低い。
『え〜〜〜〜〜』
 というのに、耳元では思いつく限りの勢いで不満の声が上がっている。
 『そんなのないよ〜』『新ちゃん冷たい』『つまんないつまんない』『たまには遊んでくれたっていーじゃん』etc、etc。
 放っておけばどこまでも続きかけない一方通行な会話に新一は「分かったよ!」と叫んでようやく割り込んだ。
「行けばいーんだろ。ただし、おっちゃんや目暮警部からお呼びがかかったらそっちを優先するぞ。いいな」
『うんうんうん! うわい! じゃあ招待状出すからね? 絶対来て! じゃーあねーっ♪』
 招待状は止しやがれ、と押し止める前に敵は先に電話を切ってしまった。
「まったく。朝のコイツは気ィ抜くと本当……、命に関わるぜ」
 新一は携帯電話をしっかりと握りしめたまま、ぐったりと布団に倒れ伏した。口から零れるのは盛大な溜め息ばかり。
 ちゅんちゅん。
 スズメの声が平和に響いた朝だった。

◆KEEP OUT:平×快◆つづき


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