KEEP OUT




《prologue》

 月のない夜だった。
 ぽつりぽつりと等間隔に配置された外灯を辿るように歩を進めていた平次は、認めたくはなくとも、かなり本格的に迷子だった。
 土地勘のない東の地の馴染みのないその道は、どういう訳だか目立つ建物も標識もなければ看板も地図すらない。
 右を見ても左を見ても似たような風景の住宅街で、前を見ても振り返ってもそれは変わらないように見える。
 どこで目印を見落としたのか、駅からおよそ徒歩十分と聞いたから歩き出したというのに、かれこれ四十分は進んでいるが一向にそれらしきものには行き当たっていない。
 頼みの綱だった最終電車もとっくに出てしまった事だろう。
 誰かに道を尋ねようにも人っ子一人通りかからず、ましてや引き返すタイミングもとうの昔に外してしまった。方向性すらよくは分からぬ道をとりあえず進んでいるのは、既に意地以外の何物でもない。そう言う意味では平次は間違いなく意地っ張りだった。
 ひたすらに意地を張って、だかだかと闊歩していたから。
 だから、まるで天から降り下りるかのようなその声を、平次は初め自らの気のせいと思った。あるいは思い込もうとした。……のだが。
「西の」
 声はもう一度、落ちて来る。平次はやおら足を止めた。
 西の名探偵・服部平次。
 もしくは西の高校生探偵・服部平次。
 そんな風に呼ばれるのはまれではなかったが、形容詞だけでしかも前半部分に限定した状態での呼び掛けが自分へのものだとの認識はにわかには生まれなかった。
「何をしている、西の」
 しかし、くり返されれば無視も出来ない。……その声がいかに突き放した、あるいは人を小馬鹿にした居気高なものであったとしても。
 見上げると、声はこともあろうに電柱のてっぺんから降って来ていた。
 無風の空にぽっかりと浮いているようにさえ見える、人影。
 電柱の上でどういう仕掛けかまっすぐに突っ立っている姿は揺らぎもせずに、闇の中でただぼんやりと白い。発光している訳でもなかろうに、黒の中にくっきりとした白いシルエットが際立って却ってその顔の造形が判別出来ない。
 表情とくれば尚のこと。
 平次はその扮装が示す人物を知っている。それが紛い物でないのなら、知っている。
 勿論、平次でなくともメディアを通してかなりの割合でその人物を知っていると言う者はいる筈で、ただ平次はその姿を肉眼で捕らえたのも初めてではなかった。
 そういう意味で『知っている』。
 だが同時にあまりにも知らないとも言える。
 何故ならば平次はその人物を遠目に見た事はあっても間近で視認もしていなければ会話を交わした事すらないからだ。これでは『彼』と相対したとはとても言えない。
 そして相棒の東の名探偵・工藤新一が数回に及びその人物と遭遇したのに反し、平次はことごとくその機会を得なかった。
 途中離脱のイースターインペリアルエッグの事件を筆頭に、奇術愛好家殺人事件しかり、黄金館においてはテスト勉強を理由に本人の耳に入る前に母親が断ってしまっていた。
 ここまで縁のない窃盗犯に対してわざわざ積極的に関わりに行くのも又聞きで情報を重ねるのも癪で、最近ではもうあえて首を突っ込まないよう行動していたというのに。
 どういう気まぐれか彼……変装の名人だと言うからには、彼と決まった訳ではないが……の方から、今宵こうして目前に現れてしまった。とかく世の中って奴は思うようには運ばないようだ。
「立ったまま寝るとは器用だな、探偵」
 沈黙を守っていた平次に焦れたのか言葉を投げ掛ける口調はひどくぞんさいで、少なくとも平次の知識としてあるその泥棒の持って回った気障ったらしい言い回しとは明らかに異なっている。
 だが、コナンだった新一の語る泥棒の姿とは微妙に重なっているようでもある。新一は一般像と大きくかけ離れた怪盗KID像を語るので、あまり聞きたくなかった平次は話半分に聞き流していたのだ。
 その中でも頭に残っている単語は『皮肉屋』で『会話は変化球』。
 他にも色々と週刊誌やスポーツ新聞の語るKID像とはかけ離れていた気がしたが、それしか思い出せなかった。
 ともあれ、頭上から声を落として来ている相手を『怪盗KID』と仮定したとして、気障で派手好きで華麗な月下の貴公子というよりは新一の弁にいくらかは近く見える。
 つまりは、対応という面で、探偵という枠組みに平次は新一と共に一括りにされているという事なのだろうと、ぼんやりと思った。
「それとも見惚れたか?」
 『皮肉屋』なだけでなく、つっけんどんで、嫌味で、無愛想で、人を小馬鹿にすると心の中のファイルに追加する。
 その上、新一を『名探偵』と呼んでいると聞くのに、平次は『探偵』に『西の』呼ばわりである。
 そうでなくとも今の現状は平次の思惑とは大いに外れている。そこに来てこの差異に、平次は大人げなくへそを曲げた。
「アホらし。狸に知り合いなんぞおらん」
 首が痛む程見上げてもろくに表情も捕らえられないような立ち位置をとっているのも気に食わなければ、そこから見下されているのも癪に障る。
 加えて不本意ながらの迷子な現状もプラスされ、平次の機嫌は急激に下降線を辿った。……認めるつもりもないが、何割かは八当たりと言えなくもない。
 言い捨ててスタスタ歩き出した背中に、振動だけで伝わるような含み笑いが追いかけて来る。
「短気は損をするぞ、探偵」
「『名』探偵か『服部さま』て呼ばへんねやったら、もう返事はせぇへんで」
「短気な上に自信過剰なのは探偵どもの性かね」
 探偵一山いくらとばかりにせせら笑われて、平次のこめかみがピクピクとひきつった。
 狸に好かれようが嫌われようが知ったこっちゃない、と心の中で泥棒を切り捨ててはずんずんと直進する。既に進みたい方向が直進かそうでないかは問題ではなく、その場を離れるのが現在の平次の望みとなりつつある。
「どこへ行く、探偵」
 先程の平次の言葉を無視して追いかけて来る、『名』のつかない呼びかけ。頭上の人物が妥協しなかったのは悠々としたその声音からも明らかだ。
 となれば平次の態度も硬化する一方だった。
 決して声の主を振り返らない。だけでなく顔を強張らせたまま更に足の速度を上げた。
 どこへ行きたいのか?
 勿論、駅だ。
 最早電車が走っていないといえども駅前なら幾らかはタクシーも捕まえ易いのではないか、と思う。
 が、コイツだけは業腹だ。
 こんな癪に障る相手に頭を下げるくらいなら、夜通し歩き続けようがずっと迷子のままだろうが、さしたる問題ではない。極論に走っている自覚はあっても、そう思えてしまったらもうどうにも仕方がない。
 ……あまりにも気分を害している今の状況でなければ、そしてこの相手でさえなければ、平次ももっと肩肘を張らずむしろ自ら駅への道順を尋ねたに違いなかった。
 そんな所で見栄を張ったり格好をつける必要を、普段の平次を感じない。
 だが今この現状は、日常とはあまりにもかけ離れ過ぎていた。
「わざわざ西から何をしに来た?」
 その台詞は平次の足を止めるだけの力があった。
 声音自体は先程までと変わらぬ抑揚の薄いものであったが、これまでのからかうような調子がすっかり抜け、軽く問うているようであっても彼が本題に触れようとしているのだと知れる。
 ゆっくりと踵に重心を移し、平次は慎重に背後へと向き直った。
 幾らか遠ざかっただけで、電柱の頂きにある影は変わりなく白々とシルエットしか判別出来ず、そこに本当に人がいるようには見えない。景色の中に紛れ込んだ、平面の存在のような。血肉のあるイキモノである気がしない。
「……ジブン、KIDやろ」
 返事はない。
 影が軽く肩を竦めるような仕種を見せて、ああ、本当にそこにいるのか、と平次は妙な感慨を覚える。風すら吹かない闇夜の動きのないシルエットはどうにも嘘臭かったのだ。
 相手は奇術に長けているのだから、そこにいるように見せかけているだけかもしれないとの可能性も捨て切れない。
 ともあれ反論がない以上無言は肯定と断じ、平次はそのまま空へと声を投げる。
「怪盗KIDの偵察を受けるやなんて、西の服部の知名度もわるぅない言う事なんやな?」
 あろうことか、KIDはハッっと鼻で笑った。そう来たか、と平次の口元がぴくぴくと引きつれる。
「知名度?」
 嘲り声でKIDが低く呟く。肩から流れているように見えるマントはそれでも直線のまますとんと下りていて、非現実を誘っている。
「笑わせるのは得意なようだな、地方探偵。………西で大人しくしてればいいものを」
「大きなお世話や。ジブンに会う為に来とるんやないし、文句つけられる謂われもあらへんわ」
 春まで待つ気もなく、授業が自由登校になるかならないかで東都へと出て来た平次は、相棒と同様にさして泡を食って追い込みをする必要性もない。
 受かる事を前提に住まいを探しに来た平次だったが適当なトコロをさっさと押さえてしまうと嬉々として事件のお呼びに応える日々が日常となり、現在、春を待たずして着々と東での足元を築きつつある。
「目障りなんだと言ったら?」
「知らんわ、そんなん。ケチなコソ泥追っ掛けるのは警察と他の連中に任せとるんやから、関係あれへん。それとも、ジブン……、」
 平次は挑発的に睨み上げた。
「俺が怖いんか」
 わざわざ突っかかって来る理由が見えず、平次は挑発してみる。
「やからわざわざつっつきに来たんかい」
 仕事の帰り道に遭遇したとも思えない。如何に平次がKID関連の騒ぎを耳から締め出していたとはいえ、この付近で騒ぎがあったのなら幾ら何でもこれほど静かとも思えない。
 ついででないなら、理由があって然るべき、だ。
 挑発に、乗るか、反るか。………彼の反応はどっちでもなかった。
「無駄足か、こんな………、」
「な、んやと?」
 酷く小さな声は語尾まで聞き取れず、平次は数歩来た道を戻る。
 KIDが不意に腕を上げ、シルクハットの唾を上げたのが分かった。顔を晒そうとでもするようなその仕種と裏腹にその造作は判別しようもなく、平次は内心強く苛立つ。
 先程までのあくまでも関わるまいとした気持ちは依然としてあった。
 ただ、こんな風に相手の意図も見えないままに姿を消されるかもしれないのは、釈然としない。
 ……喧嘩を売りにやって来た癖に中途半端に気を散らせ、こちらを消化不良に突き落としたまま姿を消されでもした日には。
「今、何ゆうたんや」
 じり、と電柱へと距離を縮めるが、頭上の彼は既に平次から興味を失ったように、もう視線を戻しはしなかった。
 足場という程の足場もないというのに危なげなくひらりとマントを閃かせて、出来過ぎの映画か何かのように片足でくるりとターンすると、電柱のてっぺんにも関わらず器用に背を向ける。
「おい、コラ、待たんかいっ!」
「探偵、一つ教えてやろう」
 怒鳴った平次に頓着しない平坦な声だけが降って来て平次は更なる一歩を踏み出し損ねた。
 ぐっと詰まってその背を睨むが、白いシルエットはもう見返りすらせずに。
「駅はそっちにはない」
 台詞と同時にゆらりとマントがもう一度閃いて、そのまま木の葉が舞うように、堀の向こうへと落ちていく。
 強く踏み切って躊躇するとか、お得意のグライダーでスムーズに着地するとか、そういった何某かの力の働きを感じさせないような動きだった。
 ただのモノの落下でしかない無造作な落ち方に、思わず背筋がひやりとする。
「キッ………ッ!」
 電柱の高さはグライダーを広げるには低く、飛び降りるには高過ぎる。しかしぎょっとした平次をよそに、静けさに包まれた住宅街には一向に騒ぎが起こる気配もない。
 彼が下りたであろう壁の向こう側で庭木をへし折る音も起こらなければ、どすんと着地に失敗したような音もなく、家人が騒ぎ出したりもしない。
 そこにあるのは、変わることない静寂とどこまでも彼を隠すであろう、闇夜。
 そうか、と妙に納得した。
 多分、逃げる事には細心の注意を払っている筈なのだ、あれが怪盗KIDと呼ばれるモノであるのなら。自分が想像するよりも、遥かに。
 ……無為な心配をした。
 ふう、と息を吸い込んだ瞬間、不意に視界に弱く淡い光が射し込んで、平次は数度瞬いて、視界を邪魔する前髪を軽く掻き揚げた。
 壁に、道に、町並みに、じわじわとそれでもはっきりとした陰影をつけて行く。
「………遅過ぎるわ」
 一向に姿を見せなかった月が、雲間から僅かに顔を覗かせた所だった。

◆KEEP OUT:平×快◆つづき


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