A Hedgehog Lovers




「あれ、新一いないの?」
 その声に、リビングのソファーでへたれたままの居候は力無く手首から先をはたはたと振ってみせた。
「なぁんだ、せっかく持って来たのに」
 今日は酒盛り。未成年の立場はとっとと脇へ押しやり飲む気満々で手に入れたばかりの酒瓶を抱えてやって来た快斗は、出鼻をくじかれてそうぼやいた。
 それにしても家主に懐きまくっている快斗を当初警戒していた節のあった西の探偵は、いつのまにやら家主より愛想良く出迎えてくれるようになっていたのに、この反応は珍しい。ド珍しいってもんだ。
「へーじ。具合悪い?」
 へたっているソファーの横へと歩を進めそっと尋ねると、彼はゆっくりと身を起こした。
「そうちゃうねん、ちょおへコんどるだけやから…スマンな、景気悪い反応しか出来んで」
 常にない気弱な語調に、すぐ気付く。彼の調子を上昇させるのも下降させるのも、工藤新一というスイッチ一つだ。これで無関係な方が驚きってものだろう。
「新一とケンカでもした?」
「………………………」
 さらりと問えば、平次はあからさまに視線を泳がせた。こんな分かり易くてどうすんの、と快斗はこっそり思う。
「ふぅん。いないのは、そのせいなんだ?」
「いや、事件や。熊本行っとる」
「ご指名な訳ね」
「そぉや」
「一緒に行けば良かったのに」
 平次はむすっと黙り込んだ。
 つまり喧嘩の理由はソレ、と。うんうん、と頷いて快斗は持参した瓶を二人の間につきたてた。
「おっけ〜♪ 今夜は飲もう! がんっがん飲も!!」
 そしてさくさく白状してもらいましょう!
 そんな呟きを潜ませた快斗の笑みには気付かずに、探偵はその腕を伸ばした。

 

「あのアホ、来ンな、言いよった」
 酒も入って舌の滑りもほど良くなったらしく、探偵はぽつりとそう一言呟いた。
 そこにあるのは怒りではなく、ただ拗ねたような寂しさのようなもので出来ていたから、快斗はいつものように茶化すでもなく静かに『うん』とだけ返した。
 思えばこの組み合わせでじっくりと膝を付き合わせたのは初めてかもしれない。
 新一に会いに来てコナンと出会った平次。キッドとしてコナンに会った快斗。親同士のつき合いから交流のあった、白馬と平次。快斗のクラスへとキッドを追って転入してきた、白馬。
 キッドとして西の高校生探偵を見かけはしても、快斗と平次を繋げる直線はそこにはなかった。なのに、今こうして二人で酒盛りなんか始めてしまっているのだから世の中って奴は侮れない。
「……いきなり来るな……?」
「せや。それ以上理由も言いよらんし『来るな』の一点張りで大喧嘩や。終いに一方的に電話切るわ、電源まで落としよった」
「うわー……」
 喧嘩売りまくりだよ、名探偵〜。
 思わず宙へ視線を泳がした快斗だったが、目の前ではへコんでいると自己診断していた平次が更にがっくりと項垂れてしまっている。
「で、へーじは何で怒ってるんじゃなくってへコんでる訳さ?」
 平次が新一にべた惚れなのはようく承知している。けれど、快斗にはよく分からない。
 自分が白馬にそんな風に一方的に指図を受けたり話し半ばで電話を切られたりしたら(まぁ性格的に白馬にそれが出来るかどうかは定かではないけれど)恐らく、烈火の如く怒る事はあっても、へコみはしない気がする。
 それは快斗と平次の性格の違いと言われたら、返す言葉は見つからないが……。 
「工藤悪い訳やないのに怒れるかい」
 首を傾げている快斗に、当然のような顔で平次はあっさりと告げた。快斗は抱えていた酒瓶を落としかける。
「……工藤、迷宮なしの名探偵やけど、無傷な名探偵とはいえんやろ。……すぐ、無茶しよる」
「まぁ、確かに」
 かと言って二人でいれば無茶をしないかと言うと、これもどうだろうと快斗には思える。しかも怪盗に心配される探偵がごろごろ転がっているのって、どうよ?
「でも工藤は工藤の判断で、独りでええ、言うたんや。それでも行く言うたんは、俺の勝手でしかない。分かっとったのに、きっつい言い方してもおた」
 そう言って後悔の海にダイブした平次は、もしかしたら結構いい奴かもしれない。そうでなければ、バカのつくお人好しだ。
 そう告げる代わりに、快斗は肩を叩いて平次のグラスを更に満たしてやった。
「新一、どうしてるかなぁ」
 呟いたのは意地の悪い気持ちからではなかったが、平次の反応は頓著だった。飲んでいた酒を吹きだしかけて、げほげほと咳込んだ。その上、普段地色で分かり難いと評判の顔色が酒の威力だけでなく、朱を帯びている。
「どう、て。事件解いとるやろ」
「え〜。もう夜中じゃん。夜はちゃんと寝るよう言ってあげなよ。コイビトなんだから」
「余計なお世話や」
 意味深に笑った快斗に、平次がそっぽを向いて返す。
 端から見ると照れもせずラブラブモードを突き進んで行ってるかに見える彼等も、こうまで前向きにからかわれるのには未だ慣れていないと見える。と言ってこのままからかい続けるとしっぺ返しをくらう恐れもあるので、快斗は早々に矛先を変える事にした。
「面倒そうな事件なんだ?」
「…工藤呼ばれたんやったら、そうちゃうか」
「ふーん、聞いてない訳ね。じゃ熊本のどこにいるの」
「…………」
「ホテルくらい取ってもらってると思う?」
「………………」
「あ、そう。まぁ親切な関係者ン家泊めてもらってるかもしんないか〜。最悪、署の仮眠室でも借りてるよね。意地になって証拠探してて徹夜、とかしてなけりゃあさ」
「……………………」
 平次の視線は何度も携帯電話の上を行きつ戻りつしている。それを横目で眺めながら、快斗はやれやれとグラスを置いた。
「へーじ、それ貸して」
「俺のやで?」
 不思議そうな顔つきで、それでも素直に平次はそれまで視線を彷徨わしていた先にあった自身の携帯電話を快斗に手渡す。受け取った快斗は、にやりと笑った。
「ありがと。じゃ、見ててね、じゃんじゃじゃ〜ん♪」
 自前の効果音と同時に、ぽんっと音がたち、小さな煙幕と共に優雅に閃かせた快斗の右手からそれは消え失せた。
「あ、あほっ何すんねん! しょうもない事しとらんと、早よ返しっ」
 慌てて快斗の身体検査を始める平次から、するりと身をかわして快斗はソファーの後ろへと回り込む。そして笑った。
「さて、どこでしょう〜♪」
 快斗はわざとらしく空の両の手を閃かせた。返すつもりはなかった。彼自身、自分がどうしたいのか、分かるまでは。
「く〜ろ〜ば〜〜〜」
「返してほしい?」
「当たり前やろ。身ぐるみ剥がれとうなかったらとっとと出し」
「きゃー。へーちゃんのえっち」
 平次がべしゃっと前のめりに脱力した。
「〜〜〜っけったいな声出しなっ!」
「あ、やっぱり新ちゃんの声色の方が良かった?」
「あほ。それほんまにやったら問答無用でどつくで。それと工藤に向かって新ちゃんはやめときや。工藤は警告なしに蹴りよる」
 なんだかんだと言ってもそう忠告する分だけ、彼らしく人が良い。妙に実感の籠もった口調からするに『新ちゃん』と呼ぶ姿は想像出来ないので、恐らく他の用件で蹴られたと見て間違いない。打たれ強さはプラス1点ってところ。
「せやから、返してくれへん? 工藤からかかって来た時出ぇへんかったら絶対拗ねよる」
「……新一、かけるって言ってた……?」
「言わへんし、かからんかもしれんけど。来るな言うたんに理由はあると思うんや。あいつ、優しい奴やから放っといたらなんも言わんと全部抱え込みよる。せめて言いたくなった時にはいつでも聞ける体勢でおりたいねん」
 やから、返してくれへんか。そんな風にやんわりと促されて快斗に否やと言える筈もなかった。
 ただ落ち込んでいると見えた探偵の、自分の望みが以外にはっきりしていたから。この調子だと飲み会の方も早々にお開きになるに違いなかった。電話待ちの探偵がベロンベロンに酔うまで飲む筈がない。
 さりげなくのろけられたような気もするが、ま、いっかとあっさり納得すると、快斗は持ち主の手に、隠し持っていたそれを委ねた。
「おおきに。自分割とええやっちゃな」
 平次は理不尽に奪われていた携帯電話を受け取ると、そんな風に言う。
「…おだてても何も出ないよ?」
 こんな物しかね、と言って快斗がバラとハト出すと彼は手を叩いて喜び、最後にころんと30 cmはあるはりねずみのぬいぐるみを出現させると流石に呆れ顔になる。
「どっから出してん、それ………?」
「もっちろん、企業秘密で〜す。かわいいでしょ? あげるよ」
「もろてどないしろ言うねん、こんなん」
「似てない?」
 平次は、はた、とはりねずみと視線を合わせた。
 はりねずみと言ってもぬいぐるみだ。針もつきたっているのでなく半分ねた状態で小顔な顔につぶらな瞳が可愛いタイプで、快斗は店頭でこれを見つけた時、『新ちゃん!』と思わずガラス窓にへばりついてしまった程のプリティーさだ。
「なんかさ、自分の針が痛いと信じ込んじゃってるんだよね。誰かに痛いって言われるのが怖くて針ねかせてるのを自分で分かってないから、近寄ったら慌てて距離取ろうとすんの。でも目がね、ぎゅってして〜って言ってんだよ、可愛いよねえ!」
 握り拳で工藤新一=はりねずみ説をとうとうと語る快斗を見ている、平次の表情は実に複雑だ。思わず抱えたはりねずみを撫でさすりながら、口を挟めずにちびちびとグラスを口に運んでいる。
「どーかした?」
「……いや何や、自分、素面でもこのテンションやから、酔うとんのか元気つけようとしてくれとんのか、どないやねんと……」
「この程度で酔う訳ないじゃんか。ついでに言うと別にへーじ励ます理由もないからね。新一の愛らしさを語るのに酒の勢いなんか借りなくても全っ然オッケーに決まってるでしょ♪」
「いちおー、俺、工藤の恋人やと思うんやけど……」
「じゃあ聞かせてよ」
 平次が、片眉を引き上げる。何やて?と、問う時の仕草に、快斗は笑った。
「可愛いでしょ、この子。どう思ってんの。どうしたいのさ」

 工藤新一をどう思っているの。
 工藤新一と、どうありたいの。

 平次の横にしゃがんで、快斗ははりねずみをそっと撫でた。
「どう、て……なんでそんなん聞きたがるんや?」
「そりゃ、新一に聞いたら『別に好きじゃねぇ』の一言で終わちゃうでしょーが」
「………」
 あっさりと言うと、平次は反論しようとしたようだが本人的にもそれはあり得る想像であったらしく、結局きまり悪気に言葉をかみ殺した。
「だとすれば、長続きしている秘訣はへーじにあるのかなぁって思った訳。のろけ聞いてやろーなんて奇特な人、そうそういないよ? この機会に語ちゃった方が精神衛生上もいいって、絶対!」
「どうも素直に頷きたない気分になるんは、気のせいやろか……」
「素直だけが取り柄の人が、悩んでどうすんの」
「…………しめたる………」
 不穏な目つきの探偵の物騒な呟きに、慌てて快斗ははりねずみを平次の視線の先に持ち上げた。
「大好き!」
 勿論、新一の声色だ。
 平次は一瞬あきれた顔で快斗を眺めて、はりねずみを奪い返した。とりあえずそれで謝罪を受け入れられたとして、快斗もそっと胸をなで下ろす。からかい甲斐のある西の探偵も度を超すと流石におっかない。余裕綽々と振る舞っていても結構小心者な快斗だった。
 黙ってさわさわとはりねずみの手触りを楽しんでいた平次も、横目でちらちらと反応を伺う快斗の視線にとうとう根負けして、こつん、と額をこづく。
「こんな所にもはりねずみの仲間おるとは思わんかったわ」
「…………かーえろっと」
「せやな、酒盛りはそろそろお開きにしよか」
「どーぞ、お好きに! じゃーねっ」
 拗ねて立ち上がった快斗と同時に、平次も立ち上がる。語尾が笑いを含んでいるのが微妙に伝わって来て、快斗はますます拗ねた。形勢逆転なんて冗談じゃない。
 だが、だかだかと歩き出した快斗を、呼び止める声があった。
「黒羽、待ち」
 振り返った快斗の腕に転がり込んだのは、手渡した筈のはりねずみ。
「うまいコーヒー煎れたるから、その間、預かっとって」
「あのさっ」
「くどう、預かったって」
 キッチンへと向かった背中が、笑ってそう言う。返す言葉に迷って黙り込んだ快斗に、平次は「何や、見とったらだんだん似て見えて来るもんやなぁ」と笑うと、慣れた手つきでフィルターの準備を始めた。
 引き留めるでもなく、かと言って立ち去ったかどうか、確認もしない。まるでそこに当たり前のようにいると思っているのか、黙って帰りはしないと信用されているのか。
 判断をつけかねて、快斗ははりねずみを抱え込んだまま、そっとソファーへと戻った。
「オマエ、くどうに決定したみたい」
 こそっと膝の上に抱きかかえたはりねずみに訴えてみるが、勿論返事は返らない。「似てない?」とそそのかしたのは間違いなく自分だが、こうもあっさり『くどう』とするとは、芸がないというか怖い物知らずというか。
 これで家主が帰宅した場合に巻き起こされる騒ぎを思うと、快斗は大いに楽しくなって来た。……自分が安全圏にいる限り、そういった騒ぎは非常に楽しいものだから。
「黒羽」
 シンクを片手をついてぼんやりとケトルを眺めていた風の平次に呼ばれて、快斗はそのままの体勢で「なに?」と目だけを向けた。
「用事あった訳やないんか。ホンマは、工藤に」
 ぼーっとしているように見えた探偵は、どうやら考え事をしていた結果だったらしい。酒を抱えて工藤邸を襲撃する、というのは快斗にとっては日常茶飯事だというのに、下手に回転の良過ぎる頭はそれ以上の理屈を差し計ってしまうものかもしれない。
「それとも工藤に頼まれ……いや、それはあれへんな」
「あの人がする訳ないでしょ、そんな気の利いた事」
「魔が差したんや、希望的願望が頭過ぎってな。せやなぁ、ちょお無理あるわ、流石に」
「うんうん。でもそれ言ったら言ったで新一拗ねるか拗ねた勢い余って怒りそうだよね。へーじ、お湯お湯っ!」
 慌てて平次はコンロのボタンに飛びついた。程なくやんわりとコーヒーの薫りが部屋を漂い酒の匂いを柔らかく払拭して行く。
 煎れたてのコーヒーを両手にソファーに戻って来た探偵は、カップと『くどう』を物々交換すると、そのままソファー……3人掛けのソファーに陣取っている快斗の向かいのソファーの方へと、腰を下ろした。
 何となく沈黙のまま、二人はコーヒーをすする。
「今日はおおきにな」
 カップの底が見え始めた頃、ぽつりと平次はそう呟いた。何が、と問う変わりに軽く首を傾げて見せると、平次はちょいちょいと膝の上の『くどう』を指差す。
「お陰様でなんや浮上した気分や」
「やっぱり落ち込んでたんだ」
 笑って返すと、平次は少し照れ笑いを返して来る。
「まぁ、多少はな。顔見て喧嘩すんのと違って、電話は顔見れへんから、頭に血ィ昇った時つい忘れる」
「何を?」
「工藤が声にも顔にも出さへんもんの事を」
 例えばダメと拒絶する時の理由。それ以上語らない時の、状況。電話は便利なようで時として不便だというのを、彼も感じたのかもしれなかった。
「工藤をどう思っているかて、聞いたやろ? あいつ、すごい奴や。やるいうた事はちゃんとこなしよる。あれで割とお節介なとこも、負けん気が強いとこも、好きや」
 以外と静かな口調で、平次は語る。視線は快斗を避けている訳ではないのだろうけど、自然はりねずみへと向かうらしかった。
「ただ、工藤の言っとる事が正論で、正しいと分かっていても、納得出来ん事はあるねん。他にも手はあるかもしれんと思うんや。工藤に出来へんでも俺にやったら出来るかもしれん、そういう時に工藤は俺を利用しようとはせえへん。そーゆー所、正しいても、もどかしい、思う」
 平次の言葉は快斗に話している事でも、どこか独り言のようで、言葉に出す事で考えをまとめているような節があったから、快斗はただそれには「ウン」と答える事で続きを促した。
「もどかしいんやけど、そこも工藤らしいから、結局俺に出来る事なんてそんなないねん」
「みんな、そんなもんだよ、きっと」
 優しくありたい、暖かくしていてほしい。守ってやりたいとか、幸せにあってほしいとか、自分の側が彼に少しでも居心地良くあるようにとか。自身に出来る事なんてそうはありはしなくても、願う事はいつだって誰だってそう変わりはしないのだ。
 ただ想いが強い程、客観的に見るのが難しい。自分の腕が本当に笑顔を守れているのか、そんな事すら分からなくなるから、不安になるのだろう。

「新一、笑ってるよ」

 だから。快斗は笑ってそう告げた。
 いつも大丈夫って背中を押されてばかりの二人に、自分の言葉なんかでなにかが返せるかなんて、分かりもしないけど。
「へーじといる時、一番楽しそうだもん。怒ったり拗ねたり笑ったり、生き生きしてる。本人結構隠してるみたいだけどね、快ちゃんにはちゃああんと分かるのさ!」
 どんなに口汚くののしっている時だって、瞳はこれ以上ない程、楽しげだ。あほやなぁって平次に頭くしゃくしゃされた時の、うわぁって、照れと嬉しさとどきどきがまじった時の顔も。
 その癖、そんな顔を見られるのは大嫌いで、見ちゃったよんと笑う快斗に見てんじゃねーよと必死で目で牽制してくる。そんな所が可愛いんだと本人はちっとも分かってないし。
 その上、目でやり取りしている二人を見て、仲ええんやなぁなんて思っているらしいこの男が、一番分かってない。
 誰にだって分かりそうなのにそれが分からないってのは、こいつが当事者だからだ。恋の当事者だからだ。
「だから、へーき」
 決めつけるように宣言して、快斗は笑う。
「そう、なんか?」
「そーなの。他人の方がこーゆーのは、よく見えるっていうでしょ? オレねえ、自分でいうのも何だけど、新一大好きだからすごく見てるよ。そのオレが言うのに、信じられない?」
「……黒羽……」
 平次は困ったように笑った。
 平次は新一がもどかしいと言う。けれど、快斗には平次もじれったいし、ちゃんと幸せになれる筈の二人が3歩進んで2歩戻り、その上進まず戻ってしまっているのを見るとちょっとばっかし背中を突き飛ばすのも必要じゃないかと思えるのだ。
 快斗は悪戯っぽく微笑んで見せた。そして言う。
「オレは新一とはりねずみ仲間なのに?」
「……せやったな」
 手元のはりねずみと見比べて、平次も肩から力を抜いて笑んだ。
「何や不思議やな。自分が言うんやったら、信じられんことでもとりあえず信じてみよか、思う。工藤笑ろとるて自分が太鼓判押してくれるんやったら、それ、疑わへんでおく。それでええか?」
「いーんじゃない? た・だ・しっ! オレちゃんと見てるからね。新一泣かせたらその時は問答無用で浚ってくから覚悟しといてよね」
「……せやったら、俺が工藤に泣かされたら自分、浚ろぉてくれるん?」
「へーじはいらない」
「……一言かい」
 がっくりと悲嘆にくれる平次のぼやきに、快斗は声をたてて笑った。新一にしろ平次にしろ、実はかなり気に入っている。頂けるというなら事情はさておきもらって帰ってもいいのだが、探偵は一家に一台、いや一匹、いやいや一人で十分だろう。何分、怪盗なんぞという裏家業を持つ身としては。
「だぁって新ちゃんにいじめられて泣きぬれてるへーじなんか、とっくに見慣れてて目新しくないもん。テイクアウトせっかくしても新一回収に来ちゃいそーだし?」
「それやったらまだええで。そのまま帰ってくんなとか言われそうな気ィせえへん?」
「あ、それもありえそう。どっちにしても手間掛けるだけで、お得さがないでしょ。いい迷惑だからへーちゃんは浚ってあげない」
「損得問題やったんか……いや、それより迷惑てどないやねん……」
 室内に吹き荒れる筈のない寒風に晒されて、平次は寂しくため息を吐いていた。
「そんなら」
 ため息の海に浸かっているのにもあきたのか、唐突に探偵は現状復帰を果たす。
「工藤、見とったってな。俺もちゃんと見とるつもりやけど、もし俺がどぉしても側におったれへん時とか、俺が気付いてへん時に工藤辛そうにしとったら、教えてほしい。頼むわ」
 真摯な声と表情での頼み事に、頷かないつもりはなかった。けれど、少しだけ悪戯心もあったから、快斗はなるべく可愛らしく首を傾げてみせた。
「それって、交換条件は?」
「……う〜ん、そやなぁ〜……、あ、せや」
 にやり、と探偵は意地の悪い笑顔で笑って。
「黒羽が白馬に泣かされたら、俺か工藤が浚いに行ったる。どぉや?」
「あ、あのねえ、探偵さんが人浚いはまずいでしょ。大体勝手に余所のカップルまで破壊しないでよねっ、どこかの意地っ張りカップルと違ってこちらとら順風万風なんだから」
「へぇ?」
 吹き出さんばかりの表情で、平次は短くそう呟いた。快斗も自分で言った言葉の白々しさには少々無理があると承知していたものの、口に出した以上引っ込みもつかない。山あり谷あり海峡越えもありな自分達を棚に上げ、素知らぬ風でふんぞり返る。
「せやったら、もうええんちゃう?」
 平次は、自らの腕時計を快斗に指し示し、苦笑した。
「自分来てからもうすぐ2時間や。理由は知らんけどいくら何でもこの寒空、これ以上外立たしとったら間違いなく風邪引いて倒れるで。そろそろ許したり?」
 快斗はぎょっとして、息を飲んだ。
 言葉の内容にも、彼がいつ野外の状況を把握したのか、そしてここで切り出したタイミングにも。慌てて立ち上がって居間の窓から外を伺うが、その位置からは門の向こうは光源が足らず窺えない。
 まさか、という想いとやはり、という想いが錯綜してあちらこちらにぶつかりそうになりながらも廊下へと駆け出して行く背中に、呑気そうな探偵の声が追い掛けて来た。
「黒羽、交換条件はどないする?」
「成立!」
 返事は短かった。


「うわ」
 玄関からその字の通り飛び出した快斗は、その音で門から背中を離した人影を見て、思わずそう呟いた。ニュアンス的には「うわ、ウソだろう」とか「うわ、ホントにいやがった」とかそーゆー系の続く呟きだったが、出たのはとりあえずそこまでで、瞬間に身体を取り巻いた冷気に小さく身を震わせて門へと走った。
 深夜のこの時期はしっかり防寒していてもかなり冷え込む。ましてや快斗は着の身着のままだ。
「……黒羽くん」
 快斗の姿を確認して、彼は一瞬目をしばたかせるとゆらりと快斗へと向き直った。動きの緩慢さを見て取って、快斗は慌てて門のかんぬきを引き抜き工藤邸の敷地を抜け出す。
「何をやってるんです」
 だというのに、白馬に辿り着く寸前にその彼によって快斗は抱きつく事もぶちのめす事も阻止されてしまった。こともあろうに、顔を顰めひどく呆れた声で快斗の両肩を掴むと玄関へと押し戻そうとしたのである。
「こんな薄着で出てくる人がありますか。上着くらい……」
「しっ」
「……し?」
「しっんじらんねえっ!」
 腕をはねのけて、快斗は叫んでいた。勢いに押されてややのけぞった白馬のコートのボタンを手早くはだけて、コートとセーターの間にするりと割って入る。すり、とセーターへ頬を寄せて両手は背中へと回しぎゅっとしがみついた。この間、約9秒。
 快斗の唐突な一連の行動に動揺したらしい探偵は、半歩ほどよろめいたがどうにかその場へと止まった。
「あ、あの、黒羽くん……?」
 両手の行き場所を決めかねしきりに両手を振り回し困惑のまま尋ねる白馬に、快斗はそろりと顔だけを上げて睨み付けた。
「冷たい」
「……………はぁ」
「こんな寒い日にこんなとこで立ってるなんて、信じられないくらい、バカッ!」
 確かめた身体は、セーター越しにも冷え切っていて、多分今背中に回すのを躊躇っているその指先も冷え切っている事を確信すると、快斗は更に力を込めてしがみついた。
「入ってくりゃいーじゃん、なんでここまで来て止まってんの」
 どうしてもふてくされたような語調になるのは抑えられない。布越しとはいえちっとも暖まってこない身体のこの冷え方は、十分や二十分の冷え方じゃない。
「余所のお宅を訪問して良い時間ではありませんよ」
 白馬は困ったように答える。随分迷ったらしいもののようやく覚悟を決めたのか、快斗を包むようにコートの前を合わせ遠慮がちに腕を回す。
「迎えに来んのは、別」
 一言で言い切って、ふと思い立ち快斗は言い足した。
「違うのか? 新一やへーじに会いに来たとか言う……?」
「そんな筈ないでしょう。君がうちを飛び出してから慌てて追い掛けました。君のお宅では留守だと伺ったのできっとこちらだと思ったんですが……」
 白馬の方が6p身長は高い為、ぺったりとくっつくと声は自然快斗の額の辺りから降って来る形になり、吐息が前髪をそっとくすぐる。頬に触れているセーターの上品な肌触りの良さも、とても白馬らしい。
「……黒羽くん、もう怒ってないのですか……?」
「別に。元々怒ってなんかねーもん」
「じゃあどうしていきなり帰ったりしたんです?」
 尋ねる声が少しでも責める響きを宿していたとしたら、返す言葉もまた違うものになった事だろう。けれど、白馬の声には不思議そうな困惑した響きしかなかったから、快斗は顔を合わせての会話にはいささか不向きな至近距離でぼそぼそと白状した。
「だってオマエ、オレの事好きだって言った癖に」
「好きですよ」
 間髪入れず言い返された。意地っ張りの顔が出て来ようとするのを、快斗はぐっと押さえ込む。東西名探偵を意地っ張りカップルと差し示した以上、自分までがそうあれはしない……例えこの決意が一時の物だとしても。
「でも、ただのクラスメイトだった時も今も、ずっとオレ『黒羽くん』のままじゃんか。『黒羽』でも『快斗』でもなく『黒羽くん』のままで、だけどそんな事に拘ってるなんてなんか馬鹿みてぇだし。あれ……なんかオレ言ってること、めちゃめちゃっ! うわぁ、カッコ悪ぃ!」
「良いんですよ」
 話している内にどんどん混乱していく快斗を、穏やかな声が宥めた。
「僕なんて、もっとずっとみっともない。君が彼等を大事な友人達だと思っているのを知っているというのに、工藤くんや服部くんを名前で呼ぶ事にすら嫉妬していたんですから」
「……オマエが………?」
「ええ。君が僕をどう呼んでくれるかを言窮する以前の問題で躓きました。君に馬鹿と言われてもこれでは言い返せやしません」
 そうでしょう? そんな風に笑う白馬に、快斗はこっそりと悩んだ。意地っ張りカップルと馬鹿ップル。これではどちらがマシかとなれば、どっちもどっちかもしれない。
「上着を取りに戻りますか」
 不意に白馬が話題転換をする。問われて、快斗も現状を把握した。潜り込んだままの白馬のコートの中がいかに居心地が良くても、このままではどこへも行けそうにない。けれど。
「う〜ん。止しとく。上着なんてどうせ部屋に放り込んでおいてくれるだろうし。へーじににやにや笑われそうだから、やだ」
「でもこのままでは風邪を引きますよ」
「へーき。半分貸して♪」
 困った笑顔で宥めようとする白馬の手をするりと抜け出して、快斗は慌てている白馬のコートの右の袖を抜いた。そのまままた懐に飛び込んで、コートを自分の肩にかける。強引にコートを二人で羽織る形で、快斗は笑う。
「ほら、これで問題なし! どーせ馬鹿ップルならとことんいっとこーぜ」
「あ、あのね、くろ……」
「ダメってったら、泣く」
 宣言されて、ぽかんと白馬は快斗を見返した。流石にこういう切り返しは名探偵の予測範囲にはなかったらしい。
「言っておくけどオレ泣かせたら、大変だと思うよ?」
「………」
「東西名探偵が浚いにくる契約になってるもんでね」
 白馬はため息をついた。肩のコートをかけ直され、その身を引き寄せられて勝利を確信した快斗だった。
「せいぜいくっついていて下さいね」
「ほいよ」
 諦めきったような口調の白馬に、上機嫌の返事。けれど耳元で紡がれるその次の言葉に、快斗は今度は返事を返せなかった。
「帰りますよ、快斗」
 二人三脚のようにコートの下で背に腕を回して、一歩を踏み出そうとした快斗は、気持ちのままに白馬に抱きついた。

◆A Hedgehog Lovers:平×新+白×快◆続きの2は


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