insenible dream....05



(feel like crying with downcast eyes)

 

 扉を開けた途端繰り広げられた光景に、白馬は我が目を疑いつつ絶句する羽目に陥った。
「新一、おっかえり〜♪」
「……ただいま」
 待ってました、とばかりに玄関口で飛びつく快斗に、一見邪険に腕を外す風を装いながらも、くすぐったそうに笑う新一。
 二人が並んでじゃれている図、というのは想像もしない組み合わせだった。
「早かったんだね、もっと遅いかもってへーじと、え……っ?」
 無邪気に笑む口元が、強張る瞬間を白馬は見逃さなかった。
 一瞬瞳を過ぎった、傷ついたような影も。
「ど……うして?」
 彼の疑問は、そのまま白馬の疑問でもあった。
こんな場所で会うなんて、思ってもいなかった。
 あの時、階段を落ちる彼に手が届かなかった事が悔やまれて、あんな風に不用意に触れようとした自分が許し難くて、謝らなければと思う心と裏腹に会わせる顔もなく……まもなく学校は長い休みへと突入してしまったのだった。
 それ以来、せめて夜に彼が訪れてくれればと祈るような気分で日々過ごしていたが、白き彼の訪問もなく、白馬は気持ちを持て余している。
 直視できず、思わず視線を外した白馬をどう取ったのか新一の腕を掴むと、快斗自身も白馬から視線を外し新一へと向き直った。
 絞り出された声は、何かを堪えるかのように、押さえた声。けれど視線は押さえ切れなかったのか、強い光をたたえて新一へと向けられている。
「どうしてこいつがここに来ンだよ……!」
「快斗」
「オレはっ……、」
「快斗。痛い、腕」
 新一はあくまでも穏やかにそう告げる。その言葉に毒気を抜かれたかのように、快斗の表情の中から険しさが剥がれ落ちた。
「あ……ごめん」
 途方に暮れたようなどこか幼さを残した表情で彼は指を外し、瞬間自らの掌を見つめるとそれをぎゅっと握り込んだ。
 掌から転じた視線は、新一を見、そして僅かばかり白馬へと移される。
 瞳は、混乱と動揺と疑問符で染められていたが、白馬の瞳の中の同じモノを読み取ったのか、顔を過ぎったそれらの感情は、そっと覆い隠されてしまった。
「なぁ、快斗」
 新一の呼び掛けに、快斗は視線を引き戻した。
 二人が互いの姓でなく名で呼びあっている事にも、この時ようやく気付いた。ひどく些細な事なのに、奇妙に気になって。それ程にも親しいのが少し意外で。
 でも不思議とどこかでほっとしてた。
 彼のクラスメイトや友人達、そして幼なじみの少女も、彼を名で呼ぶ。
 そうして彼と共にいる姿を見ているが、先程新一を迎えに出て来た時のような屈託のない笑顔を見た事はなかった気がする。
 見ていた彼の笑顔が常に作りものだったとは思わない。けれど、どこかセーブをかけていたに違いなかった。特に自分に対する時には。
 きっと、彼に対する時は違うのだろうと、漠然と思う。そんな相手がいるのだと思うと安堵した。
「白馬は、オレの客だ。別に両手を上げて歓迎しろなんて言わないけど、追い返したりはしないよな?」
 新一の問いに、快斗は微妙な間を置いて一つ頷いた。
「家主さんの、どうぞお好きに」
 一言言い捨てると、彼はきびすを返してパタパタと部屋に駆け込んでしまう。
 納得したのか、どういう風に感情に折り合いをつけたのか白馬には見当もつかなかった。ただ、自分から去っていく背中だけがいつもと同じで、それが少し白馬を切なくさせた。
 いつまでも消えた背中を見送っていた白馬の横で、新一が靴を脱ぐ気配を感じて、はっと我に返る。
「あ……、」
「やっぱり帰ります、なんて言わないでくれよな?」
 先を越された。しっかりと笑顔で釘を刺されてしまい、白馬はモゴモゴと歯切れ悪く玄関先で言い訳をする羽目になった。
「でも、彼がいるとは知りませんでした。僕は……、」
「言ったら来なかっただろ?」
「それは……」
 恐らく、来なかった。来れる訳がない。会わせる顔などなかった。今だってどうして良いか途方に暮れているというのに。会いたくなんかなかったのだと、直接言われる為にこの場に止まるなんて、双方にとってこれ以上ない程、自虐的な発想だ。
「僕は、彼に嫌われていますから」
 彼とKIDとを取り巻く疑惑も、自分の彼へと向かう感情の波も、新一に説明するには憚られた。あまりに込み入っているし、第一、新一がどこまで黒羽快斗という人間を知ってどういうつき合いをしているのか分からない以上、迂闊な事も言えない。
 結局、一言で言える確かな事柄は、それだけだった。
「快斗が……?」
 何故か返されたのは、新一の不思議そうな呟きだった。そして何か納得したかのように2、3度頷いて快斗の消えた方向を見遣った。
 不意に振り返ると、彼はひょいとしゃがみ込む。
「はい、どうぞ」
「工藤くん……、」
 家主自らにスリッパを目の前に並べられ、白馬は益々途方に暮れる。
「頼むから、付き合ってくれないか。あんたがいつも見ているあいつとはもしかしたら少し違うかもしれないから、反応に困る事があるかもしれないけど。先入観抜きで向き合ってやってほしい」
「ですが」
「快斗って感情の流れに敏感な奴だから、警戒してる奴には警戒する」
「それは……嫌われていると思っているから、彼もそう思う、とでも……?」
 そんなに自分にとって都合の良い話もないだろう。けれど新一は曖昧な笑みで首を傾げた。
「さぁ……そこまではオレには分からない。ただ、見てやってほしいと思っただけだよ」
 目は快斗の消えた廊下へと向けられて。
 その視線はどこか優しく、それでいて心配事を抱えるように小さく揺らされたから、白馬にも幾らかは納得出来た。
 新一が自分を連れて来たのは、快斗の為……?
 どう転ぶか五里霧中だというのに、白馬の何に賭けて声を掛けて来たのだろう。
「何やっとるん?」
 のんびりした声がかかって二人が目を向けると、リビングから顔を出したのは、エプロン姿の服部平次だった。
 二人のどこか緊迫した空気や、先に戻った快斗の様子をどう取ったのか、至って呑気な口調で彼は言葉を重ねる。
「冷めてまうで。ンなとこで立ち話しとらんと、早よ入ってきーや」
「今、行く」
 新一はどこかほっとしたように答えた。
 背中をポンッと押されて、白馬は結局その指に押されるように並べられたスリッパへと足を滑り込ませたのだった。

 

 

 快斗が姿を消したのも、平次が顔を出したのも、リビングだった。
 そこからダイニングキッチンへと続き間になっていて、リビングに通された白馬からはキッチンで動く快斗の背中だけが見えた。
 テーブルの上はすっかりセッティング済みの四人分の夕食の席が並んでいる。白馬は慌てた。
「あの、すいません、急にお邪魔してしまって」
 しかも、言うがままにタクシーに詰め込まれ運ばれたお陰で、手ぶらという失礼に赤くなるやら青くなるやらの白馬である。
 あらかじめ分かっていたならば、花なりワインの一本なり手にして来たのだが、と思っても既に遅い。
 そうなるべく仕組んだのは家主だった訳だが、夕食担当が平次であるからか、自然平次に向かって恐縮する白馬である。
 しかし、平次と新一は同時に吹き出す。
「気にせんでええて、そんなん。遊びに来て飯食うてくだけやん?」
「それに、オレが無理矢理連れて来たようなもんなんだからさ」
「工藤に逆らえる奴はそうはおらんで。自分、被害者なんやから堂々としとり」
「どういう意味だよッ」
「おっと、ワイン出すわ。そろそろええ感じに冷えとるやろ」
「ごまかすなーっ!」
 白馬を挟んで、左右で掛け合い漫才だか言い合いだか、はたまたじゃれ合いなんだか判断のつかないものがけたたましく勃発し、東西名探偵の間で目を白黒させていると、サラダボールを手にした快斗がキッチンから戻って来た。
 テーブルの上はそれが最後だったのか、一つぽっかりと空いていた場所にそれを置く。と、目で追っていた白馬とばちっと視線がかち合った。
 彼の表情はまだ硬い。けれど、ほんの数分間に思う処があったのか、新一の言葉で譲歩したのか、無視しようという構えは見えなかった。何気なさを装って自分も席につきながら、向かいの席を指差す。
「座れば?」
「あ、はい。……これは君が?」
 快斗の持って来たチキンサラダを見るともなしに聞くと、「まさか」と軽い返事が返された。
「ほとんどはへーじだよ。オレは仕上げでちょっと手伝っただけ。このチーズ切って散らしたりとか」
 チキンサラダの仕上げに散らされたらしい2o角のチーズを指差して、快斗は小さく笑む。その大ざっぱそうに見える彼の意外と几帳面な一面を体現した正方形を見て、白馬もつられて微笑んだ。
「美味しそうですね」
 快斗がひどく驚いた表情で、目を見開いたのが分かった。そんな表情も常ならば自分には向けられずポーカーフェィスの下に隠される事を思うと、白馬の方も少なからず驚いた。
「割と評判はええねんで、ソレ」
 いつの間に言い合いにけりをつけたのか、平次が白馬の隣の席に着きながらそう言う。新一は既に快斗の横にいて快斗は素早く驚きの表情を消し去って、甲斐甲斐しく家主の為に料理を取り分け始めている。
 こういったやり取りが、この家ではひどく自然に繰り広げられているらしい。二人の態度も二人に対する扱いも、既に客ではない。
 平次の右手には赤ワインとスクリュープル。
 ビールの似合いそうな友人は、白馬の予想を大いに裏切り、手慣れた所作でコルクを引き抜いている。
「あ、バカ、そんなにいらねぇって」
「何言ってんの、このくらい食べなきゃ駄目だよ。新一はちょっと食べなさ過ぎ」
「ちゃんと食ってるよ。おまえこそ魚食わねぇ癖に」
「その名前、聞くのも嫌〜ッ」
「さかなさかなさかっもがっ」
「はい、さくさく食べようね♪」
 ムキになって叫ぶ新一に、タイミングを見計らって快斗が口の中にチキンを放り込む。
「か〜い〜とぉ〜ッッ!」
 むせ返りながら睨みつける新一に、さりげなく平次がワインのグラスを手渡している。あっと言う間に嵐に巻き込まれたような状態に圧倒されている白馬の元にもグラスは並べられていて、平次は至ってマイペースに手を合わせて『いただきます』と呟いていた。
 つられるように手を合わせて挨拶し、白馬も箸を取る。
 グリルチキンのサラダ、もやしたっぷりの春巻き、卵を溶いた白菜の中華スープ、そして生姜のきいた焼き茄子。
 食卓の上には和洋中が入り乱れているとはいえ、高校男子の作ったメニューにしてはかなり上出来な部類が並べられている。感心しながらまずサラダに手につけた処で、平次が話を振って来た。
「せやけど、以外やなぁ。自分の事やからてっきり休み中はロンドンやと思っとったんやけど」
「その予定だったんですけどね」
 思わず白馬は苦笑した。
 自分を見てはいない快斗の、けれど意識はしっかりこちらの会話に集中している様を感じたような気がして、白馬自身も自らの取り皿に視線を固定する。
 真夜中にいつ彼が訪れるか分からないから、とは言う訳にはいかない。
 彼をKIDと呼んで良いのか、快斗と呼んで良いのかすら、未だ答えは出ていない。
 彼の目的も、何を望まれているのかも分からない。
「客があるかもしれないんです。会えるチャンスは逃したくないので、夏はこちらで過ごす事にしました」
 平次だけなく、新一と快斗も驚いたように白馬を見ていた。まじまじと見る6つの眼に、白馬も驚く。
「あの? どうかしましたか?」
「……………」
「そういや、KIDも熱烈に追いかけてたっけ」
「せやったな。なんや、自分しらっとした顔であんまり情熱的な事言うもんやから、一瞬、反応遅れてもぉたわ」
 沈黙を守ったのは、快斗。新一と平次はそんなコメントを添えてその間も箸を進めている。
 と、新一があれ、と呟いて箸を止めた。
「でも今日は良かったのか? オレ、強引に連れて来ちまったけど」
 白馬はちらっと快斗を盗み見た。……彼の反応はない。
 深夜の訪問者について、詳しく語る気はなかった。ただ快斗の反応を確認したくて、その話を流れにそって出して見たのだったが、これでは完全に空振りである。
 これはつまり、顔に出すつもりがないか、彼自身に自覚や記憶がないか、だ。多少極論に走る気もしたが、以外と当たらずとも遠からずでないかと、白馬には思われた。
「恐らく、大丈夫でしょう。そもそも、約束をしている訳でもないんです」
 約束なんてあり得ない。
 出来る事はただ、祈るように待っているだけだった。そして今夜、快斗がここにいる以上、自分の部屋に白の幻が現れている筈もない。
 自嘲の混じる白馬の笑みをどうとったのか、それ以上その件に触れる者はいなかった。
 食事は思いがけず和やかに進んだ。快斗と白馬の間にはそれなりに緊張感は漂ってはいたものの、全体として会話は賑やかに飛び交い、食も進んだ。
 なんと言っても揃いも揃って食べ盛りが4人もいれば、大抵の料理は足らない事はあっても余る事はない。このメンバーで言うと、東の名探偵はやや食が細い傾向はあったが、彼のノルマも結局は他のメンバーの腹の中に収まって無事解決と相成った。
 礼がてら後片付けを手伝い……と言っても白馬に出来たのは渡された食器を布巾で拭いて積み上げて行くだけで、平次は新一のご指名で食後のコーヒーの用意、家主自ら洗い物を担当した。
 そして快斗はと言うと、白馬の積み上げて行く洗い物をテキパキと所定の場所へと片づけている。その手際の良さに、彼のこの家への足を運んでいる頻度が伺えた。
 まるで家族のように馴染んでいるその姿が、少し羨ましく思える。あまりに自然に誰もが動いている。
 そのせいかもしれない。
 足を踏み入れた当初の戸惑いも躊躇いも、いつの間にか薄らいで……緊張感だけは密かに持続してはいたものの、白馬はすっかり時間を忘れていた。
 差し出されたコーヒーを飲み干した頃、壁に掛けられた時計にふと眼をやって、白馬は驚いて立ち上がった。
「もうこんな時間だったんですね。すみません、すっかり長居してしまいました」
「何や、帰るんか?」
「特に用事ねぇんなら泊まってけば? どうせ学校ねぇんだし。部屋だけはあるぜ、うち」
 東西名探偵に左右から引き留められ、ほのぼのとした気持ちになるが流石にそこまで厚かましくもなれない。
「ありがとうございます。でもワトソンも待ってますし、今夜は帰ります。ご馳走様でした」
「また来いよな。今度はもっとゆっくり話そうぜ」
「せやけど終電、間に合うんか?」
 現実的な指摘をしたのは、西の名探偵だ。
「タクシーを呼びますから」
 いくらなんでもこの時間、使用人を起こして車を出してもらうのも憚られる。そう言って携帯電話を取り出した白馬を、止める指があった。
 真横に、触れ合う程近くに肩があって、そこから伸びている指が、断りもなく白馬の携帯の電源を落とした。
「……黒羽くん……?」
「へーじ、キー貸して♪」
「送ったってくれるん? 俺、行こか?」
 首を傾げる平次に、快斗はパタパタと手を振って見せる。
「いいよ、久しぶりに乗りたいし。だいじょーぶ、誰かさんみたく事故ったりしませんって♪」
「……自分、一言多いってよお言われるやろ」
「何の事かなぁ? あ、ついでにコンビニ寄って来るよ。チョコアイス切れそうなんだよね」
「他人ンちで、そんなもん勝手に常備してんじゃねぇよっ」
 家主の鋭い突っ込みには「まぁまぁ。ちゃんと新ちゃんにはバニラ買って来てあげるから♪」という火に油を注ぐ発言が返された。
「頼んでねーっ!」
 叫ぶ新一を慌てて羽交い締める平次から、キーが投げて寄越される。呆れたような視線と共に。
「あほ。早よ行き」
「あはは、へーちゃんにはラムレーズン買って来てあげるね。じゃ、行って来ま〜す」
「え? ええ?」
 東西名探偵にウインクを一つずつ飛ばして、快斗は挨拶もそこそこだった白馬を強引に引っ張ってリビングを飛び出した。

 

 

 一足先に玄関を出た快斗の後を追って白馬が門を出ると、そこには無人の町並みが広がるばかりだった。
 濃紺に染められた闇に、ぼんやりとした光を放つ街灯が家々に沿って並んでいる。
 不夜城とうたわれる東京の夜も、深夜の住宅街は少しばかり違うらしく、ひどく静かだ。
「……黒羽くん?」
 そのまま姿を消す、なんて乱暴な事はしないだろうけど、見失った背中を慌てて探しながら掛けた声は、時間を考慮しての小声。
「そのまま」
 同様に、少し押さえた声がすぐに返された。声を追い掛けるように、程なく快斗が平次の物らしきバイクを押しながら現れる。
 夜の中に浮かび上がる姿は不思議とKIDを連想するより、夜中の訪問者の姿を思わせた。快斗の表情を消した顔の中で目の光だけが生きていて、白馬を捕らえる。
「行こうぜ?」
 答えられずに頷いた白馬の手には、メットが飛んで来た。快斗の腰とシートに手をやりながら、近すぎる距離が気になって、鼓動が早くなるのが分かる。
 知られたくないと思ったそれを、振動と排気音が隠した。
 白馬の懸念を大きく裏切って、快斗の運転は丁寧で心地よい早さで行われた。ひやっとする事もない、危なげない運転技術に密かに白馬は感心した。
 快斗は途中で道を尋ねる事もなく、バイクを白馬邸の門前へと滑り込ませた。エンジンを切ると、途端に静けさが突き刺すように襲って来る。
 快斗の背から離れ、一歩分距離を置き……短時間とはいえ今までになく近い距離に居過ぎたのか、白馬は二人のこれまでの距離が掴めないでいた。
 そんな白馬をどう思っているのか快斗はメットを取っただけで、バイクに跨ったままで見返して来る。
「ありがとう。助かりました」
 メットを手渡すと、快斗は一つ頷いてそれを受け取った。
 そのままキーに手を伸ばそうとした手を、慌てて白馬は捕まえた。びく、と一瞬震えが指を通して伝わって来て、沸き上がる罪悪感に白馬は目を瞑った。
 今はまだ離せない。
 この機会を逃したら、こんな風に二人が真っ向から向き合うチャンスは今度いつ巡ってくるか分からない。
 工藤邸を出てから流れる景色を横目で追いながら、ずっと白馬は思っていた。話そう、と。
「待って下さい。君に話があるんです。……ずっと、話さなければと思っていました」
 自然に指に力が加わり、迷ったように快斗の視線が揺れる。薄暗い中でも、彼の表情は不思議とよく分かった。笑っていいのか、泣きたいのか、表情を決めかねる、そんな表情で。それでもしっかりと白馬と視線を合わせた。
 逃げまいと自分に言い聞かせて奮い立たせたような、ありったけの勇気を総動員しているかのような、ぎりぎりで足が大地を踏みしめている感じ。
「KIDの話なら、もう聞き飽きた」
 快斗から、手を離す。
「違います、KIDじゃない。僕は君に話したいんです」
 KIDも気にならない訳じゃない。けれど、今は目の前にいるこの存在に、謝る事しか頭になかった。
 快斗は息を飲んだ。どこで境界線を越えてしまったのか、彼もポーカーフェィスを保てないでいるようだった。
 無意識なのか、白馬が手渡したメットを両腕で抱えるように抱いている。まるで、それしか縋れるものがない、とでも言わんばかりに。
 ほんの数時間の事だった。魔法を掛けたようにあの家では、初めての彼が沢山見れた。はにかんだ笑顔、甘える仕草、悪戯っぽい語調。
 そういったモノに後押しされるように、白馬は大きく頭を下げた。
「すみません」
「……何の真似だよ」
 硬い、不機嫌そうな、声。
「何だよ、顔あげろってばっ! 何のつもりだよっ?」
 快斗の指が白馬の胸元を掴んで、揺さぶる。彼から指を伸ばされたのは、初めてだったかもしれない。
 その手をやんわりと服から外して、白馬は顔を上げた。
「君に、ずっと謝りたかったんです。すみませんでした。あんな事になるなんて思ってもみなかった」
 一言一言、はっきりと白馬は言う。あの日、保健室で目覚めない彼の横でその目覚めを望み、祈るように寝顔を見ながらも、その目が覚める前に消えてなくなりたいような気持ちもあった。
 泣きそうだった自分を、見られたくないと。
 後悔と罪悪感とで感情は身動きが取れなくなっていたし、階段を落ちて行く彼を見て初めて、白馬は痛感した。
 正直、死体だって見慣れている。多少の事柄には動じない自信もあった。
 けれど、自分はいつの間にか勘違いをしていたのだと認めざるおえなかった。
 KIDの正体は快斗だと思っている。真夜中の訪問者を含んで、知っていると言っても良い。
 だが、白い幻に惑わされて、分かっているつもりで失念していた。
 彼も普通の人間で、自分達と変わりなく調子の悪い時もあれば、怪我もする。血が流れれば死んでしまう。そんな生身の、どこにでもいる人なのに。
「分っかんねーよ、何だよソレ! 何でオマエが謝んだよ!」
 怒鳴っているのは快斗の方なのに、泣きそうな声だと思った。
 同時に、こんな時にも関わらず嬉しくなってしまう。今、快斗の口から出ている言葉には何のカモフラージュもなされていない、生の彼の言葉だから。それをぶつけられているのが、自分だから。
「オマエに謝られたら、オレ謝れねーじゃんかっ」
 噛みつくように言われて、白馬は面食らう。
「何故、君が……君は悪くないでしょう? ……不用意に君を驚かせて怪我をさせた、僕が謝罪するのは当然です」
「違うっ! だってオレあの時助けてもらったのにちゃんと礼も言ってないっ、迷惑掛けたのにっ!」
「君は悪くないと言っているでしょう! 僕のせいで君はっ……僕が突き落としたも同然なんだ」
「それこそオマエのせいじゃないじゃん! オレが勝手に落ちたんだから!」
 二人して、これ以上なく本音を晒して言い合って。はた、と二人顔を見合わせてそのバカバカしさに気付いたのは同時だった。
 言い合いをしたくて引き留めた訳ではなかった。黙ってしまった白馬に、快斗が躊躇ったように小声で問いかけて来る。
「もしかして、ずっとそんな事考えてた……?」
「そうですね。気になってました。怪我は、もう大丈夫なんですか……?」
 頭のたんこぶの位置に手をやろうとして、白馬は慌てて手を引いた。
 あの時も、そんな衝動的な行動が彼の怪我の引き金になったのだ。そして自分にはこれでもかという位の後悔が残されたというのに、尚も指は自然、彼の無事を確かめようとしてしまうらしい。
 快斗がそれを見て小さく笑う。
「平気。オマエ冷やしてくれてたからだって、先生に聞いた。……あの時は、サンキュ」
 それきり彼は口をつぐんだ。
 白馬がそれに頷く。いいえ、と呟いた声が妙に浮き上がって聞こえて胸がざわつく。
 静寂がのし掛かるように二人を取り巻いて、口を開けるのが憚られた。何かを壊してしまいそうな、そんな夜。
 快斗は、目を伏せて一瞬泣き出すのかと思うような、微妙な表情で黙り込む。この日見たどの表情とも違って儚いとさえ言える淡い表情に、白馬は息を飲んだ。
「く……、」
 名を呼ぼうとした白馬を、彼は上げた視線で遮る。更に緩やかに首を振って、快斗はメットを被った。
「黒羽くん……!」
 呼び止めて何を言いたかったのか。何をしたかったのか。
 何を伝えようと思ったのかよく分からないまま掛けた声を振り払うように、快斗はバイクを急発進させる。
 すぐに見えなくなった後ろ姿を見送って、しばらく白馬は立ちつくした。
 結局、自分には背中しか向けられないのかもしれない。立ち去って行く、駆け抜けて行く、背を向ける。
 望みはそうじゃないと、自覚した頃にはもう遅いのかもしれない。
 まだ空はほの暗いままだった。

◆白×快(K) 


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