[前日へ]
[一覧へ]
[エピローグへ]
★2月1日 月曜日★
真琴が熱を出した。
これがどういう意味か、オレには分かっていた。
天野は言っていた。
二度目を越えることはない、と。
しかし、オレは自分でも驚くほどに冷静に受け止めていた。
来るべき時が来た。ただそれだけだ、と。
今日、真琴が再び眠りについたとき。それが、真琴の夢が終わるとき。
そしてそれは、オレの夢も終わるときでもある。
真琴が眠るまでの残り僅かな時間。
それが、オレと真琴がこの世界で一緒に過ごせる最後の時間なのだ。
浩平「真琴」
真琴「…」
真琴は、一緒のベッドに入っているオレの顔を見つめていた。
浩平「今日も、マンガ読むか?」
真琴「あう…」
真琴が声を出した。オレはそれを答えだと受け取った。
浩平「ようし、今日は何冊までいけるかな」
そしてオレは床に積み上げているマンガの山に手を伸ばした。
浩平「まずは…お前のお気に入りのこれからだ」
真琴「…」
真琴の目が閉じかけている。
浩平「おいっ、ここで寝てしまったら読めないじゃないか」
真琴は目を開いた。
浩平「よしよし。それじゃいくぞ。『恋はいつだって唐突だ』」
………。
……。
…。
浩平「『わかった。絶対に迎えに来るから』
『そのときはふたりで一緒になろう。結婚しよう』」
真琴「…」
浩平「いい話だよな、全く。ちょっと泣けたよ」
真琴「…」
浩平「結婚、か…」
『こうへいとけっこんしたい…。そしたらずっといっしょにいられる…』
考えてみれば、これは真琴が口にした最後の願いだった。
そこでオレは本を閉じた。
浩平「よし真琴、結婚しよう。いつまでも一緒にいられるように」
真琴「……あぅ…」
浩平「行くぞ」
そしてオレが右手を差し出すと、真琴は両手でその手を包み込んだ。
浩平「おし、お前もその気なんだな。だったら善は急げだ」
真琴の額にキスをする。
浩平「さ、行こうか」
そしてオレはベッドから立ち上がり、真琴を抱き上げた。
浩平「ささ、お姫様、参りましょう」
そこでふと立ち止まる。
浩平「服装、どうする?」
真琴「…」
真琴はオレの顔を見つめるだけだった。
浩平「そうだな、ここはやっぱり正装、制服で行くか」
美坂には悪いけど。
浩平「それじゃ、行こうか」
そして真琴を抱えたままリビングに向かった。
リビングで制服に着替え、また真琴に制服を着せてやる。
そして玄関で真琴に靴を履かせると、真琴を背負い、玄関のドアを開けた。
天野「こんにちは」
天野がいた。
浩平「お前…学校はいいのか?」
天野「自習です」
浩平「本当か?」
天野「そう言うことにしておいてください」
浩平「まったく…。こんな不良学生に付き合ってたら、ろくなこと無いぞ」
天野「その代わり、このような機会に巡り会えました」
浩平「う…。まぁ、そこまで言うのなら仕方がないけど…」
天野「これからどちらに行かれるのですか」
浩平「ん?学校。オレもこいつも、少しの間だけだったけど通ってたところだか
らな」
天野「そうですか」
浩平「その後、あの丘へ行く。結婚式を挙げにな。その後ハネムーンに出発だ」
天野「生まれ故郷で結婚式ですか。真琴も喜ぶでしょう」
浩平「ああ。真琴の親類縁者ばっかりになって、オレの方は誰も来ないだろうっ
てのが何とも言えないけどな」
天野「日頃の行いのせいです」
浩平「ぐ…ほっといてくれ」
オレ達は久々の通学路を歩いた。
天野「それにしても、学校に行くのなら、わざわざ折原さんのお宅に出向いた私
はいったい何なのでしょう」
浩平「いわゆる無駄足、ってやつだな」
天野「ひどいですね」
浩平「真実とはときに残酷なものなんだよ」
天野「それは何かの受け売りですか」
浩平「いや、アドリブ。何か元ネタがあったような気もするけど」
天野「そうですか」
途中、商店街に寄っていつもの店で肉まんを買った。
浩平「最初から最後まで、ここの肉まんづくしだったな」
天野「でも折原さんが気に入ってたのは、肉まんだけじゃなかったんですよね」
浩平「え、それは一体?」
天野「真琴から聞きました。そうよね、真琴」
そう言って天野は真琴の頭に手を乗せた。
真琴「あう」
浩平「あちゃー。いつの間に」
天野「お総菜が冷めたときの悲しそうな顔といったら、とも言ってました」
浩平「うう…」
そしてオレ達は学校の中庭に着いた。
浩平「本当なら校舎にも入りたいところなんだけど、オレの方も真琴の方も、あ
まりゆっくり出来る時間も無さそうなんでな」
天野「では、折原さん、ごきげんよう」
浩平「ああ」
天野「食べ物には気をつけてくださいね」
浩平「…ひどい言われようだな」
そして天野は真琴の頭に手を乗せた。
天野「真琴。またいつか一緒に買い物しましょう」
真琴「あう…」
天野「今度こそ、折原さんが泣き出しそうになるくらいのもの、買ってもらいま
しょうね」
浩平「ちょっと待て、それはどういう…」
天野「それでは」
そして天野はオレ達に会釈すると、そのまま昇降口へと消えていった。
浩平「ふう…あいつらしいというか何というか…」
声「折原君」
背後から声がした。
振り返ると美坂が立っていた。
浩平「美坂…」
美坂「…今日が、そうなのね?」
浩平「…ああ」
美坂「そう…」
浩平「…」
美坂「…栞のこと、覚えてる?」
浩平「ああ、美坂の妹だよな。結局、何度か相沢と一緒にいるのを見かけただけ
だったけど」
美坂「栞ね、この一週間、相沢君に普通の女の子として扱って欲しい、と頼んだ
らしいのよ」
浩平「…」
美坂「制服を着て、鞄を持って登校して。昼休みには自分の作ったお弁当を相沢
君と一緒に食べて。あの子、馬鹿みたいに大きなお弁当作ってたから、相
沢君、相当大変だったと思うわ」
浩平「…」
美坂「そして放課後には一緒に商店街を歩く。あの子にとっては夢のような一週
間だったと思う。ほんとにささやかな夢だけど」
浩平「…」
美坂「それにね。おととい、久しぶりに栞と話をしたわ」
浩平「それは…良かったじゃないか」
美坂「えぇ、相沢君の話ばっかりだったけどね」
浩平「そりゃそうだろ。他の話を期待する方が悪い」
美坂「…そして昨日、栞は相沢君と別れた。最期の時を静かに迎えるために」
浩平「…」
美坂「だけどあたしはあの子のそばにいるつもりよ。あたしはもう諦めないし、
どんな結末を迎えてもあたしは逃げない。あなたのようにはならないから」
浩平「ああ、是非ともそうしてくれ。あっちの世界でまでお前に会いたくはない
からな」
美坂「ひどい言いぐさね」
浩平「それはお互い様じゃないか」
美坂「…」
浩平「…届くといいな、美坂の想い」
美坂「そうね…」
浩平「…」
美坂「これからどうするの?」
浩平「ああ、これから真琴の故郷で結婚式を挙げるんだ。その後ハネムーン。長
い長い旅になるから、もう会えないと思うけどな」
美坂「……そう、いつまでも…お幸せにね」
浩平「ああ、ありがとな」
美坂は真琴の頬に触れながら言った。
美坂「それじゃ真琴、頼りない旦那様だけど、お幸せにね」
浩平「一言余計だって」
真琴「あう」
浩平「真琴も返事するなっ」
美坂「うふふ、真琴、折原君、じゃあね」
浩平「ああ」
そして美坂は校舎の中へ入っていった。
オレと真琴は美坂が消えていった方向をしばらく見ていたが、やがてオレは言っ
た。
浩平「それじゃ、行くか」
丘への道を歩いていた。
既に何度か来ている道だったが、今回は真琴を背負っているので、予想以上に苦
労した。
それでも何とか丘の上に辿り着いた。
浩平「うへぇ…寒ぅ…」
丘は一面の霞に覆われていた。
真琴を地面に立たせた後、オレ達はその景色にしばらく見とれていた。
ふと、袖が引かれる感覚があった。
真琴「あぅ」
浩平「おう、そうだったな」
オレは手に提げていた袋から肉まんを取りだし、真琴に渡す。
浩平「今日はどっさり買ってるから、好きなだけ食べればいいから」
そしてオレもそのうちの1つを口にした。
オレ達は草の上で大の字になっていた。
といか、伸びていた。
浩平「うう…やっぱりこの肉まん…何か入ってるよ絶対…」
真琴「あうぅ…」
真琴も呻いていた。
2人で15個は明らかに食べ過ぎだった。
そして腹がこなれるのを待って、オレは言った。
浩平「おし、始めるか」
真琴「…」
真琴は目が半分閉じかけていた。
浩平「おらっ。新婦がこんなところで寝てどーするんだよっ」
そう言って、オレの胸のそばにあった真琴の頬を両手で引っ張る。
真琴「…?」
これで目が覚めたらしく、真琴はオレの顔を見た。
浩平「始めようか。オレ達の結婚式を」
浩平「はぁ…。やっぱりあの時、思い切ってドレス買ったら良かったかなぁ…」
オレが真琴に買ってやれたのは、頭にかぶるベールだけだった。
浩平「ごめんな真琴、そんなものしか買ってやれなくて…」
それが何なのか、真琴が分かっているのかどうかも分からない。
だけど、オレが頭に被せてやったそれを、真琴は風に飛ばされないように手で押
さえていた。
真琴はそれでも満足そうだった。
参列者は、誰もいない。
強いて言えば、真琴の親類縁者が近くにいるはずなのだが…。
浩平「うう…オレってそんなに悪者面してるのかな…」
誰も姿を現わそうとはしなかった。
浩平「仕方ない、始めるぞ」
そしてオレは祝詞をあげる。言葉が風の中に溶け込んでゆく。
そして盟約を結ぶ。例え互いの身に何が起ころうとも、決して2人の絆は離れな
いという不滅の盟約。
この盟約が、オレの幼き日の盟約を上書きしてくれればいいのに。
真琴をこの世界に結び付けてくれたらいいのに。
心から、そう願わずにはいられなかった。
浩平「『恋はいつだって唐突だ』か…」
オレはふと、真琴が好きなマンガのタイトルを思い出していた。
浩平「お前との出会いは、ほんと突然だったよな…」
だけど、突然の出会いだと思ったのは再会で。
偶然でなく、お前の意志で。
なのにお前は何も知らなくて。
それが悲劇の始まりだということも知らなくて。
最初はオレを憎んで。
だけどオレを好きになってくれて。
オレを繋ぎ止めてくれて。
恋人同士として過ごした僅かな日々。
お前は幸せだったか?
幸せだったよな。
幸せにしてやれたよな。
だってお前は、いつだって…一緒にいてくれたから…。
浩平「真琴…」
オレは真琴にキスをした。
そして真琴の体を抱きしめた。
浩平「これで、ずっと、ずっと、一緒だ。お前の願い通りに…」
途端、大きな風が、吹いた。
その風にあおられ、ベールが真琴の手から離れた。
浩平「あっ」
オレはそのベールを追うために駆け出そうとした。
しかし一歩踏み出したところで、上着が何かに引かれるのを感じた。
振り向くと、真琴が裾を掴んでいた。
真琴「う…あうーっ…」
真琴は泣いていた。
オレがどこかに行くとでも思ったのだろうか。
浩平「ばか…。お前を残してどこかに行ったりなんかするもんか」
真琴「あっ、あう…うぐっ」
オレは真琴の頭を胸で抱いてやり、撫でてやった。
浩平「泣かないでくれ…お願いだから、泣かないでくれ…頼む…」
それでも真琴は泣きやまない。
浩平「お前が泣くと…こっちまで…参っちまいそうなんだ…」
真琴「あうぅ…ひぐっ…うぅ…」
浩平「仕方がないなぁ…」
オレは地面に腰を下ろし、真琴を後ろから抱いてやる。
力を込めて、強く。
真琴はそれでも泣いていたが、しばらくして泣きやみ、オレの体に体重を預けた。
浩平「そう、それでいいんだ…」
そしてオレは真琴がオレにやっていたように、真琴の頭に自分の頭を擦り付けた。
優しく。時に強く。
真琴の息づかいを耳元に感じながら。
真琴「あう…」
浩平「おう、オレはここにいるぞ」
しばらくの間、ふたりはケモノがじゃれ合うように、頭を擦り付け合っていた。
ちりん。
鈴の音がした。
真琴の手首の鈴が鳴ったようだ。
真琴の興味もそちらへ向く。
浩平「よし、これで遊ぼうか」
オレは鈴を弾いてやる。
ちりん。
真琴「あう」
真琴も弾く。
ちりん。
真琴「あうぅ」
真琴が弾き続ける。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
浩平「こらっ、オレの番を飛ばすんじゃないっ」
無理矢理真琴に割り込んで鈴を弾く。
ちりん。
真琴は気にした様子もなく、鈴を弾き続ける。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
オレはその合間を縫って鈴を弾く。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
次第に、真琴の鈴を弾く間隔が開いてゆく。
ちりん。
…。
ちりん。
…。
浩平「真琴?」
真琴の目が閉じかけている。
浩平「うらっ、勝ち逃げは許さんぞ」
そう言ってオレは真琴の頬を指で押し込んだ。
真琴「あう」
真琴は目を開いた。
浩平「よーし、勝負はまだまだこれからだからな」
そしてオレは鈴を弾く。
ちりん。
真琴も負けじと鈴を弾く。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
…。
ちりん。
…。
浩平「…真琴?」
…。
浩平「まだ勝負は終わってないぞ」
…。
浩平「勝ち逃げは許さない…って…言ったじゃないか…」
…。
浩平「真琴…」
…。
浩平「真…琴…」
…。
浩平「真琴……くっ…」
オレは溢れてくるものをこらえきれず、思わず目を瞑り下を向いた。
すると、頭を優しく包むものを感じた。
浩平「えっ…」
目を開くと、真琴がオレの頭を抱いていた。
真琴はオレの両頬に手を添え、
オレの瞳を見つめ、
そっと口づけし、
再びオレの瞳を見つめ、
唇を動かした。
ありがとう。
オレにはそう見えた。
浩平「ばか…礼を言うのはオレの方だ…」
真琴は微笑み返した。
命の消える前の僅かな煌めき。
それは、真琴にほんの小さな奇跡を遺した。
そして静かに、真琴は瞳を閉じた。
最後の瞬間まで、
真琴は笑顔だった。
浩平「ばか…ハネムーンに新郎を置いてゆく新婦があるか…」
かつてそこにあった姿を留め置くかのように、虚空を見つめながら呟いた。
肌に残っていた温もりは、既に風に溶けて流れ去っていた。
浩平「おまけに」
草の上に落ちている鈴を拾いながら言う。
浩平「折角のプレゼントを忘れていきやがって」
オレはそれを手に取り、握りしめながらつぶやいた。
浩平「もう離さないからな」
そして左の手首にはめる。
しかし思い直し、二重、三重ときつく、痛みを感じるほどに巻き付けた。
真琴の想い出を無くさないために。
真琴の存在を感じ続けるために。
浩平「これでよし。これでずっと一緒だ」
ずっと、永遠に。
オレは草の上に大の字で寝ころんだ。
空を見る。
間もなくオレはあの向こうに落ちてゆくのだ。
その向こうでオレは何をしよう。
旅をしようか。
そうだ、真琴を捜す旅をしよう。
想い出じゃない、本当の真琴を捜そう。
なかなか見つからないかも知れない。
もしかしたら来ていないのかも知れない。
だけど、時間は無限にある。
きっといつかは見つかる。
いや、見つけてやる。
………
……
…
ぐ〜。
浩平「…あんなに食ったのにもう腹が減るとは…」
起きあがり手元にあった紙袋を漁り、1個取り出して口に放り込んだ。
浩平「冷めても美味いんだよな…」
そして食べ終えると、また草の上に寝転んだ。
浩平「…」
意識が遠くなってゆく。
現実感が薄れてゆく。
背中の草の感覚が無くなってゆく。
風の当たる感覚も…。
突き刺すような寒さも…。
そして、オレの存在も…。
…ちりん。
どこか遠くで、鈴の音がした…。
…さぁぁぁぁ…。
肌を優しく撫でる草の感触。
オレは再び丘に立っていた。
…さぁぁぁぁ…。
風に波打つ茂み。
その中を、オレは探し歩いた。
静かに揺れる草むらの中。
ようやく、開けた場所でそいつを見つける。
小さな獣の形をしたもの。
そいつは、オレに気付くと、その小さな目でオレを見つめた。
オレはそいつに呼びかける。
おいで。
もう置き去りになんかしないから…。
すると、その姿はオレに駆け寄ってきた。
オレはそいつを抱き上げ、寒くないようにと首だけ出して懐に入れる。
温かいな、お前。
そして、草むらをかき分け、木々の間を通り抜ける。
坂を下り、アスファルトの道を歩く。
辿り着いたのは、喧噪に包まれた通り。
しかし、誰もいない。ただ、声だけが響く。
その中を、オレは歩く。
ふと、通りの中央に少女が立っていることに気付く。
かつてオレと盟約を結び、永遠への鍵を渡してくれた少女。
だけどその少女の姿は、路地裏へと消えていった。
少女を追って行こうとしたとき、背後から呼び止められる。
「やっと見つけた…」
振り向き、その姿を見ると、オレの心は安堵に包まれる。
ああ、オレもだ。やっと見つけた。
それが、永遠の始まり。
「えいえんはあるよ」
「ここにあるよ」
[前日へ]
[一覧へ]
[エピローグへ]