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★1月8日 金曜日★
…さぁぁぁぁ…。
ぼくは、草なす丘にいた。
なだらかな緑の大地。その向こうには街並み、そして空。
…さぁぁぁぁ…。
風に揺られ、大地に波が立ち海となる。
その中に、ひとりの少女が立っていた。
何も言わず、ただ、ぼくの顔を見ているだけ。
…さぁぁぁぁ…。
ふたりの間を、緑の流れが通り抜けてゆく。
不意に、少女の首が傾げられる。
まるでぼくを導くように。
そう、もうぼくには時間が無いことを知っていた。
今日がその日だということを知っていた。
少女について行けば、永遠の時間が手に入る。
だけど、まだ、少女と一緒に行くわけにはいかなかった。
ぼくを呼んでいる人がいる。
その人は、ぼくをずっと待っててくれたんだ。
だから、会いに行かなきゃいけない。
想いに応えなきゃいけない。
少女が待ってくれるのはほんの少しの間だけ。
すぐに迎えに来るのは分かっている。
それでも行かなきゃいけないんだ。
そして、少女は頷いた。
その時、遠くから、何かの音が聞こえてきた。
かすかな、かすかな、澄んだ音。
それが何かはぼくには分からなかった。
だけど、確かにその音を知っている。
だから振り返り、その音のする方へと向かった。
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ
ばんっ!
鳴り続ける目覚まし時計を叩きつけ黙らせる。
これでしばらくは安心だ。
………
……
…
浩平「わっ!」
飛び起き、慌てて目覚まし時計を見る。
時計の針は、7時半を5分ほど回ったところ。
少し安心したが、ゆっくりもしていられない時刻だ。
ベッドから這いだし、椅子の上に置いておいた鞄と制服を持ち、階下へと降りる。
浩平「今日からは長森をあてに出来ないんだよなぁ…」
そう、オレは長年住み続けた街を去り、新しい街に移り住んでいたのだ。
大学受験まで1年しかない時期にこのような事は避けるべきなのだろうが、同居
させてもらってる叔母の由紀子さんが仕事の都合で引っ越さなければならなくなっ
たので、仕方なくオレもついてきた、というところだ。
何も年末年始に引っ越さなくても、と思ったが、仕事の都合というものは個人の
都合は気にしてくれないらしい。
これが社会の仕組みというものなのだろうか。
階段を降りているとき、不意に体に震えが走った。
浩平「…寒い…」
口に出すと余計に寒さが増すようだった。
そうでなくともオレは寒さに弱いのに、ここの寒さは尋常ではないように感じら
れた。
階段を下りきり、洗面台に向かう。
歯を磨きながらリビングを覗く。
もう由紀子さんは出勤した後のようだ。
キッチンに入り、用意されていた朝食を軽くつまむ。
時計を見る。
8時5分。
ゆっくりしすぎたようだ。
大慌てで口の中のものを飲み下し、リビングで着替えに取りかかる。
転校初日から遅刻するわけにはいかない。
だから大急ぎで着替えを済ませ、玄関から靴を履きながら飛び出した。
浩平「…」
寒い。
ひたすら寒い。
とことん寒い。
寒さのあまり、「寒い」と言いかけた言葉をそのまま飲み込んでしまったほどだ。
室内でもあの寒さだったわけだから、屋外なら当然もっと寒いわけだ。
などと感心している場合じゃない。
この寒さの中を突き進まなければ学校には行けないのだ。
さあ行くぞ、と足を踏み出す。
右足、左足、右足、左足。
雪の積もった路面を、滑らないように慎重に、それでも急ぎながら歩く。
さく。
さく。
さく。
慌てて引き返す。
玄関のドアに鍵をかけるのを忘れていた。
ドアの前に辿り着くと、ポケットから鍵を取り出し、鍵をかけ、しっかり施錠さ
れていることを確認し、再び飛び出す。
さく。
さく。
さく。
学校までの道のりは、昨日のうちに頭に入れているので問題はない。
探せばもっと近い道は有るのだろうが、そのようなものは学校で適当な奴から聞
き出せばいいことだ。
もっとも、前の学校の“裏山越え”のような豪快な近道は、この土地の地形を見
る限りでは無さそうだったが。
そうこうしているうちに、オレが今日から通うことになる学校の校門が見えてき
た。
まだ予鈴前らしく、同じ制服を着た学生で混雑していた。
オレは安心して歩くスピードを落とすと、校門の中に入った。
そしてはたと気付く。
浩平(…どの教室に行けばいいんだ?)
頭をひねっても答えは出てきそうにないので、近くにいた生徒から場所を聞き出
して職員室に向かった。
そして中にいた教師に事情を伝え、教室に連れて行ってもらうことになった。
見慣れない学校を見慣れない教師に連れられ歩く。
何とはなく不安になる状況だ。
七瀬も同じような気持ちだったのだろうか。
そう考えると、転校初日に正面衝突し転倒させたのは非常に悪いことをしたよう
に思えてきた。
しかし、謝りたくてもここには七瀬はいない。
今度電話ででも謝っておくか。
…そういえば、あの学校の生徒名簿、どこに行ったっけ?
などと考えていると、目的の教室に着いたようだ。
見ると、廊下に男子生徒がも一人立っている。
真新しい制服を見るに、オレと同じような転校生のようだ。
それなりに緊張しているのか、こちらを見ようとしない。
すると、教室の中から声が聞こえてきた。
声「あー、転校生を紹介する」
歓声が聞こえてきた。
声「ちなみに2人だ」
歓声が大きくなった。
声「ただし、二人とも男だ」
歓声がぴたりとやむ。
声は小さいがブーイングが聞こえてきた。
浩平「ただし、って何だよ、ただし、って…」
オレの呟く声が聞こえたのか、男子生徒はこちらを見てにやりとした。
だからオレもにやりとした。
何となく気の合いそうな奴だ。
声「あー、入れ」
教室のドアが開き、教室の中に導かれる。
教師の紹介の後、男子生徒に続いてオレも差し障りのない自己紹介をした。
男子生徒の名前は相沢祐一と言うらしい。
教師「あー、相沢は水瀬の隣、折原は北川の後ろでいいな?」
北川って誰だ?と思いながら教師の指す方向を見ると、確かに席が空いている。
窓側の一番後ろの席か。その方が好都合だ。
後ろの奴に被害が及ぶことが無いからな。
そして教師に促され席につく。
その後ホームルームが行われ、今日のところはお開きとなった。
始業式は職員室に行っている間に終わっていたらしい。
席に座ったままぼーっとしていると、水瀬という女の子と、美坂という女の子が
相沢の席のそばに立った。
知り合いか?
聞くとはなしに話を聞いていたらどうもそうらしい。
そうこうしてるうちに、前の席の奴が振り向いて言った。
男子生徒「オレは北川潤。よろしくな」
なかなか人の良さそうな奴だと思った。
浩平「ああ、よろしく。折原浩平だ」
北川「しかし、転校生といえば美少女、というのが相場だぞ」
浩平「悪かったな」
北川「いや、折原が悪い訳じゃないんだが」
浩平「そりゃそうだ。だけど前の学校に居たときに一人転校生が来たんだけど、
かなりの美少女だったぞ」
確かにかなりの美少女だったな、七瀬は。
北川「ほー、それは凄いな」
浩平「あぁ。ただな」
北川「ただ?」
浩平「なかなか男らしいやつだった」
本人が居ないからこういうことも安心して言える。
北川「?」
浩平「いや気にするな。ともかく美少女だったのは間違いない」
北川「でも、前の学校の話なんだよな」
浩平「そうだな」
北川「…空しくなるからこの話はやめようか」
浩平「違いない」
北川は前を向き、今度は相沢に話しかけたので、オレもそれに続いた。
北川は簡単な自己紹介の後、またもや「転校生といえば美少女」の持論を展開し
ていたので、オレは苦笑しながら聞いていた。
話が一段落した後、相沢はオレに話しかけてきた。
相沢「同じ日に転校するとは珍しいな」
浩平「全くだ」
相沢「しかし…」
浩平「ん?」
相沢「こんな事を言うと変に思うかもしれないが、どうも俺とお前は別人のよう
な気がしない」
浩平「言われてみればそうだな」
相沢「もしかしたら生き別れの双子だとか」
浩平「いや、それは無い」
相沢「俺もそう思う」
馬鹿話をするにはもってこいの奴のようだ。
北川といいこの相沢といい、なかなかユニークな友達に恵まれそうだ。
もっとも、あの住井のような怪しいルートを持ってそうな奴らではないが。
そうこうしているうちに、相沢は商店街に行くと言って席を立った。
オレは商店街には興味がないし(というか今日は単に気が乗らないだけだが)、
このまま家に帰っても特にする事もないので、しばらく席でぼーっとしながら女
子の話を聞いていたら、どうも相沢と水瀬は幼なじみのいとこ同士で、更に同居
しているらしい。
うらやましい話だ。
まぁ、オレと長森の関係も良く似たものだったわけだが。
…長森、か。
お別れ会の時、ちょっと悲しそうだったな。
…オレのせいで引っ越したわけでもないのに、何だか物凄く悪いことをしたよう
な気がするのは何故だろう?
それにしても、数々の選択肢があったにも関わらずそれでも続いてきた2人の関
係は、いとも簡単に終わってしまったな。
…いや由紀子さんのことだ、また仕事が理由で引っ越すことになり、あの街に戻
る羽目にならないとも限らない。
たまには電話してやるか。
気が付くと教室の中には誰も残っていなかったので、オレも鞄を手に席を立った。
浩平「…ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ…」
帰る途中、自宅のドアに辿り着くまでに、10回ほど滑って転びかけた。
登校するとき滑らなかったから甘く見ていたのがまずかったらしい。
何事もなめてかかってはいけないということだ。
とにかく玄関のドアを開け、家の中に飛び込んだ。
そして大急ぎで風呂に水を張り、風呂釜に火を入れ、階段を駆け上がって自分の
部屋に入ると同時にコタツに潜り込み、電源ON。
浩平「ふぅーぅ」
やはり冬はコタツだ。
徐々に体が温まってゆく感覚が気持ちいい。
そして存分に体が温まったのを確認すると、階段を下りてキッチンに向かった。
チャーハンを手早く作り、かっ食らう。
浩平(…そろそろレパートリー増やした方がいいかな)
自分で作っているとはいえ、そろそろ同じような味に飽き始めていた。
カレー味などにしたこともあるが、所詮小手先の違いだ。
浩平(こんなことなら長森に教えてもらうんだった…)
電話で聞く、という手もあるが、気恥ずかしいのでこの案は却下。
浩平(明日相沢にでも聞いてみるか。奴なら色々知ってるだろう)
何となくそんな気がした。
夕食を終えた後、風呂に入り、湯冷めしないうちにと布団に潜り込む。
明日は土曜日。
…そういえば今度の学校は、土曜日は毎週午前中授業のようだ。
前の学校は2週間に一度は休みだったから、何となく損をしたような気になるが、
いつも休みの日は特に何をして過ごすということも無く、気付けば休日は終わっ
ていたという事の連続だったから、大した差はないように思えた。
新しい学校の事を色々考えているうちに、眠りに落ちてゆく感覚があったので、
逆らわずその流れに身を任せた。
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