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Sasun(ササン)通信 
    
 Sasun Club news letter
        July (7月)    Vol. 27
 
今月号と来月号は特別号をお届けします!
 1.ごあいさつ
 2.病気と向き合って生きる  前編
 
1.ごあいさつ

みなさん、こんにちは。

先月はササン通信をお休みさせて頂いたこと、本当にスミマセンでした。

体調がすぐれず、疲れてしまう日があったりと、
なかなかすぐに普段どおりの生活と言うわけにもいかず、
通信文発行以来はじめて、お休みを頂きました。

病気の方はというと、
まだ完治したわけではないのですが、体力の方は順調に回復しています。
今しばらく、通院、投薬を受けないといけません。

でも心はすっかり元気になってきました。
これもひとえに、みなさまの暖かい心遣いを、たくさんいただいたからと感謝しております。

この場をお借りして、お礼申し上げます。

「本当にありがとうございました。」

これからは、定期検診も受けながら自分の体をいたわっていきたいと思っています。


さて、今年の6月は台風が2回も上陸するなど、
思っても見ない天候異変があったりと驚かされました。

今年は男性型の梅雨と言うこと。
雨は少ないですが、まだ、梅雨明けは先のようです。

晴れると真夏日になったり、雨が降ると蒸し暑さでまいったりと、
どうしても冷房のお世話にならないといけない日々が続きます。
体調管理が難しく風邪を引いたりしがちです。
みなさまもどうぞご自愛くださいませ。

    
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2.病気と向き合って生きる  前編

ササン通信、今月号と次回号は特番として、
私自身、自分自身と向き合ってみる特別号にしてみたいと思いました。

と言うのも、入院していました本当の理由は、みなさまにお話できていたわけでなく、
多くの方には 「どこが悪くて入院していたのだろう?」 と思われていることと思います。

4月の病気発覚から入院、手術を終えて、落ち着いて来た今、
自分だけのことでなく広くみなさまに
「がん」 という病気をもっと身近のことと感じていただき、
何かの参考になればと思って筆をとってみました。

そうなんです、私は「乳がん」という病気と相対することとなったのでした。

話では、回りの方に結構いらっしゃることを知っていましたが、
まさか自分がそうなるなんて夢にも思っていませんでした。

それは、3月のある日、自分の乳房の異常に気がついたことから始まります。
なにか乳房の上の方に硬い物がある、以前、乳腺炎と言われたものと明らかに違う。

主人にも確認してもらうと、「悩んでないで病院に行こう」 と言われて、
それでもやっぱり不安で 「行かなければ」、と思う反面
「行きたくない、行って嫌な結果だったらどうしよう」 と思う気持ちが交錯して
なんともいえない落ちつかない感じに見まわれました。

そんな時なぜかテレビ番組では 「乳がん」 の特集をやっていたのです。
見れば見るほど余計に不安になり、その晩は寝付かれなくなったのを思い出します。

次の日予約を取っていたクリニックに行くと、いろいろ診察してくださったのですが、
はっきりした結果を言われることなく、総合病院への紹介状を渡されました。

ますます不安になり、
もしかしたら、と思う反面きっとそんなことは無い、と思う気持ちが交互にやって来ました。
でもやっぱり不安で一杯でした。
だから次の日も、主人の掛かり付けの医者に行くことにしたのです。

その日は娘の中学校入学式の日、
本当は「ハレ」の日なのに気分は「ケ」の日のよう。

入学式から帰ったその足で、主人の掛かり付けの医者に向かうことに。
エコーと触診で、だいぶんと長い間見ていただいた結果、「間違いなく乳がんやな」と。

急いで手術が必要な事、
手術後の治療ができる設備の整っている病院に行くことを言われて、
結局県立奈良病院に紹介状を持たされて行くことに。

ある程度覚悟はしていたものの、はっきり言われると、目の前が真っ白になりました。
頭の中では 「家の中をちゃんと整理しとかないと」、とか
「言い残す事の無い様伝言しないと」 など
なにか、もう余命幾ばくもないように感じてしまって、涙が止めどなくあふれてきました。
県立病院の受診は翌週の月曜日だったので、週末はずっと泣いていたことを思い出します。

それでも店には出ていました。
すっかりはれぼったい目でいたので、
来て頂いたお客様に 「どうしたの?」「泣いてた?」 と心配していただいたのですが、
内容をお伝えできることもなく、ただ作り笑いをするだけしかできませんでした。

いよいよ月曜の受診日。
不安でしたが、とりあえずスグにでも手術してもらおうと、
診察室に入るなり紹介状を渡して「先生スグ手術してください、スグ取ってください」
と半ば悲鳴のように叫んでいたのを思い出します。

先生にしてもスグにと言うわけにも行かず、
「まずはちゃんと検査しないと、もし万が一ガンじゃなかったらどうするの」 となだめられて、
とりあえず急ぎでの検査が決まりました。

マンモグラフィー、CTと続き、細胞を直接取って調べる細胞診結果は次週に。
そんなことはないと言われても、
待っている間にどんどん悪くなって行くのではないかと不安に襲われながらの日々。
そして翌週の結果、やはり乳がんと確定したのです。

手術日を決めて入院する日がいよいよ決まり、帰って娘にそのことを伝えると、
どこかに自分の母親がそんな事になるとは思いたくない、という気持ちがあったのでしょう、
しばらくその事実を受け入れることができず、じっと黙ったまま下を向いていました。

いつしか涙を一杯溜めて嗚咽を漏らす娘に、ただ抱きしめてやるしかありませんでした。
本当に彼女も辛かったんだと思います。

入院が決まると、いよいよやる事が増えてきました。
家のこと、家族のこと、店のこと伝達することは山のようにあります。
とりあえず家の細々したことは娘に、後のことは主人に。

入院が差し迫ったこの時期には少し気持ちも落ち着き、
自分でも頑張らないと、という気持ちになっていました。

一番不安だったのは、乳がんについてよく知らないと言うことも大きかったと思います。

「がん」と聞くとすぐに不治の病と結びついてしまい
「怖い」という感情が先に来てしまうからです。
でもいろいろ調べてみるといろんなことが分かって来ました。

「乳がん」の種類にもいろいろあること、
進行度合いによって治療法もいろいろあること、
治療法自身も日進月歩であることなど、
だんだんと自分の置かれている状態がはっきりしてくるにつれて、
訳のわからない「恐れ」はだんだん薄らいでいった気がします。

私の場合、本当に初期の段階と言う訳ではなかったのですが、
ちょうど中期のかかり位でしたので、乳房を全部取ってしまうのではなく、
残せる方法(温存療法)で手術する事が決まりました。

でもリンパ節に転移がある場合は大きく切らないといけないこと、
万が一取り切れなかったら再手術もあることも聞かされていましたので
不安がなくなったわけではありません。

私は入院から日記を付けることを決めました。

なにかしら不安になることを書くことで和らぐかもと思ったからです。

いよいよ入院の日が近づいてきました。
その頃には事情を知っておられるお客様や周りのみなさまから、
お見舞いや入院中の時間をうまく使えるもの、などを頂いて
みなさまの気持ちに本当に感謝で一杯になりました。

次回号では、手術とその後の治療について書いてみたいと思います。

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