信じることだけ ...1
その日の夜は、久しぶりに青島と会うことになっていた。
よって室井の手は無意識にさくさくと動いていた。
(久しぶりだな、青島と会うのは)
そう、この前会ったのは…
(たしか27日だったから…。ああ、なんだ、まだ1週間とちょっとしか経ってないんじゃないか)
と、青島が聞いたら「2週間です!!!」と怒り出しそうなことを、室井はぼんやりと考えていた。
しかしその間も手は休まらない。
妙に頭がスッキリしていて、流し読みをしているにもかかわらず、文字がはっきりと頭に入って
くる。調子がいいとは、まさにこのことだ。
いまだかつて自分の目が、手が、こんなにも早く動いたことがあっただろうか?いや、ない!
そんなに青島に会いたいのかと、ちょっと照れる。
こんなに自分が誰かに依存する日が来ようとは、つい1年前まで思いもしなかったのに。
「えらくがんばってますね、室井さん」
ふと、あまり聞きたくなかったイヤミ声が降ってきた。
ゆっくりと顔を上げて、いつの間にやら目の前に立っていた相手を見る。
「…何か用か、新城」
「いえ、別に。ちょっと近くまできたので寄ってみただけです」
(…それはもしかして私がこの前湾岸署に行ったときのセリフか…?)
またイヤミか、と室井は覚悟を決めた。
が。
「まだ所轄の人間と仲良くしているそうですね?…青島と」
少し声を低くした新城の言葉に、室井はピクリと反応した。
「…だからなんだ」
不快を露にして返す室井に、新城は少しだけにやり、と笑った。
新城には、真下を通して室井と青島の関係がバレてしまっている。それは室井もわかって
いた。
「ついこの間、青島を見ましたよ」
「…湾岸署のあたりに行ったのか」
「いえ、新宿の方で」
「…」
「恩田刑事と一緒でしたよ」
(!?)
室井の目は伏せられていたので、新城からは室井の動揺は見えないはずだったが、新城は
その動揺を確信をもって眺めていた。
「…それがどうかしたのか」
眉間に皺を作って必死で平静を装う室井に、新城はまたにやりと笑って応えた。
「仲がいいんですね、二人で色々な店をまわってました。私の連れは『デートだ』と言ってましたよ」
目を瞑ってこらえる室井を一瞥して。
「あの二人、あなたの知らないところで付き合ってるんじゃないんですか?」
「…何が言いたい!」
「浮気されてるんじゃないんですか、室井さん」
はっきりきっぱりと言い放った新城を、室井は上目遣いに睨みつけた。
「私は青島を信じている。そんなことはない」
…だといいですね、とだけ言って新城は警備部を出て行った。
泣きそうな顔の室井を残して。
(あいつの言うことなんか間に受けてもしょうがないだろう)
と自分を励ましては
(しかし嘘をつく奴ではない。じゃあ、青島と恩田くんは一緒に買い物を?)
と落ち込んで。
(買い物ぐらいするだろう、子供じゃないんだから。湾岸署では青島と恩田くんはペアみたいなものだ)
と思い直しては
(…わざわざ新宿まで出るだろうか…?)
と沈み込んで。
珍しく眉間の皺を取ったり刻んだりしている課長を、部下たちは面白半分心配半分に見守っていた
のだった。
さっきまであんなにスッキリしていた頭が、今ではもうぼんやりしてしまって使い物にならなかった。
たった1文を読むのに何分もかけねばならなくなった。
目は字面を追うけれど、字面を追うだけで。頭には何も入らなかった。
今夜青島に会うことすら、今の室井には億劫だった。
…こんなモヤモヤとした気持ちで会いたくなかったし、会ってしまえばつい、嫉妬心を丸出しにして
青島に尋ねてしまいそうだったので。
でも尋ねることは即ち、青島を信じていないことのような気がして。
「…何を考えてるんですか?」
室井の家で、青島と室井は二人で夕食を食べていたのだが、やけに遠い目で箸の先を見つめて
いる室井を不審に思って、青島はとうとう尋ねてみた。
どうも、今日の室井は最初から様子がおかしい。
案の定、いつもは見せない引きつった微笑を見せて室井は、
「…いや?別に…」
とだけ返した。
しかし、言った直後にはまた口角を下げて箸の先を見つめている。
青島は箸に何かあるのかと思ったが、その箸にはこれといって異常は見当たらない。
でも、室井がおかしいのは明らかだ。
本人は自覚がないのかもしれないけれど。
「室井さん。…何か、あったんですか?」
少しだけ肩をゆらして、やはり室井は「いや、別に」と答えた。
「…本当に?」
「ああ。……新城が、顔を出したぐらいだ、変わったことは」
「新城さんが!?」
青島は大げさに驚いて、それから新城について一人にぎやかに語り出した。
最近は真下とどうのこうの、最近は目が荒んでるだの、俺ばかり睨むだの。
せっかく室井がふってくれた話題だったので、できる限り盛り上げてみたのだが。
当の室井は無反応だった。
何かがあったのは確かなのだから、きっと自分には言えないことなんだろう、と青島は
考えた。じゃあ敢えて聞くこともない。職務上の秘密かもしれない。
…ただ、「自分には言えないこと」というところで、少しだけ闇がかすった。
室井さんにそんなことできるわけもないと信じているけれど、どうにも頭から離れて
くれない、考え。
うだうだするのはどうかと思ったので、青島は単刀直入に室井に訊くことにした。
そんなことはないと、信じているからこそ訊ける問い。
「今日はなんか、様子がおかしいですよね」
「そうか?別に」
「絶対無いと思ってますけど、浮気…じゃ、ないですよね?」
「!!!」
室井の瞼が動揺に開くのを見て、青島は愕然とした。
(…嘘…)
「浮気じゃないですよね?」
室井の頭を占拠していた『浮気』の単語に、室井は自分でも思っていないほど驚いた。
しかもその驚きが、悪いことに青島に伝わってしまったようで、青島の顔がみるみるうちに
青ざめていった。
(最悪だ…)
これは誤解されたな。
妙に冷静に考える自分がいる。
(浮気してるのは俺じゃない、お前だろう!?)
と、言い返したいような言い返したくないような。
室井は、どうすればいいか分からなくなって、固まった。
部屋の温度は氷点下。
人間二人は動けない。
そして空気はどんより重い。
あーさてはて。
…200ヒットリク「室井さんが不安になるところ」前編。
最後やけにギャグ調ですし。
あっはっは!
…!!許して下さいっ、香月様っっっ!!(滝汗)