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赤膚山元窯後援会
あかはだやまもとがま こうえんかい
赤膚山窯 古瀬堯三 中の窯 治兵衛
赤膚山元窯記念碑のお話
赤膚山元窯 6代目の時、「元窯」の名の提唱者、吉井民三郎氏の献身的な助力、奔放により東京に「赤膚山後援会」が発足しました。 昭和13年9月には、当時の奈良帝室博物館官長 久保田氏の手によって書かれた「赤膚山元窯」の石碑が建立されました。
赤膚山元窯記念碑 陳列場前
昭和15年6月 17日、伊太利亜大使館において正客に独乙大使デュルクハイム、伊太利亜代理大使大使パオロ コルテーゼを迎え邦交親善茶会が催され、その国際的な茶会に楽吉左衛門、高麗陶兵衛、の茶碗と
並んで堯三作の土風炉が用いられました。
昭和16年7月、元窯後援会の手によって銀座松屋で 「赤膚山元窯作品展示会」が開かれました。
当時の展示会の赤膚山元窯作品展示会目録より 七月二日より六日 銀座松屋
「明治初頭まで東の窯、中の窯、西の窯があったと言ふ赤膚焼現在では、中の窯只一つしか残存していない。しかしこの残存した只一つの赤膚山元窯は、よく堪えて古法を重んじ今日に至っている。(以下省略)此度我々が相計ってこれが紹介にごく小規模ではあるが展示会を催すこととなったのも此一つ事に存するのである。幸に江湖諸彦によって清栄を得るの栄えを獲得さしむるを得るならば窯元のみの悦びにとどまらない。」
赤膚山元窯後援会
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あかはだやまもとがま ふるせぎょうぞう
Akahadayama Motogama Furuse Gyozo