ぼそぼそ、むにゃむにゃコーナー
このページは、その日その日に感じたことを書くつもりですが、面倒くさがり屋のCohohは、恐らく毎日は続けるのは無理なはなし。一週間に一回、あるいは一ヵ月に一回???
過去の記事は下の年号をクリックしてください
この「ぼそぼそむにゃむにゃ」ページの更新は今回をもって終わりとします。容量が大きくなって立ち上げるのも動きも遅くなりました。私とともに年を取ったみたい。そこで、今後は既に始めているjugemのブログの方に移ります。
それにしても、このページは私が始めてSiteを作った1998年以来8年間、それほど頻繁に更新はしなかったもののよくも続いたものである・・・というよりよく私自身が生きながらえたものと思う。
1999年胃癌の手術をした時は、もし私が死んだらこのページも含め私のSiteは、どうなるのであろう? なんてしようもないことを考えたりもしましたが、それにしてもこの8年間、何度かの海外スケッチ旅行や格安ツアーへの参加、コンサートや展覧会の鑑賞、俳句にも手を出し、篆刻の白朱会では何もしない理事長になったり、秋篠川での鯉釣りに連日出かけたり、東京での飲み会に出かけたらついでに映画を見たりと、まあ〜好きなことをよくやりました。これからのブログもおそらく遊びの記録になるんじゃないかなと思いますが、これがcohohの余生です。今までお訪ねいただいた皆さん、ありがとうございました。ページはこのままおいておきますので、時には古巣へお越し下さい。また今後はブログでお目にかかりましょう。
では、バイ(⌒0⌒)/~~~
日本ゲバントハウス交響楽団って知ってますか?
今日は水彩画教室の日だったんですが、日本ゲバントハウス交響楽団の定期演奏会のチケットをもらったので、水彩画教室を休んで奈良文化会館まで聴きに行きました。
「日本ゲバントハウス交響楽団」なんて、何か何処かで聞いた凄い名前のようなんだけど料金3,500円で座席指定なし、そしてそれをタダで貰える・・・何となく怪しげな気がしたのですが、まあーあまり期待せず出かけてみました。
会場で貰ったプロを見たら、やはり出来立てのほやほやの奈良のアマチュア・オーケストラでした。2003年に「ならまちゲバントハウス管弦楽団」として結成され、今年の4月に「日本ゲバントハウス交響楽団」と改名したようです。
今日の演奏曲目は
ブラームス作曲 ハンガリー舞曲第6番
シューマン作曲 ピアノ協奏曲イ短調作品54(ピアノ;鈴木愛子)
ベートーベン作曲 交響曲第7番
演奏の巧拙は、ここでは言わないことにします。団員のほとんどが2、30代の若者ですが、残念ながら人数がちょっと少ないようです(第一バイオリン、第二バイオリンそれぞれ3人、ビオラ2人、チェロ1人・・)。それでも皆一生懸命、真剣に演奏していて好感がもてました。文化的に遅れている奈良にこうした若い人たちのオーケストラができることは結構なことだと思います。
良いオケに成長することを祈っています。奈良の皆さん応援してあげてください。先日、アーモンドチョコレートを食べていたら、突然ガリ! このアーモンド固い・・!と思ったら、アーモンドではなく自分の歯でした。以前虫歯を治療して金属をかぶせた奥歯でした。最近になってこれで4本目です。これはどう考えてみても、前にかかっていた歯医者がヤブで虫歯を掘り過ぎていたんじゃないかと思う。そもそもその歯医者をやめたのは、歯が痛いと言ったら、神経を抜きましょうと言って、痛い歯の隣の歯の神経を抜いてしまったのだから、何をか言わんやである。
虫歯の治療なんかそんなに難しいものではないだろうからどんな歯医者でもいいだろうと思ったのがいけなかった。診察室は明るくこぎれいで窓際には観葉植物が並び、小さな独立したレントゲン室もある。医師も清潔な仕事着を着、若く男前である。おまけに助手も若く可愛らしい。どうもこういった見てくれに騙された。腹が立つけど騙された自分が悪いのだとあきらめるより仕方がない。
今、治療を受けている歯医者は、知人に紹介されたところだけど今度は間違いなくいい(と思う?)。木造の古びた医院で、待合室に窓もなく診察室も狭苦しいが、治療技術は確かだと思う。
一番気に入ったのは、診療が「予約制」でなく「約束制」、つまり決めた時間にきっちり治療してくれる(そのかわり、こちらも時間をまもらないといけないけど・・)。そして治療が終わったら、数ヶ月後に次の歯の検診日を決めてくれること。これってやはり信頼がおけることと違いますか・・・。整形医も整骨医も信用せず、スポーツジムに通ってちょうど2ヶ月になります。
ジムでは、まずウォーキングマシンで時速6.5キロの早さで20〜30分、2%の傾斜をつけたらじっとりと汗をかきます。少し休憩をしてから、10種類ほどの器械で筋肉トレーニング。ストレッチで仕上げをしてから今度はプールへ行きます。泳ぐと右肩に痛みが走るので、水中歩行、後はジェットバスで体をほぐして風呂かシャワーを浴びて終わります。その間約2時間、結構楽しく過ごせます(もっとも私のことですから面白くなかったらとっくにやめているでしょうが・・・)。
はじめのうち2、3の器械はいかにウエイトを軽くしても動かすことができなかったのですが、1週間ほど前から一つを除いて軽いウエイトでならなんとか動かせるようになりました。五十肩もほぼ治りかけと言ってもいい状態で、ホッとしています。半年以上かかりました。
先日ジムで、体成分検査というものをやってもらいました。体重計のようなものに乗って、両手に金属のついたハンドルを握ります。2、3分するといろいろなデータが測定されてプリントアウトされます。体内の蛋白質、骨、脂肪の量とか筋肉のつき方などがわかります(ちょっと本当なのかなー??と思ったりしてますが・・)。
私はほぼ理想的な成分バランスとのこと(?)ただ上半身と左腕の筋肉量が少ないらしいです。五十肩で左腕はほとんど使わなかったから仕方がないですよね。(もっと詳しく私の体の中を知りたい人は画像をクリックして・・・フフフ)
一ヶ月後にもう一度同じ検査をしてみるつもりです。ちょっと楽しみ!先月末、高校の同期会がありましたが、先週末には中学校の同期会があり、また東京へ行ってきました。身障者手帳で夜行バス片道4,200円と安く行けるようになったので、つい気軽に出かけてしまいます。それにしても、こう昔の友達に会いにいくというのは、やはり年をとったせいですかね・・。
東京へ行ったらゆっくりしていきたかったのですが、月曜に病院の診察予約を入れていたので今回は一泊二日でした。その二日目の日曜日、京橋のフイルムセンターで成瀬巳喜男監督の映画「女の座」「乱れ雲」「山の音」の三本見ました。笠智衆、原節子、高峰秀子、司葉子、加東大介など懐かしい俳優が続々と登場します。「山の音」が '54年、「乱れ雲」が最後の作品で '67年、今から4、50年昔ですが、映画の作り(演出)も俳優の演技も実に丁寧で見応えがありました。フイルムセンターでは休館の月曜以外は毎日昔の名画を上映しています。東京に住んでいたらしょっちゅう行っていることでしょうね。何しろシニアで300円、私は手帳で無料なんですから・・・。今年、卒業50周年ということで高校の同期会が鬼怒川温泉で開かれました。60人ほどが集まりました。50周年にしてはまあまあの参加率ではないかな(2割程度か?)。私のように東京を離れて暮らしていると同期会に行くことも少なく、卒業以来50年ぶりに会う仲間も結構いました。それでも名前と顔をぱっと思い出すのはいいのですが、中には同じクラスにいながら全く記憶にないひともいて、やはり半世紀というのは私にとってすごく長い時間だったなと思いました。
同期会の後、温泉に詳しい友人の案内で塩原温泉へ行きました。まずは「不動の湯」これは本格的な露天風呂。紅葉前の緑に囲まれ、近くに箒川のせせらぎが聞こえる自然のまっただ中。そこで一風呂浴びて目指すは秘湯、塩原元湯。「えびすや」の「梶原の湯」「弘法の湯」大出館の「墨の湯」「五色の湯」・・すべて源泉のかけ流し。「墨の湯」の黒い湯にはびっくり!これぞ温泉!?
翌日はもう一つ、箒川の川岸にある大網温泉田中屋の露天風呂「仙郷の湯」と「河原の湯」。道路から急な石段を下って数十メートル。「河原の湯」はややぬるめでのんびりと浸かっているにはちょうどいい。
この二日間たっぷりと温泉につかり、贅沢な時間を過ごしました。
いつまでも五十肩が治らずいやになります。もう半年になりますか。整形医も整骨医ももう一つどうも・・?? これは自分でなんとかしないと冬まで持ち越して、ますます治り難くなるのではないかと一念発起。今月からスポーツジムに通って筋トレすることにしました。
スポーツジムには今まで全く関心もなかったし、こんなところに来る人は私とは住む世界が違うのだと思っていました。わざわざお金を出し器械相手に体力を使うなんて馬鹿げている。どうせ体力を使うなら仕事やスポーツなどもっと生産的、創造的なものに使えばいいのにと思っていたんです。
でも実際に行ってみると結構面白いものです。ウオーキングマシンをはじめいろいろな箇所の筋肉を鍛えるそれぞれ違った器械がそろっており、おまけにジャグジーバスの付属したプールやサウナ、お風呂まであって、それらを適当に回っていたら2時間ぐらいすぐ経ってしまいます。・・・ということは・・・これは暇つぶし用の施設なんですね。
スポーツ選手や特に体を鍛えなければならない人はともかく、一般の仕事を持った若い人たちが来るのは体を鍛えるとはいえ、やはり時間の無駄遣いではないのでしょうか。定年退職などで何もすることのなくなった人がその暇つぶしとしかも体力の衰えを防ぐ(と自分たちでは思い込んでいる)一石二鳥の場所だという気がします。ですから、私の場合も五十肩が治れば言うことはないし、それでなくても結構楽しい時間が過ごせる都合のよい場所になりそうです。「おまけの人生」注における「老人の時間」がそこにあるような気がします。
注;本川達雄著 阪急コミュニケーション(ネットで注文していたのがようやく届き一週間ほど前に読みました)今年の春に株分けした睡蓮がどうしたわけかさっぱり花が咲きませんでした。これは今年はもうダメだなとあきらめた矢先の一週間ほど前、つぼみを一つ見つけました。そして四日前一点のシミもない真っ白な花が咲きました。よかった、よかった、これで今年の夏は満足して終えられると、そんな気になりました。若い頃,夏が始まると今年はあれをしよう、これをしようと考えたり、あるいは何か素敵なことが起きないかと期待したものでした。そしてたいていはその期待は裏切られ,しようとしたことも出来ずに情けない気持ちで夏を終わるのでした。でも,最近は特に計画を立てることもないし期待も持たなくなりました。ですから何もしなくても何も起きなくてもがっかりするようなこともなく、むしろ何もしないでじっくりと,夏の暑さを感じていたいという気がします。たった三日間、真っ白な睡蓮が一輪咲いてくれたことで,今年の夏を満足出来るなんて,やはり年なのでしょうね。
アガサ・クリスティーの「ナイルに死す」を読みました。これで今年のはじめ「ABC殺人事件」を皮切りに読み出したクリスティーの長編推理小説66篇をすべて読み終えました。短編集や戯曲,それにメアリ・ウエストマコットの名で執筆されたノンミステリー小説など含めると80冊近く読んだことになります。面白かった。4月に推理小説にはまったことを書きましたので、一つの区切りとしてとりあえず報告。30年代のいわゆる名作と言われるものにはほとほと感心しましたが、私としては第二次大戦後の作品に,そしてポアロよりミス・マープルものの方に惹かれるところがありました。それにイギリス人のものの考え方やイギリスの文化伝統というようなものが何となく見えてきたようにも思われます。さて,次は何を読もうか?
四ヶ月ほど前から左肩から上腕部にかけて痛みが続いています。典型的な五十肩です。70近くになって五十肩とはまだ若いなどシャレにもならない。このところつくづく自分の老いを感じるようになりました。肉体的にも精神的にもそして外見はもちろんのこと生活自体が年寄り臭くなった。それは、この「ぼそぼそ・・・コーナー」への記入が少なくなったこともそのよい証拠です。時々若い人たちのSite、特に最近流行りのブログを見ることがありますが、そこには毎日の出来事(ごく些細な平凡なものでも)に対する感動や喜怒哀楽の情があり、そして明日へ向けての大きな期待や豊かな可能性が感じられ、生き生きとした彼らの生活を見ることができます。だからこそ、私のような年寄りと違って、ブログやSiteの日記が続くのでしよう。同じようなことをしていてもそれに対する感じ方が違うのですね。若者の体験は明日の糧になり彼の生活をより充実(愉しく)させますが、私のそれは私の人生に一つの体験をただ積み重ねただけのものにすぎません。若者にとって新しい経験はかけ算ですが、老人にとっては足し算です。とは言うものの、私自身も嘗てはかけ算になる体験をしてきたのですから、なにも今さら羨ましがるべきものでもありませんが・・・。それが年齢、歳というものなのでしょう。終着駅に近づいた列車はブレーキをかけて速度を落とさなければ・・・。
パソコン歴約10年、今やパソコンは私の生活に欠かせないものとなった・・・などといえば少々大げさ。別になくてもどうということはないけど、暇つぶしと頭の体操には大いに役立っているようです。従って、常に快調に動作していないとやはりちょっとイライラします。
今使っているのは2002年春に買ったiMac。先日新しいOSX(Tiger)が出たので、すぐ飛びついて購入。ところがインストールしたらとたんに動作が鈍くなってしまいました。大阪のAppleStoreに行って聞いたら、そりゃーメモリ不足ですよと一言。でもこの機種に対応したアップル純正のメモリがあるかどうか・・と首を傾げられてしまいました。あからさまに「ない」と言い難かったのでしょうね。まだ3年少々しか経っていないのですから。帰ってからネットで調べたら確かに純正のはありませんでした。仕方ないので、ちょっと心配でしたが他社製のメモリをつかいました。増設後のテストも無事にパス、動作も軽くなりました。
ところが、三日前急にネットとの接続ができなくなりました。内蔵Ethernetがケーブルを認識しないのです。ほかのPCでは問題なく繋がるんですから、これは完全にMacの物理的な故障だと考え、今度はAppleのコールセンターに電話しました。修理に出そうと思ったんです。ところが電話口に出た担当者は修理のことには触れず、私をパソコンの前に座らせ、設定その他の指示を出します。今までやったこともない様々な操作や再起動を繰り返し、延々と2時間あまり。途中少々うんざりしましたが、聞いたこともない操作を指示されると、あ、こんな操作もあるんだなとかえって興味津々。しかし結局はダメ。担当者も音を上げて修理に出すよりないですねときた。とは言うものの、こちらが恐縮するくらい辛抱強く応対してくれました。そして最後に「修理に出す前にリカバリしてOSの再インストールをしてみてください」と言って長い電話を終わりました。リカバリするのは始めてのことでしたが、やってみると意外と簡単でした。すると・・なんと!Ethernet生きているではありませんか!一件落着です。
長々と書きましたが、今回のパソコン騒動でわかったことは、パソコンとは家電製品とは違うということ。パソコンにはメンタルなところがあるんですね。OSやアプリを立ち上げるとき時間がかかるのもパソコンがいろいろ考えているんでしょう。今年の白朱展も無事終わり、ホッとしております。出品者は今回28名、各自2点ということで50数点の作品が並びました。皆さん平素から真剣に熱心に取り組んでおられるようで、年々レベルが向上しているように思います。それに引き換え怠け者の私はさっぱり進歩ありません。名前だけの理事長を仰せつかったこの3年間はなんとか恥ずかしくないものをと努力しましたが、結果は大したことありませんでした。
篆刻は方寸の世界の芸術です。わずか1寸か2寸の四角い中にいかに文字を配置し、構成していくか、そして線の勢い、切れ味、サビ等をどう表現するか、打ち込めば打ち込むほど興味のつきない奥深い世界です。どの芸術でもそうですが篆刻のような小さな作品でもよいものを観るとぞくぞくっと身震いするような感動を覚えます。そんな作品を作ってみたいものです。来年も頑張ります(元気だったらのことですが・・・】。南伊スケッチ展出品のため東京に行ってきました。7日から11日まで丸五日間。作品搬入、展示と参加者の懇親会、その翌日は親戚の法事、そしてアップルストアーのワークショップでちょっと勉強、ゴッホ展、ラ・トゥール展、新世紀美術展、最終は高校同期の友達との飲み会、わりと忙しい五日間でした。
まず南伊スケッチ展ですがほとんどが新世紀美術協会の絵描きさん方、さすがに皆さんうまいものです。本当に恥ずかしい限りです。ゴッホ展、ラ・トゥール展は大変な混みようでしたが、まずまず満足。どちらも観てみたいものは2、3点でしたのでそれらをゆっくり鑑賞させてもらいました。
ところで、今年の3月耳の聞こえがますます悪くなったということで、ついに障害者手帳(4級)をもらうことになりましたが、御陰さまで今回の東京行きではその恩恵に浴すことができました。行き帰りのJRが半額、ラ・トゥール展は無料と、ありがたいことです(と喜んでいいのか・・??)。4月に入って、また秋篠川への釣りに通い始めていました。だいたい2時間ほどで50センチ前後の鯉が1匹、時には2匹は釣れるのですが、2週間ほど前のことでした。
その日は4月にしては暑いくらいの陽気でした(幸いなことに)。ところが1時間以上何も当りがなく、ウキはびくとも動きません。これは今日は駄目かなと半ばあきらめていた時、突然ウキが沈むとともに竿が川に引きずり込まれました。その竿を捕まえようと斜面になっている釣り場を駆け下り川に入っていったのですが、竿は手をすり抜けてさらに遠くへ!! アッと思ったとたんに深みにはまり、ザンブとダイビング。思いっきり首まで水につかってしまいました。鯉は竿を引っ張って遥か彼方に、私はズボンもシャツも、おまけにポケットの携帯も財布もずぶ濡れ。
鯉も私もお互いに何とも惨めな有様(鯉と竿は後で取り外しましたが)。そんな災難が一段落した2.3日前、今度は釣りに行こうと自転車に乗って走り出したとたんに、曲がり角でバックしてきた自動車と出会い頭に衝突! 手のひらの打撲と自転車のライトが壊れた程度で済みましたが、いやはや釣りにかかわる災難続き。これはコイの恨みかな・・・このコーナーは1月以来開店休業の状態でしたが、これはひとえに私の怠慢。と言うよりひょんなことから推理小説にはまり込んでしまったのです。いつもの悪い癖で、釣りに夢中になったら毎日釣り、囲碁に熱中したら四六時中囲碁のことばかり、それで今度は推理小説となったというわけです。今、興味を持っているのは日本のものでは内田康夫の浅見光彦、翻訳ではクリスティーです。アガサ・クリスティーなどはたいてい中学生か高校時代に読むものらしいですが、私は今まで推理小説などには全く関心がなかったので、ここへきて夢中になっているわけです。クリスティーは40編以上読んだことになりますが、どれもこれも面白いです。このサイトに推理小説のページをつくろうとさえ思っています。
渋谷区立松濤美術館に「ペルシャ絨毯展」を見に行きました。65歳以上のシニアは区民でなくても無料でした。いいことですね。公立の美術館はどこでもそうなら嬉しいのですが・・。
ところで、そこへ行く途中に古伊万里を蒐集している戸栗美術館というのがあったので入ってみました。ここは財団法人のもので有料でしたが、120点あまりの古伊万里が展示されていてなかなかのものでした。たまたま前日に村田喜代子の『百年佳約』という小説を読んでいました。17世紀の渡来陶工の二世,三世の話で、なかなか面白く一気に読んでしまいましたが、その小説がまだ頭にこびりついていたせいか,目の前の古伊万里の一つひとつが何か生々しく語りかけてくるようでした。ちょうど画家の伝記を読んでその作品を観るような感じです。これも古美術の鑑賞方法のひとつかなと思います。
今回の東京行きではもうひとついいものを見ました。東京駅構内にあるステーションギャラリーでの「国芳・暁斎展」です。それぞれ60点ずつと作品の数も多かったのですがただ羅列しているのではなく、この二人の画家を対比するよう展示方法に工夫が凝らされ興味深く鑑賞できました。おかげで時間の経つのを忘れ、後の飲み会に遅れてしまいました。右図は解説によると河鍋暁斎の『枯木寒鴉図』(榮太楼総本舗所蔵)で明治14年の第二回内国勧業博覧会に出品したもの。暁斎自ら百円(当時の百円ですぞ!)の値をつけたもので、それを榮太楼総本舗の主人が買い付け話題になった作品。だそうです。
「小学校における特別活動の研究」というテーマで年10回程度、でも8年間続けた大学での非常勤講師の仕事を昨日を最後にやめました。その間に教育課程も変わり教育現場の様子にも疎くなったので、2、3年前からやめようとは思っていたのですが、学生諸君が意外と熱心に私の講義に耳を傾けてくれていたので、それが嬉しくついそれに甘えてずるずる来てしまっていたのでした。しかしそういつまでもこのまま続けていくことはいかにも無責任のような気がして、今年は講義の始まる前に今年を最後にしたいとお願いしました。非常勤講師の仕事も教職には違いないので、これで完全に私の教職生活は終わったことになります。ちょっと寂しい気もしますが、いい潮時だと思います。それにしても多くの方々に助けられながら、よくもまー45年間教職を続けられたもんです。これから先(大して長くはないけど)はともかく、これまでの私の人生はまずまず楽しかったかな・・・? 一応満足していると言っておかなければ死ねないですよ。まあ、どっちにしても教師というのはいい仕事だったと思いますよ。
秋篠川での鯉釣りを初めて1年あまりが経ちました。最近は天気がよくて、用事がなければ(用事などほとんどないのですが)昼の暖かい時に2,3時間出かけて行きます。何事も繰り返し続けているといろいろなことが分かってくるもので、はじめの頃しばしば逃していた大鯉も何とか釣り上げられるようになりました。もっともその間、竿2本を折っていますが・・。昨日は、11月に入って2匹目の70cm級の鯉を釣り上げました。
先週、大阪市立近代美術館(仮称)で開催している佐伯祐三展を観てきました。初めて佐伯祐三の絵に強烈な印象を受けたのは私が高校の頃(大学かな?)。記憶は定かではありませんがブリジストン美術館で観たのではないかと思います。それからずっと私にとって最も気になる画家の一人になっていました。もしあなたの一番好きな画家は?ときかれたらまず佐伯祐三とこたえるでしょう。しかしまとめて50数点もの彼の作品を観るのは今回が初めてでした。パリの裏通りのカフェや広告のべたべた張られた壁が見事に絵になっています。なぐり描きのように引かれた黒い線や荒々しい筆のタッチ、それでいて繊細なところを持つ彼の絵の魅力に取り付かれています。デフォルメされた対象も何の衒いもわざとらしさもなく、ごく自然に私の中に入ってきます。
こんな絵を見ていると、自分が絵を描いていることが嫌になります。恥ずかしげもなくこのサイトに載せている私の水彩画などは全くお遊びのぬり絵みたいなものですね。
4ヶ月ぶりに東京へ行って来ました。目的は高校時代の友達との飲み会と二日にわたる美術館巡りです。都立現代美術館でのピカソ展、1920〜30年代の作品が中心でしたが予想以上に充実した内容でした。現代美術館は初めてでしたので、ついでに常設展示を見ましたが、これも期待以上のものでした。1945年以後の作品を蒐集していましたが、今まであまり見る機会がなかった池田満寿夫の作品を何点かまとめて観ることができましたし、その他にも興味のある作品がいくつかありました。結局現代美術館では約3時間、さすがに腰が痛くなりました。
京橋に小さな画廊でジャンセンの絵を展示しているところがあります。一応「ジャンセン美術館」と称して入場料500円を取ります。でも、ジャンセンは私にとってリャドとともに以前から何となく惹かれる画家で、一度は行ってみたかった所です。私の持っている小さなリトグラフと違って、100号を超えるような油彩画、さすがに迫力がありました。作品の数はそう多くはありませんでしたが、お客さんが誰もいないのでゆっくりと鑑賞させてもらいました。やはり、よかったです!
そして最後は国立西洋美術館でのマティス展。これも見応えがありました。一つの作品が生まれるプロセスとその作品のヴァリエーションを見せてくれます。ピカソとマティスの違いを感じました。
とにかく今回はいいものを見ました。
「先着1500名様にTシャツ」というのにつられ昨日開店のApple Store Shinsaibashiに行ってきました。勿論10時のオープン前でしたが、すでに延々と行列が続き、広い通りの横断歩道をいくつもこえて、その最後部に到達した時はApple Storeから遥か彼方、おそらく5、600m以上は離れていたと思います。1500名はとっくに超えているようでしたが、一応話の種にと列んでみましたが10時を過ぎても行列はほとんど進みません。特に今日買いたいものがあるわけではないし、Tシャツもだめならと、列を離れました。そしてまた列に沿ってさかのぼりApple Storeのビルの前まで行ってみましたが、開店後約一時間経ったその時点で行列の先頭にいる人に、いつ頃列んだのか聞いてみましたら、昨日の晩だとのこと!!(@o@) びっくり、あきれましたが、Macも案外捨てたものでもないですね。ホント、もう少しMacユーザーが増えてもいいのに・・・
最近二人の素敵なアーティストにお会いしました。一人は画家の西野和男氏。私の絵の先生のお誘いで、西野氏の個展のオープニングパーティーに参加させてもらい、お目にかかりました。30年スペインに滞在しフラメンコの世界を描き続けておられる方で、個展での作品もほとんどがフラメンコでした。踊り手の顔や手の表情、床を踏み鳴らす足やひねった腰の動きなど実に見事に表現されていました。去年のスペイン旅行で見たフラメンコが脳裏によみがえってきました。人物の表情や動きをここまでかけるとは凄いなーと、ただただ感心。
もう一人はシャンソン歌手の今里哲さん。武庫之荘でのライブを聴きに行きました。お喋りをまじえ、語りかけるような、また誰にともなく独り訴えるような歌い。ああ,まだこんなシャンソンの世界があったんだなーと、20代の頃よく通った「銀パリ」を思い出しながら感慨に耽りました。・・・でも、年を取ってから聴くいいシャンソンっていうのは、ちょっと辛いです。
お二人とも必ずしもメジャーな方ではないけど(失礼)、すばらしいアーティストだと思います。虜になりそー。
毎年夏に開かれる伊藤先生ご夫妻の展覧会に私たち教室の生徒も参加させていただく「四季の会」展というのがあります。今年は8月6日から三日間,近鉄百貨店橿原店で開きます。今、その出品作品を制作中ですが、どうも思うように描けません。南イタリアのスケッチを手直ししてみたり、描き直ししてみたりいろいろやってみるのですが、結局もとの下手なスケッチの方がかえってよかったりして・・・。普段怠けているから、それも仕方がないとは思うんですが、情けないことです。でも、下手でも絵を描いていることはそれなりに楽しいものです。ですから今は碁のネット対局も、篆刻も釣りもしばらくはお休みという状態です。
さて、それでは・・出品作品はどれにしようか?? 決まったらまた「水彩画Gallery」の載せます。
6月24日から7月4日まで南イタリアのスケッチ旅行に行ってきました。プロの画家の先生方にくっついて行ったので,私自身は大した絵はかけませんでしたが,プロの先生方の描くのを見せていただき大変勉強になりました。と同時に自分の下手さ加減にうんざりして自信をなくした旅でもありました。でも,スケッチを指導していただいたり,スケッチ以外でも大いに旅を楽しむことができ、すばらしい旅行でした。私のような素人を連れて行ってくださった先生方、旅行を企画し、案内していただいた「トラベル・プラン」様に,この場を借りてお礼申し上げます。
旅程はオストゥーニ3泊、アルベロベッロ半日(はじめはコースに入ってなかったのですが移動の途中だというので寄ることにしました),マテーラ2泊、プロチーダ島3泊、ポンペイを見学してナポリで1泊でした。*オストゥーニ
ミラノ経由でブリンディージという小さな空港へ行き、専用バスでホテルに着いたのは時差の関係で24日の夜でした。オストゥーニはどのガイドブックを見ても載っていなかったところですが、丘の上に白い家が建ち並び、その周囲はオリーブ畑が広がっています。町から少し離れたホテルから眺めたオストゥーニはまさに陸に浮かぶ白い巨艦です。翌日は朝から一日中、白い家並みに階段の多い迷路のような街中を気ままに歩き回りました。スケッチをしていると土地の人たちや子供たちがのぞきにきます。オストゥーニにしてもプロチーダにしてもあまり外国人観光客がいないので土地の人たちは何となくはじめはよそよそしくしていますが、Ciao!などと覚えたばかりの簡単なイタリア語で挨拶すると、とたんにニコッと微笑んで、私の下手な絵でもBravoと言ってくれます。そしてさらに親しげにイタリア語で話しかけてきます。これが困ります。何を言っているのかほとんど分かりません。それでも片言のイタリア語でちょっと話が通じると,もう年来の友人みたい。これが陽気で気さくな南イタリアの人なんだなーと思いました。外国旅行をする時はその国の言葉を少し勉強して行くと2倍は旅を楽しめるような気がます。
ところで、アルベロベッロ、不思議な街ですね。なんであんなとんがり帽子のような家ができたんでしょうね。一つや二つではない街中の家がみんなとんがり帽子なんです。これだけでもう観光地になる条件十分ですね。*マテーラ
世界文化遺産となっているサッシと呼ばれる洞窟住居のあるマテーラは人口約5万5千人の素敵な町です。岩山をくりぬいて作ったサッシに住んでいた人たちは戦後環境悪化のため強制退去させられたそうですが今は再び利用され、私たちが夕食を食べに行ったレストランもサッシの一つでした。
昼は30度を超える(多分?)暑さでしたが,午後日差しが弱まると人々がどこからともなく街なかに出てきます。何かの祭りの前だということで夜などメインストリートはかなり人出がありました。ところが不思議なことにその人たちが通りを歩く歩調が昼も夜も、男も女も,老人も若者も、みんな一定なのです。andante moderatoなんです。夕飯の買い物をする人,老夫婦の散歩,若いカップル、それに子供たちまで皆ゆっくりと一定のテンポで歩いています。東京の渋谷を知っている私には何か次元の違う別世界に入り込んだような気がしました。*プロチーダ島
ナポリから高速艇で1時間足らずのところにある人口1万人ほどの小さな島です。近くに(といっても数10キロありますが)有名な観光地カプリ島がありますが、同じ島でもここはナポリなどから遊びにくる人たちが主なようで外国人観光客はすくないようです。私たち一行は20人でしたが全員泊まれるホテルがなく。二つのホテルに分かれました。しかし素敵な島です。小さな港に面しピンク、黄、青などのパステルカラーの建物が重なり合って並び、ああ、これが地中海の島なんだなーと一人感慨にふけっていました。夜ともなると海岸通りのBarの灯りや街灯の白熱灯(蛍光灯じゃないですよ)がともり、夜釣りの船の明かりが港を静かに出て行く。何とも幻想的な風景です。
それに食事がうまかったです。土地柄新鮮な魚介類が主でした。料理を注文すると,カジキマグロやスズキ,鯛など,これからこれを調理するぞーと、魚を見せにきます。食事はホテルでもBarでもすべてテラスか野外のテントの下でした。
プロチーダ島は映画「イル・ポスティーノ」(残念ながら私は観ていないのですが)の舞台になったところだそうで、小さな島にとってはそれが大きな話題となったようで、土地のおばさんがそのことをしきりと説明してくれましたが、何を言っているのかさっぱり・・ (_ _;)。*ポンペイ・ナポリ
ポンペイでは,その広大な遺跡を目の当たりにして,自然の驚異と人類の歴史の流れをしみじみと感じさせてもらいました。紀元79年8月24日から三日間続いたヴェスヴィオ火山の噴火でポンペイは6メートル以上の火山灰の下に埋もれてしまったといわれています。それが18世紀後半から発掘され、現在に至っていますが、何ともすごいものが埋まっていたものだと感心するばかりです。
最後の一泊はイタリア第三の都市ナポリ。もうここではスケッチはしませんでした。ただ町の中をぶらつき,買い物(ほとんどはウインドウショッピイングですが)をするだけ。自分のためにイタリア製のパイプを一本買いました。
昨日,一昨日と東京から来た友人(高校の同期生)7人と一緒に奈良観光につきあいました。行ったのはまさに奈良を代表する最もポピュラーな寺社,つまり 新薬師寺、東大寺、法隆寺、中宮寺、薬師寺、秋篠寺。いつもなら観光客でいっぱいの寺社ですが,昨日,一昨日は35度をこす暑さ,さすが観光客もほとんどなく,じっくりと見学できました。奈良に住んでいながらもこんな機会は滅多にありません。静かなところでじっくり見ると,やはりいいですね、最近ルネサンス美術に興味を持っていましたが、ここで改めて日本の古代美術のすばらしさを再認識しました。猛烈に暑かったけど・・・
(写真は観光客の一人もいない!!!法隆寺)
先日一日で三つの医院を廻りました。まず耳鼻咽喉科、ここで鼓膜のマッサージと薬をもらいます。老人性難聴ですから治る薬などないのですが、栄養剤のようなもので進行を遅くするのだそうです。果たして効いているのか? 次は眼科。目がかゆく、クシャクシャするので一ヶ月ほど前に診てもらったのですが,かゆいのは結膜炎のせいでしたが,他に老人性白内障の症状が見られるとのことで、しばらくは目薬をさしなさいということでした。その一本目がなくなったのでもらいにいったわけです。最後は歯医者。これは、先週釣りの仕掛けを作っているとき釣り糸をくわえて引っ張ったら、上の前歯がポキンと大きな音をたてて折れてしまったのです。大して力も入れてなかったのに・・。というわけで医者のはしごをしたんですが、これってやはりみんな年のせい。人間の体も70年近く使えば全体にガタが来ても当たり前。そろそろ終わりに近づいたということですね。
このコーナー、お久しぶりです。こんなに長いこと更新しなかったとは、我ながらびっくりしています。Topページの挨拶を時々更新していたので、つい、疎かになっていました。
この数ヶ月間(半年近くになりますが・・・)とにかく病気もせず、一応元気に素浪人のような日々を楽しんでました。晴れていれば10時頃から2、3時間(時には4時間以上も)秋篠川に鯉釣り。家では囲碁のネット対局。火曜日はパソコンのシニアサークルで皆とワイワイ。金曜夜は水彩画教室と、まー、すること、したいことはいくらでもあり、退屈する間がありません。それに6月末にイタリア旅行を予定してますので、そのためイタリア語のCDをiPodに入れて聞いています。でも、これだけは年のせいと難聴のためどうも思うように進みません。またここ一ヶ月ほどは白朱展の作品制作で、他のしたいことはちょっと控えざるを得ませんでした。
・・・というようなわけでして、ハイ。これからこまめに更新するようにします(あまり当てになりませんが)。
皆さん、よいお正月を過ごされたことと思います。
さて、今年はこまめに「ぼそぼそ・・」を書こうかと思っているうちに早15日。今年の抱負をcohohの新年のご挨拶で述べました。曰く「もう少しましな絵を描くこと・・篆刻のよい作品をつくること・・70センチの鯉を釣ること・・KGS(棋聖堂碁サーバ)で2d(2段)を維持すること・・」。ところが新年早々KGSで連敗しあっという間に1d(初段)に格下げ。釣りは穏やかだった三が日に東京から帰っていた息子と初釣りに行きましたが、息子は60センチ級のを上げたものの私はボウズ。9日の今年最初の水彩画教室での作品も(水彩画Galleryでご覧になった方もおられるでしょうが)相変わらず代わり映えのしない作品。5月(または6月)にある篆刻の白朱展の作品制作は正月から取り組もうと暮れのうちは考えていたんですが、未だにその気になりません。
こりゃ!今年も前途多難。もっとも年の初めにこうして躓いておいた方が、後やる気が出てかえって楽しいかもしれませんね。
2003年のぼそぼそむにゃむにゃ 12/23 スペイン紀行
12/13 緊張のスペイン旅行
11/1 釣り後日談
10/4 ホームスティ
9/10 釣り
8/20 ツバメのねぐら入り
8/4 夏は暑いもの
7/12 近況報告
5/28 白朱展開催
3/1 もう春ですね今年も残すとこあとわずか・・というより年末年始を迎えることあとわずか、と言った方がよいかもしれません。昨夜も以前の職場の上司や同僚との毎年恒例の忘年会をしました。15,6人のメンバーですが現役(60歳以下)は既に4人のみ、間もなくよぼよぼのオジイばかりの会合になるでしょう。私などその先頭にたちそう。
ところでスペイン旅行の報告ですが、この「ぼそぼそむにゃむにゃコーナー」にはじめ描こうと思ったのですが、別のページを立ち上げましたのでそちらを見てください。スペイン旅行「スケッチGallery」とスペイン旅行「写真Gallery」です。ご感想をぜひメールでお聞かせください。
今年はこのコーナーめちゃめちゃサボりましたね。平均月一回にもならなかったです。コイ釣りのその後の報告もしませんでしたが、11月の中頃についに待望の60センチ級のを釣り上げたこと報告しておきます。スゴ〜イ引きでしたよ(⌒‐⌒)
それでは、よいお年をお迎えください。2日から10日間ほどスペインのツアー旅行に行ってきました。ところが参加を申し込んでからスペインに関するサイトを検索してみたら、スペインの治安の悪さばかりが目につきました。特に今回の主な旅行先のバルセロナ、マドリッドが最悪。スリ、置き引きから睡眠薬強盗、首絞め強盗まで様々な手口が紹介されており、これではまるでテロ集団の中に飛び込んでいくみたいです。でも、こんなことばかり気にしていたらせっかくの旅行を楽しむこともできないので、用心しながらもある程度開き直って出かけました。確かに油断していたらだまされかねない場面もありましたが、まあ、無事に帰ってこられました。
1969年に3週間かけてヨーロッパを回りましたが、その時スペインは行っていないので、今回が初めてのスペイン旅行でした。さて、その感想は・・次回に池に入れる魚を捕ってこようと始めた秋篠川での鯉釣りが、やはり病みつきになりました。行けば10〜20センチぐらいのが数匹はつれました。4,5回目のとき隣で釣っていた常連の人が60センチクラスのを釣り上げたのを見て、私も大鯉を釣ってみたくなり、その人からいろいろ教えたもいらながら挑戦してみました。今まで十数回のうち4,5回はかかったのですが、その度に針が外れたり、糸が切られたりで、なかなかむずかしいものです。でも、そのときの引きはすごいものです。これはやめられないな・・と思いました。そして、エヘヘ・・、今日とうとう50センチほどの中鯉をつり上げました。今度は60センチに挑戦。当分やめられそうもありません。
先週、オーストラリアの方のホームスティを引き受けました。非常に感じのよい元気なおばさまで、よく話しかけてくれるのはよいのですが、私はますます英語が聞き取れなくなってしまいました。老人性難聴で日本語でも聞き取りにくいのですから当たり前だと開き直って、聞き役はもっぱら私の連れ合い。ところが喋る方も最近は囲碁のネット対局でのhiとthx以外はほとんど英語を使っていないので、これまた単語や簡単な言い回しが出てこない。せめて喋る方だけでも少し勉強しておかないと不便だなーと反省しています。27日から4泊でしたが結構楽しい時を過ごせました。guestも喜んでいただけたら嬉しいのですが・・
2003/9/10 釣り(9/12・訂正:下記文章で「フナ」とあるのは「コイ」の誤りでした。口の横にヒゲがありました)
唐招提寺の横を流れる秋篠川にフナを釣りに行きました。釣りなんて何年ぶりか。少し離れた横と対岸に一人ずつ本格的な装備で浮きをにらんでいる人がいました。こちらは子供のオモチャみたいな竿と仕掛けで釣り糸を垂らし、果たしてこれで魚がかかるのかしらと、ちょっと心許なく、赤い浮きの頭を眺めていました。もともと釣りは嫌いではなく、以前は子供とよくバス釣りに琵琶湖や津風呂湖へ行ったものですが、あのしょっちゅう竿を振り回してリールを巻くのはあれは若者の釣り。もうこの歳になると静かにじっと浮きを眺めている方が向いてます。30分ほどした頃、浮きがぴくぴくとあたりが出始めました。2,3回餌をとられましたが、浮きがグッと沈むのを見て合わせたら、20センチ(15センチかな?)ほどのフナが釣れました。布バケツに水を汲んで入れると元気良くはね回ってました。もっと釣りたかったのですが今日の釣りはこれで終わり。というのも、我が家の狭い庭に息子たちが作った池があり、そこへ入れる魚を捕るための釣りだったのです。魚が弱る前に帰らないと・・。それにしても、こんなに簡単に釣れるとは・・明日もまた来たくなりました。したいことがまた一つ増えました。
ところで、横のおじさん私が来てからまだ一匹も釣っていなかったようです。先日、野鳥の会の方につれられて、ツバメのねぐら入りを見てきました。平城宮跡にある葦原に夕方西の空が茜色になるころ、どこからともなくツバメの群が現れ、上空を乱舞します。それが次第に数を増し高くあるいは低く飛び交い、つぎつぎに葦原の中に消えていきます。そして最後の一群が何回か高く旋回したあと、吸い込まれるように葦の中に沈んでいったとき、あたりはもう夕闇に包まれていました。
その間約20分、自然の見事なショーに感動してしまいました。ツバメというのは軒下に巣を作りそこで生まれた雛に餌をせっせと運んでくる、その程度のことしか知りませんでした。ツバメが群れをなして飛ぶなど考えもしませんでしたが、やはり渡り鳥、群れをなすんですね。それにしてもみんな何を考えて飛んでいるのかな・・。
暑いですね。でも、これが夏。今年は梅雨が長く、比較的涼しい日が続いたので、ここ2、3日の暑さは、ようやく夏が来てくれたかという懐かしささえ感じます。昔(40年ほど前)独身時代、屋根にアスファルトを敷いたアパートの2階、それも西向きの六畳一部屋に住んでいたときのことを考えたら、今の暑さなど全く苦になりません。もちろん家ではクーラーは使いません。扇風機もあまり好きではありません。それでも寝るときは小さな扇風機をタイマーで1時間だけつけることにしています。それより、ここ数年夏になると、この暑さをあと何回味わえるのかなー・・なんて思ったりしてしまいます。
この暑さの中、汗をかきながら8日から始まる展覧会の作品制作にかかっていましたが、ようやく出来ました。F8号の風景画を3枚描いたのですが、そのうち2点を出します。自分の作品を見て、毎年少しずつよくなっているかなと思っているところが、やはり素人の所以だと自分でおかしくなります。ページのトップに戻る瞬く間に7月も半ば、今年に入って急に「ぼそぼそむにゃむにゃコーナー」ペースが落ちました。何も書くことがないからではなく、生来の怠け癖です。その後の近況をちょっとお知らせします。
☆7月4日に高校時代の仲間の飲み会(東京浅草)に参加しました。毎月集まっているようなのでまた行きたいですが、交通費と宿泊費がね・・。東京に行ったついでにふらっと入った「ミレー3大名画展」に思いのほか感動しました。☆12日には私の絵の先生が賞を受けられた新世紀美術関西展を観に行きました。先生の特別展示があり100号以上の絵が12点まとめて展示されていました。壮観でした。☆15日の日曜日には碁友4人が集まって朝からたっぷり一日碁を楽しみました。最近毎日のようにネット対戦で碁は打っているのですが、やはり榧盤と蛤の碁石で碁敵の悔しがっている顔を見ながら打つのは何とも言えません。もっとも得意顔を見させられる方がしばしばですが。☆7月2日久しぶりにオーストラリアの友人(もと英会話の先生)が来日されたので、10年ほど前国際理解教育を担当していた小学校の先生方と一緒に食事を共にしました。ところが会わなかったこの数年間に先生は日本語を忘れ、私たちは英語を忘れ、話がなかなか通じなく弱りました。やはり語学は普段使っていないと駄目ですね。今日は本年度の白朱展の搬入日。この2,3ヶ月はこの作品の制作で頭一杯。平素怠けているからこういうことになるんですね。ようやく額装が出来たのが昨日のこと。滑り込みセーフというところですか。従ってその出来は?? それは皆さんの判断にお任せするよりしょうがないでしょう。まあ、見てみてください→Click
なんと! 今年初めての「ぼそぼそ」ですね。三ヶ月のご無沙汰は記録かな? もっとも、水彩画Galleryはほぼ毎週、作品(相変わらず上達してませんが・・)を更新していましたから、自分ではそれほどご無沙汰した感じはないんです。
庭のたった一本の白梅が咲き始めました。たいした手入れもしていないのですが今年は割と多くのつぼみが付いています。この梅の木は、長男が生まれたとき記念に市からもらったものですから、樹齢26年ということになります。その長男も今はサラリーマン。ところがその勤め先が、何と私が生まれて育った、今はなくなりましたが東京の住まいからわずか数分の所。何か不思議な運命を感じます(そんなたいそうなモンでもないけど)。
梅と言えば、2月の初めに河内の観心寺へ行ってきました。以前から「如意輪観音像」が見たかったのです。でも、あれ秘仏なんですね。拝観できるのは年に4月の二日間だけ。がっかりして(私が無知なんですね)境内にある梅園に行ったんですが、これまた金剛山の麓にあるせいかみんな蕾固しです。それでもどこかに・・と探し回ったら、見つけました一輪だけ。こんな梅見もいいもんですね。写真撮ってきました。
ページのトップに戻る先月、開館した国会図書館関西館に行ってみました。総ガラス張りの近代的な建物で中は広々、エアコンも快適。車がないとちょっと交通に不便ですが、またいい所を見つけたという気がしました。閲覧室の机は一人ずつ区切られ、椅子は座り心地がよく、国会図書館ですから学術図書が中心のようですが、開架資料には事典や図鑑、雑誌、等が多いので、それらを見ていたら楽しく一日過ごせそうです。
先月、山の辺の道にある長岳寺に開帳中の大地獄絵を見に行きました。江戸初期の狩野山楽の筆になるもので、九幅からなり、三途の川から始まって八大地獄、餓鬼・畜生・修羅道と続きます。ゆくゆく行かなければならない所だから、一度じっくり見ておくのもいいだろうと出かけたわけですが、たまたまお寺巡りをするらしい団体さんがきていて、住職さんがその団体の人たちのために絵の解説をしておりました。私も隅の方に座って、聞こえない耳をそばたてて、聞かせていただきました。30分以上に及ぶ丁寧な説明でしたが、結局この地獄の図は死後の世界に在ると言うより、この現実世界の姿そのものなんだということでした。お話が終わった後写真撮影を許可してもらったので撮ってきました。Photoshop Elで繋げたもの1枚だけ、火の車の場面を見てもらいます(右図をクリック)。それにしても西欧の教会にある最後の審判図は地獄絵と聖母子像は観音像や如来像とそれぞれ相通じるところがありますね。
9月から約2ヶ月かけて、とうとう「イタリア絵画館」なるWebSiteをアップしました。まだ掲載の画家も作品も限られていますが、まあ、何とか体裁だけは整ったように自分では思います。ただプロバイダーの無料サーバーの容量が30Mというので、いつ一杯になるか気がかりです。
所々、絵について短いコメントというか感想を書いていますが、悲しいかな実物を見ていないのがほとんど。時には誤解も見当はずれのものもあると思いますが、いつか実物を見に行く自分自身のための予習であると考えています。春にイタリアへ行ったときは、短期間でもあったし準備も不十分だったので、カラヴァッジョとフィリッポ・リッピだけがメインでしたが、もっと早くこのサイトを作り始めていれば、もっとよく観ておくことができたのにと悔やまれます。先日、名古屋までマグリット展とミロ展を見に行ってきました。本目はマグリット展だったのですが、たまたまミロ展が始まったところだったので、ついでに見てきましたが、ついでのミロ展の方がよかったです(個人的な好みの問題でしょうが)。
だまし絵風のマグリットの細密描写には感心しましたが、マグリットの絵は詩的絵画といったらいいのかその発想のおもしろさはありますが、何か醒めた感じで作者の情念とか感情がもうひとつ伝わってきませんでした(見る目がないのかな?)。その点ミロは何かを語りかけてくれているようです。それが何であるかはよく分かりませんが、落ち着いてみられます。前に見たカンディンスキーと表現は違いますが共通したものがあるように思います。
結局、マグリットのイメージ転換の発想についていけなかったのかもしれません。以前からルネサンス絵画にはちょっと興味がありましたが、先月の「仕事」をするしないの問題があって、またまた火がついたみたいにのめり込み始めました。以前なら夜になったら1局や2局パソコンで碁を打っていたのですが、ここ数週間はそれも忘れ、画像を取り込んだり、画集を見たり、美術史の本の興味のある部分を拾い読みしたりしています。なかなか面白いです。今年の2月でしたか京都の日伊会館でカラヴァジョのセミナーに行ったとき、講師の先生が、ルネサンス期(ゴシックからバロックまで)の代表的な画家十人をあげました。もちろんカラヴァッジョも入っていましたが、ピエロ・デッラ・フランチェスカが入っていたのにちょっと意外な気がしました。でも、今考えてみると、ピエロ・デッラ・フランチェスカってやっぱりすごい画家なんですね。もともとフィリッポ・リッピが好きだったんですが、いろいろ見ていくうちにまだまだ素敵な画家が出てきそうで、リッピの影が何となく薄れていくような気がしてきました。
ある程度,13〜17世紀のイタリア絵画の流れが分かってきたら、ホームページで絵画の紹介をしていきたいと思っています。
- 一月ほど前、何か面白い仕事はないかとハローワークに行って求人募集のデータをパソコンで見ていたら、私の趣味の絵とパソコンに関わる仕事でがありました。早速、履歴書を送って面接をしました。確かに仕事の内容は私に向いていそうでした。絵は描くのも見るのも好きだし、パソコンは家にいるほとんどの時間はその前に座っているわけですから、今私がしていることをちょっと方向を変えればそのまま仕事になるな、と思いました。ところが募集要項には勤務は週五日、8時30分から5時までとあり、これはちょっと・・と思いました。せっかくこの4月から何者にも拘束されない自由な時間を獲得できたのにまた元に戻らなければならないと。面接の結果仕事の中身が具体的に分かってみると、週二日か三日出勤すればできそうなものでした。それで少しでも小遣いをもらえれば結構なものです。ところが、週四日は出勤してほしいとのこと。これを承諾するとなると、小遣い程度ではおさまらなくなるぞと思いました。こうなると私の仕事の実績に対する報酬ではなく、拘束される私の時間の対価をを支払ってもらわなければならなくなってきます。私の仕事の成果などたいして価値はないけど、私の時間は、残り少ない(?)だけに、私にとっては極めて貴重なものです。そう簡単に安く譲り渡すことはできませんよ。それでも私としてはぎりぎり遠慮して、学生のファーストフード店のアルバイトより少々高い額を要求したら、支払えないといって、要求額を引き下げるのではなく、仕事すること自体を断られてしまいました。断ったのは、金額の問題だけではなかったのかも知れませんが、もし使う気なら,内容が私向きなだけにちょっとうまく調子に乗せれば、私など安い報酬でホイホイ働いたのに・・と自分でもおかしくなります。
それにしても、労働力は若い方が高いかも知れませんが、時間だけを考えれば年寄りの時間の方がずっと貴重なものと、今更ながら気がつきました。
- 祇園祭の終わった21日の猛烈に暑い日、京都へ展覧会を見に行きました。まず、京都文化博物館で「上野の森の美術展」、これは私の先生が入選されたもの。現代の洋画の動向が何となく分かるような気がしました。この文化博物館には先日「池田満寿夫の世界」展を見に来たことがあり2度目ですが、なかなかよい施設ですね。周りには洒落たお店が並んでいて、京都のデートスポットかな? ただ、バス停からちょっと離れているので、先日のように暑くて、しかも独りでは・・。
そのあと国立近大美術館にカンディンスキー展を観に行きました。1,300円、最終日の1日前で結構混んでいました。でも中身は充実して見応えがありました。カンディンスキーについては以前からちょっと興味があったのですが、いつも1点ぽつんと見るだけ(確か、大山崎美術館にも1点ありましたか)。何点あったか知りませんが、あれだけまとめて見ることができたのは感激。原色と黒、しかも補色同士が、一見でたらめのように、落書きのように散りばめられ、なぐりがきされていながら、統一と調和を保って、見るものを引きつけていく。複製でもいいから一つ飾っておきたいなーと思いました。
6月28日から一週間バリ島に行って来ました。今回はバリへ行く知人にくっついっていったので、“ハイライト”のような名所巡りではなく、全くのんきなスケッチ旅行。ほとんどKutaで過ごしました。初めはとりあえず同行した人たちと、Kuta海岸沿いのプールもある豪華なホテルに2泊。ところが値段も豪華、1泊1万5千円。これではたまらないと、三日目から近くのロスメン(簡易ホテル)に引っ越し。これがなんと一泊7万5千ルピア(円に換算すると1,070円)これは安いでしょ!! そのかわり、クーラーなし、お湯でない、寝具は清潔だけど、ちょっと破けていたり。でも平素クーラーなしの生活をしている私には快適。おまけに、トースト、卵、デザート(マンゴ・パイナップルたっぷり)の朝食付き。コーヒーは三杯飲んでも余るほどポットに一杯。それに、部屋の前まで運んでくれるのが嬉しい。朝食をゆっくりとった後はその場で庭をスケッチ(水彩画Galleryで見てもらいます)。昼近くになって暑くなったらクタビーチへ泳ぎにと、結構な一週間でした。しかし、一人旅だといろいろな失敗談もありますが、眼鏡を波にさらわれてなくしたこと以外は内緒にしておきます。(写真;左ホテル、右ロスメン)
ページのトップに戻る今まで、古いマックにおいてあったCohohのHP(mプロバイダーサーバー)のファイルとWindowsのノートパソコンにおいてあった、水彩画のHP(kプロバイダーサーバー)のファイルをとにかくこの新しいiMacに移してやろうと、GoLiveを使って各サーバーからダウンロードしてみました。それは一応できたんですが、その後HPの体裁を変えてアップロードしたらメチャメチャ!! 前回の「ぼそぼそ」だけの更新ならどうということはなかったのですが、いろいろいじったら、真っ白のページが出るやら、繰り返し「not found」の表示、あるいは壊れた画像表示。原因を苦労しながら探し、何とか見られるところまで、丸二日間苦労しました。GoLiveも結構難しい。マニュアルには「・・・についてはGoLiveを使うと簡単・・」ってな言葉が繰り返し出てくるけど、とんでもない。(みんなこんな苦労はしないのかな?私の頭がやはり悪いのかな??)
まだ、topページのドアーのロールオーバー機能が動作しない。思うとおりになるのにまだまだ時間がかかりそう。この「ぼそぼそむにゃむにゃ」の’98の初めを見たら、そのときもやはり苦労していたんですね。今までこのHPを作っていたHomePageProがMacOSXに対応していないので、大枚2万数千円を出してAdobeのGoLiveを買ってしまいました。今、それを使っています。果たしてうまくいくのかどうか心許ないです。でも、いろいろな機能が付いているので慣れてきたら少しずつ改良していきます。今日のぼそぼそはそのテストです。
最後の目的地がミラノ午前中はドゥオーモを中心とした市内観光。聖マリア像の立つ尖塔まで108mという壮大な大聖堂。中へ入るとその広さが一層強調され、ここに奈良の大仏さんをもってきたら、きっと小さく見えるんじゃないかと思うくらい。昼食は各自でというので、近くのレストランでリゾット。あまりうまくなかった。午後はアンブロジアーナとブレラ美術かをまわる。ここで、ピエロ・デイア・フランティスカのモンテフェルトロの聖母子、そしてカラヴァッジョの「エオマの晩餐」を見る。カラヴァッジョに始まりカラヴァッジョで終わったイタリア旅行でした。
プラートを朝早く発ってヴェニスについたのが10時半。ヴェニスはどこを見ても絵になります。赤い壁、壁のはがれたあとに姿を見せる煉瓦積み、白い窓枠、美しいカーブを描いた連続したアーチ、ゴンドラと運河。しかし絵を描く時間はなし。ガラス工場を見学したわずかな時間にちょっとだけ。あとは絵に描きたいところを写真にとるのが精一杯。ところが、サンマルコ広場でガイドさんが説明をしているとき、後を向いてサン・ジョルジョ・マジョーレ教会の写真をとっていたところ、いつの間にかみんなの姿が消えてしまいました。迷子です。慌ててあちこち探し回って、ようやくドゥカーレ宮殿に入ったことがわかりあとを追いました。35年前ヴァチカン宮殿で同じように団体にはぐれたことを思い出してぞっとしました。ヴェニスもあわただしい観光。
ヴェニスからミラノへ向かう途中ベローナへ寄りました。「ロミオとジュリエット」の舞台。見たのはジュリエットのモデルとなった人の生家(?)。若者の落書きに埋め尽くされた壁ととって付けたような2階のバルコニー。それだけです。
左:この写真のためにおいてけぼり。
右:ここにロミオが登ったの!?!?
3時頃、待望ののフィレンツ エへ到着、といってもこの旅行に関する限り待望なんかしてませんでした。というのも滞在わずか数時間、ホテルは郊外のPlato(このプラートにも見たいものがあるんですが)、フィレンツエから行くには列車かバスに乗れなければ駄目、夜のフィレンツエも楽しめません。観光の最初はお決まりのミケランジェロ広場。ただ、フィレンツエの街全体を眺めるためだけにあるところ。そのあと小雨の中シニョーリ広場、ベッキオ橋を中心に1時間ほど現地のガイドさんの説明、時間が限られているため極めて簡略。ありがたかったのは、そのあとの自由時間にウフィッツイ美術館に入れたこと。最近は観光客が多く2、3時間は行列をして待たなければ入れないと、ガイドブックに書いてあったので、ほぼ諦めていたんですが、なんと全く行列もなく、呆気ないほどスット入れました。あこがれていたフィリッポ・リッピの絵にも会えました。でも、フィレンツエにはドナッテロの彫刻(ダビデが見たいよ!)をはじめ山ほど見たいものがあり、何か宝の山に入りながら空しく帰ってきてしまったような気がします。
雨のフィレンツェ
ローマを朝6時にバスで出発(また5時起き)。4時間かけてピサに到着。昼食までの1時間ちょっとの自由時間、斜塔や大聖堂は外からちらっと眺めるだけにして、カンポサント(Camposanto)に飛び込み「死の勝利」などのフレスコ画をみる。第2次世界大戦でめちゃめちゃに破壊されたカンポサンポの写真をみたことがあるので、ここまできちんと修復したエネルギーに敬服(焼け落ちた金閣寺の再建と同じか・・)。そこを出たあとすぐに道をはさんで向かい側のシノーピア美術館に飛び込む。なんと今見てきたばかりの「死の勝利」のシノピアがあるではないか(・・なあーんて、あることは知っていたけど、実際に見るとやっぱり感激)。乾いた下地の漆喰の上に新たに漆喰を塗って、それが乾かないうちに顔料で絵を描く。それがフレスコ画だけど、その上層部と下地とをどんな技術で剥がしていくのか? これまた感服。昼食後ピサをあとにするころ小雨がぱらつきはじめました。
「死の勝利」のフレスコ画
2002/4/12、イタリア紀行(1)伊丹→羽田→ロンドン→ミラノ(1泊寝るだけ、4時45分起床)→ローマ。家を出てからローマに着くまで35時間。格安だとこういうことになる。ローマでは一日半かけて絵を観に三つの美術館と二つの教会へ行きました。特にボルゲーゼ美術館の予約が取れたのは観光シーズンでなかったせいか幸せ。それにしても、美術館に入るのに予約がいるなんてはじめて、それに見学時間も2時間で入れ替え制。まるで映画館みたい。展示内容にちょっと差があるとはいえバルベリーニやパンフィーリ美術館はわりと閑散としていて落ち着いて観られるのに、それに教会にある絵を観るのはただですものね。
それにしても、ローマ(フィレンツエやヴェニスもそうですが)街の様子は35年前とほとんど変わっていませんでした。もっとも私の記憶もあやしいですが、印象としてはそうでした。ただ、観光客が4月の初めにもかかわらず多いのには驚き、スペイン広場など人で埋っていました。観光シーズンになったらどうなるだろうと恐ろしいくらい。それに、車の多いのも大阪、東京以上。道路の両側は完全に駐車場。しかも縦列駐車でその間隔も3、40cmあればいいほう。どうやって入れたり出したりするのか不思議です。(写真はボルゲーゼ美術館の裏庭)
イタリアへ行ってきました。かねてからイタリアへ行きたいと言っていたのを聞いていた妻が格安のツアーを見つけてこれに行こうと決めたものです。「イタリアハイライト8日間(129、800円)」。8日間と行っても実質は5日、その間にローマ、ピサ、フィレンツェ、ベニス、ベローナ、ミラノ、それにオプションに参加すればナポリとポンペイ、そしてコモ湖が追加される。「ハイライト」とはまさに言いえて妙。でも、これは私の考えていたイタリア旅行とは違い、この旅行に何を期待したらよいのか戸惑いました。結局、ローマに2日間滞在しオプションに参加しなければ、1日半の自由時間がある点だけが取り柄でしたので、今回は「カラヴァジョを訪ねて」をテーマにし、あとはスケッチが何枚か描けたらよしとしようと決めました。さて、その結果は
今まで使っていた(今も使っているんですが^^;)Macは6年前に買ったPerforma6310。その間にOSはどんどんバージョンアップ。そしてついにOS X。液晶とG4というのが分からないなりにも何か魅力で、ついにNew iMac を買ってしまいました。20日にマシンが届いたらそのすぐ後に2万円のアップ。何か得したようでニコニコしています。ところがOSX全く違うんですね。このホームページも新しいMacに移してと思っているんですが、どうもうまくいきません。まあ、この3月で完全無職になるので、ゆっくり移しますか。でもひょっとしたらはじめから作り直さなければならなくなるかもしれませんね。それにしても、Macっていいですね。
ここ1、2年、家でも職場でも人に「こうしたらどう?」「こうしなさい」と何か指示しながら、言ったそばから「まあ、どっちでもいいけど」と、すぐ付け足してしまうことがよくあります。口癖になったみたい。これって無責任ですよね。でも、何故かそう言う気分になってしまうんです。歳のせいかな? この世の中に絶対こうしなければならないなんてことないんですよね。よっぽどトンでもない悪いことでない限りそこそここの世の中は成立っていくんだと思います。最近これは大変なことだというある事件(事件とは言えないかな?)身近にあったんですが、結局どうってことなしに、まあうやむやに終わってしまいそうなんです。「まあ、どっちでもいいけど」
今度はカラヴァジョ展。これが観たくて先日、愛知の岡崎市まで1万円以上の交通費を使って行ってしまいました。それにしても岡崎市美術博物館(何故、美術館ではなく美術博物館なんでしょう?)って不便なところにあるんですね。名鉄の東岡崎駅からバスで約30分、それれも、1時間に1便しかない。1時間に1便の帰りのバスの時間をを気にしながら観るのって・・・。
と、まず開催場所にケチをつけましたが、カラヴァジョ展そのものはまずまず満足。やはり画集とは違って迫力があります。カラヴァジョ以外のいわゆるカラヴァジ エスキの画家たちの作品が30点ほどありましたが、それらがあったために余計カラヴァジョの絵が引き立ったように思います。何事も比べられるというのは恐ろしいことですね。1万円、ちょっと高かったようにも思いますが、まあいいでしょう。でも、わざわざ岡崎まで行かなくてもひょっとすると京都あたりに来るかもしれません。まあ、その時はもう一度観る機会が与えられたんだと、喜んでまた観に行きましょう。2002/2/1、シエナ、行ってみたいヨ!
新しい年になってもう一ヵ月。気がついたらこのコーナーに三か月近くご無沙汰(いつものことじゃないかと、言われればそれまで、ハイ)。
私の第二のお勤めも後二か月。その後はいよいよ本格的なフリー。そこで、最近ルネッサンスにはまり込んでいる私としてはこの際ぜひイタリアに行ってみたいと思っているところです。ちょうどそんな時京都でシエナ展をやっているというのを聞いて、さっそく友人と行ってみました。よかったです。去年の暮れぐらいからフィレンツェのことばかり考えていましたが、シエナ展をみてから俄然シエナに行きたくなりました。今年は是非このコーナーでシエナのことをことをほうこくできるようになりたいものです。
ページのトップに戻る
2001/11/11、商魂逞しき「マネ展」
2001/10/9、長いご無沙汰
2001/7/19、水戸旅行
2001/6/4、篆刻か水彩画か俳句か
2001/4/8、椿
2001/3/21、2年経ちました
2001/2/9、俳句
2001/1/3、ついに21世紀
2001/11/11、商魂逞しき「マネ展」
奈良の県立美術館で「マネ展」を開催しています。マネには少なからず興味をもっていたので、大いに期待をして観に行きました。入場料1 、200円もそれほど気になりませんでした。ところが、中に入ってびっくり、部屋の正面にポスターになっていた、有名な「笛を吹く少年」が1枚デンっと展示されていただけ、後は観るべきものなにもなし。「草上の食事」も模写、「オランピア」を始め有名な絵は原画を元にしたエッチングばかり。観ているうちにだんだん腹が立ってきて、美術館を出るときには完全にだまされたという気分。県立の美術館があんな企画をするもんですかね???2001/10/9、長いご無沙汰
なんとまア!3ヵ月近くもご無沙汰してしまった。その間に暑い夏も過ぎ、秋も深まり、そして今私の六十路半ばの誕生日が間近に迫っています。でも、このコーナーにはご無沙汰でしたが、水彩画Galleryはほぼ毎週、俳句の部屋は月に1、2度更新してました ヨ。ただ、このコーナーに向かうと何となく構えてしまって、書きかけてはやめてしまうことが時々あるんです。もっと気楽に考えて書くことにします。
ところで、この3ヵ月近く平々凡々と過ごしていたのかというと、そんなことはないとも思い、そうであるようなきもします。この年になると(この表現は、老いたということではなく、今後「生きている時間」が今まで「生きてきた時間」の1/10を切ったであろうと確信するということです。)どんなことでも、そう大したことには思えなくなってくるものです。それに、あの同時多発テロなど起きると、日本の片隅であと数年間しか生きない私のすることなど、塵一つにもなりません。かって私が「時間の流れ」に書いたような、年をとってからも喜び、悲しみ、感動する生き方などできそうにもありません。それでいいのか、悪いのかそれを考えるのも面倒臭くなります。(これ、やっぱり年老いたということかな??)2001/7/19、水戸旅行
6月は前半福井へ後半の23日からは水戸のボランティア学会にいってきました。今のボランティア関連の仕事も今年度で終わりなのでどうしようかなと迷ったのですが、ひとりで旅行もしてみたかったので、スケッチ旅行もかねて出かけました。ところが予想以上に興味ある学会でした。一昨年の奈良での学会は胃を手術した直後だったので、体調が悪買ったのですが今度は良好。これからのボランティアの姿をちょっと勉強してきました。水戸でのスケッチを「水彩画Gallery」に載せました。2001/6/4、篆刻か水彩画か俳句か
あっと言う間に二ヶ月たってしまいました。余生が二ヶ月減ったわけですね。
今、篆刻の作品展開催中です。二点出品の決まりですが今年は一点しか出品できませんでした。篆刻コーナーに載せているので是非ご覧下さい。
ところで、篆刻と水彩画と俳句・・・どれも面白く、どれも難しい。一つにしぼればもっとまともなものが・・と思うのですが、才能の限界もあり、そう簡単に上達はしないでしょう。それにどれも捨て難い魅力をもっていて捨てられません。経験年数では篆刻が一番長く、俳句が一番浅い。作品の出来もその順かなと自分では思っています。昨日、会食の席で「君の作品、5年ぐらい前から変わってきたね」と言われました。自分ではよく分かりませんがどうでしょう? 水彩画も俳句も、よい意味で早くそう言われたいです。2001/4/8、椿
先日、五色椿で有名な奈良の白毫寺に行ってきました。境内には五色椿だけでなく様々な椿が花をつけていました。今は桜の季節。お花見や夜桜見物が新聞の記事になるほど。たしかに満開の桜はみごとには違いないけど、あの集団で咲きそろい、そして一緒に散っていくのがどうも好きになれません。まだ梅の方が香りもあり艶っぽく好きです『艶なるや紅梅夜半の雨に濡れ』。でも一輪々々自己を主張するように咲き、ポトンと落ちていく椿 が何ともいえず好きです。
2、3日前に私の職場の机の上に、ある方がピンクの八重椿を一枝一輪挿しに生けてくれました。一輪は大きく咲き、別にもう一輪が咲きかけ、そして大きくふくらんでいるつぼみが一つ。しばらくして咲きかけの一輪が一点の汚れもなく美しいピンクで見事に咲きました。その時先に咲いていた一輪には茶色っぽいしみが出てきていました。翌日そのしみはますます広がってきたので、もう花を摘みとろうかと思ったのですがそのうち落ちるだろうとそっとしておきました。ところがその後、後から咲いた一輪、まだ全く色の代わっていないその一輪が私の見ている目の前で、触りもしないのにポトンと机の上に落ちてしまいました。あまりきれいなのでそのまま花瓶の横に私の方に向けておいてあります。今度見るときはもうしおれているでしょうね。半分以上茶色に色変わりをした方はまだ落ちないでいるのだろうか?2001/3/21、2年経ちました
胃癌の摘出手術をして、2年経ちました。先週2年目の検診ということで、超音波(エコー)と胃カメラの検査をしました。血液検査は3ヵ月ごとぐらいにしています。結果は特に異常なしとのこと。日常の食事の具合もまあまあというところ。以前の3分の2ぐらいは食べられるようになりました。ダンピングという低血糖症状も以前ほどは起きなくなりました。とはいうものの、異常なしといわれて「ヤッター、よかった!\(^o^)/」という気分には素直になれません。
「とにかく2年は過ぎたか・・」2001/2/9、俳句
1年程前ホームページに「俳句の部屋」を作ったとき、まあそう長続きはしないだろうと思っていたんですが、去年の夏ぐらいに、ある人がS句会に不在出句という形で出してくれてから、だんだん興味が出てきて、去年の12月には別のK句会に顔を出すようになってしまいました。やって見ると、なかなか面白いものですね。まだ初歩の見ていただくには恥ずかしいものばかりですが、俳句に関心のある方は一度見てみてください。ご指導もお願いします。皆さん、明けましておめでとうございます。とうとう21世紀になりましたネ。と言ってもどうということはないんですが、新しい世紀に入ったという喜びと希望なんて言う気はサラサラおきません。何となく感じるのは、ああ、20世紀とともに私の人生も終わったのかなという感じ。暖炉の薪が赤々と炎を揺らめかせて燃えていた(そんな勢いのよいものでもなかったけど)、その炎が消え、薪は炭火となっ9て残り、今は白い灰を表面にまとい中でしずかに燃え尽きるのを待っている。まだ触れば熱いけど、暖炉を更に暖めるほどの火力はない。そんな感じ。これもなかなか悪くない気分ですヨ。残り少なくなった薪(今は薪を採りに行くのものも面倒)を暖炉にくべながらそんなふうに思いました。こうして、HPを更新したりしているのは、まとわりついた灰を自分でふるい落としているのかも知れませんネ
2000/11/25、中学の同窓会
先週、中学校の同窓会に出席しました。特に出席したくてたまらないというわけではなかたんですが、ほかにも東京へ行きたいことがあったので出席してみました。すると「はるばる奈良からかけつけてくれた・・」「遠く奈良からきてくれた・・」と大変なあつかい。文字どおり我々の中学時代ならともかく、交通機関の発達した今奈良と東京などどうということもないんだけど、東京にずっといる人達には、奈良は遠いんでしょうね。
それにしても、60を過ぎた者たちの中学校の同窓会というのも、何か不思議な雰囲気をもっていますね。同じ机を並べ勉強し遊んだ者たちが、それから約半世紀それぞれ違った人生を歩み、ほぼ行き着き、先が見えたところでまた集まる。おそらく担任の先生方にとっては感慨深いものがあろうと思う(自分もそんな立場になりつつあるから)、でも友達同士ではそれがどうだというのか、少なくとも私にはあまり興味がわきません。2000/10/25、長久手の町
23日愛知県の長久手に行ってきました。長久手町の「森のホール」で知りあいが出るコンサートを聴きにいくということもあったのですが、かつて授業で「小牧・長久手の戦いが・・」どうのこうのと教えていながら長久手がどんな所か全く知らなかったので行って見たかったんです。知らない町の一人旅というの好きです。昔、高校大学のころからよく一人で出かけていました。ところで、長久手町ですが、やはり「長久手の合戦」が町の売り物。合戦のあった場所を縮景(こんな言葉始めて聞きましたが)にして古戦場公園にし、郷土資料館などはパノラマのテープによる解説があるかと思えば、そばでビデオが絶えず長久手の合戦の説明をしています。1854年4月9日のたった一日の出来事への町の力の入れよう、感心しました。でも、町そのものは「森のホール」をはじめなかなか洒落た家が多くて素敵な町でした。2000/10/15、新しい補聴器
ギリシャの旅行紀三日目以降は省略。後は水彩画Galleryを見てください。
ところで、先日補聴器を新しいのに換えました。私の難聴は遺伝的なものもあるようですが、気がついたのは40代後半、授業で私の質問に答える生徒の声が聞きにくくなったのがはじめ。後の方にいる生徒の答えに「もっと大きな声で答えないと前の者に聞こえないぞ」といったら一番前の生徒が「先生、聞こえますよ」 ???これはおかしい? ということで、病院で調べたら聴覚神経の老化だとのこと。
それから補聴器を替えること4回目。今までのは小さく耳の穴の中に入ってしまうので見えにくかったけど、もう限界、ついに外から見える大きなものになってしまいました、でもこの方が話す相手が私の耳の悪いことが分かって、かえって都合がよいのかもしれません。もう格好を気にする歳でもないか。
たしかによく聞こえるようになりました。
そこで俳句、いや川柳を一句、-- 補聴器を替えて吾が屁に驚きぬ (~e~;2000/10/5、ギリシャスケッチ旅行(2)
二日目はミノコス島。真っ白い家々に青い窓。まさにこれぞエーゲ海の島という感じ。でもちょっと出来過ぎ。テーマパークのパビリオンみたい。それもそのはず建築規制があって壁は白、窓は青と決められ、おまけに年に3回ぐらい化粧直しをするらしく、おかげでいずれも、いつもご清潔な純白と青ペンキの塗り立て。デコボコのキズだらけの車に平気で乗っているギリシャ人が?と思いますが、これも観光客誘致のため。でも、少し汚れた壁に、所々蔦が絡まり、色のあせた窓枠に、瓦1、2枚がずれている屋根、なんてーのが趣があっていいんじゃない?とは言うものの、迷路のようなミコノスタウンの街中、今は使われていない風車小屋、沈む夕日にエーゲ海、やはりわるくないですね。
2000/10/4、ギリシャスケッチ旅行(1)
9月の末にギリシャに行ってきました。一応スケッチ旅行ということになっていたのですが、あちこち見たいところがあって、あまりスケッチはできませんでした。
まず、関西空港からパリ経由でアテネまで、パリでの乗り継ぎ1時間を含めて約17時間、これがまずこたえました。
一日目はアテネ。30数年前来たときにアクロポリスの丘へ登ったので今回は丘の回りを一人でぶらつきました。ちょうど日曜日で古代アゴラの北側で市が開かれ、道端にずらりとシートを敷いてガラクタを並べていました。冷やかし半分に見て回っていたらダブルのスーツ(夏物、綿か?)があったのでちょっと着てみたら、これがぴったり。値を訊ねたら2000ドラクマという。日本円に換算したらなんと約600円。外国では必ず値切って買い物をするのに、この時ばかりは値切るのを忘れて買ってしまいました。今回の旅行の第一の収穫か?2000/8/24、夢舞台
淡路の花博に行ってきました。花博そのものにはあまり関心はなかったのですが、安藤忠雄設計の「夢舞台」は花博の始まる前から興味がありました。見た感想..スゴイ! ウラヤマシイ! ハラガタツ! シカタガナイ!・・・イイナ!! ナンテワタシハチッポケナノ! デモイイモノミラレテヨカッタナ! と、まあそんなわけで、素晴しい空間の中にいることに幸せを感じて帰ってきました。2000/8/6、暑いですね
あれあれ、また一ヵ月過ぎてしまいました。暑いですね。体重が減って54キロになってしまいました。一応、健康そうには見えるんですが、果たしてどうなんでしょうね。今月末にCTの検査をすることになっています。胃癌手術後の5年生存率は病院によってかなりの差があると新聞に出てましたが、わたしの病院はどんなものか(主治医は手術後70%だといっていましたが・・)?でも、統計的に80%であろうが50%であろうが、私個人にとっては生きているか死ぬかのどちらかしかありません。70%生きているなんてことは意味がないことですから。2000/6/20、生放送に出演
私の声が電波に乗ったなどと言うと大層に聞こえるけど、今日「ならどっとFM」というコミュニティーラジオの「ふれあいトーク」という番組にゲストとして招かれました。放送のマイクの前に座るなど、学校の校内放送以外経験がないのでちょっと心配していましたが、狭い地域だけのローカル放送など聞く人もあまりないだろう(放送局の方、失礼)と気楽に考えて出させてもらいました。ところが終わってから、まだ職場に帰りつくまでに悪友から早速ひやかしの電話がかかってきました。聞いてる人いるんだな、とちょっとびっくりしました。
でも、よく考えてみると、ラジオでもテレビでもこうしたローカルなものがもっともっと育って、多くの人達が聞くようになることが、真の市民社会を成立させるのに必要なことではないかなと思います。
ところで、今回の放送生なので自分の声や話ぶり、決していいものじゃないことはよく分かっているんですが、自分で聞けないのが残念です。2000/6/14、篆刻
ふと気がついたら、この「ぼそぼそ」また一ヵ月経っていました。その間何をやっていたかというと、主に篆刻。昨年白朱展の出品を辞退したこともあり、ここ1、2年は篆刻からご無沙汰。ところが今年の白朱展の案内がきてから、今年は何としてでも一点は出品しなければと思い、今までより少し早めに準備に取りかかりました。いつも時間がかかる釈文の選択が比較的早く決まったので、それ以後の制作過程を「孤蓬流篆刻教室」としてこのHPに載せてみました。その代わり水彩画は毎週の教室の作品だけ、俳句はこの一ヵ月全くのスランプ。どうしてこうむらがあるんでしょうね。2000/5/12、また入院
胃癌の手術をしてからちょうど1年、今度は痔核の治療で2週間程入院しました。(下の話で失礼)痔は胃癌のように命に関わることはないけど、日常生活での不快感(不愉快さ)は並大抵のものじゃない。実は30年ほど前にも一度名医の評判の高い病院で切っているんです。その時あまりにも簡単で全く痛くなく、3、4日で退院したので、今度も気軽に考えて行ったんですが、2週間の入院が必要だと言われてびっくり。手術も2時間以上かかって、切っているところは麻酔で痛くないのに、ずっと同じ姿勢をしていたので腰が痛くなって辛かったです。まあ、30年前とは医術も発達し手術の仕方も変わって、より確実な治療になっているのだろうから、と思ってもみたのですが、もうこの歳では30年間もった前回の処置より確実な治療をしても意味ないなという気もします。
例の「青いターバンの少女」を観てきました。新聞社の宣伝が派手であまり観に行く気がしなかったのですが、子どもが招待券を2枚もらったから行こうというので、でかけました。会場には35点の絵が並んでいましたが、観るべきものはフェルメールの4点のみ、もっと厳密にいえば「青いターバンの少女」だけ。これはよかった。想像していた以上によかった。絵の前に立ったとたん動きたくなくなったほどです。他の34点とは全く違った描き方です。光と陰の扱い、筆のタッチの具合など19世紀の絵画に近いんじゃないかなと思います。最近画集を買ったリャドの肖像画を思い出しました。
2000/4/9、桜は咲いたが・・
今、奈良の町中は桜が満開。佐保川堤も近所の公園も。きれいです見事です。でも、私は何故か梅や椿のほうがすきです。桜を見るといつも10数年前、高校の一教員から教育委員会に転勤になったときのことを思い出します。26年間のんびりと勤めていた教員生活から突然指導係長という激務。年度始めですることが山のよう。しかもやったことのない仕事ばかり。毎日9時前後まで一人で残業。おまけに、妻が盲腸で入院、子どもは小学生。仕事を終えて(正確に言えば途中でやめて)帰るとき、役所の横の桜並木が満開なのを見て、なんでこんなとき人の気も知らないで派手に咲いてるんだと、恨めしく思いました。今思うと懐かしいです。それから定年退職するまでの8年間が私の人生でもっとも面白かった時期かな。2000/3/2、手術一年目の検査
ひょんなことから癌が見つかり、手術をして1年、先週は胃カメラを飲み、今日はエコーで検査。とりあえず特に異常はないとのこと。再発する場合は1年未満が多いと聞きましたが、そんなのは単に統計上のことで私には何の気休めにもならないし、また今はそんなことはどうでもいいような心境です。癌が見つかって胃を切ってからというもの、何か生きていくという意味が変わってしまったように思います。どう表現したらよいのか難しいですが、誤解を恐れず一言分かり安い言葉でいうならば「面倒臭くなった」という気分。絵を描いたり、碁を打ったり、最近は俳句を詠んだりと、することは沢山あるし、それぞれ面白いけど、何かもう一つノラないという感じです。こんな状態いつまでも続くんでしょうかね??2000/2/12、山折哲雄氏の講演を聴く(21世紀を考える会)
「21世紀を考える会」の5回目の講演会に山折哲雄氏を迎えることができました。「今を生きるー心の教育ー」と題して、美空ひばりの生き方から始まり、日本人の心の底に流れるもの、そして更に普遍的な人間の在り方について、久しぶりによい話を聴かせてもらいました。教育現場を離れてからあまり人の話を聴く機会がないので「21世紀を考える会」は自分たちで企画しながらも、毎回どんな話をしてくれるのか楽しみです。ちなみに今までの講演会を紹介しますと、
第1回「老後の生き甲斐」講師・薬師寺副住職安田暎胤師
第2回「輝かしい老後をー行基の活動と福祉ー」講師・東大寺長老狭川宗玄師
第3回「空ーさわやかな老後ー」講師・薬師寺副執事長村上太胤師
第4回「今日このごろ思うことー人間についてー」講師・東大寺長老狭川宗玄師
となり、ご覧のとおり高齢者向けの宗教関係の方ばかりのお話しでしたので、それはそれなりに面白い、いい話を聴かせてくれるのですが、今回は(山折先生も宗教学者ですが)ちょっと雰囲気の違ったよい講演会でした。2000/2/6、健康診断
胃癌発見のきっかけとなったあの定期健診から早1年。胃の調子、完全では勿論ないけど、まずまずというところ。ところで今年もその健診を受けました。今度は何が飛び出すやら・・と思って結果を待ちましたが、検査結果は以前とほぼ同じ。コレステロールが高くて、赤血球がやや少なく血圧が低い。
総合所見には「高脂血症です。食事制限と適度な運動が必要です。」とありましたが、食事制限はいやでもせざるを得ないし、運動も車にのらないから、毎日1時間ぐらいは歩かないわけにはいきません。これコンピュータの判定みたい。主治医には以前から総コレステロール(240、基準130〜220)が高くても、HDLコレステロールいわゆる善玉コレステロール(99、基準35〜70)が高いから問題ないといわれています。でもこれにも納得できないところがあるんです。HDLは高いほうがいいのだというなら、なぜ基準値に上限があるんでしょうね? まあ、どちらにしてもあまり気にもしていないし、それに健康的な生活に心がけているなど、とてもじゃないけどいえません。それじゃ何故健診を受けるのと言われそうですが、良い悪いは別にして自分の身体の状態を知っていたいと思うだけです。
皆さん、あけましておめでとうございます。本年もよろしくCohohのHPをごひいきの程お願いします。
ところで、水彩画Galleryに「リャドのページ」を設けましたが、リャドの技法と色づかいは素人にはさっぱり分かりませんが、一つだけ大晦日の晩に発見しました。発見なんていってもプロには分かりきったことなんでしょうが、素人がいろいろ試してできたときは嬉しいものです。小学生が簡単な理科の実験に成功して喜んでいるようなものかな。
右図の空の表現。これを見つけたんです。沈殿する重い絵の具(例えばセルリアンブルーやフレンチウルトラマリンなど)をたっぷりした水で溶いて紙の上に水溜まりを作るようにぬるんですね。
絵の具って面白いですね。大阪の「いずみホール」でアワダジン・プラットのピアノを聴きました。びっくりしました。低い四角の椅子にしゃがむように座り大きな手で目の前の鍵盤を飛び跳ねるように、震えるようにまた撫でるようにして、響かせる音は、これがピアノの音だろうかと思うほど柔らかく繊細で美しいものでした。それはあきらかにプラットの音であり音楽でした。演奏曲目はギボンズの「イタリアのグラウンド」から始まり、J.S.バッハ、ベートーヴェン、休憩をはさんでリストなんですが、私はギボンズという作曲家は勿論「イタリアのグラウンド」という曲も全然知りませんでした。それで、恥ずかしいことにいつJ.S.バッハに移ったのか分かりませんでした。バッハもベートーヴェンもリストも彼の手にかかるとたちまちプラットの音楽に変身してしまうような気がします。
これはもう一度聴いてみたいと、売店でCDを買ったら、帰りにサインをしてくれました。毎週水曜の大学への行き帰り奈良公園を散歩することが多いのですが、今は紅葉の赤、黄、茶色が常緑樹の緑とまじって美しく、絵に描いてみたいという気を起こさせます。10日は、ちょっと足を延ばして何年ぶりかで新薬師寺へ行ってみました。新薬師寺もその周辺もそれほど昔と変わっていないように思います。奈良時代の十二神将は一体一体個性をもち、すごい迫力で迫ってきます。唐招提寺の木像がいつのまにかどこかにしまわれ、中宮寺の弥勒菩薩もガラスに囲われてしまった今、これだけの仏像を間近かで拝めるのは嬉しいことです。(でも、いつまでつづきますか?)
先々週から例年の「特別活動の研究」の講義が始まりました。今日でまず一クラスが終了。学習指導要領が改訂になり、講義の内容も去年のままではいかなくなって勉強のし直し。もうそろそろ辞退したほうがよいのかなとも思いますが、話をすること自体は楽しいし、特活の重要性を少しでも学生に認識してもらいたい気もあるので、もう少し頑張ろうか
蜷川演出の王女メディアを観た。嵐徳三郎のメディアよし、辻村寿三郎の衣装よし、役者の動きもよく訓練されていてすきがない。でも何かアンバランスでもう一つまとまりがない。効果の音楽のせいか、嵐徳三郎の歌舞伎的発声と他の役者の新劇的発声のせいか。7月に観たギリシャ国立劇場の極めて単純化され象徴化されたメディアと比べて、確かに興味深いが、果たしてどちらが優れているのか?どちらももう一度観てみたいと思わない点では一致している。
昨日スペイン国立バレエ団の公演をフェスティバルホールで観てきました。ラベルのボレロをどう踊るのか楽しみにしていたのですが、期待した以上の素晴しさに感激しました。ボレロだけじゃなくすべてにです。あのリズムと激しい動きと緩やかな動きの調和。フラメンコに詳しくはないけど、おそらく超一流のものだと思います。やっぱり生きていたよかったなとしみじみ思いました。そして、こんなリズムと動きを色や線に表わして絵が描けたらなと思いながら、ふと、そこにピカソの絵に通ずるものがあるなと感じたりしました。
アクセス回数が1000回を突破しました。ありがとうございます。週平均20回ぐらいですか。今後とも宜しく。でも、最近更新するのは水彩画Galleryばかりで、申し訳ありません。これも私の悪い癖です。何かに夢中になるとそればっかり。かって碁に熱中したときは、毎週火曜日勤務が終わってから香芝の下田まで今はなき堀田老人(もとプロ棋士で、相手が強かろうが弱かろうが真剣に打ってくれました)に教わりにいき、普段はいつも脇に碁盤と碁石を置いて石を並べていました。篆刻に夢中になったときは碁のことなどすっかり忘れ、硯と紙と篆書の字典に囲まれていました。1年前はパソコンゲームのフリーセルにのめり込み、170連勝の記録をだしました(^-^)。そして、今は水彩画。もっとよい絵が描きたいのですが。篆刻がまあ何とか見られるようになるまで20年。とてもそんな時間はもう私にはないでしょう・・。まあ、もう少し頑張ってみますか。
ところで、1000回超えたんですが、感想を寄せていただく方が少ないのがちょっと寂しいです。ページのトップに戻る
皆さんお元気?暑いですね。もう少しの辛抱ですね。私の家にはクーラーが1台しかありません。このパソコンの置いてある部屋だけです。それもほとんどつけたことなし。食堂も居間も寝室もクーラーなし。今月の7日東京へ行ってホテルに泊まったときはほっとして良く眠りました。特別活動の研究集会に参加したのですが、ついでに2、3枚スケッチもしてきましたので、そのうち水彩画ギャラリーに載せますのでまた見て下さい。
私の体調まあまあです。食事の度に食べたものが胸につかえるので、この前胃カメラで検査のときに風船のようなもので胃の入口を膨らませてもらいました。本当に膨らんだのかどうか分かりませんが、ちょっとはましなような気がします。でも、この処置のしんどかったこと。胃カメラを抜いたとたんに何も入っていない胃袋がひっくり返るような吐き気を催して苦しみました。人間の身体って案外デリケートにできてるんですね。
梅雨があけ、本格的な夏がやってきましたが、皆さんお元気? 私は・・どうも・・
胃の手術をしてからもう4ヵ月以上たっているのに食べることがどうも調子にのりません。食欲がないというのか、何を食べてもうまくありません。以前は美味しいものを飲んだり食べたりしたら本当に生きている喜びを感じたものですが・・。暑いときに冷やしたそうめんなどつるつると食べたら美味しいのでしょうが、つるつると食べたらてきめんに胸につかえて、ゲエッと吐き出す始末。といってそうめんを口の中でぐちゅぐちゅかんで食べるなど、きもち悪いだけで美味しくもなんともありません。ビールなどもグッと一息に飲んで「ああ、幸せ!」とはならず、ちびちびとコップ一杯だけ。じゅじゅっと音がする焼たてのステーキの美味しさはどこへいったの?今までうまいと思っていたものがことごとくその美味しさを感じなくなってしまいました。 で、結局、最近美味しいと思ったのは、冷えた西瓜だったとは、なんとも情けない話です。好きなことして人生を楽しんできた私も、その楽しみの半分以上をなくしてしまったようです。そろそろ年貢の収め時かな。
4日の日曜日に大阪のフェスティバルホールにギリシャ国立劇場公演の「メディア」を観にいきました。字幕なしでわけの分からないギリシャ語でしたが台本を何回か読んでいったので、だいたいわかりました。日本語でも能や歌舞伎は最初に観た人は何を言っているのか分からないんじゃないかな。まあ、変わったスタイルの劇で一度は観てみるのもよいけど、二度はね?
ところがです。問題は芝居よりも私の体調。劇の中ほどで急に調子がおかしくなりました。身体が震え、めまいがしてきて、舞台のメディアが二重に見えてきた。メディアだけじゃなく登場人物のすべてがコピーアンドペーストしたみたい。うっかりしていました。食事をしてから2時間後はダンピング(血糖値の低下)が起きる時間なんです。慌てて飴をなめましたが、気分がよくなったころに劇は終わっていました。
5月の末、突然Macの電源が入らなくなりました。システムが立ち上がれば、フリーズしても、エラー表示が出ても(事実よく出ていましたが)なんとか動いてくれたんですが。電源が入らないのはどうしようもないので、NCRに1週間程入院させました。BackUpを全然とっていなかったので、このホームページも含めてデータがすべてパーになるかと心配していたんですが、2万円ほどで無事なおりほっとしています。でも、OSも古いし、HDも1ギガちょっとで小さいし、そろそろ買い換えかな?
5月10日大阪フェスティバルホールで小澤征爾のボストン交響楽団のコンサートに行ってきました。プログラムはR.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」と「死と変容」それにバルトークの「管弦楽のための協奏曲」でした。実を言うと小澤征爾の指揮をなまで聴いたのは今回が初めてでした。超有名なのは分かっているけど今まで機会がなかったので、どんなんかいなと思って聴きに行ったんですが、最初の「ドン・ファン」の出だしを聴いてこれはすごいとびっくりしました。音楽にあまり詳しくないし、聴く耳ももたない私でも分かるくらい素晴しい音でした。こんな演奏をしてくれたらR.シュトラウスも嬉しいだろうな、などと変な感想をもちました。普段コンサートではたいてい一度ぐらいは眠くなってウトウトするんですが今回ばかりは最後まで目はぱっちり。
胃の調子はまだ良くないけど、こんな音楽が聴けるのは幸せだなと、生きていることが嬉しくなりました(ちょっとオーバーかな?)。
手術の翌々日には歩いてトイレにいかせられました。暫く安静にしているよりは、できるだけ動いたほうが回復が速いんだそうです。手術の傷は約20センチですが、それとは別に傷の左右に2箇所お腹に穴があいてお腹のなかに管が入っているんです。その管を通して手術後の洗浄液の残りなどが出てくるんです。これが何とも不思議なんですが、おなかに穴があいていながら全然痛くないんです。傷の抜糸は手術1週間後でしたが、その管はもう暫くそのままでした。管を抜いた後は穴が開いたままで、自然と肉が盛り上がって穴がふさがるのを待つわけです。その穴がふさがったら、はい終わりというわけ。(あまり見て気持ちいいものじゃないけど抜糸前の傷見てみる?PIC)
大きな手術はしたことがないので、一度経験してみるのも悪くないかな、などと軽く考えていたけどやっぱりしんどいね。手術そのものは3時間弱かかったらしいんだけどその間全身麻酔で完全に眠っているので全く意識なし。ところが、手術が終わったとたん麻酔を覚まされ、耳もとで「手術は終わりましたよ、分かりますか」と大きな声で目を覚まさせるから、たまったものじゃない。でも、そうしないとそのままずっと眠って目が覚めなくなってしまうことがあるんだそう(本当かな)。目が覚めたらどっと痛みが押し寄せ七転八倒の苦しみ・・もっとも本当に七転八倒したらもっと痛いので、ただ「痛い」「痛い」と子どもみたいにだらしなく騒ぐだけ。翌日も一日痛かった。身体から6、7本の管が出て、SFによくある改造人間になったみたい。
8日に退院しました。まだ体調不十分で詳しく報告する気力がないので、一応退院したことだけお知らせしておきます。
やはり、切ることにしました。切ったら完全に治るとは勿論思っていませんが、このまま癌を抱えて、「俺は癌なんだ、もうじき死ぬんだ」などと言いながら、じゅくじゅく生きていくのは何かあまり格好よくないんじゃないかな。胃癌は手術後の生存率がいいとは聞いていますが、べつにそれを頼りに手術するわけでもないんです。癌になること自体、確率の低いはずれクジを引いたのですから、手術の後にもう一度はずれクジを引くことも覚悟してます。それより、大きな手術をする機会が与えられたんですから、一度どんなものか経験してみようかという好奇心のほうが強いです。それに手術後、胃がなくなったときの状況にもちょっと関心があります。一日6回の食事って、考えようによっては案外楽しいんじゃないかなと思ったりしています。とにかく今までの生活とは全く違った生活を経験することになりそう。人生限りがあるんですから、いろんな体験してみるのも悪くないんじゃないかな。
そんなわけで、3月3日から入院します。オーストラリアにいっている妻が帰ってくるのが8日。帰ってきたらさぞびっくりするだろうとは思いますが、知らせて早く帰ってきてもらったところで癌が治るわけではないんですから、まあ予定通り楽しんできてもらいましょう。
と言うことで、このホームページの更新はしばらくお休み。メールは見ますが、返事は出せないと思います。
検査の結果は、やっぱり癌だそうです。冗談じゃなく本当に「癌患者の手記」になりそう。医者が胃のフイルムを見ながら「食道のポリープは悪いものではないんですが・・・」と口を濁す。おやおや、何かあるなと思っていたら、「胃の方がだいぶ荒れていて、組織の検査の結果も必ずしも良性のものとはいえない結果がでています」ときた。なかなかうまい言い方があるもんだなと感心しながら聞いていました。手術することになるかもしれないので、どこか大きな病院で詳しく調べ治療を受けてくださいとのこと。そこで、かってお世話になった医師会のある方に相談したら、結局切除より他にないだろうという、それも胃の上部に病変があるので胃を全部とることになるかも知れないという。ありゃりゃ、大変なことになってきたぞと思う。
ところで、手術をしなければ後何年ぐらいもつのだろ?それを聞くのを忘れていました。もし、5年ぐらいもつんだったら、それで人生を終わってもいいかなという気もします。たとえ手術がうまくいっても、年齢を考えたらよくて10年、それだったら文字どおり五十歩百歩。これはちょっと考えてみる必要がありそう。
検診とか手術とか治療とか、意外と興味あるんです。自分の身体がどうなっているのか、それがどんなふうに変わっていくのか、ちょっと面白いじゃないですか。でも、苦しかったり気分の悪くなる検査はあまり嬉しくないです。バリウムを飲むくらいが限度かな。内視鏡はいけません。カメラが喉を通るときは一瞬ですからいいんですが、その後空気を入れるのか、胃がふくらんだりゲップが出そうになったり、これは辛い。そばにモニターがあってそれを見ながらあちこちカメラを動かしてるんだけど、せめてそれを患者の見える位置に置いてくれたら少しは苦しさもまぎれるのに。自分の胃の中なんだから、見せてくれてもいいのに。本当はものすごく見たかった。医者の頼めばよかったんですが、気がついたときはマウスピースをくわえさせられ、胃カメラがすでに突っ込まれているので何も喋られませんでした。ところで、検査結果は19日(金)です。
2月2日に受けた定期検診の結果が、8日(月)に届きました。食道にポリープの疑いがあるので内視鏡の精密検査を受けよですと!! やっぱり来るべきものが来たかな、という思いがします。40年近くもパイプ煙草を手放せず、あのモウモウたる煙を吸い続けていたんですから、遅かれ早かれ肺か胃に癌ができるであろうとは思っていました。まだ精密検査を受けてないので、癌かどうか分からないけど、どっちにしても似たようなもの、速いか遅いかの違いだけだと思います。
明日、精密検査を受けにいきます。ひょっとすると、この「ぼそぼそ、むにゃむにゃコーナー」は「ガンと共に人生を楽しもう」なんていう癌患者の手記になるかもしれないな、などとのんきに考えてます。
2年前定年退職とともに「英語留学センター」なるものを開設しました(ESACのページを参照)。ところが、ひょんなところから第2の職場に就職したため、センターのほうはまさに開店休業。PRもほとんどしないので、応募者なし。まあ、65才の2度目の定年になったらあちこち廻ろうかと考えていたところ、何と私の妻が「私行ってみようかしら」と言って1ケ月(4週間)のコースを申し込み、いそいそと出かけて行ってしまいました。
私自身、参加したことも見たこともない英語コースを紹介し、受講生を募るのに、ちょっと気が引けていたところなので、私に代わって実地見学に行ってくれたのだと内心喜んでいます。1999/1/27、「地球環境報告? 」石弘之著岩波新書を読んで
この本読みましたか。すごいですね。先日、「21世紀を考える会」を作ったといいましたが、このネーミングは、この本を読んだせいもあるんです。この地球どうなるんでしょうね。
この本を読んでまず感じたこと。今まで、いつ死んでもいいと思っていたんですが、できれば2020年まで生きていてこの地球の行く末を見てみたいなと思いました。ちょっと野次馬根性みたいで無責任のような気がしますが・・。でも、私たちの年代は、昔まさにこの世の終わりのようなひどい時代を生きてきたんです。また、20日もたってしまいました。「もう1月も終わりなのに、いつまでも『あけましておめでとう』では、うんざりだ。」とお叱りを受けそう。
ところで、「21世紀を考える会」講演会のポスター見ましたか。友人が「薬師寺の副住職さんに話しをしてほしいと頼んだら引き受けてくれたので講演会をやろう」ということになったんです。そして
「でも、主催が個人名ではかっこつかないね。」
「何かグループを作ろうよ。会員が増えれば交流も広まり、いい企画ができるんじゃない。」
「何ていう名前にしよう。」
「『21世紀を考える会』っていうのはどう?」
「ちょっと大きすぎないか?」
「大きくないよ。『創る会』とか『良くする会』とかじゃなくて、ただ『考える』だけなんだから、気楽にいける。それに何事もまず『考え』なければ先へ進まないだろ。」
「一分野に限定されなくて、いいかもしれないな。」
ということで会を作ったんですが、メンバーは現在二人。どなたか入ってやろうという方ございませんか。興味をもたれた方メールを下さい。新年明けまして、おめでとうございます。お越し下さる皆様、本年も時にはお寄り下さるよう、宜しくお願いします。先ほど新しく作ったページを確認する意味で、アクセスしましたところカウンターが200を表示していました。ありがとうございます。ただ、感想のメールが少ないのがちょっと淋しい気がします。すぐ書き込めるような欄を作ったらよいのですが、CGIについてまだよく分からないところがあるので、もう暫く作れそうにありません。どなたか教えていただけたらありがたいのですが。やはり、面倒くさがり屋というより、怠け者のせいか、このコーナ一ヵ月のご無沙汰でした。他のページは時々いじるんですが、文章を書くのはやっぱり面倒。でもe-mailの文章は形式張らずに書けて気が楽です(この文章だって気がるに書いててるじゃないかって、それもそうだね)。先週、友人に頼まれてアメリカのある財団に下手な英語でe-mailを出したら、ちょっとした私の間違いで、4、5回メールの交換がつづきました。それぞれ2、3行の短いメールですが、必ず一箇所は気の利いたユーモアのある部分があり楽しかったです。残念なのはそれに応える語学力が私にないということ。精一杯努力してみたけど、通じたかな?11月22日、北海道で開催された全国ボランティア研究集会に入ってきました。朝9時から「介護保険でボランティアの世界は変わる」の分科会、午後は「民間福祉サービスとボランティアの共存」、そして夜は「21世紀のボランタリズム」と丸一日みっちりと研修させていただきました。そこで感じたんですが、ボランティアには大きく分けて2種類あるような気がします。ひとつは、ひとのため、社会のために活動することが楽しくてしょうがないという人。もうひとつは、ボランティアをすることが自分の使命だと感じ、それに陶酔してしまっている人。後者の人達は確かに私にはできないことをしているし、していることは素晴しいことで、頭が下がるが、どうも、わたしの生き方とは波長が合わない。かつて、私は教師として教えることを楽しんだし、校長として学校経営を楽しんだ。教師として、校長としての使命感に燃えてということは、恥ずかしいけどありませんでした。(いい加減な生き方だったんですね。すいません。)
ところで、さすが北海道、寒いですね。寒さにふるえながら2、3枚スケッチしてきました。水彩画Galleryに載せますのでまた見てください。南フランスへスケッチ旅行に行ってきました。フランスではたった四日間の滞在で、ちょっと忙しかったけど、よかった。興奮と時差ぼけのせいか昨日今日と何かぼんやりとしてアクビばかりしています。落ち着いたらまた報告します。絵もとりあえず6枚だけ載せました。29日から南仏プロヴァンスに一週間ほどスケッチ旅行にいきます。実力不相応なところへ行くなと言われそうですが、行きたいところへ行き、描きたいものを描く方が腕が上がるんじゃないかと思っています。まあ、どんな絵が描けるか分かりませんが、掲載しますのでまた見てください。1998/10/16 ハンガリー国立歌劇場のオペラ『椿姫』を観た
ヴィオレッタ役のカタリン・ピッティ素晴しかった。舞台装置が移動式で、ちょっと豪華さに欠けたが、臨機応変に舞台転換できるため、1幕の後半をヴィオレッタの寝室にしたのがよかった。この状況をつくるために移動式の装置にしたのかと思ったくらい。画像が開けなかったのは私のささやかなミス。めでたくホームページ開設に漕ぎつけました。夕べ、アップロードに成功したのですが、画像がうまくいかなくて、夜中の2時までかかって結局駄目でした。元校長のコーナーを作っていたんですが、自分の書いた文章や喋ったことを、時間がたって改めて読んでみるほど照れ臭いものないですね。ぞっとして寒気がするほどです。それで暫くは「工事中」にすることにしました。ホームページを作り出して、もう2週間以上になります。勿論まだアップロードしてないのだから、だれも見る人は、今いない。さて、陽の目を見るのはいつのことやら?