京 街 道
伏見の船宿 『寺田屋』 から 枚方宿 『鍵屋』 へ
伏見桃山駅北の東西の道路が伏見城大手門通りである。駅の直ぐ東に『御香宮神宮』がある。
貞観4年(862)境内に香泉が涌き御香宮と名付けたという。
幕末の鳥羽伏見の戦では薩摩藩の陣営になり幕府軍と戦うが幸い戦火を免れた。
四辻の四つ当たり』                      東西南北どこから来ても行き当たるという町割りは、侵入してくる敵を捕えるためのもの。
私が育った田舎の地名が 『〇〇町四辻』なので、親しみを感じます。            


寺田屋 竜馬の遺品を眺めるM女史
寺田屋は船宿の一つで、ご存じの『寺田屋事件』であまりにも有名である。宿の横の寺田屋旧跡に「薩摩九烈士遺跡表」がある。

薩摩藩の尊王攘夷派有馬新七らが、藩主上洛を機に京都所司代襲撃を計画した。上洛した島津久光は寺田屋に奈良原喜八郎らを派遣して説得したが聞き容れられず、有馬ら6人が斬られ、2人が切腹した『寺田屋事件」の舞台である。

事件後に幕末に活躍した勤皇志士坂本竜馬が定宿とし、慶応2年(1866)幕吏に襲撃されたとき、女将のお登勢の機転で難を逃れた。


それは2月の寒い寒い日だった 記念館の大きな樽の前で
伏見と言えば先ず『酒』が浮ぶ。兵庫県の灘が辛口、伏見が甘口とも言われる。

寛永2年(1625)伏見奉行小堀遠州が酒造米を開発、江戸初期に最盛期を迎えたが、正徳5年(1715)の減醸令で衰退、酒造を続けたのは笠木屋(現大倉酒造)と鮒屋(現北川本店)の2軒という。

大倉記念館で、酒好きの仲間は利き酒に納得し、かなり買い込んだ者もいた。


ともかく寒さが厳しかったので、予約していた鳥料理の『鳥せい本店』に駈け込んだ。

カメラマンの小生が写っていないのが残念である。

「四辻の四つ当り」は、ここから近い。


“島の弁天さん”の名で親しまれている長建寺(真言宗)、元禄12年(1699)に当時の伏見奉行であった建部内匠守が創建した寺で、建部氏の長寿を願い長建寺とした。竜宮造りの山門が特徴で、山門を入ったすぐ左側に鐘楼がある。

大きな寺かと思っていたが、そうではない。或はそれが親しまれる所以かもしれない。


小雪交じりの道を 伏見から枚方まで歩きました。目的は『鍵屋』でしたが、改修中で見ることが出来ませんでした。 枚方宿、旅篭『鍵屋』のこの写真は、温知会仲間の中森 勝氏のホームページから拝借致しました。