浅慮 :弐:
太陽が中天を過ぎる頃。イノがシカクを発見したのは、結局パチンコ屋を三軒当たって着いたシカクの家であった。
「と、遠回りだったわー・・・」
シカクの家のインターホンから返ってきた彼の声に愛想良く応え、受話器を置かれた音を確認してから、げんなりしてイノは呟いた。
パチンコ屋の三軒目とシカクの家は、二軒目から同じくらいの距離であり、二軒目をあたってから一度迷って三軒目に行ったのだが、迷った上でハズレを引いていたと知ると無性に悔しい。
思わずわざわざ出迎えてくれたシカクを睨みそうになったが、それはそれ。
普段の挨拶は爽やか且つにこやかにこなすのが素敵なご近所付き合いの原則だ。
「おう、イノちゃん。久しぶりぃ〜」
「おじさま、お久しぶりですーvあの宴会以来ですねー」
「そうさな。まぁ上がんなよ」
「はい、ありがとうございますーv」
それも、今回の来訪には明確な目的があるので、いつもの3割増で愛想良い挨拶をしてみる。この成熟しきった大人にはあんまり頑張っても意味は無いだろうが、やらないよりは
心象がいい。
さくさくと家に上げてくれる家主に、勝手知ったる他人の家とばかりに遠慮なく上がりこむ。
「そういや、シカマルなら出かけてんぜー」
いいのかい?
「いいんですー今日はおじさまに用があって」
「ほー、嬉しいこった」
満更でもなさそうな笑顔で、シカクは居間に誘ってくれて、彼自身はそのまま台所の方へ向かっていく。
中に入ると、冬の間に入っていたコタツ布団が直されて座卓になっていた。自分の家のものよりも少し大きめの座卓のいつもの席―大抵は自分を挟んで両脇にシカマルとチョウジがいる―に陣取り、鍵付きのメモ帳とペンを取り出した。
忍が目に見える形で集めた情報を持ち歩くのはナンセンスだと解っていたが、これはちょっとした細工を仕掛けてあるもので、情報が漏洩する心配はない。
あれこれと用意していると、氷入りのお茶を2つ持ってシカクが入ってきた。珍しいことにストローまで付けるサービスっぷりだ。
またおばさまに怒られたのかしらー。そういえば、前に遊びに来た時も何もおもてなししてないってシカマルと一緒に怒られてたわねー・・・。
礼を言って、ありがたく頂きながらふと考える。走り回っていて体に篭った熱を、冷たいお茶が体の中から収めていく感じが気持ちよかった。
息子と父親の仲が、悪くても実は似たもの同士の家庭では、仲裁と制裁を下す母親の権限は大黒柱よりも遥かに上である。だからと言っては何だが、イノはシカマルの母・ヨシノととても仲が良い。掴むべきは一家の最高権力者なのだ。
実際、自分の我が侭(という自覚は昔からちゃんとあっても遠慮しようとは毛筋程も思わない)に、シカマルをどうしても付き合わせたい時、脅迫として使う内容の約半分はヨシノから貰った情報なのである。
まぁおじさまは喧嘩もお叱りも楽しんで受けてる感じだから、どっちもどっちなのよねー・・・寧ろ怒られるように持っていっている節もあるし、“構ってもらいたい子供現象”ってとこかしらー
それもおばさまは考慮していて、しかも本気になっていないみたいだし、流石だわー
恋人関係の男が相手なら、女にしてみれば正に“私はあんたの母親じゃないのよー!”とキレるところだろうが、結婚十何年目になればそんなところも達観してしまえるということか。
それで一見グータラな父子の手綱を見事に捌いているのだから、うっとりするくらい素敵である。
話が逸れた。
ストローで冷茶を半分くらいまで吸い上げながらそんなことを考えていたイノは、思考回路を元の目的に戻し、ほっと一息吐いてシカクに向き直った。
「そういや、何で俺なんだ?」
シカマルじゃなくて。
ずるずるとコップに直に口をつけて、ビールを飲むような勢いでぐいっとお茶を煽ったシカクは、人を揶揄うような目でイノを見て訊ねる。任務でもないのに完全な調査体勢を取っているのが面白いらしい。
基本的に事態を愉快な方向に転換してしまえる性質のシカクの視線は、生まれた頃からずっと知られているイノにとっては見慣れたものだ。
「おじさまみたいな大人なら、私の質問にも答えてくれると思って」
「へぇ、そりゃ何のことだい?」
「ちょっと悪めのステキなおじさまってコトですー☆」
「持ち上げてくれるじゃねぇか、何が聞きたいんだ?」
「この前会った・・・ううん、この前、私が“知った”暗部のユエのこと」
桜の中で成された出会いは、自分から彼に対する一方的なもので、あの暗部は自分が居た事を認識はしていただろうが、認知はしていないだろう。片方でしか成立していない出会いは出会いとは言わない。
だって、私はあの人に“会った”けど、あの人は私に会ってないものー
そんなのって虚しすぎる。だから、
「調べてどうすんだい」
「調べて、知って、追いかけて、捕まえて、私を知ってもらうのよー!」
ここ一ヵ月半で溜まりに溜まった思いをぶちまける。暗部相手に最後の二つは相当難しいことは知っている。更にその先に友人→恋人vなんていうときめきコースを野望にしているなんて、今の段階では言葉にすることすら憚られる状態なのも腹が立つほど承知している。それでも、力を尽くさない理由にはならないのだ。
始めの二週間はあの桜の元に通い詰めて、あの木が纏うチャクラや桜の種類とその周辺を調べた。次の一週間で桜の位置から里の外へ出る経路を調べ、始めの時に発見した、あの追われていた方の暗部の落し物について調べ、次の一週間で荒野や郊外から関所を通らない木の葉までの最短距離を調べ上げた。そしてつい昨日までの半月、木の葉図書館に入り浸っていた。
その間だって危険なことは山ほどあった。森では猛獣に襲われかけたし、荒野では他国の忍に遭遇しそうになった。木の葉の忍の任務中に出くわしそうになった事だってある。全部持ち前の逃げ足で逃げ切ったが、中々危ない橋を渡っている自覚はある。ただ、それでも命を掛けているつもりはさらさらなかった。
だって運命の人に会う前に自分自身が死んだら何の意味もないのだ。
花の命は短いって言うけど、私はまだ死ぬつもりなんてないわよー!
背後に荒波を背負い、男前な気迫でもって本音を内心で主張する。
「中々イイ根性だなぁ、イノちゃん」
心の声が聞こえていたのか、ククッと楽しげに笑いながら、シカクは大きな氷を一つ口に含み、ガリガリと噛み砕いて飲み込んだ。
何気ない動作であったが、噛んでる間は何かを思案している様子でイノの手元のメモ帳を見つめ、氷を飲み込みコップを置いた時には心が決まったのか真っ直ぐにこちらを見据えてきた。
「ようし、イノちゃん、大サービスだ。俺で練習させてやるよ」
「へ?・・・何をですかー?」
これからユエのことを問い詰めようとしていた所で、突然に出た「練習」という言葉に、ついつい別の意味で期待が高まってしまう。
シカクは狡猾だが、仲間が求めるものを伸ばした手に差し出すふりをして別の物を掴ませようとする程意地悪ではない。10年近くシカマルと幼馴染をしていて、同じくらいシカクを近くで見る機会もあったのだから、それくらいは解っているつもりだ。
「俺らみたいな仲間から、ある条件下で情報を引き出す練習だ」
「つまり――言っちゃいけないことを掴むヒントを得る練習ってことですか?」
「そうそう、イノイチから始めたんなら、もう条件は解るだろう?」
うわーパパに速攻で聞いたの、見透かされてるわー
バレバレ過ぎる自分の行動に苦味を覚えながら、メモ帳の前の方をぺらりと捲る。そこには大雑把に“パパ・・・ユエ=里の機密(?)・教えられない”とだけ書いてある。
「・・・はい、解ります」
つまり、直球の勝負はどんな角度からでも効かないということだ。
ユエの正体に直接絡む事は、何を聞いても無駄って事よねー・・・厄介だわー
「この後は誰のとこに行くんだ?」
「えーと、アンコさん、ゲンマさん、ハヤテさんのところにまず行ってー」
「チョウザのところは?」
「チョウザのおじさまは今日から明後日まで任務なんですー」
アンコさん、ゲンマさんは明後日から、ハヤテさんは明日の夜だけ任務なのよねー・・・
この情報を得るためにも、結構身を削る思いをしたのだが、そんなところで苦労を主張しても格好悪いから言わない。
だがシカクは言わなくても察したらしく、クナイを握る堅い掌で、ぽんぽんと頭を撫でられた。父にされるのと似ている柔らかい手つきに、ついうっかり気を抜いてしまいそうになる。
が、
「よ―――し、始めっかな」
練習役を買って出た男はそんな隙も与える間もなく、上機嫌でにやりと笑う。彼を追い込めるかもしれないという期待と緊張感に背筋をすっきりと伸ばし、イノは元気良く応じた。
「はいっ!お願いします!!」
数刻ほど走り続けただろうか。岩と砂の荒野の向こうに、蜃気楼のように聳え立つ関所が見えてくる。一行は当然のようにそこから迂回し、壁面を登ってサクサクと侵入した。
他里に侵入する場合、予測されていなければ入るのは容易いが、中に入ってからの動きが中々難しい。下手に動くと、脱出のルートが追っ手に塞がれてしまう可能性が高いからだ。隠密性強い今回のような任務なら、なるべく目立たず静かに効率的に素早く終わらせてとっとと
ずらかるのが上策である。
大名屋敷がある里の中心部から、少し離れた見晴らしのいい場所へ向かい、暗号解析情報探索研究部門――通称、解部から提出された情報から目標を割り出し、場所の見当を付けてその側まで走る。
そしていざ中へ――と逸る気を抑えながらそれぞれの動物面をつけた彼らが足を踏み出そうとした所で、徐に彼らの隊長が手を挙げて止めた。
「止まれ・・・結界だ」
丁度自分が足を止めた辺りの足元から頭上までずっと視線をやり、訝しげにこちらを見る部下たちを彼は振り返る。
黙ってこちらを伺い、次の指示を待つ部下たちをざっと見回し、内心小さく笑いながら背後の結界を示す。
「こいつは四方の媒体を使った自動再生型だ。承認されている人間にしか出入りできないようになっている。だから、こっちの4人は媒体を探して壊し、そっちの6人は中の奴等を出すから陽動しろ。俺は
侵入して巻物を奪取する」
「そんなっ隊長一人では危険ですッ!」
「危険はない、行け。――媒体は火遁の系列だ」
「「「はっ!」」」
一部反論の声を上げるも、部下たちはあっさりと声を揃えて了承の意を示し、瞬身で姿を消した。ユエは10の気配が遠ざかるのを確認し、数歩後退してクナイを出し、起爆符を柄に巻きつけて、軽い動作で遠い位置の結界へ放った。
ドォンッ!!
クナイが結界に接触した瞬間、結界の反応と起爆符の相乗効果で中々に派手な爆発が起こる。すると、爆音を聞きつけた屋敷内の警備らしい者達がわらわらと出て来るのが気配で伝わってきた。数瞬おいて、屋敷の正面辺りから金属を交わらせる音や術を行使する気配もした。順調に交戦が始まったらしい。
こちらに人が来る様子は、今のところ無い。
ユエはいくつかの印を組み、チャクラで覆った手で、決して結界が揺らがないようにそっと触れた。パチパチと小さな反発だけで排除するほどの力は無く、それも暫くすると彼自身のチャクラと溶け合うようにして消えた。
瞼を伏せて結界のチャクラと同調し、屋敷の内部を探ろうと気を研ぎ澄ませる。
――慌しく中を走り回る人々、奥のほうには護衛の男達に囲まれたこの屋敷の主と思しき恰幅の良い男。その男から何事かを命令されて一人の男が離れ――
「・・・見ぃつけた」
目標を探知できたことに小さく声を上げたが、結界に触れたままの彼の目元は険を放っている。逃げ出す大名に目標を持ち出される危険性を考えると、すぐにでも取りに行くのが普通だが――
彼は結界の中には踏み入らず、一度手を放して影分身を何体か作り、一体につき一枚の符を持たせて散らせた。次に結界と外との境界に一本、自分が立っている真後ろの木の幹に一本、近くの草むらに二本のクナイを投げ、漸く目の前の結界に向かいなおす。
先程感じ取ったチャクラの感覚を思い出しながら手を伸ばし、指先から結界に触れてゆっくりと足を踏み出し、中へと踏み込む。分厚い膜を突き破るような弾力を感じながら、ユエは誰にも気づかれぬうちに侵入を果たしたのだった。
「襲撃受けてるぞ!動ける奴は応戦に行け!」
「何か術みたいなの使ってたぞ、忍じゃないのか!?」
「どこの忍だよ!」
「黒いだけじゃわかんねぇよ!!」
「忍相手ならあの変な奴どこ行ったんだ!?」
「知らねぇよ、逃げたんじゃ・・・」
「俺だって逃げてぇー!」
相当混乱した様子の内部では、様々な怒鳴り声がそこかしこから聞こえてくる。慌しく動き回る者達の統制は全く取れておらず、逃げようとしたり金目のものを漁ろうとする者までいる始末だ。
外装は簡単には風化しない石造りだが、そういえば内装の壁は上質な木で出来ているし、燭台や廊下の端にある花瓶や一定の間隔で掛けてある絵画は相当高価なものばかりだ。
いくらか持って帰ったらうちの台所の火も落ち着くだろうか。
そんな火事場泥棒的な不穏なことを考えながら、外から感知していた巻物の置き場所まで瞬身で飛ぶと、降り立った直後、やたらギラギラした宝物庫らしい部屋の一角にいた、黒い何かと眼が合った。
「うぉっ!?」
ギインッ!!
反射的に驚いた声を上げながら、突進してきた黒いものからの一太刀目を余裕な動きで弾く。何に驚いたって、黒尽くめなのは兎も角、顔中ヒゲだらけだったのにまず驚いた。自里の某熊のヒゲ面よりまだ酷い。ついでに言うと、鼻息が荒く目も血走っている。
かなり痛い形相だ。変な薬でもやっているのか。
なんにしてもそう直視していたいものではない。
怒涛のように繰り出しているつもりらしい攻撃をかわしながら、その行動を分析し、宝物庫の中を観察する。そしてやっぱりいくつか余分に持って帰ろうかなとか考えた。多分何割かは自分の給料になるだろうが。
よし、持ち帰り決定。
攻撃を躱わすのにもあきてきて、体勢を転換して一太刀打ち込む。
相手にとっては唐突な反撃だったのか、丁度突っ込んできた所を斬ったので、思ったより大きな手応えが返ってきたが、次の瞬間には黒いのはいなくなっていた。
それが消えた方向をしばし眺めて、刀に付いた血を一瞥し、刀を振るって血を落す。実に呆気ない撤退だったが、別に今追わなければならない程重要ではない。
先程の攻防の間に目を付けておいた棚に歩み寄る。結界の存在を確かめてから無造作に引き出しを引くと――がっさり、という表現がピッタリな程大量の巻物が出てきた。中には組紐が解けているものまである。
なんつー杜撰な管理だ。
中をがさがさしていると、出るわ出るわ、その筋に売っ払えば十年は遊んで暮らせる数と質の巻物が整理もされず紛れていた。ここの主は
蒐集家の用だが、一々内容やその種類まで調べるほど熱心ではないようである。
「あ、雨の・・・・ん?これは霧のか。・・・って、あれ」
ぶつぶつ言いながら大雑把に金目の物を漁っていた手を止め、触れた巻物を呆れた様に眺める。雨、霧、お目当ての木の葉の巻物に加えて、砂の物まで出てきたのだ。中をぱらっと見てみると、触れたところからチャクラが吸い取られるような感覚に襲われる。
「・・・っうーわー」
それに一瞬息を詰め、げんなりした様子で溜息を吐き、くるくると手早く巻き直した。きっちり組紐で締めて、封印符をつけてから懐にしまう。
「腹に虫なんか飼ってんなよなー」
と嘆息交じりにばっちり着服した巻物は、砂の禁術書であった。
木の葉も似たような現状だが、他里もそうだと知るとちょっと物悲しくなる。
安息の地なんてどこにもないんだよなー、と。
そうして引き続き棚の中を物色していると、不意に鼓膜に障る音を感知した。
屋敷の者に見つかったというわけではない。第一、誰かが入ってきたのなら気配で入る前に感知できるのだ。人的な危険ではないのだが、妙に直感が警鐘を鳴らしている。
「何だ・・・?」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・
どこからか地響きが鳴り始め、足元が音に比例して大きく揺れ出した。
試しに近くの柱に触ってみると、掌に妙なチャクラを感じた。建物の仕掛けなどではなく、何かの術なのだと当たりをつける。そのチャクラ自体を探ってみると、下から突き上げるように流れており、風ではなく土の属性だと判った。
「・・・ちょっっっっと、ピンチ?」
カリカリと頬を指先で掻きながら暢気に苦笑しているが、その間にもビシッと天井の石版に皹が入り、亀裂が一面に着実に広がっていっており――遂に、
メキメキッ、ボキッッ!
壁に近い方の天井板から非常〜に嫌な音がして、一瞬、ズズッと天井が近くなるのを視認する。それまでのんびりと構えていたユエは、
「うおっ、やっべぇ」
と実に軽い焦り文句を発し――間近に迫る天井板を見た、次の瞬間
ドオオオオオォォッッ!!
凄まじい轟音と共に、豪壮な大名屋敷は崩れるように全壊したのであった。