浅慮 :壱:
ざわざわと風が鳴る。砂の里に近い所為か、空気が酷く乾燥していて熱い。木の葉よりも一足先に夏が来ているようだとも思ったが、考えてみれば夏場のこの辺の荒野や砂漠は、踏み入れるのも躊躇う程暑くなるのだから、こちらの人間にしてみればこれ位の暑さはなんでもないことなのかもしれない。
走りながら、今日最後の光を放射している太陽の位置を確認する。砂の里に近くなればなるほど、昼夜の寒暖の差が激しくなるのだ。宵の口であれば、まだ昼間に溜め込んだ地熱で温かいのだが、乾燥した空気ではそれも長くは保たず、あっという間に身を凝らせる寒さに襲われる。
豊かな緑が茂る森に囲まれ、幾らでも隠れ場所と食料が里の周囲に広がっている木の葉と違って―その分凄まじい量の罠が仕掛けられているのだが―、荒涼とした砂の海で要塞として周囲に固めてある砂の里は、確かに攻め入りにくいだろう。
そんなものを物ともしないように訓練された人間にとってはあまり意味の無いものであるが。
黄昏の闇に紗をかけられ、虚ろになりがちの視界の中、見える木々と言えば瑞々しい緑の葉とも縁遠い、乾いて石化しつつある枝葉や、白砂の海に物騒な鋭さを以って色彩を加える刺々しいサボテンばかりだ。
例え明るい昼間に来たとしても見ていて心が和みそうな要素は無かった。
木の葉から延々と走り続けてきた彼は、殺伐とした風景は長く見るのに向いていない、と溜息一つ。
少ない水でも耐えられる植物はまだあまり開発されていないというし、第一栄養分が無く柔らかすぎる砂と堅すぎる岩地では、根を張るのも難しい。この広大な土地を耕したりして公平に養分を巡らすことも必要だろう。
「まぁ、普通の木は育たねぇよなぁ・・・」
「はっ何でしょうか!?」
僅かな落胆を混ぜて小さく呟いた声に、酷く敏感に反応した同じ額当ての男が、緊迫した様子で尋ねてきた。
「何でも無い。・・・もう日が暮れる、朝までには終わらせるぞ」
「「「「了解!!」」」」
小さいがよく通る指示に、彼の周りを囲む者達から一斉に返事が帰ってきた。前方以外の三方を固めて走る彼らに、また溜息が一つ零れ出る。
そして徐に幾つかの印を組み、チャクラを折り込んでくしゃくしゃに丸めた紙を更に拳の中で小さく固め、溜息ついでに吹き飛ばした。
今夜の任務は、砂の上役の家に、ビンゴブック上位の抜け忍によって持ち込まれた巻物の奪取とその抜け忍の始末、そしてその他諸々の事情で、三代目に部下を押し付けられたのである。
未だ肌を灼く風に、フードからこぼれた灰白の髪がさらりと靡く。
特徴的な風体と、木の葉の里で唯一の狐面――単独任務を好んで請負い、任務達成率100%を誇る正体不明の暗部――ユエには珍しい、集団任務だった。
里で一番大きい木の葉図書館。そこは1階から3階、4階から6階、7階から9階の三層に分かれている建物であるが、1階の閉架図書の奥には隠し扉があり、その先の階段の下には0層がある。
0層は更に三室に分かれていて、1室から2室、2室から3室、3室から奥には段階的に何度の上がる暗号式の結界がランダムに仕掛けられており、その向こうはまた地下に潜る階段があって、また下へ1段、2段、3段と分かれている。
勿論、格段に降りるためには、0層にあった暗号よりも何度なものを解いたり迷路状の道を進んだり、一定以上のチャクラを持っていなければ入れないなど、自由に行き来できる表層階よりも断然手間と時間が必要なセキュリティが仕組まれている。
当然、この地下の存在は、一般には知られていない。寧ろ、上級忍ですら0層よりも先の存在を知る者は殆ど居なかった。
閉館時間もとうに過ぎた深夜である。強固でややこしい結界が張られた0層の先の2段で、山積みにした本の合間に座り込む影があった。
真っ暗な中、チャクラで作った小さな灯りを一つだけ灯して、凄まじいスピードで本のページをめくっていく。めくり終わった本は次々に山の上に積まれていくので、読破済みの本の山は、その影を中心にして時間と共に着実に広がっていた。
「・・・どっかにあるはずだ・・・」
ビシッと本の背表紙を崩れない程度の力で弾き、眉根を寄せて本棚に目線を走らせる。きりりと吊った目が忙しなく動き、何冊か本を取っては内容を辿る・・・ということを繰り返した。表題はと言うと、「健康に良い料理百選」だの「各国忍び里の手裏剣辞典」だの、傍から見ている限りでは何を探しているのか解らない。
そうして本の山のサークルをまた一回り広げ、その周辺の棚の目ぼしい物が終わろうとしているのに気づくと、彼は一つ溜息を吐いた。落胆と言うよりも、呆れた感の強い溜息である。
「マジでこんな所まで汚濁が来てんのか?」
俺まだ失望したくねぇなぁ・・・
独り言を呟きながら、ある本を一冊とってパラパラとめくり――唐突にぴたりと動きを止めた。
一度全ページをめくり、裏表紙・表表紙。背表紙まで見て、手にチャクラを纏わせ、紙面に滑らせて見る。すると、パチンッと軽い衝撃と共に弾かれた。ジンと痺れた指先を擦ると、微量の粉が床に落ちては消える。
「・・・・・・・・・・・・」
指先をペロリと舐めて、徐に印を組み、試しに寅の印で止めて火の性質のチャクラを纏わせて触れようとすると、
バチバチッ!
先程よりも強い衝撃で弾かれた。他にも雷の性質でもやってみたが同じ結果で、土のチャクラには少しは抵抗が弱まった。
「・・・・・・・・・・・・」
暫しの思案の後、微量の水のチャクラを纏いながら解呪の印を切って、表紙に触れる。――反発の力は、こない。
全部のページをめくって文章が変化しているのを確認し、彼は始めから目を通した。ページを繰る毎に、億劫そうだった顔が引き締まり、尋常でない集中力で文字を追う眼光が鋭くなっていく。
「・・・ん?」
それが、ある文章でふと止まり、やはり暫しの思案の後に、風のチャクラでその章だけをなぞると、また別の文字がそこだけ浮かんできた。
それは、清書されたものではなく、酷く乱雑な。
「・・・・・・・・・」
ぱたん、本を閉じ、満足気に吐息する。
先程まで不機嫌そうに引き締めていた口元には、一転してゆったりとした笑みを刷いている。
「――見ぃつけた」
薄い唇から唄うように呟いた彼――シカマルは、本の表紙をさらりと撫でて、何かにもたれるように体を倒し・・・背中が床に触れると同時に、彼自身の影に沈むようにして消えた。
灯り一つ無い書庫の中、そこにはただ整然と本が並んでいるだけで、誰かが入った痕跡は一切無かった。
緑繁る季節である。彼女が彼女的運命の出会いを果たしてから、約一ヵ月半が過ぎていた。この期間中、彼女はかつて無いほど必死になってかなり一方的な“運命の人”を探し出そうとしていた。
なんてったって、半分は親友と絡む目的でしていたサスケ君への追っかけも季節の変わり目ショッピングも放棄して、自分が出来る限りを尽くして奔走していたのだ。
「ねぇパパーv聞きたいコトがあるのv」
そんな彼女――イノの狙い目は、まず第一に自分に甘い父親だった。
「なんだい?何でも聞いてごらんvv」
思春期に入ってからは珍しくハートマークを乱舞させて全開の笑顔で訊ねてみれば、(当社比)2倍増しの笑顔と喜色一杯に輝くオーラで返してくれる。実に目に眩しい父親である。
そこでまずは、
「ユエの正体v教えて?」
直球の一発。
それが、
「ごめんね、イノちゃん。教えたらパパ殺されちゃうんだv」
爽やかな笑顔で投手返しの一打。キャッチボールがしたかったのに、思わず逃げたくなるような暴打で打ち返されてしまったら続けられない、と一瞬落胆する。
一瞬だけ。
「・・・・・・それは、あの人に?・・・里に?」
「どうかなー」
「・・・“ユエ”は、里の機密ってこと?」
「どうだろうね」
「っ・・・・・・」
のらくらと何の答えも返さない父の首を一瞬絞めたくなったが、やっぱりそれも一瞬の気の迷いである。
生まれてこの方の経験上、父はそれはもう時折鬱陶しいくらい溺愛する娘である自分に対し、滅多なことでは嘘は言わないし、聞いたことには答えてくれるように自らに課しているのを知っている。
こうして答えないということは、ただちょっと賭場に行って母に怒られるのを怖がってるとか、うっかり間違えて生け花用の花の種ではなく食虫花の種を買い付けてしまったとか言う“言いにくい事”ではなく、“どうしても言えない事”なのだと解る。
だから、はぐらかしているように見えるが、言わないだけでイノの問いに否定もしていない。イノは上忍であり、里の中枢にもそれなりに近い父が、下忍の娘にも教えておきたいが言えない事がある時、こういう言い方をすることを知っている。言葉に出さないコミュニケーションである。
「・・・・・・わかったわ」
徐に頷き、イノは店番用の防水靴を走りやすいサンダルに履き替える。言いたくても言えない。そして娘に言わないと決めた父はそれからいくら強請っても口を割らないことは承知しているのだから、これ以上粘ってみても時間の無駄なのだ。
「おでかけかい?」
「うん、行ってくるわ〜・・・シカクおじさま、今日はどこにいるか知ってる?」
この質問は安全圏だ。シカクとイノイチは友人同士だし、知っていることは不自然にならない。
「今日は休みだって言ってたから、家かパチンコか市に出てるか――」
「ありがとーっ、行って来ます!」
すらすらと心当たりの場所を教えてくれる父に礼を言い、まず家から近いパチンコ屋からあたることにした。昨晩、父からシカクはここ数日任務漬けだったと聞いていたのだ。イノは、幼馴染の面倒くさがりの原点たる父親が、疲れた体でわざわざ市に出ようと思うほど献身的ではないと昔からの付き合いで知っていた。
イノは頭の中で素早く郷中のパチンコ屋とシカクの家を繋ぎ、最短距離を線で引き、身軽に駆け出した。
「行ってらっしゃーい」
暢気な声で送り出す父には、力強く拳を突き上げて返して。
駆け出す先の道を見据える目に、夏間近の陽射しが酷く眩しかった。