思考せよ 空虚が己を満たさぬように

探索せよ 標が闇に紛れぬうちに



辞書に無い文字


退屈


浮いて、沈んで
また浮いて、沈んで

市場の通りから甘味処の屋根へ。人家の木の上へ。木の上から路地の塀の上へ。
音も無く降り立ち、誰一人その姿を映さぬうちにその場から消え、また別の場所へ移る存在がある。

彼の存在は幻影のように実体を掴ませず、泡の様に消えてしまう。よって、彼の姿を、曝された正体を見止める者は、この里には凡そいなかった。

彼は泡のように浮き沈みを繰り返しながら、里と外との境目に気を巡らし、水面に落ちてくる獲物を探っているのだ。


「どこに、行ったのかなぁ?」


鬼は捕らえた子供を食らうという。それと同様に、彼は敵を食らうのだ。

稚く呟く彼の表情は、中々見つからない敵の存在への期待に何処か嬉々としている。彼にとって、これは遊びの一種に過ぎないのだ。鬼ごっこという、彼にとっては真新しい遊び。一方的な追尾と捕縛を、一対一、時には大勢でする楽しみだった。

ふと、彼は神経を過ぎった微かな存在に明らかな喜色を浮かべた。


「みぃつけた♪」


無邪気な笑みを浮かべて、彼はその影を捉えた方を振り向くと、身軽に地を蹴って瞬く間にその場から消え――





一息の後、彼は地に積もる灰の前に佇んでいた。灰の山の上には、他国の額当てだけが器用に残っている。燃え尽きた灰は、不思議なことに吹きさらす風に流されること無く、空間を切り取ったようにその場に留まっている。

彼は額当てを回収し、代わりに懐から出した巻物を灰の上に置いた。そして、慣れた仕草で幾多もの複雑な印を組むと、


「・・・飽きてきたかも・・・」


溜息一つ吐いた手の中には、開いた状態の巻物だけが残っていた。足元にあった灰は微塵も残っていない。報告書として残ったその内容を一読して巻き直し、彼はこれまでの過程の手軽さにまた溜息を一つこぼした。

面白そうな遊びを見つけても、手応えが無ければただの退屈な作業だった。要するに、早々に飽きてしまったのだ。今回は見つけ出すまでは楽しかったが、見つけて食らうまでは何の面白みも無く、あっという間に終わってしまったのだ。

やっぱり、奇襲して速攻で首を落したのがダメだったかも。

自分なりの反省点を挙げながら巻物をくるくると弄び、懐に収めると、彼は身軽に体を浮かせてその場から消えた。
その表情には灰を見下ろした時の気だるげな色は無く、また更なる楽しみを求めた探求の喜びが浮かんでいた。

退屈など、感じている暇は無いのだ。

――さぁ、次は何をしよう?












死の森の近くにある、小高い丘の上。頂上に一本だけ生えている木の根元に、のんびりと寝転ぶ姿がある。
木々が生い茂り、猛獣たちが棲む鬱蒼とした森と、燦燦と日が当たり、和やかな雰囲気を醸し出す丘は、近くにあるが全く対照的な場所である。

ただ一人、そこで日向ぼっこしている姿は、一見して怠惰に昼寝しているようにしか見えなかったが、その実確りと覚醒しており、楽しげな笑みを浮かべていた。

面白いものを見つけたのだ。
単なる暇つぶしではなく、珍しくわくわくさせてくれる類のものを。

目を瞑る。晴れた空が瞼に遮断されて、網膜には光の残像だけが映ったが、その脳裏では全く別のものを見ていた。

大きな桜と、花吹雪。

舞い散る花弁以上に美しく舞う、狐の姿。
冷たい糸を振るい、的を薙ぎ払う、強さ。

そこにいるだけで目を吸い寄せられる存在感なのに、手を触れれば消えてしまいそうな不安定さ。

姿を捉えたのはほんの一時。その短い時で、全身の神経・チャクラで以って感じ取った感覚。見つめた先の瞳には何も映っておらず、シカクやアンコが話しかけて、漸く此方の世界に戻ってきたようだった・

しかし、そうして戻ってきても、こちらを決して見ることが無い瞳。

頭の下に敷いていた手を、徐に上へ――空へと伸ばす。
眠たげなのにどこか鋭さを宿した目が空を映し、腕一杯に伸ばした手を、力強く握り締め、
――空を、捉えた。













朝夕や夜はまだ肌寒いが、昼間の日差しは僅かな木漏れ日であっても十分に温かい時期である。
心地よい温もりに柔らかく目を細め、傍らの木に寄りかかるようにして上を見上げると、溌剌とした緑に混じった鞠のような桜の花が、風が枝をしなわせる度に淡い花弁を散らしている。

他の淡い色彩の桜はもう殆どが散りきって、額の赤や葉の緑に変わって夏への支度をしているのに、この桜は随分と花の寿命が長い。八重桜なのかとも思ったが、その割には色彩が淡すぎる。

――ほんの一滴の紅で、木全体を染め上げているのだと思える程に。

その淡さは、日の光を受けると更に顕著になって、見上げる目には光がそのまま花の形になって降っているように見えた。

見れば見るほど不思議な木だった。

手の中にある、枯れ枝にも似た薬草を目の前に翳し、確りとポケットにしまいこみ、掌に僅かなチャクラを纏わせ、木の幹にそうっと触れる。チャクラは気が放つ気を弾くのでも幹に吸着するのでもなく、寸分も傷つけぬように柔らかく解した、水の性質を持つものだ。

――この木が纏う、水の守護と同様の。

寄りかかった幹に頬をすり寄せて、また小さく微笑む。
快い波が体を浸透していく感覚。初めにそれを感じた時のあの光景を、日の経った今でも鮮やかに思い出せた。

それほど、心の躍るものを見たのだ。

それは恐らく、この守護のチャクラの持ち主。
触れれば消えてしまいそうなほど繊細なのに、強く柔軟な意思を宿す力の持ち主を。




浅慮

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