目を逸らすこと。瞬きをすること。
生きている上で当然の行為であり、忍達にとっては一瞬の隙とそれに伴う死を与える行動である。
だが、それを止むおえない状況に陥ったとき、誰がその行為を己の意思で防げようか。
**出会いは桜と共に**
〜かくれんぼとおにごっこ〜
:参:
瞬間。ほんの一瞬、目を閉じた合間にそれは起こった。
奇妙に切り取られた緊張の空間。何かに追い詰められた行動を取る忍。吹き抜ける風に、木々の枝が惑い鳴くざわめきの中、
「つかまえた」
脳に直接届くような、よく通る声が響いた。
まるで、幻術にでも掛かったような長すぎる一時が過ぎて――
ドサリ、忍が前のめりに倒れた音で、放心状態から解かれた彼等が見たのは、両手両足を縛られ尚もがいている忍と、一人の暗部。
「き、狐面だと・・・!?」
木の葉の禁忌とされている狐。そしてその面を被る者など、13年前のある事件からはどんな変わり者と言われる者でも決して付けることはなかったというのに。
動揺するカカシ・アスマ・紅の三人。しかし、他の特上や特中、上忍達は、何食わぬ顔で酒を飲み続けている。・・・僅かな喜色を湛えながら。
木の葉の額宛を見ても警戒を露にして構えを解かない三人を一瞥し、暗部は足元でもがき続ける男を眺める。何を思ったのか――否、何をしたのか。忍を縛っていた糸が、パンッと小さな破裂音と共に弾け飛んだのだ。
「今度は10秒だ。行け」
突然解かれた拘束に驚きながらも素早く立ち上がり、しかし怯えた風に動けないままでいる男に冷然と言い放つ。忍は後方にカカシがいることも気にせず後退し、転げるように逃げて行った。
余りに俊敏な行動。ものの一秒もしない内にその気配は遠ざかって行き、感じられなくなる程離れてしまう。
ふ、とシカマル、チョウジ、イノ我知らず強張っていた体の力を抜いた。8班のシノ、キバ、ヒナタも同様である。だが、未だに緊張を保ったままのカカシに釣られて、サクラとサスケは顔を強張らせていた。
どう見ても木の葉の忍で、恐らく敵と思われる忍を一瞬で捕獲してしまえるほどの実力者。捕らえた者を逃してしまったことについては謎だが、それでも敵だと認識するほどの材料になるとは思えなかった。
シカマルはしんと静まった場の中、目を眇めて周囲を見、
じわり、堪えきれないとでも言うように漏れ出る負の気。暗部を見据える隻眼は厳しく据わっており、警戒を解こうとしていない。
―――たかが狐面というだけで、あんなにも警戒しているというのだ。
それは、狂者を見る目つき。・・・己が、自ら血を望み見つめていることも知らずに。
『狐は里の守り神だが、過去の手違いで禁忌の扱いになっちまった。・・・敬意を払うべきものなのに』
昔、シカマルはそう父親から聞かされたことがあった。きっとイノやチョウジも同様の事を聞いているはずだ。猪鹿蝶の3家が里に関わるものへの認識を大きく外していたら、きっと今頃トリオなどと言われることも無かったろうから。
いつも飄々としている男の言葉は恐ろしく静かで、しかし爆ぜんばかりの憤りに満ちていた。アカデミーに出る前、他の大人から知識を植えられる前に諭した父親は、いつになく真面目な面持ちで・・・拭えぬ何かを隠しきれない様子だった。
ゆらり、空気が動く。カカシが一歩、暗部の方へ踏み出し、緊張――否、殺気に近いものを放ちながら低く問おうとする。
「オマエ・・・」
何者?
しかし、最後まで続くのを遮って、場にそぐわぬ陽気な声で呼びかけた男がいた。
「ぃよう、暫くぶりだな」
杯を軽く持ち上げ、ニヤリと面白うそうに笑うシカクである。その表情は、まるで旧い親友を見つけたように生き生きとしていた。周りを見回すと、先程まで暢気に談笑していた者達も似た表情でその暗部を見つめている。
「ああ、久しぶりだな。――また宴会か」
「オメーも混ざらねぇ?」
「久しぶりなんだし、一緒に飲もうよ〜」
シカクが誘うのに便乗する形で、アンコが少し酔いが回って呂律の怪しいまま誘いをかけた。だが、暗部はふと上を見上げて静かに首を振った。
「遠慮しておく。そろそろ遊戯も終わりだからな」
未だ怯える様に彼を伺う7班の面々を一瞥して軽く肩を竦め、面の奥で苦笑する気配だけを伝える。
そして、一様に暗部を注視していた彼らは小さく息を呑んだ。
正体不明が絶対条件の暗部は、その場の全員に向けて滑らかな仕草で道化めいた一礼をしたのだ。
――あろうことか、その顔を隠す面を外して。
「おっとこ前じゃなーいvv」
シカマルのすぐ近くで、イノが小さく黄色い声を上げた。
フードの隙間から見える灰色の髪。女の細い指で撫でたような筋の通った鼻梁の下にあるのは、形の良い小さく紅い唇。
白く、シャープな印象を与える顔に、闇が落ち切る直前の空の様な藍色の瞳のコントラストは美しく、またその目を縁取る長い睫は銀に近い色合いで、俯き加減の頬に影を落としている。
そんなパーツの一つ一つが、小さな顔に完璧な配置で並んでおり、10代後半の甘味を帯びた顔立ちは不安定でどこか危うい物があった。
男にこの単語を使うのもおかしなものだが、こういうのを綺麗というのだろう、と見蕩れた表情のイノの隣でシカマルはぼんやり思った。
「騒がせて悪いな、折角の宴会中に」
「そんなのいいから、また飲もうね〜!」
張り上げている訳でもないのに良く通る声が、喧騒に慣らされた耳に心地よく響く。
アンコが酔った勢いのまま暗部に誘いをかけ、更には他の特中や特上、上忍の面々が頷き、今にも酒瓶を振り回しそうな彼女に同意を示した。
仮にも任務中の相手にかける言葉と思えぬ誘い文句だったが、彼の暗部は下忍三班とその担当上忍達の驚きと訝しげな視線をものともせず、軽く頷き返す。
「ああ。――またな」
息が止まる瞬間。
止められたというべきか。
それが戦場ならば目前の死を確定させるような隙を作りながら、それに気にも留めず彼に注目していた全員が息を詰めて魅入られた。
ほんの少し口の端を上げただけに見える微笑み。しかし極上の美酒のような陶酔感を起こさせる表情で、暗部の男は面々を見回した。
手甲を嵌めた形のいい手が伸べられ、ゆったりと――腕を、優雅に横へ薙ぐ。
ざぁ・・・っ。風が起こる。
柔らかく、天に昇る風に歓喜したように、地上に身を散らした桜の花弁が渦を巻いて舞い上がった。
一瞬。思わず忍達が目を閉じ――暗部が居た場に残ったのは、風に乗って乱舞する桜吹雪だけだった。
******
光と見えた場所に背を向け、再び闇へと逃げねばならぬ気分はどの様なものなのか。
追い詰められる精神。一度捕われ、また逃げる為に振り絞った気力も体力も限界の筈だ。
それが解っていて、敢えて逃げるという選択を与え続けた男は、追っている獲物の気配を捕らえ、面の下で薄く笑った。
「時間切れだ」
追う背中を見る前に瞬時に追いついた獲物の姿は大層酷い物だった。恐怖の所為か絶望の所為か、脆く崩れ去った自尊心を更に己で踏みつける痛みに心が壊れた所為か。
目は虚ろに濁り、肌は青を通り越して白く、口からは泡を吹いている。腕の傷口に回すチャクラはとうに尽きたらしく、これで逃れたとしても既に命は保たないことが明白だった。
それでも逃げようとするのは、生きる為か逃げる為なのか。恐らく必死で走り続ける男には解っていまい。
終わらせてやろう。
死による解放を思う前に、恐慌に堕ちた魂に止めを。
眼前の忍に向かって腕を伸ばし、狐面の暗部が徐に両腕を交差させると、標的の首が瞬時に空に飛んだ。鋭利な切り口故に少量の血液を撒き散らすだけで闇に朱を塗り込む肉の球体がくるくると回り、その胴体は地に倒れる前に灰になるまで焼き尽くされた。
重力に逆らって首は空中でゆっくりくるくると回り続ける。指に何かの糸を巻きつけた彼は、その首を懐から出した袋に入れ、灰の上に白紙の巻物を広げて置き、何十もの複雑な印を切る。
すると、風に撒かれもせず微動だにしなかった灰が一塵も残さず消え――巻物には細かな文字が浮かんでいた。
彼はざっとその内容を一瞥し、シュルッと鮮やかな手際で巻き直して小さく呟く。
「任務、完了」
手には赤く雫が滴る手土産を持ち、温度の無い声の持ち主は、満ちかけた月を見上げ、ふわり、浮かぶように宙に飛び、風に紛れてその場から消え去った。
******
桜花の舞と共に消えた暗部のいた場所を、惚けたように見ていた人々が取り残されていた。その中で真っ先に声を上げたのは、他里の忍の襲撃中にも彼の暗部を見て歓声を上げていたイノだった。
曰く、
「キャ――!何よアノ人ッ!カッコいいじゃない!!」
である。
束の間に現れた謎の暗部に、すっかり興奮して頬を高潮させた彼女は、早速とばかりにサクラの元へ駆けて女二人でキャーキャーと楽しそうに先程の出来事を話し合っている。
再び呑みを開始した三班の担当上忍以外の上級忍に向かって、アスマが元の位置に腰を下ろして隣のシカクに低く訊ねた。
「見たことない暗部だった・・・誰です、アイツ?」
だが、横目で見た相手は上機嫌に笑って
「誰って・・・俺らの呑みダチだぜ?」
とはぐらかすのみ・・・だったのだが、
「あたしたちの元上司でもあるけどね〜♪」
くいっと杯の中の酒を一気に干して、既に酔っていた名残も見せずにアンコは肩を竦めた。彼女の手元には『龍玉』という大吟醸がどっしりと置かれている。勿論シカク持参の物だ。
「アンコ、止めろ」
「何すんのよ!?」
ゲンマが龍玉を取り上げて、大雑把に結い上げられた黒髪をパシッと叩いて彼女の言葉を止めた。
「面倒だからそれ以上は言うな」
「えー何よー!もっと聞きたいわー」
「そうそうっ元上司ってどういうことですか!?っていうかカカシ先生もアスマ先生も知らない暗部って・・・」
「ちょっとちょっと、そんなに聞かれても・・・」
「ほ〜ら面倒になった」
突如現れたいい男とその情報源に、ミーハーな少女二人は詰め寄った。碧と翠の二対の目はキラキラと輝き、その勢いたるや・・・
「その名の通りってか?」
ぷっかぁ・・・と紫煙を吐き、すっかりくつろぎモードに戻ったアスマは、己の班の少女を見て苦笑を零した。常々サスケサスケと言っている二人だが、今のコレは有名人のプロフィールを追うファンと同様の心境なのだろう。しかし、
「ねーお願いッ。名前だけ、名前だけでも!」
と懸命に言い募る姿は多少やりすぎな観があるが。何しろ、彼女らが聞き出そうとしているのは、暗部の情報なのだ。正体を闇に包み、人目の付かぬ窟に秘すべき存在の――
「おい、お前ら、そろそろ――」
やめとけ、と言う前に、隣のシカクがぬっと酒瓶の口をアスマの杯へ傾けた。杯の淵から透明の液体が溢れそうになり、思わず言を止めてそちらに視線をやり、
「ユエだ」
更には動きを止めた。
「シカク!?」
「ユエってんだ、アイツの名前」
はぐらかそうとしていたアンコ達の咎める声もものともせず、シカクは彼の暗部の名を繰り返した。
酒のアルコールや、桜の花香、それから月の残光と共に刻むように。
「ユエさんかぁ・・・素敵だったわ〜」
「何故奴はあの面なんです!?」
狐面・・・吐き捨てるように初見でそう呟いたカカシは、未だ捨てられない猜疑心を抱えた目でシカク達に問うた。
「そんなのは知らねぇよ。ユエだからな」
「ユエなんて・・・聞いたことも無い」
「忍は正体を隠したほうが何かとやりやすいことも多いからな」
「しかし・・・」
嫌悪を露にしながら言い募るカカシに、酒を啜りながら素っ気無く答えるシカク。
そんな二人を尻目に、少女は友人の元からそっと離れ、少しずつ緑が混じってきた桜の木の幹にそっと触れる。
木に宿るエネルギーを乱さぬように、自分の手のチャクラを出来る限り抑え、彼女は黒い肌の幹をそろりと撫でた。
「・・・守られてるのね?」
ほっと安心したように息を吐く。桜の大木を覆っている極々微弱なチャクラ。穏やかで暖かい・・・水の気配だ。
「ちょっと、もう飲まないの〜?」
心地良いチャクラの気配に浸っていると、すっかり出来上がった恋愛好敵手兼親友が呂律の怪しい口調で呼びかけてくる。
「今行くー!」
さらり、幹を名残惜しくもう一撫でして、彼女は冷えた夜気から逃れようと友人の元へ戻った。
白に近い淡い色彩の花弁が宙を舞う。闇との間にくっきりと浮かぶ幾多の欠片は、雪の様に地に毀れては溶けずに柔らかな絨毯となって地面の一部と化す。
ひらひら、ひらひら・・・彼の暗部によって舞い上げられた花弁は、絶えず空気を孕み、長く長く空中を揺蕩い降りてくる。
当の暗部の話題で盛り上がる上忍達や少女達を尻目に、彼は徐に手にしていた杯をひょいと掲げた。
ぽとり、上手い具合に杯に花弁が落ち、残っていた透明の液体の中に沈んでは浮かぶ。写していた月を隠した花弁は、小さな波紋を作って姿を滲ませ、仕舞いにはとろりと淡く溶けてしまった。
それを彼は一息で飲み干し、退屈そうに歪めていた唇を別の意味で歪めた。
「・・・・・・・・・――」
唇だけで呟く声は音にならず、己の中で楽しげに反響する。誰にも知りえぬ推測・・・否、確信。杯で隠した唇が弧を描く。常時は感情をあまり示さぬ瞳が一条の光を宿して空を見上げた。
******
濃い藍色の空に掛かる薄い雲。星は月の光と雲が存在を薄れさせ、月は強烈だった光を雲に覆われて柔らかなものにしている。ざわざわと木々が啼き、時折夜鳴き鳥が枝から飛び立つ音が耳を掠めた。
緑と花・・・夜気に混じる幾多の匂いが鼻先を擽る。忍として鍛えた嗅覚は、人知れず絡みつく水気も感知させた。
「・・・明日は、雨だな・・・」
彼らは全く別の、しかし同じ森の中で同じ呟きを洩らした。それぞれに違う思いを宿して。
ひらひら、ひらひらと白い雪花を舞い揺らせた風は、彼らの声を互いに届けることはなかった。
END
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