**出会いは桜と共に**
〜かくれんぼとおにごっこ〜
:弐:
早く、早く早く早く早く早く早く早く!急がなければ。急いで、あの場所から離れなければ。
木から木へ飛び移り、肌が葉や枝で裂けるのも気にせずに、片腕の忍者は走り続けた。
――それこそ、自分の命を削る勢いで、背後から迫る恐怖から逃れるために。
もう、何秒経った。自分がやつから逃げられるのはあと何秒あるのだ。
『20秒やるよ』
男とも女ともつかない、中世的な声だった。場所が戦場でなければ、その声に聞き入ってしまえそうな、艶と張りに満ちた深い声音だった。だが、あの暗部は、たった一瞬で男の仲間たちを細切れにし、全ての亡骸を無に返したのだ。一人、巻物を持っていた自分を残して。
何が起ったのか解らなかった。ほんの瞬きの間に、全ての仲間が死んでいったのだ。
『20秒やる。20秒後に追いかけるから、逃げ切ればお前勝ち、逃げ切れなきゃ―解るな?』
殺す。
無言の内の圧力が全身にのしかかってくる。殺気ではなく、憎悪などでもなく、ただ純粋に力をぶつけられる威圧。それだけで、明らかな力量の差を思い知らされ、胃の腑を締め付けられる痛みを感じた。
『行け』
混乱の最中、芯を通すような一筋の殺気が送られ、殆ど反射的にその場を離れた。
少しでも早く、少しでも遠くへ逃れなければならなかった。否――威圧のみで与えられる恐怖から逃れたかったのだ。
暗い森の中をひたすら駆ける。意識は背後と、前方に見える光にのみ集中していた。淡く月光を受けて光る、・・・の向こうへ――
******
最初に気づいたのは誰であったか。少なくとも、初めてこの場に来た三つの下忍の班とその上司ではないだろう。
当初よりも一気に人数の増えた集団は、大きな輪ではなく小さな円座をいくつか作る形で、見合う顔を様々に変えながら落ち着いていた。
ざわり、風が一瞬揺らぎ、そして凪ぐ。アンコ、ゲンマ、ハヤテ、イズモ、コテツ・・と、特上や特中の面々の間に座らされていたナルトを取り戻したシカクは、平然と杯を空け続ける息子を横目で見ながら、腕の中の金色に短く囁いた。
「アイツは?」
「任務」
対するナルトも、ちびちびと酒を舐めながら同僚の父親に対し同じく短く返す。
二人の様子を時折眺めていたシカマルが、コップの中身をぐいっと干して何でも無い様に振舞いつつ、脳内で追及リストに書き込むのと、
「あいつってー?」
サクラとの喧嘩にキリをつけて、イノイチの隣で呑んでいたイノが耳聡く口を挟むのは同時だった。チョウジは特に何の反応も無い。二人の会話を聞いたのは、どうやらシカマルとイノの二人だけのようだった。
シカマルは自分の父親と金色を一瞬だけ見、沈黙を守った。イノは興味津々といった体で彼らを見つめている。だが、二人は曖昧な笑みを浮かべ、
「なんでもないってば♪」
「なんでもねぇよ」
と悪戯っ子のような事を言って答えなかった。悪戯っ子と言うには、片方は些か年を取りすぎではあるが。
「え―何よー!気になるじゃなーい」
「気にしなくていいってば」
イノが更に問い詰めようと身を寄せるが、ナルトはニコヤカに撥ねつける。それに同調して笑っていたシカクだったが、何かに気づいた様子で腕の中の子供に呼びかけた。
「おっ、ナルト・・・」
「・・・あ―――・・・」
シカクの声に、視線を暫時空中に彷徨わせたナルトは、仕方ない、とでも言うように溜息をつき、シカクに凭れ掛かった。
「イノちゃん、もうすぐ来ると思うぜ」
「誰が・・・って、その人?」
「そうだ」
ポンポン、金色の頭を軽く撫でながら、嬉しそうに笑うシカク。見れば、他の特上や特中の忍達も歓談の声を小さく潜めている。その一方で、近くにいたアスマや少し離れた所にいるカカシは、やや緊張気味の面持ちで身構え、ある一点――桜の向こうへと視線を注いでいた。
「へぇ〜・・・っえ!?」
好奇心をくすぐられたイノは瞳を輝かせて笑ったが――突然、生ぬるい風と共に現れたものに驚愕の声を上げた。そこには、
パラパラと散り、舞い落ちる赤。
桜の花弁と共に、地面に染みる――赤。
******
歩くような調子で、しかし上忍にすら視認が難しい程の速度で疾走する。枝を蹴り、葉を散らさずに避けながら、糸状に見えるチャクラを辿る。蜘蛛の糸の如く細く確かなそれは、確実に彼を目標へと導いた。
『20秒やるよ』
そう言って、こんな風に「鬼ごっこ」と呼ばれる様な遊びを殺すべき相手に提案するのは、今回が初めてと言うわけではなかった。
多勢の中から一番の強者と思われるものを残し、適当な時間を与えて逃がす。後を追い捕まえる。それを何度も繰り返す。
肉体が赦す限り、時間が赦す限り、精神的な恐怖をじっくりと刷り込む。追い詰める期限は、自分が飽きるまで。それまで、遊びの相手は束の間の生と静かに縛られ絡め取られる恐怖を得るのだ。
楽しむコツは、相手が本気で死ん方がましだと思う前に捕まえる事、ただそれだけで。
任務に掛かる時間を、遊戯の為に引き延ばすことなど、忍としてあってはならないことだ。まして、里からの任務を戯れに使うことなど、尚更である。
一度ならず火影直々に窘められた事があった。時折任務を共にする男に、何故と訊かれたこともある。しかし、そのどちらにも答えることは無く、応えることも無く、彼はこの遊びを止める気も更々無かった。
こんな事に何らかの意味を見出しているわけではない。ただ――
不意に、神経に引っかかるものがあった。明確な遊び相手のチャクラの他に、大勢のチャクラの気配。そして――血に混じった桜の香が、鼻先を掠める・・・近づいて、くる。
遠くにある仄かな明かりに、そういえば、と思い出す。
胸に過ぎる翳りを無視して走り続け――
ああ、不味い。
面の奥、無表情のまま考え、疾走していた影は、月光の下に降り立った。
明かり一つ無い闇に慣れた目に、桜の花で色濃くなった月光がじわりと染み込む。大人数の忍達と、追っていた男が、そこにいた。
******
突然の風。花弁を舞わせ、木の枝を揺るがすそれは、冷たさを含んだ春の夜気ではなく、この場にそぐわぬ殺伐とした匂いを宿し、宴に興じていた忍達に吹き付け――思わず目を閉じたくなる風が止むと、そこには片腕を切り落とされ、傷口からは夥しい血を流した忍が立っていた。
「キャアッ」
サスケやカカシと話していたサクラが悲鳴に似た声をげる。恐怖と言うより驚きが多分に含まれているのは、カカシが既に立って身構えているからだろう。
それでも、一応は中腰になりくないに手を掛け、いつでも攻撃できる体勢になっていたが。
「お前、何が目的だ!?」
カカシが前に出るのに半瞬ほど遅れて、紅が侵入者と彼らの間を隔てる結界を張った。――確かに、これで一安心と言えなくもない。
岩隠の忍ということは額宛から解るが、元々は下忍達だけの集まりであっても、今や上級忍達がここまで集まる場所に乗り込んでくるのは、無謀としか言いようが無い。しかも、カカシが素早く周囲の気配を探って忍の仲間の存在を調べたが、それらしき者の気配すらない。この男は単身でこの場に来た事になるのだ。不審に思うのは当然だった。
「っ・・・・・・く、る・・・!」
小さく、風にも乗らないような声で何かを言ったのが口の動きで解る。だが判解できず、カカシは更に問おうと一歩他国の忍へ足を進める。しかし対する忍は間合いを詰めるカカシに気づかぬ素振りで、くないを持ったまま辺りを見回し、後ろを振り返り、忙しなく視線を動かしていた。
まるで、なにかに怯えているかのように。
此方へ威圧ではなく、もしくは恐れでもなく、目にも見えない幽霊に対しているような。
右往左往を繰り返していた男は、不意に目を見開き、声も無く哀れな悲鳴を上げた。そして、
「ど、どけェ!!!」
得体の知れない忍は追い詰められたように怒鳴り声を上げ、手に持ったくないをカカシに投げつけて忍刀で斬りつけたのだ。
「キャッ!?」
比較的近い位置にいたサクラが半歩後退し、それでも錯乱気味の忍の隙を伺うように構え、それを見たイノがすかさず腰を上げようとし――
「っ!?」
ぐいっと腕を引かれ、元の位置に戻された。
「いいから、座っていなさい」
彼女の服を引いたのはイノの父親、イノイチである。彼は長年の親友が持参してきた酒に舌鼓を打ちながら、和やかな表情で事の成り行きを見守っていたのだ。
周囲を見ると、イノイチ、シカク、チョウザだけでなく、静まっている上級忍達も全く慌てることなく、のんびり腰を落ち着けて酒を酌み交わしているのだ。
「ちょっとちょっとーなに落ち着いてんのー!?」
「必要ねぇからな」
突如として発生した異常事態のはずなのに、大人たちは奇妙なほど落ち着いている。例え酔っていても、彼らが上級の忍である限り警戒くらいはして良さそうなものを、そんな素振りすら見せない。
イノがぶつける当然の疑問に、ナルトを抱えたまま全く動かず、肩をすくめて答えたのはシカクだ。
「カカシ先生で十分ってことー?」
「それは関係ないよ」
あんなヘタレでも、一応は里の稼ぎ頭と呼ばれた忍なんだし、と理解できる理由を思いつつ父に尋ねると、イノイチは苦笑を溢して首を振り、即答した。
不明確な敵を前にして、全く動こうと言う気配も見せない上忍たち。対抗するカカシの存在による無関心ではないという即答。…シカクが「もうすぐ来る」と言った「アイツ」と呼ばれる存在。
「だったら、何でだよ」
はぐらかそうとする色を見せる父親を、シカマルは杯の酒を啜りつつ上目に睨み付けて低く訊ねた。一切の偽りを見抜かんとする眼差しは、普段の気だるげな雰囲気を醸し出す少年とは思えないほど鋭い。
ざわざわと、強く風が吹き抜ける。紅が言う散り際の満開の桜は、枝をざわめかせては小さな花弁を宙へ舞わせている。
常であれば美しさに見蕩れる光景であったが、その目前では、とうとう拮抗を破った忍が、鈍色に光るくないを手にしてカカシ達の方へと突進して行く――!
「つかまえた」
→参
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