冷めない内に




夕日が沈んだ後の、ほんのり茜色が残る空の下、人の少ない大通りを眺めながら、じっと車道と歩道を隔てる僅かな柵に凭れていた。

はぁっ。少し腹に力を込めて、指先に息を吐く。小さな蒸気と温もりに指をこすり合わせ、冷えて感覚の無くなってきた指を揉んだりして血流を促そうとしてみる。

石造りの壁に赤光が映らなくなった頃合いを見計らったように、等間隔に並んだ瀟洒な街灯が、オレンジ色の光を燈して白い石の道に煉瓦の色に似た明かりを落す。

瓦葺の屋根が一軒も見えない道端で、風の音に寄せてしっとりと降りてくる藍色の夜に目を細めながら、擦り合わせていた指先に冷ややかな霜が絡みつくのを感じて、またはぁっと息を吐きかけた。


「遅い、なぁ・・・」


買ってきて、と言ったのは自分で、お金を渡したのも自分で、更に言うなら遠い遠いあの国を指定したのもまた然り。

もしかしたら、某ファーストフード店に入ってしまったのかも。

大いに有り得る、友人が取りそうな選択肢を思い浮かべながら、溜息混じりの吐息をまた指先にかけて、強く擦り合わせながらぶるりと体を震わせる。

いくら厚着をしているからと言って、真冬の季節のこんな時間(黄昏時)に、長時間外にいて冷えないわけが無いのだ。多分、肌の表面は既に冷たくなっているだろう。だからと言って、触って確かめようとは思えないが。

まだ、大丈夫だ。体の奥に熱が残ってる今は、まだ。


「出掛けに言ったんだけど・・」


ふと暗くなってしまった遠くの空を眺めた。目を凝らしてみても、宵の暗がりの向こうから黒い鳥の姿は見えない。改めて通りの方に目を向けると、もう歩いている人は殆どいなくなっていた。

霜がダッフルコートの表面に露を作っては、しっとりと繊維の中まで浸透していく。じわじわと水分が服に染み込んで、奥へ奥へ血の管に沿って潜んだ熱を探し当て、舐めるようにその塊を溶かすのだ。

人に気づかせず、惑わすような緩やかさで霜が降りてきて、夜の光景を淡く淡くぼやけさせていき、街の灯りが出来たての綿毛のように存在を滲ませていった。

冷めない内に、


「早く、帰ってきてって・・・」


ああ、もう指が芯まで凍ってしまった。

もう暫くは掛かるかもしれない、と諦め半分で組み合わせた両手の中に息を吹き込む。微かな温もりをにぎにぎと力を入れて握りこみ、手を擦り合わせてみるが、やはりというか、多少痺れるくらいで中々熱は生まれない。

強張っていく手に力を入れて、指先を掌に握りこみ、そのまま両手をポケットに突っ込んでから目を閉じる。言って聞くような人間なら、始めから苦労はしないのだ。

建物の合間から舞い込んだ風に身を縮ませて、マフラーに鼻先を埋める。靴の先に視線を向けて軽く地面を蹴ってみた。

すると、不意にボトリと何かが目の前に落ちてきた。
目を瞬かせて足元を見ると、やけに見覚えのある某ファーストフード店の包みが。


「カルノ!?」


うわっあっつ・・・!

一泊置いて空を見上げると、今度は額に向かって何かが落ちてきて、慌てて受け止めるがその何かに指先を灼かれて思わず上に投げた。


「ボーっとしてんじゃねぇよ」


凍死するぞ、真冬だし。

つい投げてしまったそれを、手袋を嵌めた手で難なく取った彼は、勢い良く空を見上げてそのまま背を反らせた勇吹を支えるように、黒翼をしまいながら背後に降り立った。その胸に遠慮無く背中を預け、お遣いの戦利品を改めて受け取る。


「・・・マック寄ってたんだ?」
「向こうに行ったら見えたんだよ」


そりゃあ一つの街に一店はある全国チェーンだからあるだろうが。

ダブルバーガーを拾いながら悪びれなくしれっとのたまうカルノに苦笑を一つ。少し湿った包みを開いて中身をこちらに向けられたので、見えた部分に食いつくと、もうかなり冷えていたが、暫く食べていなかった味を確り噛んで味わう。天使か悪魔のような彼女の作る料理はいつも絶品だが、時々こういうものが欲しくなるのだ。

カルノによってあっという間に平らげられていく冷えたダブルバーガーと、熱々の手の中のものを見比べる。冷めない内に帰れるよう、順番には気を使ってくれたらしい。――でも


「遅かったね」
「お前・・・日本とここを往復するのに何時間掛かると思ってんだ?」


勿論、普通の手段であれば一日掛かっても帰って来れないだろう。

たった一時間少しで帰ってこれたのは、魔法士ならではの反則技のおかげである。食べ終わったダブルバーガーの包みをくしゃっと丸め、それを軽い仕草で投げると、近くのゴミ箱の中に意思を持ったように吸い込まれていった。


「――随分、冷えたんだ」


ほら、と指先から灼けつくように暖めていくそれを右手で持って、まだ冷たい左手の甲を翳してみる。冷え切った指先は爪の色まで真っ白に変わっていた。
カルノはその手を掴み、左手の手袋を外すと徐に勇吹の手にぐいと嵌めた、先程までそれをつけていた彼の体温が、柔らかく冷えた手を包む。
――――温かい


「これで、いいだろっ」


心なしか拗ねた様な声音で言って、ふいと他所を向く大きな子供に思わず微笑を浮かべ、温もりを貰った左手で戦利品を持つ右手を包み、ほうっと息を吐く。


「うん。・・・ありがとう」


背後の彼を振り返って礼を述べた後、こちらに視線が戻るのを待ってから、言い忘れていた一言を小さく囁いた。


「お帰り、カルノ」
「・・・おぅ」


今度は少し照れ臭そうに頬を掻くカルノに小さく笑って、漸く食べごろになってきたお遣い品を半分に割った。割れ目からは大きな湯気が上がり、中はオレンジがかった黄色に色づいていて美味しそうだった。そして、その片方をカルノに差し出す。


「はい、うまいよ?」


金時イモだし。

それを指定したのは勇吹であったが。日本にしかないと思われる石焼いも。よく燻したコーヒー豆を扱うコーヒー専門店の前を通るたびに、何故か懐かしい匂いを思い出した。それでか無性に食べたくなって、日本円を渡して試しに強請ってみたのだ。・・・金時イモを理解させるのに手間取ったが。

微妙な目つきでそれを受け取り、齧り付こうか迷っている様子を他所に、湯気を立てる焼き芋に噛り付く。素朴なサツマイモそのものの味なのだが甘くて美味い。なるべく薄く皮を剥いて、軽く漕げた所を食べると、芳ばしい味と香がして、そこを噛み締めるごとに味が増していくようだった。イモを蒸かすだけでは出ない味である。

美味しそうに食べる勇吹を見て、カルノも漸く焼き芋の片割れを食べ始めた。勇吹の食べ方を倣い、周りの皮を剥いて豪快に齧り付く。


「・・・ウマい」
「でしょ」


もしかすると、肉以外で素直に美味いと口に出すのを聞いたのは初めてかもしれない。頑固な彼は、幾ら絶品なナギの料理であっても、黙って食べるが褒めたことは無かった。・・・そういえば、イカも不評だったが。
二人とも育ち盛りなだけあって、湯気が立っている間に焼き芋約2分の1をペロリと平らげてしまう。量としては全然足りないのだが、残念ながら田舎なこの街は夜になると開いてる店も無く、ふと通りを見たら既に人の影もない。


「さて。・・・どうするよ?」


食べきった二人分の残骸をまとめてゴミ箱に投げてから、カルノは剥き出しになった左手の指先を勇吹の右手に絡めて問うた。僅かに残っていた二人分の体温が、解けるように合わさる。

つい遊びに出て、知らない街で変な路地に入ってみたら迷ってしまい、何とかなるだろうと楽観思考でうろうろしていたら駆るのが表れて、知らない大通りに連れて行ってくれたのだ。しかしカルノは仮宿の場所を知らず、一人でないのに安堵はしたが、宿には帰れない。迷子である。


「んー・・・そうだね・・・」


これからどうするか考えながら、今の自分たちの姿が猫のようだと連想する。普段はバラバラに動いているのに、こうして寒くなったら寄り添ってぬくもりを分け合う。触れている手が徐々に暖かくなっている気がした。

自分の体に意識を向けると、その奥の方には熱が再び宿っているが、濡れたコートが水を含んで重く冷たくなっていた。目の前のカルノを見ると、前髪がしっとりと濡れ始めている。


「屋根のある所に行こうか。暖の取れる所」


このままだと風邪引きそうだし。

とりあえず、雨露や霜を避けられれば、後はどうとでもなるだろう、と気楽に思っていってみると、ふわりと風邪が起こって浮遊感が体を取り巻いた。どうやら思い当たる所があるらしい。
どうせ飛ぶなら、と左手でカルノの肩に触れ、腕を残してエーテル製の翼を作った。一粒、二粒と、寒さで凍りかけた涙が頬を転がる。目が酷く熱かった。


「おい・・・」

「何?」

「人の腕で遊ぶな」

「大丈夫だよ、自分で戻せるし」

「そーゆー問題じゃねぇ」


翼を広げさせた途端、頭半個分上から落ちてきた苦情を軽く流していると、あっという間に二人は高く高く浮かび上がっていた。小さくなった建物を見下ろし、そういえば郊外に使っていない小屋があったのを思い出す。カルノは恐らく其処に向かっているのだろう。

あまりに高く来てしまうと、街明かりは空まで届かない。しかも生憎の天気の所為で灯りの乏しい夜空は、自分の存在すらも知覚し難くする。
伸ばした自分の指先すら見えない濃厚な闇は、夜の冷気のように精神を侵していくのだ。

不意に、繋いだままの右手を強く握られた。手に伝わる力と温かさが、確かなカルノの存在を感じさせると共に、自分の存在も思い出せた。

手で触れるだけで、そこについた傷が多く解る手を握り返し、ほっと息を吐く。
己の存在に、力に、喰われそうになる精神に恐れた時、いつも傍にいてくれる。傍らにいることを気づかせてくれる。そんなことにどれだけの安らぎを得ているかなんて、彼は知らないだろう。

小屋が見えてきた。丁度雨露も霜も凌げそうな場所だ。寒さは、二人でいればきっとどうとでもなるだろう。

降り立とうと降下する先の地上は酷く静かで、揺ぎ無い眠りを湛えた闇がのたうっている。
夜明けは、まだ遠かった。



END

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